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請求は 2012.04.06.   

約1ヶ月くらい時間がかかるとの話で 

病院のほうから連絡をしますとの話であったけども

2012.05.10.に 私のほうから 電話連絡を入れて 5/11に入手


印刷(打ち出し)は 4/11となっている。


04.06.の請求時と違って 05.11.は・・・

病院側の医事課の担当者(請求時と同じ方)の顔が曇っていた、

元気がなさそうだったのも印象的でした。


・・・帰宅後に ざっと読んだけども・・・ 涙が出てきた。 

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カルテ等の記録をみて 

村上という研修医の存在を 私は今回初めて知った。


2007.11.21.-22.

最後となってしまった 家族3人での旅行直後に入院(リンク)


  ↑ 旅行時の カレーは 1皿まるまる 残さず食べていましたよ。


2007.11.28. 検査入院時の父の言葉

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(以前、再検査を受けたほかの医療機関にて? もしくは この病院での検査後? )

なーんにも説明を受けていなくて

とにかく早いほうがいいといわれたので 入院しました。


  ↑ そのまま 率直に言っていたのだろうね。

   

私と両親とで行った 千葉一泊旅行の直後に「今すぐ入院してください!」と言われて

あわてて2007.11.のこの時(最初は検査)入院したのも 間違えはない。


このころの父は 胃がんの初期だと思っていたと思います。


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  ↑ この時は 本人には 手術を前提に 精査を勧めていくことを説明し、

   承諾を得たと書かれてある。



やはり 2007.11.以前の健康診断、人間ドッグの結果について 

父は 異常なしと言われていたと医師に伝えている。


→ 胃カメラ(再検査) 異常なし! (リンク) 私の父の手帳より


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With Heart and Voice (リンク) 2003


 ↑ 父の胃の状態を知っていた人って誰だろう? 私は知らなかったよ。


2004年 2005年の人間ドッグの結果(最近再発行をしていただいたもの)

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      ↑ 2004 ・・・

     これでも がんだという診断や告知は受けていない。


胃体部後壁胃潰瘍瘢痕、肥厚性胃炎


2005.01.の胃カメラは 「異常なし」という診断をされている。(リンク)


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 ↑ 父の手帳には 
「胃カメラ 異常なし」と書かれてあるし、

   父ががん告知を医師からされたとは 聞いていないし、

   即入院をとは言われていないし、家族等が呼ばれたということも ない


2004.12.末から 2005.01.下旬 

私の身近で起こった話(リンク) カニの話 → その2(リンク)バカ騒ぎ


2004おわりごろにみた 父の人間ドッグの結果の紙には

胃と食道の絵が書かれてあって バツ印も。 <胃がんの好発部位>

人間ドッグ後 医師からの説明時のものであったと思いますが、

人間ドッグの結果も その部分が そうとう悪いようで「要精密」と書かれてあった。 

→ そのため 2005.1 の胃カメラの結果にはほっとしたのですが・・・


父も 「 何年か前に ピロリ菌を退治する治療をしたから ダイジョウブだ 」とも 

そのころ何度か言っていた。 


※ 胃がんという診断は受けていない。「異常なし」との診断。



以下は 再発行された人間ドッグの結果の画像。


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    ↑ あれ? 2005の人間ドッグ時は 胃に関する結果がない!? 

   どういうことだ?  2005.01.に胃カメラやったから?

  

★ 2007年まで 毎年受診していた 健康診断の結果(再発行)待ち ★


★2012.05.12.現在★ 


→ 人間ドッグと 健康診断の結果の再発行を 2012.04.上旬から

  まずは医療機関に問い合わせ。 過去のデータは残っているし、

  医療機関側は再発行可能、でも職場経由で再発行手続きをお願いしますとの話。

 

  川崎競馬場にお願いをして (経由で)再発行手続きをしてもらうようにし、 

  その了承も得たのですが 長期間 待たされた上に 

  送られてきたものは 人間ドッグの結果のみ→ 2012.05.11.に届いた


  再度 川崎競馬場に問い合わせたところ 

  川崎競馬場関係者内の話し合い

  遺族に送るものは 「人間ドッグの結果のみ」となってしまったらしい。え?なんで??


  「健康診断の結果も送ってください」と 

  5/11に川崎競馬場側に 依頼・済  

  →月曜日(5/14)には

           再発行手続きしますとのですがいつ届くのかな?(あきれ)


      いつまでも送ってこないのは・・・

  なにか まっずい話でもあるからなのでしょうかね?


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2007.11.30.  → この記事 少し訂正(リンク)。

12月上旬ではなく この時に私(子)は 父について末期がんと余命宣告をされる。


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12/4 に外科カンファで相談を とも書かれてある。


2007.12.03.  医師との約束の時間に  私と母親が 病院へ。

春まで もたないかも知れませんと 言われた。


記録によると 外科カンファに 家族へ告知、言ったということになる。


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2007.12.04. 

父は検査入院期間中であったけど 1時間ほど 外出。 海老名警察署へ。 

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警備指導員の資格の証書をもらいに行って、その足で自宅まで (リンク)


自宅で 私は大泣きしながら 母親と今後のことを語っている時に 

突然 玄関ドアの音がして 父親が帰ってきた。


病院-警察署-自宅-病院 往復 1時間。 


早足の 入院前の父 そのまんま。元気そのもの。


この日に 外科カンファ?(その詳細は もちろん私は知らない)

なんで 前日の 12/3 に 私と母は病院に行くことになったのでしょうか??


結局は 入院期間中の父は きちんとした手術を一度も受けずに 死んでしまった。


医師( 小澤Dr. )の説明では 家族(遺族)には 入院初期から 

ほかの臓器傷つけて かかわってくるので抜くことはしませんと。


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   ↑ 12/3 本人(父)には 手術を前提にという話をして、承諾を得たと書かれてある。

   その通りになると思っていたのだけどなぁ。 父はがんと闘うと言っていたし。


2007.12.15.-12.16. 外泊  TS-1という薬を処方されている。


検査入院開始とともに 飲酒、タバコを一切やめて 

入院により 大変 規則的な生活となり、

入院前より 逆に健康的になった、すっきりしたのでは?と思うくらいだった。


食事についての指導はなかった。死ぬまで ずっとだったけども。

私の家のほうで考えて、刺激物は避け、ごはんもおかゆにした。


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   2007.12.15.撮影  鍋物の豆腐や白菜などは食べていた。


2007.12.17.  

父「何となく ムカムカするような感じやお腹がはる感じがあります。」(TS-1服用後)


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TS-1 は 2007.12.11.より。

タケプロン アルサルミンは 11/4処方と書かれてあるけども 

12/4の間違え?→説明は12/5


翌日(12/18)も 父は 同じような発言。 ムカムカすることがあります。

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食事は全量摂取! 

2007.11.末に 胃がん末期 & 余命宣告を受けた患者・・なんですけどもね。


2007.12.22. 退院時に病院から処方された薬 → 2008.1.11.緊急外来(救急車で搬送) 

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大晦日近くまで 新年の準備や庭の手入れ等々できていたのは ホント。(リンク)


処方された薬を きちんと飲んでいたから 調子が悪くなったのでは?とも思っている。


2008.01.11. 救急車で父は運ばれた。

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      ↑ 新年早々から 調子悪いとは そのまんま。。


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    ↑ 私の母は なぜ膵炎が起こったのかは不明であることと

 「処方した薬が 弱すぎたのかも知れませんね。

  今度からは 強めのものにしてみますね」という説明を 医師から受けている。


その旨については 一切 書かれていないのは ナゼに??


TS-1って ちょいと調べてみたら 副作用などの問題があるようで。。


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      ↑ 12/22の退院以降の食事についての指導はなかった。

 

    刺激物はもちろんナシ。 おかゆなどにしていましたが。

    アルコール摂取も もちろんありません。 

    

2008.01.12.  
この日付けで 担当医師の 変更が行われていた。救急搬送の翌日。

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その後の記録・指示は ほとんどこの村上医師が 中心。


 つづきあり span style=p/span/span

 

2008.01.13.  

薬の強弱って私にはよくわかりませんが・・・いろいろ変更になってはいる。


2008.01.23.  

救急搬送のきっかけとなった

急性膵炎から 胸腹水貯留が起こっていると考えられると 医師。


それでもって TS-1はやめましょうという話になる。・・・???


本人は入院が長くなってもいいから 再度の治療をお願いしたいと医師に伝えた。


最後にある 母と医師だけ行ったという話の内容(IC)は・・・

3/2に 実際におこった臨終時の話とは ニュアンスがまったく違う

それどころか 話が まったく違う!!


→ 末期がんが進んで 意思の疎通も まったくできなくなり、

  薬物等を投与しながら植物状態、脳死状態で 

  長期間  生き(させ)る行為をするか

  ベッドに横たわっているだけの状態にするか 否かについての話で

  そういった 延命措置は 行わなくてよいという意味での 了承だったんです。


  この話は まず 医師側から質問されたのですが、

  医師からの説明も そういった切り口からのものでした。

  最初の 私と母 対 医師のICの時に質問されたものであるので、

  私も 実際に医師と 対面していたときの話です。


DNRという用語は のちに 父が亡くなる数日前、

看護師の話からも 出てくる。 


父が死ぬまでの2.3日間の話は・・・

病院側の隠蔽や じゃないか?とも思った。


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検査入院時期には まったく出てこなかった 膵臓もびっくりしたけども 

小細胞癌(肺)なんてのも 突如出てきたような。 


私は医師から直接 その部位の転移等は聞いたことはない。

そんなに急速に 転移したのかぃ??


入院中の父は いつだか不安そうな口調で

「医師から がんの新薬などの

  実験台にされているんじゃないか?」

家族に 言っていたこともある。


記録をみていると コロコロと変更となっているような気がする・・・


これ以降は きちんとした説明が 家族や本人には ない。


2008.02.23.-02.24. 末期がんの患者に外泊許可!?


2008.02.23. 外泊許可へ・・・(研修医より)

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  DIVについての判断・・・ DIVって 何??


小細胞癌の疑いっていうのは のことですよね?? 肺ではなく。



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      ↑ 病院に戻った 父は「気分転換になった」と言っていたらしい。


余命が あと一週間だから さいごに帰宅させたのではなく・・・ 


02.24.に病院に もどってきたあとに

「脱水症状を起こしています。電気カーペットはよくないんです。どうしてそうしたんですか?」

「もってあと1週間くらいですね」と 私の母を責めた医師がいた。


・・・ 研修医が言ったのか??

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       DIVとやらが なんかあるようだ。 腎前性腎不全状態って?


だったら 外泊許可させるなよ!! 

あと、外泊前に 

外泊時の食事管理、環境をどのように整えば良いか等々についての説明は一切なし。


あ、あと このころだったのか 「腎不全になる」とも 医師から言われた母が 

えらく動揺して あわてて関連書籍などを 読んでいたのって。


外泊時の父は自力で自宅の階段の昇り降りはできた。病院の行き帰りはタクシーを利用。


どういうわけか この時 親戚が来た。 

外泊許可のことを事前に知っていたのか?(リンク)


 ↑ 家族 と 親戚って ちがうよね?? 同じ扱いではないよね?


両親と私とで ゆっくりとすごしたかったのだけども、

親戚が 私の自宅にいた時間は 私はひとり短時間だけども 外にでかけた。

知人の吹奏楽イベントを聴きに市内の施設へ。(徒歩圏)


2008.02.27.-2009.02.29.  え? こんなことをしていたの? 初めて知った。


2008.02.27.

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2008.02.28.

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父が入院したばかりの元気なころは 研修医ではない 小澤Dr.は

ほかの臓器に負担をかけて 命にかかわるので 行いませんと言っていたよ?


これを行ったとの説明は 遺族側には一切ありませんでした。


・・・・研修医によって腹腔穿刺が行われる。 


ところで 腹水穿刺と 腹腔穿刺って同じものなのか???


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研修医が単独で行ったことについての是非は 

私は よくわかりませんが、

直後の父は 「少し楽になった」と言っていたそうです・・・


でも その数時間後から 父の容態が急速に悪化したのは間違えはない。 


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DNRであるが・・・って どういうことでしょうかね?


この時に 家族が病院に呼ばれたということはない。電話連絡もない。


あと、看護師は 小澤Dr.ではなく 

なぜ研修医の村上Dr.に報告や相談したんだ?


・・・・父は 薬の影響で 

声は出にくくなっていたけども コミュニケーションは はかれていた。


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    ↑  腹水穿刺前日の 2008.02.28. 16:06   

    父は トイレには 自力で行けていたのね。 

       あと・・・このころにはすでに 父は声がかれて、かすれて

  ほとんど声を発せなくなっていたのですが・・・ 

  こちらが言っていることは もちろん通じていた。

  筆談で伝えたのか?これってば。 父の筆談メモは残っていない。


そういや、02/10 前後くらいにはすでに 薬物の影響で声が出にくくなっていた話やら

( 細菌の繁殖を抑えるためにゲル状の薬を使っているとの話だった )

日和見感染がどうたら 日光にあたってはイケマセンって

父本人や母親に 説明をしたというものは どこにも書かれていない。

同じ病室内で 窓側から うちっかわに移動した記録だけは残っている。


→ もう日光にあたってはイケマセン等の話を聞いて 

        悲しく思って 私が撮った風景写真の意味はなに??(リンク)


→ そのワリには 2008.02.23に 外泊許可とか おかしくね?


2009.02.29.  父の直筆のメモ

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ティルーム自販機 アセロラドリンクのみたい。


2008.03.02.  の朝・・・ 病院(看護師)から電話連絡があって

2008.03.01.の早朝に血圧が急降下して

病室を 一般のところから(臨終時の場所に)移ったのですが 

容態が落ち着いたのでまた一般病室に戻しましたとの話だった。


・・・私はほっとして午前中(朝8時半ごろ)に父の元へ。 

でも 看護師の説明にあった一般の病室をのぞいたら 父の姿はなく、

あれ? 一般の病室といっても ほかの部屋なのかな?と思って

入り口にあるネームプレートにも父の名前がなくて びっくりした。

まずは廊下にいた朝食の配膳のスタッフに聞いたら 

ナースセンターで聞いてくれと言われ、同階にある そちらへ向かった。


そしたら HCUという部屋にいるとの話で 

「こちらの入り口からどうぞ」と言われ 案内されたのだけども???


記録によると・・・

2008.03.01. 0:00に 父はHCUという部屋に移動した書かれてあるが、早朝?

2008.03.02.10:36 に HCUへ転室・転床となっている。 これは 手続き上の話か?


一般の病室にいると思っていたので 私は庭の写真(植物の成長記録)を 持って

行ったのけども 一般の病室ではないってだけでなく・・・

父の表情をみたら とてもとても見せられる状態じゃあなかった。


それでも 私は「なんだ。思ったよりも元気そうじゃん」と言って、

私が入ってきた側(部屋の入り口)と反対側にある椅子に腰掛けたら 

父はそれまで向いていた方向とは反対側に頭を動かして(私の顔をじーっとみて)

足をパタパタとさせて 元気だよとアピールしてきた。

これが私との最期の対面、コミュニケーションとなりました。


私がこのとき来ていたという看護記録は残されていない。


父は この時にはもう声は出せない状態でした。


そのときの 看護士さん(妊婦さんだった)のお話では 

比較的安定しているので自宅に戻ってもダイジョウブですよーと。


以下は 私が自宅に戻ってからの記録。


2008.03.02. 10:30 

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       ↑ 私がいた時間も 頷き(うなずき)ができたのは 間違えはない。


2008.03.02. 11:00  父への最後の点滴等? 

この部分 どういうわけか同一内容が 2重、3重に書かれてあるので 実際の回数は不明。

それ以降は まったく記載ナシ。


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こんな感じに記録がつけられていた。 これらすべてを11:00に実施したのか?

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監査の意味は ちょっとわからないけども。


2008.03.02. 12:00 マスク拒否あり。カヌラのままとする。



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2008.03.02. 15:00 BP50台かわらず。家族にTELL, 状況のみ報告。

 → この時も落ち着いていますとの報告であったので 私は病院には向かわず。

    

2008.03.02. 16:50  声かけに頷くなど反応見られる。JCSⅡ-20

              血圧聴診できず、自動血圧計にてBP=75/35 HR=112

              呼吸浅くやや下顎呼吸様である。抹消冷感あり。SAT80%

     本人了承のうえ カヌラからマスクへ変更する。


・・・・本人の了承により カヌラから マスクへ?? 


本人(私の父)は まったく しゃべれなかったでしょうに。


・・・・ 10分後の様子からも 本人から了承を得られたのか??  


私の父が もう死にたいと言ったとでも???  ※ 母は このころ病院に到着。


2008.03.02. 17:00 上記から10分後

レベル低下あり。声掛けに反応なし。HR=90台。SAT=91%


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2008.03.02.17:20 付き添いの妻より、一度家へ戻りたいとあり。

  ナースより状態悪く、帰っている間に亡くなってしまう可能性が高いことを説明する。

  それでも1度戻りたいとのこと。上記了承の上帰られる。


これは話が違います!! 大嘘です!


状態が 今は 安定しているからという説明を看護師からうけて 

母はいったん病院を離れ、自宅に向かっていたんです。 

そのときに 自宅にいる私あてに 病院より電話が入って 父が危篤であると。 

そして 自宅に向かっている途中であった母親に 私のほうから

「 今すぐ病院に戻って! お父さん 危篤だって! 」と伝えたんです。


そんなに状態が悪かったら 母は そのまま病院にいたと思います。


2008.03.02. 17:30 

HR=60~70へdoun (→down?) 意識レベルⅢ-300

下顎様呼吸にて今にも呼吸停止しそうな様子。

妻携帯へ連絡するも応答なし。

自宅へ電話し娘へ状況説明し病院へ来ていただく様伝える。


電話については間違えはない。

母のケータイに電話がつながらなかったのは 自宅に電話をしていたから。


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2008.03.02.17:40 酸素10Lリザーバーマスクへ変更 HR=60~70台


2008.03.02.18:00  HR=0 呼吸停止。 妻と娘来院される


・・・私が病院へ到着したときには 

父はすでに死んでいたのは間違えはない。


私の到着時間は まちがっていない。18:00を少し過ぎていたくらいです。


2008.03.02. 18:00 当直田中Dr.にて死亡確認。妻、娘立会いのもと。


私が病院到着したには 

それも医師による死亡確認終了しましたって感じでした

ベッドから出てくる医師はみた。

看護師からも「たった今 医師による死亡確認おわりましたからね」と言われた。 

私は 立ち会ってはいない。


主治医は 小澤Dr.だったのですが・・・ 3/2は お休み(欠勤)だとの話でした。


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   ↑ 死亡確認に 

    家族の希望により延命処置は行わずって書くって じゃないか? 

   

   あれ?? しかも死亡確認17:54に作成ってなっていないか??

   当直の田中Dr.というのは 看護師から 

   いつ私の父が死んだか 死にそうだという報告を受けていたのでしょうか?

   父の死亡確認の時刻ではなく、臨終時に この医師は 父のそばにいたのか??


   私の父の 正確な死亡時刻って 18:00から かなりずれているんじゃないか?

       

  延命治療は ともかく・・・


  蘇生に尽くしてくれたのかなとも感じる。

  

  午前中に父と会ったときも

  ぼさ~っとした看護師がいて(1人は妊婦さんだったけども) 

  別室で ひたすらPCを操作していただけ。


  灰色・ねずみ色の 死を待つだけのような

  殺風景な部屋で ほっからかしにされていたとしか 思えない。

   


・・・・あと 私は 臨終には 間に合わなかったんですよ! 


蘇生をどうたらとか 延命治療の有無も なにも言えなかったですよ。


ほんの少しだけ死後の父を みたあとは・・・・

 (亡くなった部屋の)外で 待っていてください!」と 

そそくさとベッドのまわりのカーテンを閉められて 追い出されたのも間違えはない。


ほんとに ちらっとしかみていないんですよ。みせてもらえなかった。


死後看護師より着替えを・・・というときに 

左の三角筋あたりの血管が広範に渡り ドス黒かったことと 

マスクをつけていた姿しか わからなかった。 

ほんの一瞬だったけども 鮮明におぼえています。


着替えや場所の移動等で 待っている間・・・

キョウダイに連絡をしたけども 手が震えて メールなど打てなかったし、

電話をしようにも やはりキー操作が うまくできなかったな。そういや。


画像にある・・・ 入院時主病名による 死亡とは

→ 胃がんと がん性腹膜炎( 医師が記入する 死亡届もそのまんま )


なんだけども どうも すっきりしない・・・ 


葬儀・告別式のころの親戚の様子なども(リンク)


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2010年に あいつらが 執拗に騒いできていた (リンク) 

私の父は 病室内で首をつって自殺をしていた!という話(騒ぎ)・・・ 

自殺については 否定されました。


誰かが医師に依頼した殺人? 医療ミス? フツウの病死か?が 今後の課題。


あいつらは「うちらは覚醒剤だから! 覚醒剤だから!」

心神耗弱である、だから無罪になるような表現も多々してくるけども・・・


もし 本当に 医師に依頼をした殺人であったとしたら 

殺害方法・・・直接 刺殺したとかではなく、しっかりと計画性があるので(用意周到) 

「 心神耗弱 」とは認められないと思います。

違法薬物の積極的な使用で ごまかそうとしても無理だと思います。


→ 2007.12.の「借りた金を返せ!」騒ぎ 等々 関連記事(リンク)


最近では 

「あなたのお父さんは覚醒剤をやっていたから 病院と口裏あわせをしていた!」と 

さらに おかしなことも騒いできているけどもね。 私のうちの近所の方などなど。


2007.11.下旬の 検査入院まで 父は ビールや日本酒飲んでいたけども・・・

違法薬物やっている人は お酒がのめないんですよね?

暴れたり、キレたりして・・・

父は 飲酒により 暴れたり、キレたりなんて していませんでしたよ。 

そんな姿は 1度も みたことはありません。


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カルテ請求時は フツウそうであった 病院の医療スタッフが 

受け渡し時には 顔が曇っていたのも間違えはないので 

普通ではないと気づいたか知ったのかな?と。


どなたかから 

内視鏡などの画像も あるなら手に入れなさい!!と教えてくださいました。


→ 父が「警察職」を定年退職した後に勤めていた(2003-2008) 

川崎の競馬場組合(父は神奈川県の職員でした)からは

人間ドッグの結果(再発行)は 自宅に郵送で届いたけども 

健康診断の結果については 手違い(?)で まだ届かず、今日(5/11) 依頼しました。


人間ドッグの結果の話も 医療機関側の対応は とてもはやかったのに。


いったい いつ届くのだろうか??


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私の家の周辺で 私の父の死の前後から えらく長い年数

暴言、脅迫等してきていた連中にたいして


医師へ 殺害依頼等をしたという発言が 事実であるならば

殺人罪(刑法199条) か

組織犯罪処罰法第三条第3号適用(組織的な殺人)になるのかな? (リンク)


どころか


医療機関側も 業務上過失致死罪とか 医師法違反等々になるのか???


医師や看護師によって 

父の死までの 3~4日間の出来事について隠蔽されていた事実についてや

カルテ等の改ざん・捏造については どうなるのだろうか?? 

家族(母や 子である私)に伝えた内容についての記録がない部分が多い

海老名の総合病院にたいしては プラス 

内視鏡や CTの画像の記録を請求


私の父が死に、病院からも去ったあとの看護記録(あきれ)


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     2008.03.02.の 21:06に 看護師によって作成されたもの。 

  これって 同日 18:00に 死んだ人への処置?? ちがうよね。

  その18:00に 実施したことになっている。

  


これは村上という研修医からの指示?(日付は 父の死後) 

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    ↑ 画像は見えなくても 押すと 拡大画像として見ることはできます。
 

もしかして 看護師による

これらのインチキ分の医療費も 私ら遺族が支払っていたのでしょうか?(怒)


・・・なんだかよくわからないのは 死ぬ直前だけではないのだけど・・・

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       ↑ これって どうやって読めばいいの?? 実施回数。 


    用法1日2回。 サイクルは6時間となっている。


    同じ日、同じ時間帯に 同じ看護師さんによる記述は これだけなんですが 

    ・・・・実施回数って!?


左と右は 同一のものなんですが・・・

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1日1回とか2回とか、サイクル12時間や24時間と 実施回数の関係は?


どう読めばいいの? これってば。


夜中から早朝の出来事は 

見舞いや付き添いが まったくできなかった家族(遺族)には 

まったくわかりません・・・でした。 知りませんでした。 


病院内で 実際は 本当は 何をされていたのだろうか? 私の父親は。