アートNPOの基盤整備のためのリサーチ
170-0001 東京都豊島区西巣鴨4-9-1 にしすがも創造舎
http://anj.or.jpアートネットワーク・ジャパン(以下「ANJ」)は、2000年4月にNPO法人としての活動をスタートした。「芸術の社会的な力を取り戻すため」という目的で、国際的な視野を持ちながら、東京国際芸術祭の開催、文化施設の企画・運営を中心に、世界のアーティストや諸外国の芸術機関との国際的なネットワークを構築している。NPOとして法人化する以前から、東京国際芸術祭を実行委員会形式で運営していたが、法人化によって事務局を基盤整備すると同時に、東京国際芸術祭を通じて課題が見えてきた舞台芸術環境の整備などの事業化を手がけた。
東京国際芸術祭での海外のカンパニーとの交流や、国内の地方で活動しているカンパニーを紹介してきた経験から、ANJの事務局長を務める蓮池氏は「圧倒的に東京には創作活動の場が欠如していること」を痛感したという。特に地方には、自分たちの稽古場を持っていたり、使われなくなった郊外の建物を借りて深夜まで稽古したりする劇団や、無償で稽古場を提供している公共施設など、東京にはない豊かな創造環境があることを目の当たりにした。
「東京では地方や海外と同じことはできないけれども、いまできることから着手しよう」という思いで、少子化の影響で統廃合された都内の学校をリサーチする「廃校プロジェクト」がスタート。それがNPO法人化した最初の大きなプロジェクトだった。「稽古場不足に悩む若手をなんとか応援したいという思いと、東京国際芸術祭として拠点となる劇場を持ちたいという思いの2つが、にしすがも創造舎の誕生の動機になった」という蓮池氏。にしすがも創造舎が2004年に開設されて以来、東京国際芸術祭のメイン会場として使うだけでなく、アーティストの人材育成の場として、レジデント・アーティストを迎えて長期にわたる稽古や作品の創作、発表を行っている。
またこうした成果があることで、横浜市の大倉山記念館、川崎市アートセンターの指定管理業務や、急な坂スタジオの管理運営の受託といった行政との協働に繋がった(現在、急な坂スタジオはANJとは別に新規のNPOを立ち上げて運営している)。
大倉山記念館と川崎市アートセンターは、どちらもANJは単体ではなく共同事業体として指定管理者となっている。2006年4月から指定管理業務を開始した大倉山記念館では、地元で室内楽のコンサートを継続的に実施している「水曜コンサート」がパートナー。だが、自主事業のための予算が少ないうえに、地元団体による利用のニーズが高いために、地域に密着した活動に対する貸館事業が中心となっている。川崎市アートセンターは2007年10月から、川崎市文化財団との共同事業体で指定管理業務を開始。主たる指定管理者は川崎市文化財団で、財団とANJが協定書を交わし、財団は主に施設の管理を担当、ANJは主に事業の企画を担当している。
共同事業体で指定管理者制度に臨むことは、困難な問題も少なくない。相手方の組織の考え方が、自分の組織の考え方とは必ずしも一致しない場合もある。相手方の組織体制が変われば、施設運営の考え方も変わることもある。両者の業務の分担や収入の配分、スタッフ間の仕事のスタイルや価値観の違いに至るまで、お互いの擦り合わせが必要になる。
にしすがも創造舎の場合は、公の施設の指定管理者ではなく、普通財産の管理運営委託でもない。豊島区による「文化芸術創造支援事業」の一環で、ANJに無償で貸し付けているというものだ。基本的には、にしすがも創造舎に豊島区からの予算は計上されていない。にしすがも創造舎を貸したことによる利用料収入、自らの事業収入や民間企業からの協賛金によって、ANJのスタッフの人件費や維持管理費が賄われている。
しかし、それでは十分な事業が展開できないため、にしすがも創造舎で豊島区が実施する文化事業をANJが委託を受けて実施したり、文化庁や(財)地域創造の助成金を豊島区から申請してもらい、採択された助成金の一部を委託業務としてANJが執行したりと工夫している。「豊島区は2005年に『文化創造都市宣言』を掲げましたが、予算が潤沢にあるわけではありません。でも、例えば資金調達の方法について豊島区が私たちに相談してくれれば、文化庁や他の助成機関を使ってできることがあるんです」。
しかし行政には、担当者の異動が付きものである。にしすがも創造舎の所轄の部課でも担当者は代わった。しかし、新しく担当になった区の職員は、以前の部課での仕事でANJのことを知っており面識もあり、以前からの協働関係は変わらない。「行政は、職員が異動で変わることは分かっていること。変わっても継続して仕事ができることを、ずっと意識してきた」と蓮池氏は言う。「悔しいんです。人が代わったからできなくなったって言われるのが。そのために、誰が行政の担当者になっても認めてもらえるような実績を残すということは、意識しておかないと」。
これまでのANJの実績の中で、行政との協働による施設運営は3つのタイプに分かれる。公の施設の指定管理者制度によるもの、公の施設の管理運営の受託、そして施設の無償貸付による支援事業という枠組みである。この3つの協働の形態の違いについて比較してみると、指定管理者の場合は、提案書に基づいて管理運営するという原則があり、報告義務もあり、行政から評価される立場になる。しかし、指定管理者としての契約期間中は安定した収入があり、継続性も考えられる。つまり、安定感がある一方で、自由度が低く縛りがある。次に管理運営の受託の場合は、行政側の施策の指針と業務の仕様書に則って、成果を出すことが求められる。指定管理者に比べれば、経営の安定感は乏しい一方で事業の自由度は高い。最後の支援事業の場合は、毎年決められた事業費があるわけではなく、経営的には非常に不安定で、協定の期限は決められている。だが、自分たちで稼いだ収入は自分たちが使いたいように使える。このように、3つの協働のタイプには、それぞれに長所と短所があって、どれが理想的な協働だとは言えないようだ。
ただし指定管理者の場合は、「行政が施設の管理運営についてどういう方向を目指しているのか、確固たる理念があるのか、ないのか。もし行政に理念があれば、指定管理者に応募しようとする団体の考え方が一致できるかどうか、よく考えて手を挙げるべきです」。そのうえで蓮池氏は、「アートプロジェクトは経営が安定してこそ可能で、経営が安定しているということは、優秀な人材を継続的に雇用できるということ。本当は、それこそ最低限の創造環境だと思うけれども、それが適っているところはほとんどない。そういう意味では、指定管理者制度は機会の一つではある」という。そして「指定管理者制度で、にしすがも創造舎が実現しているようなことができれば理想的なんだけどね」と笑った。
ANJは、トヨタ自動車、アサヒビール、資生堂、松下電器産業の4つの企業から協賛を受けている。しかも、それらの協賛企業には理事を務めていただいているとのこと。つまり、ANJにとって協賛企業は、組織の外部にあるものではなく、組織のガバナンスを担っている。協賛企業が理事として出された意見を事業に反映することもあれば、理事会の資料に不備があってお叱りを受けることもあるそうだ。「大企業から見れば、私たちの経営のあり方に対して言いたいことは山ほどあると思うんです。そうした苦言は私たちにとって、企業や行政とコミュニケーションするのに、とても勉強になります」。企業の方に理事をお願いすることで、組織を外部に開かれたものにして、透明性や説明責任を獲得するということは、結果として組織の社会的な信頼性を高めることになっている。また複数の協賛企業が理事会のメンバーであることは、それぞれの企業が他の企業を互いに意識することで、ANJに対する支援を持続させているという見方もできそうだ。
ANJは2000年以来、演劇・ダンスなどの舞台芸術の祭典、東京国際芸術祭を主催している。このフェスティバルには文化庁などの公的な助成金を財源としているが、助成制度について蓮池氏はこう考えている。
「自分たちの努力が足りないことを自覚したうえで敢えて言えば、支援額の上限が、支援対象経費の2分の1以内で、自己負担金の範囲内という制度は厳しい。もちろん、支援金がなくても自己資金で遂行される事業に対して、経費の一部を支援するという前提の理屈は分かる。でも、その制度で大規模の国際的な事業を実施するのは現実的ではない」。この支援金の上限ルールによって、仮に助成金が申請したよりも減額されると、事業規模を縮小せざるを得ず、事業費が縮小すれば、さらに助成が減額されてしまうという悪循環に陥ることもあるという。こうした状況を改善するためには、「支援対象経費の2分の1以内」「自己負担金の範囲内」という2つのルールの併用を緩和する必要がある。その点で(財)セゾン文化財団の助成制度では、対象経費の費目を指定せず、自己負担金も関係なく、その事業を支援することに特化している。
また、例えば文化庁や芸術文化振興基金の助成では、複数の助成プログラムを重複できないことが、現実的な問題の要因になっている。東京国際芸術祭のように、さまざまなプログラムによって1つのフェスティバルを形成していると、フェスティバル全体として受けている助成プログラムと、参加する個別の団体が受けている助成プログラムとで、重複が発生する場合がある。重複した団体は、フェスティバルのラインナップから外さなくてはならなくなる。
他にも公的な助成制度については、単年度の助成ではなく継続的な助成の枠組みや、助成の考え方として「広く浅く」ではなく「濃く厚く」支援する方向に転換することが望まれるという。「要するに、自己資金がある団体だから事業ができるという考え方ではなくて、例えば、文化庁のお金があったからこそ、この事業が実現できたんだ、という考え方に変えてもいいんじゃないかと思うんですけどね」。
ANJの場合、アートに関わる仕事に興味を持つ人、将来アートの世界で働くことを志す学生、若い社会人に実践の場を提供するプログラムであるYAMP(Youth Arts Management Projects)を立ち上げ、2008年からは従来のYAMPに代わり、東京国際芸術祭のボランティアスタッフ“TIFクルー”を立ち上げた。実際に、そうした活動に加わった若い人材を雇用してきている。ギリギリの経営の中で、正規スタッフの18人には全員に給料を支払い、保険を適用している。しかし、にしすがも創造舎の豊島区との協定、横浜市や川崎市での指定管理者も、いつかは期間を終えることになる。それを考えると、大きな、そして切実な問題に直面する。「その期間内に、スタッフ自らがキャリアを身につけて次のステップに羽ばたけるか、あるいはANJとして一つの事業が終了すれば新たな事業を立ち上げて、組織を維持するのか。2つに1つの選択を迫られていることを常に考えています。事業拡大は一概に悪いとは思わないけれども、常にリスクを背負い続けることはできない」。
もう一つは労務環境の問題。東京国際芸術祭の期間中は多忙を極め、朝10時から夜12時まで働くこともある。決して良好な労務環境ではない。逆に、指定管理者の運営施設では、共同事業体の相手方からは残業を止められ、仕事は追いつかず、新規の人材は雇用できない…というジレンマに追い込まれている。こうした労務環境の違いが、人間関係にも影響する。「指定管理者制度によって、アートNPOで働く人材が生活できる、あるいはビジネスチャンスだと思った時期もあったでしょう。でも、少なからずリスクも発生し、かつ期限がある。そうしたリスクを請け負える覚悟があるかどうかです」。
そのために、組織の管理職が必要になる。自分がやりたいプログラムを、やりたい人間が集まってやるという段階を超えて、経理、法規、総務、そして経営全体をコントロールする人が必要になったという蓮池氏。「NPOとして活動して、今いるスタッフを守って、やりたいこともやっていくという方法を、何とかして見つけたい…現状はまだまだ未熟なんだけど」。
アートNPOは、ミッションとモチベーションだけでは走り続けられない。トップランナーであるANJは、そういう段階に入ってきている。
写真上=にしすがも創造舎
写真下=川崎市アートセンター