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戦前の南氷洋捕鯨 漁場日誌を下関で発見
2012年5月5日(土)掲載
戦前に行われた南氷洋捕鯨の詳細を記した中部利三郎氏の漁場日誌を手にするひ孫の中部竜之介君
日本三大捕鯨会社の一つで下関市に本社を構えていた大洋漁業(現マルハニチロホールディングス)の創業者、中部幾次郎氏の三男、利三郎氏(1901〜70年)が船団長を務めた南氷洋捕鯨船団の漁場日誌が見つかった。戦前の南氷洋捕鯨の様子を詳細に記録した貴重な資料という。

大洋漁業の前身「林兼商店」の第二日新丸船団事業部長を務めた利三郎氏が記録した1940(昭和15)年10月10日から翌41年3月23日までの日誌(約90ページ)。鯨の捕獲成績や氷山の位置、故障時の対応などが詳細に記され、鯨油生産に関する事項や本社とのやり取りも書かれている。

横浜を出港する際の日誌には、旧日本海軍の軍艦が多数停泊する様子を記載。インドネシアでは給油の支払いに銀行が発行した信用保証書が使えなかったエピソードも記し、第二次世界大戦が間近に迫った緊迫感が伝わってくる。捕獲日報には捕獲した船名と鯨の種類、頭数を記入。氷山の状況などは絵入りで記録している。

このほかに、病死した乗組員を海に流す「水葬」を行ったり、故障した舵を潜って見に行った乗組員があまりの水温の低さに体調を崩したことなども生々しく記載。鯨油の生産記録も残され、外貨獲得に向けて鯨油生産が主力となっていた当時の実態も分かる。

利三郎氏のひ孫で下関市上田中町の高校1年、中部竜之介君(15)が中学校の卒業論文の参考資料を探していた昨年5月ごろ、自宅隣の祖母方で発見。情報提供を受けた下関市立大学鯨資料室アドバイザーの岸本充弘・市水産課総務係長は「戦前の南氷洋捕鯨の詳細な記録は見たことがない」と驚いている。

岸本係長は中部家の了解を得た上で、旧字体や数字、英語表記などを口語体に直して解説文を付け、日誌の三分の一を研究論文(前編)にまとめた。今後2、3年かけて中編、後編と検証を進め、最終的に出版する予定という。
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