大切な人が自殺した。
今は毎日が辛い。何をしていても頭の片隅からその人の事が離れない。
この先ずっと辛いままだと思う。
ある意味それでもいいのかなと思う。
楽になってだんだん忘れていくよりも、辛いままでいいと思う。
999 NAME OVER 04/06/29(火) 20:07 ID:??? ID抽出
1000 NAME OVER 04/06/29(火) 20:08 ID:??? ID抽出
>>999
何?
1001 1001 Over 1000 Thread
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もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです
自分では素朴な疑問だとおもうんだけど
「失敗」って言ってる人、何を持って失敗って言ってるのかが正確にはわからない。なんとなくしかわからない
みんなも漠然と語ってるように見えるので、「就活失敗 自殺」について語る時、同じ言葉を使っても語ってる対象がバラバラな気がする。
ちゃんと整理したほうがいいんじゃないだろうか。語ってる内容について自分でさえ漠然としてるのにまともな意見が言えるとは思えないのだが。
多分。一社一社が落ちたことをさして失敗と読んでる人は少ないと思う。
そうじゃなくて、なんかそういう不採用を繰り返していく中で、
自分の中になる何らかのラインを割り込むか、あるいは自分自身が折れてしまった時に
「失敗した」って思うじゃないかと思う。
取り返しがつかない事を悟った瞬間に、後悔やら自責の念がどっと押し寄せてくる瞬間みたいなのがあるのかもしれない。
私にはよく分からんけれども。
あと、失敗って言葉がしっくりこない。
ちゃんと失敗出来れば、むしろ元気が出ると思うんだ。
何を失敗したのかも分からず、ただSAN値だけが削られていくのが一番やばいと思う。
そう考えると、就職活動って企業はちゃんと失敗させてくれないよね。
ただ不採用って通知が来るだけ。
こういうので不条理に打ちのめされるとかそんな感じなんじゃないのかな。
うまくいかなかった理由がわかって、ああ失敗したなぁ、と思えればむしろ前向きになれるんじゃないかな。
正解ではないかもしれないけれど、自分で何がいけなかったか考える。
そして、取り返すために何をするか考えられるなら大丈夫だろう。
私はこういうなんちゃってPDCAは就活の時まで学習して来なかったけれど、
世間一般なら、失恋したやつとか、友達を怒らせたとか、いろんな事で学ぶ機会ってあると思う。
問題の乗り越え方ってのも、ある程度は学んでると思う。
そういうのを総動員しても就活の壁を乗り越えられないというなら、それは就活自体がおかしいと思うんだけれど、
本当にそういうレベルなんだろうか。
男の人は、損得抜きに、日常のくだらない話をきかない。
以上が全てだ。
上司のくだらない話ならいくらでもつきあってごまする奴ならやまほどいる。
詐欺ならいくらでも話を聞いて「大変だったね」「俺が居るから大丈夫だよ」とかありえねーこと言いそうだけどな。
男は「女の話を聞くのが苦手」だと言うことを理解しておいたほうがいい。
彼女と別れてから数年経って、友人としてまた付き合いが始まった
と、言ってもたまにメールのやりとりはしていて、遠距離とお互いのいろいろな事情から会う事は一切無かった。
転機が訪れたのが去年
数年ぶりに呑みに行った
ぼろぼろと泣いて「つらい」と連呼していた
いろいろな話を聞いた
黙って相槌を打ってた
泣きはらした顔の彼女をタクシーで送って、別れ際には少し笑ってくれたのが嬉しかった
その後、彼女は地元へ戻って来る事になり、今では何でも話してると思う
お互いを隅々まで知ってる
けど、昔には戻れない
いや、戻ろうと思えば戻れるのかもしれない
でも昔と"全く同じ"関係には戻れない
そうなるのにはハードルが高い
でも乗り越えたらもしかしたら…
たまには正直に言えばいいのに。いつまでもその女、気づかないぞ。
「私なんてどうせなにをやっても駄目で」
なんてふうに自虐るなら
「死んだほうがいいなら死ねよ。」
正常な判断だ。俺も俺の親しい関係も同じ。ただ、
と言う人もいれば、逆の人間も山ほど居る、ただそれだけなのだろう。
キャバクラが楽しいというのは普段のそいつは周囲の女性から丁寧な扱いを受けられないから、金を払ってあり得ないほど丁寧なサービスを受けてほっとするんだろう。俺には理解できないけどな。
無理とか決めつけて思考停止しないで、しっかりしろよ。
俺はDV被害者の女性を第三者の立場から救えなかった、苦い経験を持っているんだけど
助けたくても結局本人が「助けて」と言ってくれないと周囲は何もできないんだよ。
20~70代、か・・・。70代
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20120513/k10015083701000.html
▽昭和55年に栃木県の「川治プリンスホテル」で45人が死亡する火災が起きました。
▽昭和57年には東京・千代田区の「ホテルニュージャパン」で33人が死亡する火災が起きています。
▽昭和58年には山形県の「蔵王観光ホテル」で火災が発生し、11人が死亡しました。
▽昭和61年には静岡県の「ホテル大東館」の別館から出火し、24人が死亡しました。
▽平成6年に福島県の飯坂温泉の旅館で5人が死亡する火災が起きており、福山市の火事は、平成に入って以降ではこの火災を上回る犠牲者数となりました。
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20120513-OYT1T00195.htm
おお、大人な意見だ。
とりあえず、元増田には大人になれよ、といっておこうか。
若いときは怖いもの知らずだし、他人がどういう風に思ってるか、あまり思慮深く考えなかったり逆に深く考えすぎたりするもので。
年取れば楽になる。
彼氏に途中からDVされて最後は第三者が介入して別れることが出来た、という話を読んだ。
そこにコメが載っていたんだけど、ほとんどが「すぐに逃げなかった女が悪い」「洗脳される方が悪い」という内容。
私もDVではないけど実際に似たような体験をした。とてもじゃないが、逃げれるような状態ではない。
さらには「洗脳される方が悪い」というけど、まさか自分が恋人からそんなことをされるなんて想像も出来ないわけで。
お前の苗字が仮に鈴木だったとして、他人から「お前の名前を『酢好き』って書いても別にいいよね?」と言われても受け入れられるのか。
まったく賛成できない。
灼たかという表記は知らなかったが、新たか、ではないことは容易に想像できた。
日常的に使われる多くの漢字がその本来の意味とは違う意味を表すために用いられるようになり、
ちょっと気になって、「霊験あらたか」の用に使われる「あらたか」とはどう漢字で書くのだろう?と思い、調べた。
当初の予想は「新たか」だった。もちろん、それなら平仮名にすることもなく、ネットの海でさえも「霊言新たか」で埋め尽くされていたはずだ。
違うということは、他の字が充てられているということだ。
そして、その字は「灼か(灼たか)」であった。
意外な字が出てきた。字義を知る人ならそこまでの驚きはないのだろうが、現代では灼熱程度でしかお目にかかることのない漢字に訓読みがあったとは、私にとって新鮮な驚きだ。
確かに多くの漢字、私達が日常目にする漢字のほとんどには、常用漢字内外の訓読みがある。たとえば、小学校低学年で習う二つの漢字、「丸」と「円」、これらはどちらも<マルい>と読む。意味としては、前者が球形的(三次元)、後者が円的(二次元)という違いがある。円いテーブルと言えば、ボール状ではなく円卓ということになる。
しかしながら、後者の漢字、円の訓読みは低学年では学習しない。同音類義語の使い分けは低学年にはまだ早いという計らいがあるのかどうかは知らないが、とにかく低学年で<マルい>と学習するのは「丸」のみである。
この同音類義というのがポイントとなるわけだが、この細かな違いはともかくとして、多くの場合、意味は文脈に依存する。円卓を指すとき、「円いテーブル」でも「丸いテーブル」でも「まあるいテーブル」でもこれらの共通項にズレはない。ズレを中心に据える、超現実的解釈をしない限りは、これらは合一する。
という流れで見て、先の「あらたか」に目を向けよう。「灼たか」とは神や仏のご利益がはっきりしているという意味である。元の語に戻れば、「灼」とは明らかなようすであるとか、はっきりしているであるとか、火を付けて燃やすとか、そういう意味に通ずる。これらに共通するのは鮮明さである。目の利かない闇夜で火をつけて周囲をはっきりと映し出すものであり、その火の役割こそがご利益なのだ。
そして「新たか」である。新た、とは場面の展開であるとか、今までにない局面であるとかいう意味だ。今までにない手法を使うということは闇夜を照らす火のようである。カメラのアングルが変わって別なところを映すということも、全体を明澄にする手段の一つであり、具体性を獲得する。
思えば、「改める」という言葉も、意味としてはこの流れに通ずる。私達は日本語の微妙なニュアンスだとかそういうものを大事にしてきて、かえって事物を見る目線を複雑にさせすぎやしていないだろうか。