この国の教育に一貫して欠けているものがありました。
「哲学」です。
そう言われてもピンとくる方とそうではない方がいらっしゃると思いますが、いまは、何も語らず、隗よりはじめます。
先日、もう日本に愛想をつかしてドイツへ脱出しようとしているある芸術家に久しぶりに会いにいきました。彼は息子さんが小学生のとき、教室に通わせてくれました。でもその子はいま高校生です。私が、ようやく重い腰をあげて哲学を教えると語ったときに、息子を通わせたいと言ってくれました。でも、彼はもう親のことなんか聞かないそうです。
ところがです。親の代わりに「哲学」の言うことなら耳を傾けるかもしれないのです。かつて、私もまたそうであったように。
受験勉強の対極にあり、いまこの国の教育にもっとも必要なものを「つぶやいて」みるつもりでおります。
これからの余生をかける仕事にするつもりです。というより、これまでの生涯をかけて、実は、私は哲学をしていたのだという自覚を持てる年齢に達しました。
どうぞ、みなさま、よろしくお願いいたします。
一人からでも、はじめるつもりでいます。
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「国語教師の教える哲学教室」開講のご案内
-----------------------------中高生以上対象 講師-----工藤順一
======================================================================
「国語専科教室」を立ち上げて以来、ずっと思ってきたことがある。それは、何かを暗記するのではなく、「考える教室」でありたいということだ。しかし、いまやこの言葉は進学塾のキャッチ・コピーにすらなっている。
拙著『これで「考える力」がぐんぐん伸びる』という合同出版社のテキストは、とりあえず徒手空拳で考えなければならないときの道具として使える。しかし、それのみでは学びには十分ではない。私たちは、これまでの人類が構築してきた「考えるモデル」という道具も駆使してクリティカルに考えなければならない。それが「哲学」という学科であろう。両者を学んではじめて「考える教室」の必要十分条件を満たすことになろう。
テキスト『中学生からの対話する哲学教室』
シャロン・ケイ、 ポール・トムソン著 河野哲也監訳 玉川大学出版部
これはたいへんよく出来たテキストである。翻訳もすばらしい。だが、日本人がこれを地に足をつけて学ぶには、日本語を扱う国語教師が必要だと思う。それがこの教室独自のスタンスである。たとえば、第一章は「愛とは何か」という主題であるが、「愛」という中国語を日本人はこれまで2度に渡って輸入した経緯を知るべきだろう。それは、「愛」の小説でもある「源氏物語」にはなぜ、「愛」という言葉が一度もでてこないのかということを知ることでもある。
受講料-------無料---テキスト代2400円のみ
講師----------工藤順一
期日----------第一回目、5月26日土曜日、午後一時より新フロアーにて。
二回目以降の期日・場所は未定。月二回のペースです。
内容は、講義し対話し討論しあう授業です。
外部生、ご父母の参加を歓迎いたします。(無料)。
電話かメールにてお申しみください。03-6696-3626
「哲学」です。
そう言われてもピンとくる方とそうではない方がいらっしゃると思いますが、いまは、何も語らず、隗よりはじめます。
先日、もう日本に愛想をつかしてドイツへ脱出しようとしているある芸術家に久しぶりに会いにいきました。彼は息子さんが小学生のとき、教室に通わせてくれました。でもその子はいま高校生です。私が、ようやく重い腰をあげて哲学を教えると語ったときに、息子を通わせたいと言ってくれました。でも、彼はもう親のことなんか聞かないそうです。
ところがです。親の代わりに「哲学」の言うことなら耳を傾けるかもしれないのです。かつて、私もまたそうであったように。
受験勉強の対極にあり、いまこの国の教育にもっとも必要なものを「つぶやいて」みるつもりでおります。
これからの余生をかける仕事にするつもりです。というより、これまでの生涯をかけて、実は、私は哲学をしていたのだという自覚を持てる年齢に達しました。
どうぞ、みなさま、よろしくお願いいたします。
一人からでも、はじめるつもりでいます。
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「国語教師の教える哲学教室」開講のご案内
-----------------------------中高生以上対象 講師-----工藤順一
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「国語専科教室」を立ち上げて以来、ずっと思ってきたことがある。それは、何かを暗記するのではなく、「考える教室」でありたいということだ。しかし、いまやこの言葉は進学塾のキャッチ・コピーにすらなっている。
拙著『これで「考える力」がぐんぐん伸びる』という合同出版社のテキストは、とりあえず徒手空拳で考えなければならないときの道具として使える。しかし、それのみでは学びには十分ではない。私たちは、これまでの人類が構築してきた「考えるモデル」という道具も駆使してクリティカルに考えなければならない。それが「哲学」という学科であろう。両者を学んではじめて「考える教室」の必要十分条件を満たすことになろう。
テキスト『中学生からの対話する哲学教室』
シャロン・ケイ、 ポール・トムソン著 河野哲也監訳 玉川大学出版部
これはたいへんよく出来たテキストである。翻訳もすばらしい。だが、日本人がこれを地に足をつけて学ぶには、日本語を扱う国語教師が必要だと思う。それがこの教室独自のスタンスである。たとえば、第一章は「愛とは何か」という主題であるが、「愛」という中国語を日本人はこれまで2度に渡って輸入した経緯を知るべきだろう。それは、「愛」の小説でもある「源氏物語」にはなぜ、「愛」という言葉が一度もでてこないのかということを知ることでもある。
受講料-------無料---テキスト代2400円のみ
講師----------工藤順一
期日----------第一回目、5月26日土曜日、午後一時より新フロアーにて。
二回目以降の期日・場所は未定。月二回のペースです。
内容は、講義し対話し討論しあう授業です。
外部生、ご父母の参加を歓迎いたします。(無料)。
電話かメールにてお申しみください。03-6696-3626