私が大学4年生の時の夏、突如高校時代にお世話になった理科の助手の先生から呼び出しの電話。その待ち合わせの場所に行くと、1枚の企画書が…。その理科の助手の先生は、私が高校3年になる頃、地元のケーブルテレビ局へ就職。その企画書は、そのケーブルテレビで10月から放送する新番組の企画書でした。その番組の名は…
「市バスポエム・気分窓快」
その番組は、地元を走る市営バスを、車窓の景色とバスの走る町並みを織り込んだ10分番組(後に15分に拡大)。とりあえず1系統を週10分ずつ4週でまとめ、それを6系統・半年放映するとのこと。
当時スタッフはディレクターであるその先輩と、ロケの際に撮影の足としてロケ車を運転してくれるスタッフ、あとテレビカメラなんて全く触ったことも回したことのなかった私の3人。ディレクターはバスに乗ったこともないどころか、時間通りにこないわ…とバスに批判的な思考な人。ロケ車のドライバーはそういえば苗字すら知らない中、初回のロケが行われ、記念すべき第一回の放送前のVTRチェックに呼ばれ、初めてテレビ局という場所に私は足を踏み入れました。その映像は…最悪。
ディレクターのコンセプトは「市バス版・世界の車窓から」。車内から車窓を流れる市内の景色を写す筈が、一脚も使わずにただ撮っちゃったため、手ブレがひどく10分見たら、バス酔いになっちゃう程の強烈映像。当時はカメラも全く分からない素人が口出ししてはいけないと思い、当初の役割分担に従い、取材の路線から見える景色をまとめ、番組最後に流すワンポイントコーナー用のネタ探ししかしていなかったのですが、出来上がった映像のあまりのすさまじさに、次回作の資料製作からは、ロケのアングルを指定し、ロケをする人の勉強資料をまとめ、車内の車窓映像を減らし、外からの映像を増やすよう指示。そしてロケに直接私も参加させてもらいながら、番組は少しずつ軌道に乗ってきました。
回を重ねるごとに、バス酔いは慣れたのか、改善されたのかなくなっていき、それぞれの作業分担も確立し、次第に私の意見が強く反映された結果、マニア色の強い番組に仕上がっていったのですが、世の中は不思議なもので、なぜか子供からマニアまで愛される不思議な番組に。当初半年の約束が、1年、1年半…と終わり知らずに延長されていきました。
当初は放送エリアが横浜市磯子区・南区・中区限定だったので、そのエリアを走る路線をピックアップしていたのですが、さすがに毎月1系統のペースで、エリア内だけでネタを探すには無理があり、いつの間にかロケの範囲は市バスの走る市内全体に広がっていました。
そしてファンからの当初も、メイン番組を大きく上回る反応となり、いつしか取材協力をして下さった横浜市交通局のホームページに(現在も更新中:アドレス…http://www.city.yokohama.jp/me/koutuu/club/contents/stream-p.html)、番組のダイジェスト動画まで流れるようになり、放送エリアは一気に全世界へと広がっていきました。
ただその頃には、私の中でちょっとずつ番組を抜けたいという気持ちが高まっていました。最初は私の意向が、番組を動かせる程、バスの知識の中心として物を言えたところが、次第に番組の規模が大きくなり、その反比例的に会社も忙しくなり…。
ちょうどその頃入ってきたロケドライバーが自称バス好き。話していると、ちょっと主観的な思考が強く、あまり私の好きでないタイプのバス好き。今私が抜けると、私の担当していた部分がこいつに行く…と思うと、それでは番組が成立しないと思い、できる範囲の協力にレベルを落とし、引き続き知識での支援を継続することに。
そんなこんなで3年半。もう立派な長寿番組です。
しかし今年の秋くらいから、いよいよ番組打ち切りという話が本格的に出てきました。一応10月改変は突破したものの、もはや時間の問題。おそらく今調整をしている2月O.Aの新作が最終回で、3月の再放送で最後になるのではという感じのようです。
バスの本数が少なくって、かつロケ地に蚊が多くて大変だった10系統。たまたまトイレを出てきたところにロケのカメラが載ったバスが通り、トイレ前で手を拭く私が写りこんだ21系統…と、ロケに行ったそれぞれの場所に思い出が。会社員になってからは、ロケも週末にやらない限り参加していないので、最近はロケの事前取材で一人でバスに乗った思い出ばかりながらも、3年半も続いたこの生活パターンも、次回が最後と思うと、あれだけ辞めたいと思っていながらも、一抹の寂しさを覚える訳。
今日はその最後になるかもしれない次回作の企画会議。行くととうとうディレクターは来なくなり、どこでもいいから決めてとのディレクターの指示と、既に私があまり番組に力を入れなくなった隙に、自分の意向を強く主張するようになった、私の意向など聴く気もないロケドライバーとの、ある意味形だけの会議は、たったの1時間で終了。最後ということで、撮り残したいろいろな風景を思い描きながら提案した3つの路線は、たぶん最終選定の時点でボツになる…というか話しにも挙がらないんでしょう(交通局との打ち合わせに私は参加しないので…)。
こんなチームワークになってしまった今という時期が、番組の最後には丁度よいのかもしれません。番組ラッピングバスも契約期間が終了。それも交通局の延長の提案も、テレビ局の意向で中止になったと聞きます。物事最後ってあっけないな…って思いました。
次回・最終作は2月O.A。おそらく私の提案した308系統+304系統、または76系統・98系統ではなく、ドライバーが推す7系統(横浜駅→川崎駅西口)。川崎駅西口に横浜の市営バスが乗り入れる映像が最後になりそうです。
今回が最終回となると、残された仕事は、ロケの事前取材と番組のタイトルロゴ作りです。いつも顔出ししかしない反省会も、次回はフル参加しようかな。
「市バスポエム・気分窓快」
その番組は、地元を走る市営バスを、車窓の景色とバスの走る町並みを織り込んだ10分番組(後に15分に拡大)。とりあえず1系統を週10分ずつ4週でまとめ、それを6系統・半年放映するとのこと。
当時スタッフはディレクターであるその先輩と、ロケの際に撮影の足としてロケ車を運転してくれるスタッフ、あとテレビカメラなんて全く触ったことも回したことのなかった私の3人。ディレクターはバスに乗ったこともないどころか、時間通りにこないわ…とバスに批判的な思考な人。ロケ車のドライバーはそういえば苗字すら知らない中、初回のロケが行われ、記念すべき第一回の放送前のVTRチェックに呼ばれ、初めてテレビ局という場所に私は足を踏み入れました。その映像は…最悪。
ディレクターのコンセプトは「市バス版・世界の車窓から」。車内から車窓を流れる市内の景色を写す筈が、一脚も使わずにただ撮っちゃったため、手ブレがひどく10分見たら、バス酔いになっちゃう程の強烈映像。当時はカメラも全く分からない素人が口出ししてはいけないと思い、当初の役割分担に従い、取材の路線から見える景色をまとめ、番組最後に流すワンポイントコーナー用のネタ探ししかしていなかったのですが、出来上がった映像のあまりのすさまじさに、次回作の資料製作からは、ロケのアングルを指定し、ロケをする人の勉強資料をまとめ、車内の車窓映像を減らし、外からの映像を増やすよう指示。そしてロケに直接私も参加させてもらいながら、番組は少しずつ軌道に乗ってきました。
回を重ねるごとに、バス酔いは慣れたのか、改善されたのかなくなっていき、それぞれの作業分担も確立し、次第に私の意見が強く反映された結果、マニア色の強い番組に仕上がっていったのですが、世の中は不思議なもので、なぜか子供からマニアまで愛される不思議な番組に。当初半年の約束が、1年、1年半…と終わり知らずに延長されていきました。
当初は放送エリアが横浜市磯子区・南区・中区限定だったので、そのエリアを走る路線をピックアップしていたのですが、さすがに毎月1系統のペースで、エリア内だけでネタを探すには無理があり、いつの間にかロケの範囲は市バスの走る市内全体に広がっていました。
そしてファンからの当初も、メイン番組を大きく上回る反応となり、いつしか取材協力をして下さった横浜市交通局のホームページに(現在も更新中:アドレス…http://www.city.yokohama.jp/me/koutuu/club/contents/stream-p.html)、番組のダイジェスト動画まで流れるようになり、放送エリアは一気に全世界へと広がっていきました。
ただその頃には、私の中でちょっとずつ番組を抜けたいという気持ちが高まっていました。最初は私の意向が、番組を動かせる程、バスの知識の中心として物を言えたところが、次第に番組の規模が大きくなり、その反比例的に会社も忙しくなり…。
ちょうどその頃入ってきたロケドライバーが自称バス好き。話していると、ちょっと主観的な思考が強く、あまり私の好きでないタイプのバス好き。今私が抜けると、私の担当していた部分がこいつに行く…と思うと、それでは番組が成立しないと思い、できる範囲の協力にレベルを落とし、引き続き知識での支援を継続することに。
そんなこんなで3年半。もう立派な長寿番組です。
しかし今年の秋くらいから、いよいよ番組打ち切りという話が本格的に出てきました。一応10月改変は突破したものの、もはや時間の問題。おそらく今調整をしている2月O.Aの新作が最終回で、3月の再放送で最後になるのではという感じのようです。
バスの本数が少なくって、かつロケ地に蚊が多くて大変だった10系統。たまたまトイレを出てきたところにロケのカメラが載ったバスが通り、トイレ前で手を拭く私が写りこんだ21系統…と、ロケに行ったそれぞれの場所に思い出が。会社員になってからは、ロケも週末にやらない限り参加していないので、最近はロケの事前取材で一人でバスに乗った思い出ばかりながらも、3年半も続いたこの生活パターンも、次回が最後と思うと、あれだけ辞めたいと思っていながらも、一抹の寂しさを覚える訳。
今日はその最後になるかもしれない次回作の企画会議。行くととうとうディレクターは来なくなり、どこでもいいから決めてとのディレクターの指示と、既に私があまり番組に力を入れなくなった隙に、自分の意向を強く主張するようになった、私の意向など聴く気もないロケドライバーとの、ある意味形だけの会議は、たったの1時間で終了。最後ということで、撮り残したいろいろな風景を思い描きながら提案した3つの路線は、たぶん最終選定の時点でボツになる…というか話しにも挙がらないんでしょう(交通局との打ち合わせに私は参加しないので…)。
こんなチームワークになってしまった今という時期が、番組の最後には丁度よいのかもしれません。番組ラッピングバスも契約期間が終了。それも交通局の延長の提案も、テレビ局の意向で中止になったと聞きます。物事最後ってあっけないな…って思いました。
次回・最終作は2月O.A。おそらく私の提案した308系統+304系統、または76系統・98系統ではなく、ドライバーが推す7系統(横浜駅→川崎駅西口)。川崎駅西口に横浜の市営バスが乗り入れる映像が最後になりそうです。
今回が最終回となると、残された仕事は、ロケの事前取材と番組のタイトルロゴ作りです。いつも顔出ししかしない反省会も、次回はフル参加しようかな。