久石譲と宮崎駿が初めて出会ったのは、映画「風の谷のナウシカ」(1984年)の制作の時だから1983年だったと思う。
 「ナウシカ」はその内容といいスケールの大きさといい、ハリウッド並みの超大作である。この超大作の音楽をやれるのは誰か、プロデューサーであった高畑勲と僕は、いろいろな作曲家について検討を重ねた。坂本龍一、細野晴臣、高橋悠治、林光...、さまざまな候補が上がり、そのうちの何人かとは実際にお会いして話も聞いてもらったのだが、この壮大なシンフォニーを任せられる作曲家はなかなか見つからなかった。
  そこに当時の徳間ジャパンの担当者が、候補として推薦してきたのが久石さんだった。今でこそ巨匠と呼ばれる久石さんだが、当時はCMやTVシリーズの劇伴の仕事を手がける傍ら、自らのアルバムではミニマルミュージックを発表し独自の世界を築いていた新進気鋭の作曲家のひとりに過ぎなかった。
 これはひとつの賭けだった。「ひとりの少女が世界を救う」という、ある種とんでもない「つくり話」に真面目に向き合うには、ある種の無邪気さが必要、「高らかに人間信頼を歌い上げることができる人」「信じたことをまっすぐな眼で伝えられる熱血漢」、その要素を一番持っているのは久石譲しかいない、高畑がそう見抜いたのだ。こうして、「ナウシカ」の音楽は久石さんに決定した。
 続く映画「天空の城ラピュタ」(1986年)は、前作の壮大な人間ドラマと打って変わって、冒険活劇がテーマである。内容から考えて、当時活躍していた宇崎竜童さんが候補に上がり、実際に決定もしていた。
 ある日、宇崎さんと打ち合わせを済ませた帰り道、音楽担当だった高畑が、本当にこれで良いのか突然悩み始める。そして結局、宇崎さんには大変申し訳なかったのだが、再度久石さんにお願いすることになってしまう。結果は、みなさんがご存知のように大成功を収めたのではあるが。
 次回作、映画「となりのトトロ」(1988年)は、事実上初の、久石さんと宮さんとの直接対決だった。
 ここで問題となったのが、トトロが初めて登場するシーンについてであった。宮さんは、「ここには音楽はいらない。無音で行きたい」と主張したのである。本当にそれで良いのか、不安になった僕は再び高畑さんに相談した。
 高畑さんの判断は、「音楽は必要」だった。当時の宣伝方針では、トトロの持つアイドル性に注目して、それを前面に打ち出した宣伝が行なわれようとしていた。それを良しと思っていなかった僕は、トトロの持つ精霊、自然の精としての神秘さを強調すべきだと思ったのだ。そのためには音楽の力を借りる必要がある、これが高畑さんと僕の結論。
 再び賭けだった。久石さんに、このシーンのためにエスニックでミニマルな曲の作曲を依頼したのだ。監督である宮さんには一切知らせずに。
 宮さんは、できたものが良ければそれで良しとする人である。結果は、音楽は採用されたのだ。つまり、久石さんの音楽が監督宮崎駿を動かしたのだ。僕はここに、宮崎・久石コンビが誕生したことを確信した。
 久石さんの本質はロマンティストだということだ。久石さんが初めてメガホンを取った映画「カルテット」(2001年)を観た時、青年期だったら誰もが持つ悶々とした思いや特有のピュアさを、隠そうともせずストレートに出す内容に感銘を受けた覚えがある。まるで久石さん個人、永遠の少年を見るようで、いまどき珍しい青春映画だと感心した。不幸な時代にあってもロマンを失わずに、それを照れもなく出せる、ここに宮さんとの最大の共通項があるのではなかろうか。そしてそれが、今尚、コンビとして続いている最大の秘密なのである。
 宮崎駿最新作「崖の上のポニョ」を、是非ご覧いただきたい。宮崎・久石コンビはまた新たな階段を上ったように思う。ふたりのコンビは、いまだ進化の真っ最中なのである。
「久石譲in武道館」チラシより