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【 アジアカップを振り返る -1- 《アジアカップ2000 レバノン大会》 】史上最強だったかもしれない日本代表。破竹の勢いでアジア2度目のチャンピオンに(07.06.25)

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【 アジアカップを振り返る -2- 《アジアカップ2004 中国大会》 】

 「日本代表史上最強」とも評されるチーム。とにかく強かった。そんな賛辞に相応しいのがアジアカップ2000 レバノン大会で2度目のアジア王者に輝いた日本代表だ。

 フランス人指揮官、フィリップ・トルシエに率いられた日本代表にとっては「2002年日韓ワールドカップへの中間地点」となる大事な大会。1ヶ月前のシドニー五輪では「メダル確実」と言われながらベスト8敗退に終わったこともあり、選手たちのモチベーションも非常に高かった。
 この大会には中田英寿は参加しなかったが、ベネチアでセリエAに挑戦しながらも出場機会を得られなかった名波浩(東京V)が代表復帰。獅子奮迅の働きを見せ、MVPに輝いたことは今も強烈な印象に残る。

 チームの特徴は、名波ら20代後半のベテランと23歳以下のシドニー五輪世代がよく融合していたこと。23人の登録メンバーのうち9人が五輪世代。高原直泰(フランクフルト)や柳沢敦(鹿島)、中村俊輔(セルティック)らは攻撃陣の中核を担った。シドニー五輪にオーバーエージ枠で出場した森岡隆三(京都)と三浦淳宏(神戸)を含めれば、実に半分が2大会連続出場。真剣勝負を重ねて、チーム熟成度は確実に高まっていった。

 そんな彼らは1次リーグからの圧倒的な試合内容で勝ちあがり、見る者を驚かせる。
 まず長年、苦しめられてきたサウジアラビアとの初戦では、柳沢、高原、名波、途中出場した小野伸二(浦和)というそうそうたる顔ぶれが次々とゴール。森岡率いる最終ラインと川口能活(磐田)の連携ミスから1点を失ったものの、ほぼ完璧に近い勝利だった。

 トルシエが2年がかりで積み上げてきた「オートマティズム(連動性)」が見事なまでに機能し、選手たちは美しいハーモニーを奏でる。森岡、松田直樹(横浜FM)、服部年宏(東京V)らが形成した「フラット3」は完成度が高く、巧みなオフサイドトラップでサウジ攻撃陣にチャンスを作らせない。左サイドに固定された中村は起用法に不満を抱きながらも、精度の高いキックで攻撃のリズムを作った。「サウジには今までずっと苦しめられてきた印象が強かっただけに拍子抜けした」と川口も驚くほどの圧勝だったのだ。

 最高のスタートを切った日本は、2戦目でウズベキスタンを8−1で下し、早々と決勝トーナメント進出を決める。グループ最終戦のカタール戦に挑むにあたり、トルシエは高桑大二郎(横浜FM)や海本慶治(新潟)、北嶋秀朗(柏)ら国際経験の少ない選手たちをピッチに出す余裕も見せる。この試合は大会で初めて先制点を許すなど、チームとして機能しなかった。が、名波が若い選手に怒鳴り声を挙げるなどリーダーシップを披露する。それまでの自由人的なイメージを覆す大きな存在感を発揮し、引き分けに持ち込んだ。

 2勝1分で決勝トーナメントに進んだ日本。準々決勝の相手はイラクだったが、この試合でも立ち上がり早々に先制点を許してしまう。だがここからの巻き返しは素早く、前半8分に中村のFKから名波がゴール。さらに12分には森島寛晃(C大阪)のパスを受けた高原が2点目を奪い、瞬く間に逆転に成功した。そして前半終了間際にも名波が高いテクニックを駆使した華麗なループシュートで3点目を奪う。この巧さと美しさを併せ持つゴールは名波ならではだった。後半には右サイドに定着していた明神智和(G大阪)がゴール。文句なしの4強入りを果たす。

 準決勝・中国戦は一進一退の好ゲームとなる。当時欧州でプレーしていたFW楊晨もおり、中国は高い攻撃力を誇った。日本は中国のオウンゴールで先制するが、中国は前半のうちに同点とする。日本はフラット3の弱点である背後を突かれてしまった。さらに後半立ち上がり早々に相手のエース・楊晨に2点目を奪われ、さすがのトルシエも焦りの様子を垣間見せた。

 それでもリーダー・名波率いる攻撃陣は冷静さを保ち続け、中村のパスをこの大会絶好調だった西澤明訓(清水)が押し込んで2度目の同点に追いつく。そして勝負を決めたのは明神。右サイドとして重要な役割を果たした彼は高原のクロスを確実にゴールし、決勝への切符を引き寄せる3点目をモノにした。これだけのシーソーゲームではあったが、試合運びの巧さや戦術眼などではやはり日本が上。自力に勝る日本のファイナル進出は自明の理だった。

 2000年10月29日、ベイルート・スポーツシティで行われた決勝戦の相手はサウジアラビア。日本が大会初戦で4−1という大勝を収めている相手だ。しかしサウジはその後監督が交代。慣れた4バックに戻して戦い、奇跡的なチーム建て直しを図ってきた。しかも日本はボランチを担ってきた稲本潤一(フランクフルト)が出場停止。「誰が出ても同じサッカーができる」と自信を見せたトルシエは明神をボランチに回し、右サイドに望月重良(引退)を置くという采配を見せる。

 サウジの意気込みは凄まじかった。実質的な3トップでタテへタテへとゴールを狙う。日本のフラット3は再三ピンチに陥ったが、何とか相手に立ちはだかる。そして迎えた前半30分。中村のFKに望月が走りこんで右足ボレーでゴール。値千金の先制点を奪った。

 この1点を境にサウジの猛攻はさらに勢いを増した。後半の日本は防戦一方。あと一歩でやられてもおかしくない状況だった。そこでトルシエは高原に変えて柳沢を起用するも、わずか7分で奥大介(横浜FC)と交代。「期待通りの働きをしてくれなかった。私のミスだ」と話す指揮官も慌て、パニック状態に陥っていたようだ。それでも何とか守り抜き、1−0で勝利。ついにアジア王者のタイトルを手中にしたのだ。

 大会MVPには名波が選ばれた。この時の彼の素晴らしさは今も語り継がれている。高原と西澤も最後まで激しい得点王争いを繰り広げた。結果的には韓国の李東国(ミドルスブラ)に持っていかれたが、日本選手たちの個人能力の高さは間違いなく際立った。
 トルシエの目指す理想が体現され、アジアレベルをはるかに超えたサッカー。それをこの時の日本代表は示したのだった。

以上

2007.06.25 Reported by 元川悦子

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【スケジュール(7月7日〜7月29日)AFCアジアカップ2007】

7月09日(月) 17:20 vsカタール代表(My Dinh National Stadium)/Vissel koube
7月13日(金) 20:35 vsUAE代表(My Dinh National Stadium/VIE)
7月16日(月) 17:20 vsベトナム代表(My Dinh National Stadium/VIE)
7月21日(土)     準々決勝
7月25日(水)     準決勝
7月28日(土) 19:35 3位決定戦(Gelora Seiwijaya /IDN)
7月29日(日) 19:35 決勝(Gelora Bung Karno Stadium/VIE)