【プロレス記者の独り言】千の顔を持つ男ミル・マスカラスのテーマ曲である「スカイハイ」が去る5日、東京・調布市の「調布メモリードホール」に響き渡り、ミスター・ゴングと称された故竹内宏介さんの出棺を見送った。竹内さんらしい葬儀演出だった。
故人には失礼だが、生前時と同じ「竹さん」と呼ばせてもらいます。
大酒をレスラーと一緒に浴びるように飲み、「汽車は煙が出ないと走れない」汽車と記者を引っ掛けてタバコをプカプカ吸っていた記者とは違い、竹さんは酒も飲まず、タバコも吸わず、どんな席であろうが愛飲するのはコカコーラ。口の悪い先輩記者やプロレスラーは「コーラの飲みすぎで竹ちゃんの腹の中は真っ黒だよ」なんて親しみを込めて冗談を言っていたが、健康的な生活を送る竹さんが脳梗塞で倒れたのが今から6年前だ。悲報を耳にした時の第一印象が「なぜ? 酒も飲まずタバコを吸わない竹さんが」だった。
竹さんは大の新しもの好き。話は古くなるが、ウオークマン、ハンディカメラ、携帯電話をプロレス界にイの一番に取り入れた。新しい機器を巡業先に持ち込み、ジャイアント馬場やジャンボ鶴田らに得意になって説明していたものだ。記者も竹さんに誘発されてウオークマンや携帯電話を手にしたものである。
が、なんといっても竹さんがプロレス界に残した新しものの最高傑作は千の顔を持つ男、仮面貴族、悪魔仮面とも言われたミル・マスカラスだろう。来日前から竹さんはマスカラスを大々的に取り上げて何度もゴング誌で大特集を組んだ。ゴングのマスカラスからマスカラスのゴングとも評されるようになり、いつからか竹内宏介のマスカラスとまで言われるようになってしまった。
思い起こせば、あれは昭和53年2月8日だ。日本武道館でアントニオ猪木と上田馬之助が歴史に残る釘板デスマッチ(ネイルデスマッチ)を決行する日に、猪木の肝煎りでプロレス記者によるバトルロイヤルが優勝賞金30万円で争われた。当時の運動部長は後の編集局長の桜井康雄氏。「東スポは取材も遊びもストロングスタイル。どんなことをしても勝って来い」の厳命を受けた記者は緊張していた。
そんな時、竹さんはマスカラスに成り切っていた。マスカラスから譲り受けたマスクをかぶり膝にmの字の刺繍がほどこされたロングタイツ姿。そしてフライングクロスアタックを敢行してリングを楽しんでいた。本当にマスカラス、プロレスが大好きなんだと感心したのを思い出す。
出棺時のスカイハイは竹さんを送る何物にも変えがたい鎮魂曲だった気がする。
(川野辺)
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