・「少年っぽい」という「ほめことば」があります。
こう言われることを、
よろこぶ人もいるかもしれないですが、
それも、せめて30歳までじゃないかと思います。
少年のようだと思われている瑞々しい感性も、
少年のようだということになっている純粋な心も、
実はおとなの男は、冷凍庫にしまってあります。
しまいこまないで出しておけばいい、と
思われるかもしれませんが、そうはいかない。
下唇を血が出るほど噛みしめ、
わなわな震えているような心のままでは、
じぶんが生きていけないだけではなく、
他の誰かの食いものを取りに行くこともできません。
生きていくということは、すり傷切り傷、打撲に打身、
できものに腹痛、風邪に頭痛‥‥ひっきりなしですから。
「んなものは、へっちゃらだ」というような強がりや、
笑われるような鈍感さへの修練が必要なのです。
このごろの女性なら膝を打ってくれるかもしれませんが、
おとなになって、じぶんの足で立つということは、
「おやじの技術」を身につけることでもあります。
だからって、無礼とか傲岸になるのとはちがいます。
じぶんのなかの感じ過ぎる心を、
「ああ、これは感じすぎている」と知って生きること。
純粋さをコントロールすることだと思うのです。
それなりの年齢になっても
「少年っぽい」と言われることは、
心の震えが見透かされているということでもあります。
まだまだ、誰かに「つかまり立ち」していたいんだな、
というふうに見えているのだと思うのです。
いや、そのほうが母性をくすぐるから、と、
計算づくで「少年っぽい」のまま
生きようとする人もいるだろうけれど、
ぼくは、それはほめられたことじゃないと思う。
考えようによっては、「ロックだね」とかっていうのも、
似ているような気がするんですけどね。
少年の活躍の場は、ひとりのときにこそ、あるんだよ。
今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
さらに「おやつ」、「ラーメン」真剣、「ねこ」最終回。
こう言われることを、
よろこぶ人もいるかもしれないですが、
それも、せめて30歳までじゃないかと思います。
少年のようだと思われている瑞々しい感性も、
少年のようだということになっている純粋な心も、
実はおとなの男は、冷凍庫にしまってあります。
しまいこまないで出しておけばいい、と
思われるかもしれませんが、そうはいかない。
下唇を血が出るほど噛みしめ、
わなわな震えているような心のままでは、
じぶんが生きていけないだけではなく、
他の誰かの食いものを取りに行くこともできません。
生きていくということは、すり傷切り傷、打撲に打身、
できものに腹痛、風邪に頭痛‥‥ひっきりなしですから。
「んなものは、へっちゃらだ」というような強がりや、
笑われるような鈍感さへの修練が必要なのです。
このごろの女性なら膝を打ってくれるかもしれませんが、
おとなになって、じぶんの足で立つということは、
「おやじの技術」を身につけることでもあります。
だからって、無礼とか傲岸になるのとはちがいます。
じぶんのなかの感じ過ぎる心を、
「ああ、これは感じすぎている」と知って生きること。
純粋さをコントロールすることだと思うのです。
それなりの年齢になっても
「少年っぽい」と言われることは、
心の震えが見透かされているということでもあります。
まだまだ、誰かに「つかまり立ち」していたいんだな、
というふうに見えているのだと思うのです。
いや、そのほうが母性をくすぐるから、と、
計算づくで「少年っぽい」のまま
生きようとする人もいるだろうけれど、
ぼくは、それはほめられたことじゃないと思う。
考えようによっては、「ロックだね」とかっていうのも、
似ているような気がするんですけどね。
少年の活躍の場は、ひとりのときにこそ、あるんだよ。
今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
さらに「おやつ」、「ラーメン」真剣、「ねこ」最終回。
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