『刑事被告人・小沢一郎』(195)
『刑事被告人・小沢一郎』(195)
彼は、現在・只今『刑事被告人』である事は厳然たる事実です。この事実を何人たりとも否定する事は出来ません。然るに、彼を民主党の代表・総理大臣に推す愚か者が存在する事に愕然としました。
愈々「刑事被告人・小沢一郎」の裁判が始まります。検察が不起訴にした事件を、国民の代表である「東京第五検察審査会」が二度に渉り「起訴相当議決」を経て「強制起訴」された裁判が始まりました。
第4回公判も終わり、裁判の行方にある程度見通しが立ってきました。親小沢派の「江川詔子氏」のブログに、この裁判に対する感想が語られています。恣意的な部分もありますが、検察官役の室田弁護士らに対する率直な言葉が目につきました。
「小沢弁護団の喜多村弁護士の緻密に事実を聞く尋問、指定弁護士の細かい矛楯も聞き逃さす問い正す尋問。いやはや、この公判は本当に聞き応えあります。
指定弁護士がキッチリ仕事をやろうとするインセンティブは何なんだろう?? 想像はしているけれど。法曹人としての心意気といことなのだろうな、と。『対応は極めてフェアです』」 (抜粋) 最後の一言は、大いに意味を持っています。「検察官役の指定弁護士」が、国民の代表である「東京第五検察審査会」の意思を、余すところなく戴して、公平無私を基に、真実を追求しようと努力しています。
この裁判の結果の如何を問わず、日本の裁判史上初めて、国民の意思で行われる公平な裁判は、国民にとっても素晴らしい意義を持ってます。最後は裁判官が天地神明に誓って公平な結論を導き出すことです。
その為にも、検察官役の指定弁護士も、弁護側も姑息な手段をとらず、正々堂々自らの信じる意見を述べ合い、「フェア」な裁判にして欲しいと国民は望んでいます。その結果に「誰も疑義をはさませない」毅然たる裁判にしてほしいと思います。
この裁判は、検察官が起訴して始まった通常の裁判ではありません。国民の意思で「強制起訴」した裁判です。その目的は「刑事被告人・小沢一郎」を裁くことではなく、検察官がこの事件を「不起訴」にしたことが正しいかどうかを裁く為に行うのです。検察官の判断を問う裁判です。
確かに、この裁判の被告人は「小沢一郎」です。しかし、裁判の本質は「検察官」が恣意的に「起訴」したり、「不起訴」にすることに不審を抱いた国民の意思を示す為の裁判です。本当は検察官が被告なのです。
爺は「刑事被告人・小沢一郎」を裁くことに意義を感じています。確かに「悪徳・金権政治屋」と罵ってまいりました。しかし、この裁判で、万一にも、「無罪判決」が出た場合、その判決を潔く認める覚悟です。
国民が求めた裁判で、公平な裁判の結果に異議を挿むのは、国民の意思に逆らうことだからです。故に、控訴・上告することは慎むべきと主張して参りました。今後も、裁判の節目では繰り返し主張して参ります。
爺の主張が間違っていると思う方は、是非ご意見をお聞かせ頂きたいと思います。心からお待ちしております。 熱海の爺
追伸・残念ながら、{産経ニュース・小沢裁判傍聴記」を読んで、現在の裁判の状況をみれば、「無罪判決」が出る可能性は、殆んどないと判断しています。しかし、可能性がゼロとは言い切れませんが・・・。
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