(cache) 「戦争と女性の人権博物館」日本建設委員会/「戦争と女性の人権博物館」計画の経緯

「戦争と女性の人権博物館」日本建設委員会

「戦争と女性の人権博物館」計画の経緯

 1990年11月に結成された韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)は、結成当初より7大要求を掲げましたが、この中に「慰霊塔と史料館の建設」が含まれていました。これを実現するため、94年「史料館建設準備委員会」(初代委員長;金惠媛=キム・ヘウォン)が設置され、99年には「教育館」が挺対協事務所に併設されました。
 この間にも、たくさんの被害者が亡くなりました。挺対協では、その年に亡くなった被害者の追悼式を毎年末に行っていますが、2003年末の追悼式の持ち方についてハルモニたちと相談していたところ、「博物館」をつくって、このような被害が二度と繰り返されないようにすることが本当の追悼になるという結論に達し、その年の追悼式は「博物館」事業を宣言する会として催されました。こうして2003年12月18日に開かれた「日本軍慰安婦名誉と人権の殿堂」点火式で、ハルモニたちは自ら建設基金を拠出され、その合計は1500万ウォンに達しました。この募金を「礎石基金」と名付け、翌2004年初頭から本格的に募金活動が開始されました。
 2004年10月には「戦争と女性の人権博物館」と名称変更し、同年12月14日、「戦争と女性の人権博物館建設委員会」を発足させました。同建設委は共同建設委員長、建設推進委員長、海外建設推進委員長ら70人で構成され、建設委員は随時募集(09年3月現在200人)する形をとっています。

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女性人権博物館

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