犬から犬へ

                 リヒアルト・カッツ
  
                  
清水 眞理子訳

この本が出来るまで

                    チューリッヒ
                     1956年、イースター

拝啓
お手紙どうも有難う。私たちのところは相変わらずです。
もう退屈でこりごりよ。私と貴方とは何度も退屈だって書いたことでしょう!
本当にウンザリしてばかりでしたわねぇ…。

でも貴方には他に何を書けばいいのかしら。またフェーンが吹いて
私は頭痛がすることとか書けばいいのかしら。私の手紙が届く頃には
フェーンも消えているわね。

ブラジルはとても遠いし、私たち夫婦も何年も住んでいた所だから、
私たちの文通もありきたりなものになりそうだわ。私の隣にいる
セプリでさえ、眠っているのにウインクしているのよ。セプリに手紙を
書かせるって…人間どうしの文通よりもわくわくする気がするわ。セプリに
とっては毎日が違う日なのよ。えぇ、セプリに手紙を書かせましょう。

悪くないんじゃないかしら?私たちに書くことがなくなったら、私たちの犬に
書かせましょうよ。貴方のお家のニックと私のセプリに。お互い遠く離れて
パッとしないところに活気を入れてくれるわね。そう、私たちは犬の通訳に
なってみましょう。

では、次回から貴方のところのボクサーが私のスコッチテリアに手紙を出して
くれるのを期待しますね。

敬具                         コーリ 

第1章  ボクサー犬ニックの自己紹介

                      リオ・デ・ジャネイロのガレージにて

親愛なるセプリ

 ぼくより良い家族と一緒にいることを願うよ。
 ぼくは、「アルト・ダ・ボア・ヴィスタ」のチャーミングな雌犬を訪ねたからという理由で、ガレージに入れられてしまったのさ。
 ぼくは、じゃどうしたらいいだろう。その雌犬は山の反対側の森の裏に住んでいるんだ。
 彼女に会いに行こうとすると、捕まって戻されてしまうんだよ、大体いつもね。金をみすみす払っていしまうあいつが悪いんだよ。ぼくの主人が金を払うというのは森中の噂になっていて、浮浪者だって金が要るから、ぼくを捕まえてぼくの主人のところに引きずり戻すのさ。
 そうなんだよ。ぼくの人生は大変なものでね、主人のことをこんなに愛していなかったらとっくの昔にずらかってるよ。
 ぼくの主人がどんなにお馬鹿なのか、君には分からないよ。
 一度、きれいで大きくて尻尾で音を立てる蛇と遊んでいたら、怖くなってぼくを絞め殺しそうになるし、肉屋がぼくの台所の床に置いていった500グラムの牛のフィレ肉を食べたら、ぼくを殴るんだよ。主人が何と言ったと思う。「馬鹿な子供のほうが苦労が少ないよ」だってさ。でも、そのぼくは「優秀」ということでリオのケンネル・クラブから金メダルを貰っているんだよ。 

きみはチューリッヒのテリア・クラブから青いリボンを貰っているから、誰にでも自慢できるよ。
 山の向こうのぼくの彼女は金も青も何ももらっていないけど、メダルやリボンなんかよりいい香りがするよ。
でももう「ロルフ」が彼女と名前もない野犬の群れと一緒にいるんだ。それなのに、ぼくはガレージにいて、ドアはしっかり鍵がかかっているんだよ。
 そんな情けない主人なんだもん。もう泣いちゃうよ。遠吠えすることが出来るんだからね。主人には本当に我慢がならないんだから、泣いちゃうよ。
 先ずは何とか彼女のそばにいられたんだ!
 今回は捕まったわけじゃないのさ。
ぼくの首輪をつかもうとしたムラート[白人と黒人の混血児]をパクッと噛んだんだ。主人はこのムラートにズボン代を払わないとならなかったのさ。もう前に切れていたんだけどね。
 そのおかげでこうしてガレージに座って吠えているんだよ。人間って本当にイカレテるよ。きみのところもそうかい?
 これでも2日3晩、彼女のところに居て、ロルフに噛み付いてやったのさ。あいつの耳が半分なくなって、ぼくの首すじの肉も少しなくなったけど、また元に戻るよ。
 おかげでお腹がペコペコさ。それなのにぼくの主人ときたら、何を持ってきてくれたと思う?肉なしの気の抜けたライススープだけだよ。それで言ったものさ、「それで反省するんだな」って。
 何を反省しろって言うんだよ。人間が良かれと思うことを考えろって?ちぇっ、そんなの分かってらい。
 本当にきみのご主人がぼくの主人なんかよりましだといいなぁ。
 ぼくの主人なんかイカレテるのさ。お茶のテーブルをぼくがひっくり返してしまったときは、(テーブルの下で寝てて起きただけなんだよ、ぼくの背のほうがテーブルより高いから仕方ないんだよ)、ぼくを叱りつけたかと思ったら、同じことをしてソーセージをくれたこともあるのさ。それは、テーブルでお隣の人と主人がチェスをやっていたときのことさ。そのお隣さんというのは、ぼくが耳を噛みちぎったロルフのものさ。「えらいぞ、ニック。お前のおかげで負けずにすんだ」ってぼくを誉めてたよ。
 今、主人は庭で口ばしが大きなオウムの「ラケル」を撫で撫でしてるよ。「また羽が抜け変わるよ、可哀相になぁ」、「少し待っててごらん、もっとずっときれいな羽になるよ」なんて優しく言ってやがるんだ。

ラケルときたら、主人が自分のものだなんてでかい態度でいるものだから、あいつの尻尾の羽を抜いてやったのさ。だから、もう羽は抜け変わらないってラケルは喚いているのに、人間のことばを真似てペラペラ喋っても主人の奴、ほんの2〜3のことばしかラケルの言うことは理解できないのさ。ぼくが羽を抜いたっていうことは分からないのさ。
 人間って眼が開いてない子犬のように御馬鹿さんだよ。鼻で匂いを嗅ぐこともできやしないんだもん。ぼくが後ろにいるのに、「ニック!」ってもう大声で何度呼んだか分かりゃしないんだから。
 人間に呼ばれても絶対すぐには行かなくてもいいんだよ。呼ばれてすぐに行ったら、いい気にさせるだけだからね。ぼくは主人を教育して、今では8回まで呼ばせてずっと待たせているんだ。8回目には鞭を持ち出すけどね。
 きみもきみのご主人をぼくのように躾けるといいよ、セプリ。躾けは大事さ。ぼくは躾を始めてもう7年目になるけど、主人のやつ未だに間違うんだ。現に今、ぼくはこうしてガレージに閉じ込められてるしね。でも、辛抱強くやるつもりだよ。だって、死ななきゃ治らない御馬鹿さんでも愛しているからね。
 誰かぼくの主人を痛めつけたりしたら、ぼくがそいつを齧ってやる。でも、ぶつぶつ文句を主人が言っても、ぼくは噛まないよ。だって愛しているからね。山の向こうの彼女と同じくらいにね。それも我慢強くね。だから、主人を教育しているのさ。

 きみのご主人のためににこにこ尻尾を振って嗅ぎ分けることを忘れないでね。

                                             ボクサーのニックより

自己紹介するスコッチテリアのセプリ
 

チューリッヒベルグの別荘のソファで

親愛なるニック

 500グラムの牛フィレを平らげたんだって、すごいなぁ!
 そんなに沢山ぼくは食べられないよ。うちの肉屋もコックに肉を渡して行くよ。コックは肉を料理するんだ。野菜とね、残念だけど。コックは肉と野菜をもう完全に混ぜ合わせてしまうから、食べきれないんだよ。
 ところで、ぼくは三人の人間と一緒に住んでいるんだ。主人夫婦と料理人だよ。
 三人と一緒の生活がいかに大変かってきみに分かるかなぁ?三人の人間と一匹の犬だよ!だから、ぼくは色々と躾をしなければならないんだ。
 皆、ぼくを自分のものだと思っているから、三人ともぼくに属しているって言えないんだよ。
 おまけに、三人ともお互い嫉妬さえしているんだ。
 料理人が肉を皿に載せてくるとね、ぼくは彼女にニコニコしてるでしょ。そうすると、奥さんが「太りすぎよ。甘やかさないでくださいね」と言うんだ。
 「私がですって?」と料理人は訊くんだ。「だんな様はあばら肉を半分あげましたよ。これをあげても太りませんよ…・」
 「太っちゃいないさ。毛がふさふさしているだけさ」と主人は言うと、ギュッとつまむので、痛いんだ。「トリムが必要だな!」
 まただって!きみはボクサーでスベスベした毛皮だもんね。滑らかな毛皮にトリマーさん、何ができるって言うのさ。ブラッシング、入浴だけで充分さ。ブラッシングは気持ちがいいけど、入浴は嫌いだよ。人間も眼や鼻に石鹸が入らないように気をつけているよね。人間が入浴すると、恐ろしくさっぱりしているよね。
 でもトリミングは入浴よりむかつくよ。房から逆立った毛を抜くんだ。超痛いんだ。それにしても家の人たちにトリマーさんのところに連れていかれるのに慣れてないんだよ。隠れたって駄目さ。見つけられてしまうもの。庭の生垣の下に穴を掘って逃げられるようにしたんだ。でも、出たところで隣の犬にがぶっと噛まれてしまったのさ。脚がすっごく長くて頭はすっからかんの超お馬鹿なグレーハウンドにトリマーさんよりもて遊ばれたんだ。
 ぼくはそいつの脚を噛んでやったんだ。脚より上には届かないもの。そしたら、そいつはうめき声を出したんだ。そこへ隣の人が走ってくると、ののしったんだ。そしたら、ぼくの家の人も跳んで来て、ぼくの所じゃなくてグレイハウンドの所だったから、謝ったんだよ。
 すると、グレイハウンドの主人は言ったのさ、「どう致しまして、お隣さん」ってね。で、ぼくの主人とそいつは握手したんだけど、本当はお互い噛みつきたいって匂いがしていたんだよ。それくらい二人とも頭にきていたんだ。
 ぼくは噛んだし、血が一杯だったから、そのときはトリマーに連れていかれなくてすんだのさ。でも、グレイハウンドはずっと足を引きずってたよ。きみは本当にしっかりしているね!実際、ほれぼれしちゃうよ。二日三晩も家を空けるなんて!ぼくなんか少しだけ地下室にいて鼠を追っていても、すぐに「セプリ!セプリ!」、「セプリを見なかった?」、「あなたまたドアを開けっ放しよ」、「あなたセプリを見ているって言ってたじゃないの」って奥さんが叫ぶんだ。
 叫ばせておくのさ。きみは呼ばれたら8回目に行くだろ。ぼくは全然、行かないのさ。四年しか生きていないけど、こうやってちゃんと躾しているのさ。
 ぼくが木という木にマーキングするっていうことにやっと奥さんは気づいたんだ。
「どこからそんなに沢山おしっこを持ってくるの!」って奥さん、驚いてたよ。ぼくはただ自分が通ったことを示すためにしているだけなのに。マーキングのことでそんなこと言われるくらいなら、木の前を通るより自分を絞め殺したほうがましってことさ。「二回だけにして!」ってぼくはよく頼まれるんだけど、躾をするには毅然としていなくっちゃ。それで、ぼくは何度ももう匂いを嗅いだところにまた奥さんを連れて戻ってやるのさ。
 だんなさんのほうは、ぼくをお散歩にそれほど連れていかないよ。会社にいるからね。
会社からよくお土産を持ってきてくれるよ。内緒だけどね。だって他の人にぼくが太りすぎちゃうよって言われるからね。
 人間って変わってるよね!
 奥さんは招かれて行くときパラフィン紙をハンドバッグに入れてもっていくと、残り物をぼくに持って帰ってくれるんだよ。
 料理人もこっそりぼくに誰もいないところでお菓子をくれるんだ。でも、ぼくが太ってるってお互い非難しあうことになるから、ぼくに食べ物をあげていることは三人のうちの誰も言わないんだよ。

ぼくにとっては好都合ってもんさ。ほんの少しの食べ物のほかに何が犬の人生にあるっていうんだい。きみは素晴らしい雌犬の後を追ってるよね。でも、ぼくときたら、「きれいにしてもらうために」トリマーさんのところに連れて行かれるんだ。そこにはぼくを待っている正真正銘の血統証付きのスコッチテリアの雌犬がいるんだ。で、ぼくは一度でいいからブロンドの子と付き合いたいと思っているんだ。でも、だめさ。ぼくは退屈なスコッチテリアでいなければならないのさ。というのも、青リボン賞を貰っているからさ。でも、これも愛だって思わないかい。
 あぁ、賞なんて青リボンだろうが何だろうが、全然欲しくはないよ。きみのように自由気ままにしていたいだけさ。きみはガレージから抜け出して、やりたいことをやればいいのさ。
 ぼくが家の人たちをこんなに好きじゃなかったら、森の柵の下をほじって森に入っていって、ウサギを追いかけてるよ。チューリッヒベルグには素敵な森があるんだ。でも、ノロジカがいるから、犬はみなリードに繋がれていないといけないんだ。
 ノロジカなんてどうでもいいんだ。ウサギを追いかけたいだけさ。もう捕まえたこともあるんだ。ウサギは、ぼくより速く走れないからね。生で食べるのが一番さ。焼いたのも、もちろん、食べたことがあるよ。
 きみの住んでいるところにもウサギがいるかな。うちの主人はそっちには猿がいるって言っている。猿はどんな味がするのかな。ぼくは檻に入った猿しか匂いを嗅いだことがないよ。
 料理人が、ぼくの食器をカチャカチャいわせてる。食事の時間だから、手紙を終わりにしなくっちゃ。
 じゃ、ニック、元気でね。きみの家の人たちに男意気を見せてやってくれたまえ!ぼくなんか三人も背負い込んでいるんだもん…。くんくん匂いを嗅いで、尻尾を振って、それに分かってるよね。  
                       

きみの親友のスコッチテリアのセプリ

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