日本の空にLCCが登場するのは今回が初ではない。2007年のオーストラリアのジェットスターを皮切りに、10年にはエアアジアグループで中距離路線を担うエアアジアXが羽田に乗り入れ、韓国やフィリピンのLCCも複数就航している。エアアジアXの羽田−クアラルンプール線は燃油サーチャージや空港税すべて込みで往復4万9410円。7万〜10万円のJALやANA、マレーシア航空と比べるとインパクトがある。
これら先行組が国際線限定の外資系LCCであるのに対し、12年就航を開始する3社は、それぞれJAL、ANAが出資し、国際線だけでなく国内線も飛ばす。それも関空や成田から札幌、福岡、沖縄というドル箱路線だ。
3社揃って2012年から就航を開始するのは偶然の一致ではなかろう。世界の航空市場はいま、LCCの奔流に呑み込まれつつある。LCCは1971年に就航したアメリカのサウスウエスト航空が元祖とされるが、追随するエアラインが登場しては消え、本格的な普及期に入ったのは00年代に入ってから。アイルランドのライアンエアーやイギリスのイージージェット、エアアジアやジェットスターなどの躍進で、01年にはわずか8%だったLCCのシェア(座席数ベース)は、11年には24%に達した。
地域別に見ると、ヨーロッパではすでに35%以上に達し、北米でも28%強。だが、アジア・パシフィック地区では18%にすぎず、日本を含む北アジアに限定すると4%だ(航空経営研究所調べ)。鎖国に近いほどのLCC発展途上エリアも、もう世界の趨勢とは無関係でいられない。成田空港の年間発着枠は現在の22万回から14年度には30万回に増枠され、4本目の滑走路が完成した羽田空港も30万回から最終的には44.7万回に増える。LCCを受け入れる外的環境は着実に整いつつある。
航空経営研究所取締役事務局長の紀和夫氏は言う。
「海外のLCCをANAもJALも見て見ぬふりをしてきた。下手に動けば、儲け頭の路線に影響が出るからです。外資は規制により事業会社への出資が3分の1を超えられないため、単独では日本に進出できません。しかし、足かせがない異業種の日本企業と組めば進出は可能です。それは避けたい。だったらいまの段階で自分たちが手を組もう。そう考えたのでしょう」
日本発のLCC第一号として、関空−札幌、関空−福岡の2路線から就航を開始するのはピーチ・アビエーションだ。ANAが38.67%を出資しているとはいえ、独立の経営体である。ANAを辞め退路を断ってピーチ設立に動いた代表取締役CEO井上慎一氏をはじめ、従業員はみな新規採用だ。
「LCCのビジネスモデルは従来のものとはまったく違う。目指すのは『空飛ぶ電車』。このコンセプトに基づいて、コスト削減ではなく“コストマネジメント”を図っている。楽しみながらやりくりをしています」
LCCの利益率の鍵は、1座席を1キロ飛ばすのにかかる費用(原価)にある。FSAの平均が5円なのに対して、ライアンエアーは2.3円、エアアジアにいたっては1.81円と3分の1に近い(航空経営研究所調べ)。原価を抑えるには、機材、空港費、人件費、燃油費、販売費などあらゆる要素を見直さなければならない。
最初のポイントは機種の選択だ。座席の収容力と燃費のよさ、乗客の乗降時間が短くすむA320かB737。短距離向けの機種のどちらかに絞り込めば効率はよく、一つの機種ごとにトレーニングを受け資格を取得しなければならないパイロットや整備士の育成費用が軽減できる。機材が新しければメンテナンス費用も少なくすむ。これはLCCの定石だ。
ピーチもA320の新造機10機を2年かけてリース契約する。座席数は横3−3列の縦30列で合計180席。FSAの約160席と比べると窮屈さは否めないが、LCCとしては標準クラス。ただし座席はすべて革張りだ。高級感を演出するためだが、拭くだけで掃除が終わるという理由も大きい。すべての選択にコストマネジメントの狙いがある。
空港でかかる費用も全面的に見直した。ANAで長年パイロットとして勤務し、定年退職後にピーチへと転職した取締役の角城健次氏は言う。
「飛行機は自力でバックできないことをご存じですか。バックさせるときには専用の車両を使いますが、費用が発生するので関空の滑走路には斜めづけで着陸します。これならバックせず、Uターンして離陸できますからね。空港では、利用料が高いボーディングブリッジ(搭乗橋)も使いません(笑)」
飛行機の折り返し時間の短さもLCCの特徴だ。FSAの35〜40分に対して、ピーチでは25〜30分を予定している。早く折り返せばそれだけ機材の稼働時間は長くなる。FSAの稼働時間が7時間。ピーチが目指すのは12〜13時間だ。
「いまそこにあるもの」は使い倒す。その方針はCA(客室乗務員)にも適用される。CAは客が降りた後の簡単な掃除も行う。一人で何役もこなすマルチタスクが原則である。
LCCの路線は2地点間を単純往復し、飛行機は必ず同日中に出発地に戻ってくるので、CAや操縦士の滞在費はゼロ。ピーチでは就航都市を国内5都市のほか、海外ではソウル、台北、香港など、関空から片道ほぼ4時間圏内に設定しているが、それは「窮屈な座席で耐えられるのは4時間が限度」(井上氏)という考え方に加えて、経費カットの意味合いもある。4時間のフライトであれば日帰りできるからだ。
ただし、断じて「ロー」にしないものがある。
「飛行の安全です。過去にはメンテナンスを怠って倒産に追い込まれたLCCがいくつもある。安全なくして航空会社は成り立たない。全社員共有の価値観です」(角城氏)。
もしLCCが事故を起こせば、一斉に顧客は離れるだろう。その勢いはFSAの比ではない。再起は不能だ。LCCのほうが安全というつもりはないが、安全性の追求に関してはLCCはFSAにひけをとらないということだ。
安全性を担保し原価を下げたうえでピーチがターゲットとして狙うのは、ウェブでの購入に抵抗がなく、飛行機に乗り馴れたオフタイムのビジネスマンだ。
「電車並みの運賃を提供すれば、旅行がしやすくなる。気軽に福岡のラーメンを食べに行ったり、帰省の回数を増やしたりもできるでしょう。11年12月から販売を始めたら、『孫の顔を見にいける』とか『進学先として関西の大学を考えるようになった』という声も届いている」と井上氏は言う。
だが、7月からはLCCの実践ノウハウを豊富に持つジェットスター・ジャパン、続いてエアアジア・ジャパンが就航を開始する。2社と違って、ピーチには培ったノウハウがない。ANAの子会社だが、実態はベンチャーだ。孤軍奮闘で利益率の高いLCCの仕組みを一から独自につくっていかなければならない。ジャパンメードの独立系LCCの真価が問われるのはこれからだ。
※すべて雑誌掲載当時