過酷な長時間労働でうつ病など心の病気を発症する人が増えています。 最近は自ら命を絶つ若者も少なくありません。 過労死をなくすため新たな法律を作って欲しいと訴える親たちの叫びです。 【母・森祐子さん】 「なぜもっと早く助けに行かなかったのだろうと。もっと早く行っていれば助けられたのに…」 森豪さん、祐子さん夫婦の娘、美菜さんは4年前、自ら命を絶ちました。 26歳でした。 美菜さんは2008年に居酒屋チェーンの「ワタミフードサービス」に入社。 わずか2週間の研修のあと店舗に配属され、慣れない調理場での深夜勤務が続くようになりました。 【美菜さんの手帳】 「体が痛いです。 体が辛いです。 どうか助けてください。 誰か助けてください」 これは美菜さんの勤務表です。 両親がワタミから提出された資料や同僚の証言をもとに作りました。 午後3時頃から始まる仕事は明け方近くまで続きました。 さらに社宅が徒歩で帰れる場所に用意されなかったため、仕事が終わってから始発電車が走るまでの2時間近くを店で待機しないといけませんでした。 1ヵ月の時間外労働は過労死ラインといわれる月80時間を超える141時間にもなりました。 【父・森 豪さん】 「(電話で)『疲れとるか?』と聞くと『当たり前や』とかそんな感じの『とにかく眠いから早く(電話を)切って寝たい』と言う。そんなことを言う子ではなかったので、これは大変な状況だなと思った」 【母・森祐子さん】 (娘は)「休みの日が休みならば、まだなんとかなるけれどそうじゃないからね」と言っていた。 休日には研修やボランティア活動が不定期に組み込まれ、休みがほとんどない状態でした。 【自殺の2週間前 2008年6月1日の美菜さんの手帳】 「未来が見えない。だけど心配してもしょうがない。 ため息がでる。少々鬱(うつ)かな。 ほら!みな、がんばって!!きっと大丈夫だよ! もう一人のみなより」 入社から2ヵ月が過ぎたころ、美菜さんは社宅近くのマンションから身を投げました。 26歳でした。 【父・森 豪さん】 「私たちも自責の念の戦いね。自分たちが娘をあんなところに入れてしまった。だけど、あの会社がまともだったら死ななかったので、そういう気持ちを抑えて会社を正していくということをやらないといけない」 ワタミは関西テレビの取材に対し、 「森さんがお亡くなりになったことについてはとても悲しく二度と起こってはならないことだと受け止めています」とコメントしています。 しかし遺族と協議中であるということを理由に、4年が経った今もワタミはどこに問題があったのか自ら明らかにする姿勢を見せていません。 うつ病など精神障害による労働災害の申請件数は年々増える傾向にあり、2010年度には過去最多となりました。 さらに、最近は若い世代の申請が目立ってきていると専門家は指摘します。 【関西大学・森岡孝二教授】 「以前は働き盛りの40歳代、50歳代の過労死が多かったと言われていますが、近年は30歳代どころか20歳代に下がってきている。そういう点では雇用環境が悪化しているなかで就職がなかなかできないということと、いったん就職したら辞めると非正規(社員)しかない。いったん定職について正社員でなんとか就職できた以上はその会社でずっとやっていきたいという気持ちが強い」 【西垣迪世さん】 「この携帯は実は繋がってはいないけど、いつも充電しています、中身が見られるように」 神戸市に住む西垣迪世さん(67)は6年前、一人息子の和哉さんを亡くしました。 和哉さんは神奈川県川崎市の「富士通ソーシアルサイエンスラボラトリ」でシステムエンジニアとして働いていましたが、入社2年目から仕事が多忙を極めるようになります。 休憩はほとんど取れず残業は深夜にまでおよび机に突っ伏して寝る日もありました。 徹夜で仕上げたシステムを朝になって変更するよう命じられることもありました。 時間外労働は多い時で月128時間に達しストレスや過労からうつ病を発症します。 【和哉さんのブログ抜粋】 「もっと楽しいことがしたい。もっと健康的に生きたい。 何もしたくない。死んでしまいたい。消えてしまいたい。すごい矛盾です。 『死』ではなく『生きていくのが無理』という闇が心を支配します」 働き出して1年半後、和哉さんは仕事を休職して神戸に帰りました。 迪世さんは「仕事よりも体の方が大事だから」と声をかけていました。 しかし… 【西垣迪世さん】 「(息子は)この就職氷河期に正社員をやめた場合、休職中のまま退職したら次には普通の仕事にはつけない。なんとかそれをクリアしたいと、もう一度だけ(会社に)帰って、それでダメなら神戸の実家に帰ってくるからと言って戻っていきました」 2度の休職の後、仕事に復帰しますが症状は改善せず、その2ヵ月後の2006年1月、うつ病などの薬を大量に飲み亡くなりました。 27歳でした。 和哉さんは母親思いの優しい息子でした。 【西垣迪世さん】 「入社1年目に『おかん、とりあえずな』と言ってダイヤの小さな安物ではありますが、ネックレスをプレゼントしてくれました。何よりもただこの子に生きていてほしかった」 過労死が社会問題になってからすでに20年が経ちますが、問題は深刻になっています。 遺族らは過労死を少しでも減らすため、大阪労働局を相手取って過労死を出した「企業名の公表」を求める裁判を起こしました。
そして去年11月、大阪地裁は全国で初めて「企業名の公表」を命じる判決を言い渡しました。 判決が確定すれば悪質な働かせ方をさせる、いわゆる”ブラック企業”を社会全体で監視することが可能になります。 さらに西垣さんたち「過労死を考える家族の会」は、今の労働基準法では「過労死を防げない」と訴えます。 労使が協定を結べば、一部の業務を除き、長時間の残業や休日勤務をさせることができるからです。 【労働問題に詳しい松丸正弁護士】 「労働者と使用者が協定を結んで月100時間、120時間、そういう長時間を結ぶような労働環境が当たり前になっている。国として過労死は許さない、そういう法律を作りあげていく、それが大事だと思っている」 家族の会はいま、「過労死防止基本法」の制定を求めて100万人の署名集めを行っています。 国や自治体、企業の責任を明確にすること、過労死の実態調査をして総合的な対策をとることが法律の柱です。 【西垣迪世さん】 「こんなに若い人までが仕事のために亡くなるという社会にストップをかけていただきたい。生きるために働く仕事なのに、その仕事のために亡くなっていたのでは意味がないと思います」 大切な人を働きすぎから守るため遺族たちはきょうも声を上げ続けています。