「高円宮殿下記念地域伝統芸能賞」は、地域伝統芸能の保存と継承によせられた高円宮殿下のご遺徳を後の世に永く伝えるため、伝統芸能の保存、継承、活用の全ての面にわたって抜きんでた功績が認められる個人または団体に贈られるものです。平成15年に制定されました。




八槻都々古別【やつきつつこわけ】神社楽人会
御田植【おたうえ】保存会


(福島県東白川郡棚倉町)


 福島県棚倉町(たなぐらまち)は、福島県の南部に位置し、茨城県、栃木県との県境にあたる。その八槻(やつき)地区にある都々古別神社(つつこわけじんじゃ:祭神「味耜(あじすき)高彦根(たかひこね)命」)には「七座の神楽」と「太々神楽」、それに「御田植」の3種が伝えられている。神楽は毎年旧暦霜月に行われ、「七座の神楽」は全国的に最も古い神楽の一つである島根県佐陀神社の「七座の神楽」の流れをくみ、県内には例を見ない。
 「太々神楽」の曲目は36座で、県内では最も多く、しかも伝承は確かである。ともに福島県の重要無形民俗文化財に指定されている。
 一方「御田植」は八槻都々古別神社の拝殿で毎年旧暦正月の一月六日に演じられる豊作祈願の芸能で、稲作の過程を模擬的に演じていく。
 同社では、式内社で県内有数の古社であるためか、その所作はユーモラスな舞と掛け合いにより、能狂言風に洗練されている。この芸能は、全国的にもめずらしいことから、国の重要無形民俗文化財に指定されている。
 楽人会は長期間中断していた「太々神楽」を復活させ、楽人が一致して神楽や御田植の保存継承に努めており、御田植保存会は、御田植の祭礼を広く取りまとめ、またこどもたちの参加を促す活動を行うなど、二つの会は両輪となってこの社に伝わる伝統芸能を保存継承している。
 神楽の行われる霜月大祭では、「八槻市」と称して柚子など地元産品の市が立ち、夜店なども多く出ることから集客数はかなりの数にのぼり、小さい町ながら県内外からの人で賑わう。
 御田植は、拝殿で行われており、実際に舞などが観られる人数は限られているが、室内に入りきれない観客に暖を取れる準備や甘酒を準備するなど、保存会ではできるだけ工夫をしており、集客数も、ここ数年多くなっている。
 郡内、県内のみならず県外からも足を運んでいただいており、テレビでも放映されている。




「地域伝統芸能大賞」は、多年にわたり地域伝統芸能の活用を通じ観光又は地域の商工業の振興に顕著な貢献をしたと認められる個人又は団体を表彰することにより、国民の地域伝統芸能の活用に対する認識を高めるとともに、個性豊かな地域社会の実現に寄与することを目的として、平成5年に創設し、実施しているものです。


地域伝統芸能の実演に係わる団体又は個人



小奴可【おぬか】地区芸能保存会
(塩原【しおはら】の大山供養田植【だいせんくようたうえ】)

(広島県庄原市東城町塩原)


 塩原の大山供養田植(しおはらのだいせんくようたうえ)は、広島県庄原市(旧・東城町大字塩原)に伝わる民俗芸能の田楽で、古くからの大山信仰に基づいた供養田植の形式を忠実に伝承し、太鼓や歌の囃子に合わせて共同で田植をし、あわせて名峰伯耆大山の牛馬守護信仰を背景に農作業の供養も行う行事である。
 田植踊、牛馬供養、牛による田の代かき、太鼓と歌にあわせた田植と、翌日の大仙神社(多飯が辻山)へのお札納めで構成される。
 従来、田植の終わる時期に行われていたが、1985年(昭和60年)から塩原地区の石神社前の水田で4年目毎の5月最終の日曜日に公開されている。
 楽器や歌で囃す田植は平安時代の「栄華物語」などにみられ、現在でも広島県西部の安芸地方では安芸のはやし田と壬生の花田植などが伝えられており、これらは華やかに行われるが、大山供養田植はそれらとは異なり、太鼓を主体とした囃子方は田の中には入らず畦で囃し、農作業を効率的に行うために太鼓と歌で田植の調子を整えた実際的な田植を継承したもので、
芸能的に華やかに展開する以前の、古くからの大山信仰に基づいた供養田植の形式を忠実に伝承している。
 「小奴可地区芸能保存会」では大山供養田植の保存・伝承、後継者育成を目的に、伝承教室を開催し、また、4年に1度現地公開を行って、市内外から多くの観光客を集めている。また、近隣のイベントに出演し、小奴可地域や庄原市の貴重な伝統文化のPRに大きな役割を果たしている。




地域伝統芸能を活用した行事の実施主体



寺崎はねこ踊り保存会
(寺崎はねこ踊)

(宮城県石巻市桃生町)


 江戸時代、豊作に恵まれ、当時の寺崎村の住民が寺崎八幡神社に神楽を奉納した。
 この時、村人が太鼓や笛などの演奏に合わせて踊ったのが寺崎はねこ踊りの始まりといわれている。
 長襦袢、姉さんかぶり、日の丸の扇子を持った男女がお囃子にあわせて跳ねながら踊る。
 寺崎はねこ踊り保存会は、行政・商工会と共に、平成7年から市内外より1,000人以上の踊り手が参加する「はねこ踊りフェスティバルin桃生・ものうふれあい祭」を開催している。
 地域の伝統芸能である「はねこ踊り」を大々的に取り入れ、一般はもとより小・中・高生へ伝承しながら青少年の健全育成に寄与するとともに、市民の親睦と融和を図り、「はねこ踊り」を市内外に広く知らしめながら、地域間の交流を促進し、市の活性化に繋げている。フェスティバルは、住民総参加型の祭へと規模を拡大発展しつつ、年々盛大に開催されており、観光振興と地域の賑わいに大いに貢献している。



衣装、用具等の製作、人材等の確保に関わる団体又は個人



植田 倫吉【うえだりんきち】氏
(石見神楽・蛇胴の製作)

(島根県浜田市)


 神楽のまちとして知られる島根県の浜田市を中心に伝わる石見神楽の道具として用いられる「蛇胴」は、神楽の代表演目で全国的にも有名な「大蛇」に欠くことのできないものである。
 明治時代にそれまで長い布を体に巻き付けて舞われていた大蛇に代わり、提灯の胴からヒントを得て蛇胴が考案された。
 植田氏は、祖父が考案した蛇胴製作の伝統を40年の永きにわたり守り、この地方の伝統工芸品である石州半紙を材料として竹で作った骨組みに張り、彩色をして郷土芸能「石見神楽」の大蛇に使用する蛇胴を製作している。
 さらに同氏は、使用者の意見を聞き改良を加えながら現在の形を確立し、年間80体の蛇胴を製作し、明治時代から続く地元の伝統芸能を守り続けている。
 同氏の製作した蛇胴は、市内はもとより市外、県外、外国で上演される石見神楽の公演に用いられ、石見神楽の魅力と勇壮さを引き出しており、同氏が石見神楽の継承と発展並びに浜田市の地域の観光、商工業の振興に寄与した功績は大きい。 



その他特に顕著な貢献のあったもの

 該当者なし




「地域伝統芸能奨励賞」は、その地域に伝わる伝統芸能を受け継ぐために、日頃研鑚と地道な努力を重ねている将来有望な新人等を発掘し、激励するための表彰制度として、平成14年度に設けました。

 該当者なし






1.表彰の目的
 平成23年3月の東日本大震災により、被災地において伝統芸能団体に所属していた団員及び伝統芸能公演に使用する衣装・用具等に被害が生じた状況であるが、その後、その地に伝わる伝統芸能の再開に向けて努力を重ねている団体又は個人を表彰することにより、地域伝統芸能の保存と継承を図るとともに、大震災からの復興を更に推進する力となることを目的とする。

2.表彰の対象者
 東日本大震災の被災地において、大震災により団員が被災し、衣装・用具等に被害が生じたにもかかわらず、地域伝統芸能の活動を再開し、被災者に復興への活力を与えていると認められる団体又は個人。

3.制度の設置期間
 平成24年度の表彰に限っての措置とする。





釜石虎舞保存連合会
(釜石虎舞)

(岩手県釜石市)


 釜石虎舞の由来は今から約830年程前、鎮西八郎為朝の三男で陸奥の国を領有していた閉伊頼基が、将士の士気を鼓舞するため虎の着ぐるみを着けて踊らせたと伝えられる。
 現在は、浜町の尾崎神社の御祭神として奉られ、毎年十月の第3日曜日に「釜石まつり」が奉納されている。
 江戸時代中期の船乗りは「板子1枚、下は地獄」と言われ、漁師の家族にとって無事帰港することが何よりの祈願であった。「虎は1日にして千里行って、千里帰る」ということわざから、無事帰ることを念じ、虎の習性に託して踊った虎舞が沿岸領民の間に広がっていった。
 東日本大震災により、釜石市は甚大な被害をこうむり、その後はただ「生きること」だけで精一杯の毎日が続き、また、地域の人たちに受け継がれてきた伝統芸能の虎舞も、屋台山車は倒壊し、衣装、笛、太鼓、鉦などは津波により流失し、虎舞を舞うことすら考えられなくなった。しかし、当保存連合会は、関係団体をはじめ全国から受けた暖かい支援、声援に恩返しをしたいという思い、地域を元気にしたいという思いで、郷土芸能の持てる力を信じ、地元復興の礎を築こうと立ち上がり、地元釜石の虎舞フェスティバルや東北各地の被災地等での公演を行い、沢山の人々に勇気と元気を与え、人々の心を奮い立たせ、ふるさとの絆を復活させ、結びなおそうと、活動を再開している。






行山流水戸辺鹿子躍【ぎょうざんりゅうみとべししおどり】保存会
(行山流水戸辺鹿子躍)

(宮城県南三陸町戸倉字水戸辺)

 旧伊達藩北部に伝わる「行山流鹿子躍」は、水戸辺村住人であった伊藤伴内持遠が元祖とされている。
 発祥の地である戸倉水戸辺地区では鹿子躍は途絶えてしまっていたが、昭和57年、高台の土中から享保九年銘の躍供養碑が発見されたことから鹿子躍復活の機運が高まり、伴内直系の躍りを伝える一関市舞川の鹿子躍保存会の指導を受け、平成4年、菩提寺である慈眼寺で躍供養を奉納し、復活の庭揃えとなった。
 学校での教育にも取り入れられ、各地の祭典やイベントにも参加し、多くの方に喜ばれていた。しかし、東日本大震災による津波は南三陸町の戸倉地区を壊滅させ、行山流水戸辺鹿子躍保存会でも若手の担い手となるはずだった中学生が津波で亡くなり、道具や衣装の消失など被災は大きく、活動を一時休止せざるを得なかった。
 こうした中、「鹿子躍を地域の復興のシンボルに」との声が上がり、道具や衣装を泥や瓦礫の中から拾い集め、5月上旬に活動を再開した。
 地元南三陸町をはじめ、各地の避難所や復興イベントでの公演を行い、地域の人々に元気づけ、絆を繋げる重要な役割を果たしている。






請戸【うけど】芸能保存会
(請戸【うけど】の田植踊)

(福島県双葉郡浪江町請戸)

 請戸の田植踊は浪江町のくさ野(くさの)神社に300年以上前から伝わる民俗芸能であり、毎年2月の第3日曜日にくさ野神社例大祭の「安波祭(あんばさい)」に奉納され、豊作を祈願するものである。
 起源は江戸時代で、近年は請戸芸能保存会が地元の小学生を踊り手として集め、育成し継承してきた。
 ところが、東日本大震災の津波により、請戸地区は壊滅的な被害を受け、神社や衣装が流失するとともに、神社宮司も行方不明となった。
 また、同町は原発事故の警戒区域となり、地区の人々は県内外への避難を強いられることとなり、この伝統芸能の存続も危ぶまれる状況であった。
 そうした中、保存会では、踊り手の児童たちの無事を確認し、平成23年7月から練習を再開した。
 踊り手の子どもたちは県内外に散り散りになっており、かつ、中には家族や兄弟を津波で亡くした子どもも含まれているが、伝統の田植踊を踊り続けることで地元の絆を復活させたいとの願いと、震災により犠牲となられた方々の追悼と地元の復興への思いを込めて、平成23年8月以降、県内外の復興イベント等に参加している。




表彰の選考にあたっては、都道府県、民俗学者、観光関係団体、商工会議所、商工会等のほか、マスコミ関係者等から候補者を推薦していただき、「高円宮殿下記念地域伝統芸能賞等選考委員会」が選定しました。


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