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香港式なら、刑務所行きの日本のお父さん、お母さん。  5/08更新

京都で集団登校の小学生の列に無免許運転の軽自動車が突っ込み、10人を次々とはね3人が死亡、7名が重軽傷という、痛ましい事故があった。その4日後には愛知県岡崎市でも集団登校中の小学生の列に軽自動車が突っ込むという事故があった。
 
  日本では全国的にごく普通に行われている子供達だけの集団登校ですが、香港では見かけません。何故なら犯罪になるからです。罪名は保護者義務違反で、子供達の両親が罪に問われます。詳しくは12才以下の子供から目を離すことがそれにあたります。車の通る道路を歩いて通学なんて行動よりよほど安全だと思われる、自宅で子供だけで留守番でも、香港では見つかると親は自動的に逮捕され、二度目なら親権剥奪で刑務所入りとなります。だから小学生の集団登校となれば、大人の目の無いところを12才以下の子供達だけで行動していることになるわけで、「私の親は保護者義務違反をしていますよ~」と、子供達が抗議のデモ行進をしていると思う人がいても不思議ではない(?)。だからスクールバスでの通学か、大人が学校まで同行しての通学になります。
 
  香港では警察沙汰になるような「悪事」である子供達だけでの集団登校ですが、日本では黙認どころか、お上によってルール化され、先生方がマニュアルを作っている。しかしながら香港だけが特殊なわけではなく、欧米諸国も香港と同じ。というか香港が旧宗主国であるイギリスと同じにしているだけで、むしろ日本の方が特殊なのかなと思う。
 
  欧米のルールがすべて正しいとは言わないが、今回のような事件が起きると、集団登校に関しては、保護義務違反だという方に分があるかな、と思う。大人がついて行ければその方がベターで、周囲への注意もより払われ、事故の確率も下がるだろうと思われるからだ。実際に父兄が一緒に歩いたり、シニアの人がボランティアで面倒を見るなんてことを行っていたりも日本ではあるようだ。ではなぜルール化しないのかと言えば、これは全くの私の個人的な感想ですが、「大人は忙しい」が言い訳として通じるから。日本中の大人が納得する言い訳だから。こう言う私だって、子供の頃は子供だけで登下校し、大人になったら、子供だけで留守番出来るのは良い子であって、警察にとやかく言われる筋合いではないと信じていた。
 
  決して豊かとは言えないような階層の人も、香港では何とか法律違反にならないよう、お手伝いさんを雇う等の工夫をして、保護者付きで登下校させているので、日本だって決して出来ないとも、無理だとも思わない。国中の大人がそう思えば出来るはずと、香港の人達を見ていると思う。
 
  とまで考えたところで気がついたのです、今回の京都の事故では子供達に同行していたお母さんも犠牲になったのです。事故によっては保護者が一緒でも子供達を守れない。これで思い出したのは、大分前、香港で子供の誘拐が頻発した時、香港日本人学校のスクールバスには、香港人運転手しか乗っていないので、何かあっても対応が難しいからと、父兄が交代で添乗したら、との提案がなされたという話。しかし、丸腰のお母さんが銃で武装した誘拐団から子供を守るのは無理、のような議論があったと聞いている。
 
  留守番をしていた小さな子が、ライターをいじっていて火事になってしまった、というような事故には、大人がそばにいれば防げたと思いますが、大人がそばにいたからと万全ではない。でも、だから日本はこのままで良いという論理もちょっと苦しいのでは、と私は感じてしまいます。
 
  「そんなこと言っても無理な家もあるし、普通は大丈夫だから」という論理が日常的に通用している日本なので、「普通なら大丈夫」で大津波を考えない福島の原発となり、事故が起こっても「想定外」「仕方ない」が出てくるなら、「その時はその時で考えれば良い」という発想も改めないといけない事となります。
 
  そのまま実施されたら、日本中の多くのお父さんお母さんが親権を失い、刑務所行きになる欧米の保護者義務規定。あなたはどう考えますか?
 
  関 俊也著
 
  注:
  7才から12才までの人口は男女合計で329,363人(2011年度香港政庁統計より)。この全員が40人乗りのスクールバスを利用したとすると、必要になるバスは8,234台。自家用車やタクシー利用もあるので、それを考慮すると、登下校時には2~3万台がそのために道路上に。だから学校が休みの時はびっくりする程、車が空いて感じる。

本 名 関俊也 (SokNet Planning Ltd.代表)
E-mail seki-s@soknet.com.hk
略 歴 昭和19年生、獅子座。東京理科大学理学部物理科卒。卒業後、折からの学園紛争で学士入 学するはずの大学がその年に限り学士入学を取らず、研究室でブラブラしているときにお もしろそうだと訪問したのが、コンピューター(その当時はリレー式コンピュータ)で日 本語を処理しているという会社。いつのまにか入社。1979年、同社香港オフィス創立で 香港に赴任、1992年に同社を退職。趣味で始めたパソコンに関するコンサルタントとして 香港に残り自営。1994年後半、会長をしていた香港日本人倶楽部パソコン研究会がインタ ーネットで大いに盛り上がり、1995年にその友人達とインターネットプロバイダーを設立、 その後、インターネットコンテンツを専門に扱う会社、SokNet Planning Ltd.を設立して 現在にいたる。
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