福島の今とこれから、そして報道について考えた

2012年05月04日

 久しぶりに、郡山市を訪れた。
  事故直後に比べ、空間線量はかなり下がってきた。学校など子供の立ち入る場所の除染も行われ、学校や文化施設、公園など市内393カ所に空間線量を測るモニタリングポストが設置され、リアルタイムで線量を確認できるようになった。安心感を取り戻してきたのだろう、公園で遊ぶ親子連れの姿も見かけるし、町を歩く人のほとんどはマスクはしていない。

  一方で、線量がなかなか下がらない地域もある。まだ子どもに外遊びはさせたくないという親御さんも少なくない。そんな家庭の子どもたちのために、病児保育で知られるNPO法人フローレンスが、ショッピングセンターの中に「ふくしまインドアパーク」を運営してもう5か月。そこで子どもを遊ばせていた親御さんたちに話を聞いてみた。

                      

 

  たとえば、同市内で最も線量が高い(モニタリングポストの値で1.3μSv/h前後)ある酒蓋公園近くのマンションに住む4歳の子どものお母さん。昨年の原発事故の後、12月まで大分の実家に帰省した、という。
その間、夫は勤め先の郡山市内に残っていた。実家では、ずっといればいいと言われていたけれど、「子どもがずっと父親と離ればなれというのもよくないと思って、一緒に気をつけながら暮らそう、と戻ってきました。それに、子どもも心配だけど夫も心配。実際、外食ばかりだったせいか、夫は糖尿病になってしまいました」という。
東海村の日本原子力研究開発機構に子どもを連れてホールボディカウンターの検査を受けに行き、「結果を聞いて『ここで生活していても大丈夫なのかな』と思った。でも、まだ心配。こういう検査を何ヶ月かおきにやっても らうと、安心できるかも…」

子どもに個人線量計(ガラスバッジ)が貸与されるというので申し込んだ。「結果を見て、基準値以下なのでほっとしました。また貸与があると聞いたので、申し込みました」。そうやって検査をしたり測ったりして、少しずつ安心を得ているとはいえ、不安から解放されたわけではない。特に心配なのは将来のこと。
「今は、関心が高いけれど、時間が経って、もし何らかの症状が出た時に、(政府は)何をしてくれるのか分から なくて…」。
自分にできることとして、子どもは外で遊ばせずに、このインドアパークや市が運営する屋内の遊び場ペップキッズ、ニコニコこども館に行き、野菜や牛乳はできるだけ遠くの産地のものを選ぶなど、できるだけ気をつけながら生活している。

  報道について聞いてみた。
それで返ってきたのが、週刊文春に郡山市出身の子どもに「甲状腺がんの疑い」という記事が載った時のこと。やはりこの記事は地元の人には大きな衝撃トを与えたようだ。
九州の叔父から「そこに住んでいて大丈夫なのか」と電話があって、記事のことを知った。急いで買って読んで、「わ〜、どうしよう」と思った。でも、インターネットで調べてみたら、医師が記事内容を否定していることを知り、少し落ち着いた、という。
「マスコミは(心配の)火だけつけてくれるから…」
不安を抱えながらも、郡山市で暮らすことを選択し、様々な検査の機会を利用し、できるだけ多様な情報をえながら生活しようとしている、理知的なお母さんだった。

 

  あるいは、5歳の女の子を連れて、大玉村からきていたお母さん。「県外に出られたらいいな、という気持ちはあるけれど、家はあるし、仕事もあるし、やっぱり出られない」と言う。
子どもを外で遊ばせないようにしているので、「家の中ばかりだと、どうしても運動不足になり、子どもが太ってきたのが心配。それに、一人娘なので、たいてい私が遊びの相手。それで、近所の子との遊び方、子ども同士のつきあい方が分からなくなっちゃっているみたいで、これはとても心配です」と。インドアパークの中にいる時も、その子は他の子どもと交わるのにためらいがちで、しょっちゅうお母さんのところに来て、相手をしてもらいたい様子。そのたびにお母さんは「いってらっしゃい」と優しく励ましながら、他の子どもたちと遊んでくるように促していた。

このインドアパークのスタッフで保育士の木村沙希さんは、親御さんたちから相談をよく受ける。
「生まれてから一回も外で遊んだことがないんですけれど大丈夫でしょうか」「公園デビューもないし、どうやって お友達を作ったらいいか分からない」…
木村さんたちスタッフは、お母さん同士が知り合えるように仲を取り持ったり、様々なイベントを開いて友達作りのきっかけにするなどの工夫をしている、という。

  放射線リスクを心配し、できるだけそれを避ける生活は、新たなほかのリスクを生む。県外に出ようとすれば、住まいや仕事など生活面が心配だ。リスクは放射線ばかりではない。福島で暮らす親御さんたちは、いくつものリスクを天秤にかけ、悩みながら、模索しながら日々の生活を送っているのだろう。「仕方なく」住み続けている人たちもいれば、公表されるデータに納得し安心している人々もいて、その意識は一様ではない。

空間線量の高いところから除染が始まっている。ただ、先のお母さんが住む大玉村では、町中と違って、期待していたような効果が出ていない、と言う。それまでは周囲が山に囲まれた自然豊かなところだったのが魅力だったのだが、山に降り注いだ放射性物質は容易に取り除けないのだ。 
「うちでも線量計を買って測ってみるんですけど、日によって(数値が)違う、風向きによって違う、天気によって違う。こういう数字を見ても、どうしたらいいか分からない」
前述したように、郡山市内には、すでに393箇所に空間線量を測るためのモニタリングポストが置かれ、個人で線量計を購入している家庭も少なくない。この日話を聞いた他の親御さんも、家で購入したと話していた。 
ただ、その数字の意味、その数字をどう活かしていくのかということになると、以前より高くなった低くなったという変化を見る以外、「どうしたらいいか分からない」という人も多いようだ。


話を聞いていて、先日、「ふくしまの話を聞こう」勉強会で、いわき市の安東量子さんが語っていた「科学的知識や計測した数値は、生活の文脈に落として初めて意味を持つ」との指摘を改めて考えた。 


空間線量の測定や食べ物の検査によって、身の回りの放射能はだいぶ「可視化」できるようになってきた。そうやって得られた数値をどう使いこなし、自分の生活に活かし、自分で自分の生活を管理しているという自信と安心を回復していくのか…。今は、 そういうステージに入ってきているのだろう。
私の理解では、安東さんが進めている「エートス福島」の活動は、低線量の地域で、住民が主体性を持って学んだり考えたり話し合ったりしながら、科学的知識や数値を一人ひとりの「生活の文脈に落とす」ための文法作りのようなもの。「○○μSv(もしくはBq)以下は住んでも(食べても)よい、それ以上はダメ」と国が人々に降ろしていった一律の基準値とは別に、一人ひとりが自分で「ものさし」を握り、それによって生活を管理することで、自信と安心を構築していこうとしている。
  自分や子どもの生活圏で、周囲と比較して放射線量が高めな場所があると分かった時、自分なりの「ものさし」があれば、それに応じていろんな選択肢が考えられる。除染ができるならする。それが無理でも、「ここはたまに通り過ぎる場所だから、この数値なら遠回りするほどのことでもない」と考えることもできれば、「この場所は避けて通ことにしよう」という選択も可能。そうやって、放射線の影響を自分でコントロールし、できるだけ被曝を避けつつ快適な生活を自ら作っていく。そうすることで、絶対安全か絶対危険かという二元論のくびきをから解放され、萎縮しおびえながらの毎日は、もっと伸びやかなものへと変わっていくだろう。これは、人々が原発事故によって傷つけられた人間性、人として生きる権利を回復していくプロセスなのだと思う。
個人ごとの「ものさし」は、その人の考え方や知識によっても違ってくるだろう(注)。だからこそ、きめ細やかで多様な支援や情報が、今の福島には最も必要なのではないか。
  たとえば、子どもの遊び場について言えば、公園などの除染を進めて、安心して外で遊べるような環境を整えつつ、インドアパークのような屋内の遊び場もある。そうすれば、親御さんは自分の「ものさし」によっていろんな選択ができる。

  そういう今の時期には、報道の仕事にも、よりきめ細やかな配慮が大切になってくる。
  たとえば周囲に比べて高線量の地点が見つかった時、できるだけ具体的に、評価を交えずにそれを伝えるなら意味はある。それによって、人々は「この場所は避けて通ろう」などと行動に役立つ情報として受け止めるだろうし、行政に「ここは早く除染などの対策をすべきだ」と働きかけることもできる。あるいは、自治体ごとの比較として伝えれば、遅れている地域の対策を急ぐよう、尻叩き効果があるだろう。測定の方法についての提言なども有益だろう。

 ところが、線量計を持って側溝や植え込みなどの線量の高い場所を探して周り、「福島は(あるいは郡山市は)、まだこんなに汚染されている!」「○○にはまだ線量が高いところがいっぱいある」とおおざっぱな伝え方をする人たちがいる。こんな風に、特定の場所の線量を、その地域全体が同程度に汚染されているかのような印象づけをして伝えるのは、むしろ有害だ。

  ましてや、測定場所もあいまいな虚実取り混ぜた情報を、「郡山市に人は住めない」といった、おおざっぱで根拠不明の素人評価を押しつけて流布するなどといった行為は、メディアやジャーナリストが、今の福島に関して最もしてはならないことだ。あるいは、原発の影響による病気や体の異常をいち早く見つけようと前のめりになっている報道姿勢も問題だと思う。

  問題や時期によっては、多少正確性を犠牲にしても急いで伝えなければいけない事柄もある。問題の所在を多くの人に気づいてもらうために、人を驚かせる大げさな表現になることがないとは言わない。しかし、今、福島の人たちと放射線の影響を語るのには、どちらの手法も不適切だ。間違っても訂正すればいい、などという考え  では、無責任に過ぎる。プロの情報発信者なら、まずは間違えないように努めるのが大前提だ。

 
今回、郡山市内を案内してくださって塾講師の佐藤順一さんご夫婦からは、福島の人と県外の人の婚約が破談になったり、著名な反原発活動家の話を聞いた母親がすでに結婚している娘に対して「子どもを作るのはやめなさい」と言った、などという話も伺った。
間違った情報が、差別を生む。不安を生む。不信を生む。情報を伝えるプロはもちろんのことだが、今は誰もが発信者になれる時代。自分のちょっとした書き込みや何気なくしたRTが、差別の土壌になるかもしれない、という意識を1人ひとりが持ちたい。キーボードやマウスを操作する前に、「これは本当に確かなことなのか」と心の中で自分に問う作業は、誰もが必要だと思う。そうでないと、無意識のうちに、デマを伝え、人々を不安にさせたり、差別の原因を作ってしまうことになりかねない。

 先の勉強会で、安東さんは「『福島を見捨てない』を形にしたい」と語った。彼女は、何が何でも福島に留まれ、と言っているのではない。福島に住み続けている人たちが、萎縮と怯えから解放されて、もっと伸びやかな暮らしを取り戻したい、というのがその第一義であり、そうすることによって、迷っている人々が福島で暮らすことを選択肢の一つしてもらいたい、ということだ。
私は安東さんの話を聞きながら、福島への支援は、その思いを共有することから始まる、と思った。

 福島に住み続けている人たちが、萎縮と怯えから解放され、もっと伸びやかな暮らしを取り戻すために、今何が必要か。−−ここを出発点にして、いろんな人たちが知恵や力を出し合いたい。
「福島エートス」では、ツイッターなどを通じて活動を知った人たちが、英文の資料を翻訳するなど、支援をしている、と聞く。あるいは、人々の生活を改善したり、選択肢を増やすための取り組みをやっているNPOや個人に対して、資金的な支援をする、という方法もあるだろう。

 では、私には何ができるか、何をすべきか…。
福島で見た様々な光景、出会った人たちの顔を思い浮かべながら、今、そんなことを考えている。

福島エートスについてもっと知りたい方はこちらへ
https://docs.google.com/document/d/1Yvrc2O2jTUwmgHhVHrB1R9w4YbMi4yMFRab58-I2az4/edit?pli=1

「ふくしまの話を聞こう」勉強会の映像はこちら
http://www.ustream.tv/channel/ethos-learning-tokyo


(注)

 この点について、ベラルーシで行われた復興計画ETHOS活動に詳しく、福島エートスにも協力しているbuveryさんから次のような指摘があった。

〈いわきの山あいのように集落が残っているところでは、『共同で物差しをつくる』というのも大事です。共同ですることで、コミュニティのなかでの放射能による齟齬を解消しながら、自分たちで選べる手段を増やす、ということができます〉

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