2012年1月3日03時00分
東京電力福島第一原発の事故を受け、ドイツは明確に脱原発へかじを切った。その北部に、新エネルギー産業の拠点に変わりつつあるグライフスバルト原発がある。約30社が進出。敷地のほとんどは立地企業が買い上げている。
「当時、閉鎖には原発の作業員も地域の人も落胆した。廃炉を順調に進めるためにも、人々が将来を見通せる何かが必要だった」
そう話すのは、廃炉プロジェクトを担うEWN(北部エネルギー会社)の前最高経営責任者(CEO)リッチャー氏だ。解体が始まる直前の1994年に就任した。
将来を見通せる何か。それは、工業地帯として再起を図ることだった。
原発の周辺の道路は、すでに整備されていた。近くの町から労働者や資材を原発内の建物内に運び入れるため、線路が引き込まれている。原発で使っていた送電線網もある。
加えて考えたのが、海沿いの立地を生かして港を整備し、工業地帯として再利用することだった。リッチャー氏は「インフラ整備をしないと、このプロジェクトはうまくいかない」と国に支援を強く迫った。結果的に5500万ユーロ(当時約80億円)の補助を受け、港や敷地造成につなげた。港は幅94メートル、長さ890メートルと細長い。元原発の冷却水の排出口を再利用したからだ。
さらに原発の労働者向けに、溶接など工業技術の訓練プログラムを用意した。
菜種を原料とするバイオディーゼル燃料の生産会社(本社・スイス)は2006年、ここに立地した。年間6万5千トンを生産。残りカス9万トンを家畜のエサとして欧州各地に運ぶ。従業員40人全員が地域住民だ。
「港が使えることが大きな魅力だった」と、技術責任者リヒター氏は話す。
船だと原料の菜種を1回に3千トン運べる。これはトラックの数百〜千台分に相当する。特に今年はドイツ北部の菜種が不作だったため、原料のほとんどをほかの欧州諸国から船で運んできたという。
海上風力発電の支柱となるパイプの製造会社(本社・ドイツ)は09年、長さ1.2キロ、高さ30メートルの元タービン建屋で操業を始めた。
「港があって、これだけ広い工場が確保できるところは、なかなかない」と工場の責任者のルーデル氏は言う。パイプは直径5〜7メートル、長さは最大84メートルに及ぶ。ここで溶接されたパイプは、船でデンマークの工場まで運ばれる。
溶接などの技術者が多くいたこともここを選んだ理由だ。ルーデル氏は「彼らは技術訓練を受けていて、とても能力が高かった」。従業員は70人という。
原発の閉鎖から20年。当初、企業の誘致による雇用の総数は800人を見込んだが、今、1100人になる。皆、地域の住民だ。
リッチャー氏は言う。
「どこでも跡地利用が成功するとは限らない。だからこそ早くから備えておくべきだ。どんな原発も、どんな最新の技術で延命しても、いつかは止まるのだから」(山田理恵)