【明治三陸地震の津波写真見つかる】 116年前の写真48枚、記録性高く-東日本大震災とよく似る様子鮮明に/防波堤なく津波直撃
1896年6月15日に起きた明治三陸地震による大津波に襲われた被災地の写真48枚を共同通信は2日までに入手した。陸に打ち上げられた帆船、全壊した家屋、広範囲に散らばる流木、ぼうぜんとする人々など最大30メートル以上の大津波が岩手県沿岸に達し、死者が2万人以上に上った116年前の惨状を鮮明にとらえている。
東京都在住の古写真収集家、石黒敬章(いしぐろ・けいしょう)さん(70)が保存。石黒さんの父親が、明治時代の著名な写真師・中島待乳(なかじま・まつち)の遺品として入手したアルバムの中にあった。
当時の被害を伝える写真は米メディアが報じたものなど他にもあるが、今回の写真は保存状態が非常に良好で「崎浜村(現・岩手県大船渡市三陸町越喜来崎浜)被害の全景」などすべてに説明が付いている点で記録性が高い。臨時病院での治療の様子や、救出された後、病院の床に布団を敷いて座る被災者など東日本大震災直後の被災地の状況と重なる写真も多く、専門家は「 津波と防災の歴史を考える上で第一級の資料だ」としている。
過去の三陸津波の資料を保存している岩手県の釜石市郷土資料館の佐々木寿(ささき・ひさし)館長は「明治三陸津波の際の写真で間違いない。これまで見たことのない写真だ」と話した。
明治三陸地震の揺れは最大震度4程度と推定されているが、巨大な津波が被害を拡大。原発の安全性をめぐる議論の中でも引き合いに出されてきた。
石黒さんは「中島待乳以外の写真師の写真も数多く張られているアルバムだが、尾崎神社横に写っている洋装の人物は待乳にほぼ間違いない。写真の多くは待乳らが撮影したといえるだろう」と分析。「過去にさかのぼって東日本大震災の教訓を考えてもらえれば」と秘蔵してきた写真を公開することにしたという。(共同通信編集委員 牧野俊樹)
【写真】1896年6月に起きた明治三陸地震による岩手県釜石市の大津波被災地の写真。写真説明には「釜石港内停泊ノ帆走船(長安丸)数町の陸上ニ打上ゲラル」とあり、海岸から数百メートル離れたところに大型船が打ち上げられている様子は東日本大震災ととてもよく似ている(石黒敬章氏所蔵)
▽防波堤なく津波直撃 撮影は発生後1週間か
波打ち際の民家は全壊してがれきの山と化し、神社は石造の土台を残して跡形もなくなった。打ち上げられた帆船のそばで、和服の男性がぼうぜんと立っている。
今回の明治三陸地震の写真を見た 都司嘉宣(つじ・よしのぶ)・建築研究所特別客員研究員は、全壊した民家のがれきで埋まった海岸に注目し「防波堤がないため津波が運んだ砂が分厚く積もっている。多少は弱められた東日本大震災の津波とは異なり、強い流れが直撃した」と分析。少なくとも10メートルを超える大津波に襲われたとみられ「民家の根元まで砂で埋まり、屋根の上まで浸水したようだ」と指摘する。
報道写真というジャンルが成立していなかった時代に、日本人写真家がとらえた被災地写真としても貴重だ。写真の状況から、津波から1週間前後で現地入りした可能性が高い。都司氏は「写真自体が珍しかった時代。被災地に入るのも相当難しかったはず。歴史的資料としても非常に価値がある」とみている。
釜石市郷土資料館の佐々木寿(ささき・ひさし)館長によると、釜石港から打ち上げられた帆船は、新日本製鉄釜石製鉄所の前身となった製鉄所の運搬船とみられる。尾崎神社の写真にあるみこしはその後、修復され現在も保存されているという。
「釜石臨時病院」の写真には、頭に包帯を巻いた男性を白衣の人々が治療する姿も。佐々木氏は「各地から医師らが集まり、被災者の治療に尽力したと伝えられている」とも話した。(共同=鎮目宰司)
(2012年5月3日、共同通信)