断捨離に目覚めたらマジでカバンと本とAppleしかなくなった件
こんちわ。巷で噂の断捨離に目覚め、とりあえずiPhoneやらEvernoteやらの整理は終了したものの、なかなか持ち物の整理ができず、9連休という半分クビレベルのGWを使って遂に敢行したのです!極端な性格なので、とことん突き詰めようと思ってたら、何もなくなった、そんなお話です。良いこのみんなは真似しないでね。
断捨離とはなんぞ
Wikipediaより抜粋。
断捨離(だんしゃり)は、部屋の整理整頓と共に生活に調和をもたらそうとする、クラターコンサルタントやましたひでこの提唱する生活術。(中略)
ヨガの「断行(だんぎょう)」、「捨行(しゃぎょう)」、「離行(りぎょう)」という考え方を応用して、人生や日常生活に不要なモノを断つ、また捨てることで、モノへの執着から解放され、身軽で快適な人生を手に入れようという考え。単なる片づけとは一線を引くという。
断捨離に目覚めたら部屋がこうなった
ビフォーアフター的なものも考えましたが、いかんせんビフォーがドン引きレベルだったので公開やめます。俗に言う豚小屋です。豚にも失礼なレベル。
で、アフターはこんな感じ。仕事部屋、寝室と2部屋ある自分の部屋のうちの仕事部屋の方です。
1枚目。入り口側から撮影。遠くに見える3つの入れ物は、無印良品で購入した入れ物。中身は衣類。衣類はこれと別の部屋にスーツ2着あるだけ。あと全部捨てました。
余談ですが僕は靴下が全て同じです。仕事でも普段でも履けるシンプルな某クロのものです。ペアリングの必要もない。片方なくして困ることもない。
2枚目。部屋の奥側から撮影。机と椅子。以上。
3枚目。机の上。Macと電気スタンドと電源タップ。
あとは最低限の本と、引き出しの中に文房具や工具などが少々あるのみ。本当に何もなくなった。
整頓好きな自分が唯一片付けられなかった場所
僕は基本的に整理整頓は好きです。だけど一箇所だけできない場所があったのです。それは自分の部屋。常にごちゃごちゃに散らかっていました。いわゆる「お(汚)部屋」です。といっても食べかすとかが散らかってるわけではなく、「モノ」が地べたに散乱しまくってます。きたねーな、綺麗にしたいなと思いつつも、絶対に片付けられない。それには理由がありました。
どこに片付けたらいいか分からない
僕の部屋は現在、仕事部屋と寝室の2部屋があり、それぞれ広々した収納や、部屋に組み込まれた大きな棚があります。収納の中にもたくさん棚などを置いてました。でも、今床に置いてあるそいつをどこにしまうかが決められない。極度の分類厨な僕は、それを何分類にするかが決められない。しまう場所を決定できないのです。
実は地べたに置いてあった方が便利
そして、結局、地べたの「元あった場所」に戻すことになる。そこにあるということは常に記憶されている。だから使いたい時にすぐに発見できる。逆に言うと、誰かが30cm動かしたら見つけられなくなる。場所を感覚で覚えてるため。
でも、これを片付けてしまうと状況は変わる。片付けるという作業は、実際に物を使う時の動作と連動していないため、その片づけの時に決めたルールを全て覚えておかないと、自分でもどこにしまったか分からなくなる。
入れ物にラベルをつけたとしても一緒だ。前述のとおり、結局複数箇所に分類されるようなものでも、どこか一箇所に入れなければならない。デジタルのようにタグ付け管理ができるわけじゃない。あくまでフォルダ分けしかできない。
ここでいいや、とそいつをある分類場所に入れても、いざ使う時にはもう覚えていない。かと言って細かく分類しすぎてもナンセンス。分類が目的ではないわけだし、何より手間が無駄すぎる。
物を探す作業が極端に嫌い
「探す」のが大嫌いなんですよ。どこかにあるのに見つからない。あのすぐに使えないイライラ感は異常だ。この上なく嫌いな作業であります。
なんのために部屋を片付ける?
部屋を片付けるのは何のため?おそらくこの2つしかないでしょう。
- 綺麗に整頓して気持ちよくする
- 物を取り出しやすくする
散らかっていれば、気持よくない。気分が悪くなる。でも片付けて物を見えなくすることが、果たして後者にとって必ずしも有効だろうか。いや違う。見えていた方がいい。どこにしまった忘れることもない。
極端な探し物嫌いな僕は結局後者を優先してしまうため、常に地べたにものがある状態を変えることはできなかったのです。
断捨離に目覚める
巷で断捨離という言葉を耳にしはじめてからというもの、あらためて「モノ」を所有するということについて考えはじめた。この部屋にあるものは本当に全て必要なものだろうか。
きっかけは足のケガ
昨年末に足を怪我して、しばらく1Fで過ごしていました。僕の部屋は2F。ほとんど、いや全くと言っていいほど部屋に入らずに数ヶ月を過ごし、ある結論にたどり着いたのです。
「実は部屋にあるもの全部要らないんじゃないの」
だって全く部屋に入ることなく僕はいつもどおり(松葉杖以外は)生活をしていた。つまりそれは部屋にあるものが、今の自分が生活をしていく上では必要のないものだということ。
参考:
部屋にあったものたち
何が部屋に置いてあったか。こんなものたちです。
- 学生の頃の教材
- 大量の「着ない」服
- 大量の「もう読まない」本
- 大量の写真
- 1,000枚を超えるCD
- 数百本のVHS
- 過去の仕事の資料や道具の山
- もはややらないゲームのハードやソフト
- 好きな人にもらった思い出の品
- なんかの景品とかでもらったような謎の小物たちたくさん
- もはや使わないコンピュータ4台
なぜ今まで捨てなかったのか
こうやってリストを見てもらえば分かるとおり、大量のモノに囲まれて生活していた。でもなぜ捨てなかったのだろうか。理由はこんなところ。
- 思い出深くて捨てられない
- 高かったのでもったいない
- いつか使うかもしれない
- コレクションしておきたい
- 人にもらったもので何となく捨てられない
- 今まで頑張ってやってきた仕事の軌跡だから
- そのうち捨てようと思ってて面倒がっている
- それをすてるなんてとんでもない!
気持ちを切り替え、モノへの執着を捨てる
今回、これらについて改めて見なおした。
1. 思い出深くて捨てられない
まず1。思い出の品。これはなかなか捨てられない。でもどうか。それを今見てどうなるか。「あんなことがあったなぁ。懐かしいな。」と過去を振り返りしんみりするだけである。でも、それが何だ。
本当に大切な思い出は消したくたって心の中に残り続ける。それがいい思い出だろうが辛い思い出だろうが、大切なものは消えることはない。逆に、モノに頼らなければ思い出せない思い出は、今はもう必要のないものだ。そう踏ん切りをつけて、捨てました。過去なんて振り返っても何も生まれない。
というわけで好きな人にもらった思い出の品などは全て捨てた。もちろん、涙を飲んで捨てた。
ゲームもそう。懐かしいと言ってもそれだけだ。なくなっても生きていけないわけじゃない。そして本当にやりたくて死にそうになったらまた買えばいい。まぁ、そんな時はこないだろうが。
2. 高かったのでもったいない
これは本当にある。でも考えてみる。モノの価値は買った値段で決まるものではない。「今自分にとって有益かどうか」それしかない。
というわけで、高かった服、ゲームのハード、使わなくなったコンピュータなどを処分。
3. いつか使うかも知れない
これも捨てられない代表格と思われる。でも、いつかなんて絶対に来ない。例えば服。「今は着ないけどまたいつか着るかもな。」と思って捨てない。でも、それらを着る機会が来たことはない。なぜなら時代は変わる。流行も変わる。自分の感覚も変わる。体型だって変わる。
その時着ないのには理由がある。それを後から着ようと思うことなんてない。今着ないものを5年後に着たいと思うだろうか。5年後には、その時にベストなものを買えばいい。着る可能性の極めて少ないものをずっと残しておいて収納をごちゃごちゃ圧迫させておくメリットなんて何一つないだろう。
というわけで、ほんの数着残して全部処分。
ゲームもそう。またいつかやるかもなと思って、古いものをたくさんとっておく。でも実際はどんどん新しいハードも出ればソフトも出る。iPadなどの新しいハードで古いゲームがリメイクされたりもする。古いゲームをまたやろうなんてまず思わない。どうしてもやりたくなったらその時に買う。まぁ、やりたくならないだろうが。
4. コレクションしておきたい
特に男性にはあるだろう、コレクション癖。僕は、前職の仕事柄なんかもありますが、CDなんかはとにかく「持ってることに価値がある」と思ってきた。でも、そんな価値観はもうない。
確かにCDクオリティは圧倒的だ。以前はCDと高価なオーディオ機器でしか音楽を聴く気になれなかった。これは前職が音楽業だったせいもある。それが仕事だったから。でも今は違う。時代も変わった。ある程度の音質でいい、それを遥かに上回る利便性の方が重要と考えるようになった。
本もそう。全巻コンプリートすること自体が目的だったりしてたし。でも、所有することに果たしてどれだけの価値があるのだろうか。マンガ喫茶でも行けばいくらでも読めるものを、大量の場所を確保して自分の部屋に置いておく必要なんてない。コレクションというくだらない我欲さえなければ、自分が所有するメリットなんてない。もちろん、頻繁に、定期的に読むものは別だけど。
ということで、CDは全て処分、漫画は一部除いてほとんど全て処分。
5. 人にもらったので何となく捨てられない
あの人がくれたんだよなぁ。と思うと捨てられない。でも今の自分の生活にはもう確実に要らない。これは困りものだ。実際この手のものがたくさんある。
でも、僕は切り替えた。「これをくれたその気持ちに感謝し、恩返しをすればいい。残念ながらこの「モノ」そのものはもう不要になってしまった。でも大事なのはその人の気持ちであり、この先その気持ちに応える生き方をしていけばいい」
それぞれくれた人たちのことを考えながら、ありがとうという気持ちを込めてさようならしました。本当にありがとう。(と言ってもやはり捨てられないものもあるんですがね。)
6. 今までやってきた仕事の軌跡だから
本当に大事なものは自分のスキル・価値観として自分の中にしっかりと残っている。大事なのはモノじゃない。身につけたものだ。今まで培ってきたものがあるから今の仕事につながっている。僕は今そう大きく実感してる。
7. そのうち捨てようと思って面倒がっている
コンピュータの類や物理的にでかいものなど。GWを利用して処分した。
8. それをすてるなんてとんでもない!
思い込み。まやかし。実は捨ててもよかったことに気づいていなかった。
学生時代の教材や辞書、もはや必要になる事はない古い書類、景品で当たったような使わないものたちなどがこれに当たる。
処分にあたって
限りなくすっきりさせるためにやったこと。
データ化
CD、写真は必要分をデータ化。CDのデータ化は非常に作業コストがかかる。なので、最低限に絞ってデータ化。いつでも手に入るようなものは、本当に必要になった時にあらためてインターネットで購入すればいい。その方が低コストだ。といってもかなり大きなコストがかかりましたが。3日間くらいかけて、暇をみてデータ化。写真はまだやってません。時間をみてちょいちょいやって、処分する予定。
ダンボールは臆せず買う
ダンボール買うなんてもったいない。近所のスーパーでもらってくればいい。そうお思いでしょうか。
でも大きなダンボールなんてそうそうたくさん手に入らない。そのため何箇所も回ってやっと小さなダンボールをたくさんもらってくる。
これは本当に有意義か。僕はその面倒のせいで作業が億劫になるのが嫌だったので、はなからホームセンターで巨大ダンボールを十数個購入した。たかだか数千円である。無料の大きさも選べないダンボールを探しまわるコストを考えたらはるかに有意義だろう。作業も気持ちよく捗りましたよ。
棚や箱を捨てる
モノを置く場所を排除する。場所があればそこにモノが増えるのは自明。場所をなくす。結局、収納があればあるほど人はものを捨てずにそこにしまいこんでしまう。
迷ったものはひとつのダンボールへ詰め込む
そうは言っても、やはり捨てられないものは存在する。しかもそこそこの量であります。それらをうだうだ迷っていては一向に片付かない。そこで今回は、小さなダンボールを用意し、迷いに迷ったものはそこに入れていくことにしました。
で、全作業が終わったらそいつに封をしてしまおうと。いつか、それらに何が入ってたか一切忘れてしまったならば、中身も見ずに捨ててしまおうと。というわけで、唯一とも言える、収納に残っているダンボール箱がこれ。
処分の方法
実質、ほぼ引越し状態でした。異常なまでに溢れかえったものたちをどう処分したかについてのお話です。
人にあげる
欲しい人がいたらあげてもいいでしょう。僕はよく人に服やゲームをあげます。まぁそれでもどんどん溜まるんですがね。タイミングよくフリマがあるなら出すのも良いでしょうが、丸一日の労力を考えれば中古ショップでいいと僕は思ってしまいます。お祭り好きな人はいいかもですね。
中古ショップに持っていく
CD、本、ゲーム、機材・機器などはまず中古ショップへ。僕の場合は、特にCDは状態がよいものが多かったので、かなりの金額に換えることができたよ。そのショップに僕のコーナーができるんじゃないかってくらいの量を売りさばいた。まぁ、買った値段を考えれば1/10くらいかも知れない。でも、今まったく必要ないものがまとまった金額になるというのは、大きな利益であります。ものは買った値段で価値が決まるものじゃない。今どれだけ有益かしかない。
清掃センターに持ち込む
知人に清掃センターに持ち込めば粗大ゴミでもなんでも捨てられると聞いたので、今回車で3往復分ほど廃棄。重さで料金が決まるんですが、全部で150kg程度でした。
作業を終えて(断捨離生活のスタートを迎えて)
持ち物として残ったもの。
仕事部屋に関しては冒頭のとおり。寝室はもうひと息といったところですが、ほぼベッドと簡易スピーカと少しの携帯ゲーム機、小さなテーブル、鏡、スーツくらいです。あとはカバン2つ。仕事(Mac)用とiPad用。これだけでも今後困ることはまずないでしょう。もし本当にどうしても必要になれば買えばいいのです。そもそも、本当に大事なもの・必要なものは捨ててない。
生活がどう変わるだろうか
清々しい
まず第一に、大変清々しい気分になった!これが一番かもしれない。汚い部屋に気が滅入ることもない。
部屋の片付けが不要に
そして、部屋を片付ける必要がなくなった。なんせ片付けるモノがない。その分有意義なことに時間を費やすことができそうです。これぞライフハックと実感。
モノと自分の関係を再確認
また、今回胸を痛めつつ涙をこらえつつ捨てた経験が、今後モノを買う際に生きてくることだろう。きっと、本当に必要なのかをさらに深く考えて買うことになるでしょうね。自分にとってそれ(モノ)を買うことがどんな意味を持つのか。生活がどう改善されるのか。単なる衝動ではないのか。と。捨てることによって、モノやお金の大切さ・ありがたみや意味を改めて感じました。
Appleは偉大だ
最後に、Apple製品の偉大さを実感。これ書いておかないとね!ステマじゃないよ!ただ、本当に最後に生き残ったのはMac2台とiPhone、iPadでしたね。外観や仕様のシンプルさ、美しさ、利便性。どれをとっても僕にとってもっとも馴染むものです。もはや電源以外のケーブルも、CDやUSBストレージなども必要ない。
Appleとクラウドだけで生きていくのが今後の僕のダンシャラーとしての最もシンプルで理想的な生き方だと思っています。
それでは、また!
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