Next OA 2012.05.12
プロレスの黄金時代を築き、様々な名勝負を生み出した長州力に密着
かつての熱気を失ったプロレスに、再び輝きを取り戻したい…そんな熱い思いを胸に、決闘のリングに立つ男の戦いを追った。
4年前のトリノ五輪。当時19歳の高橋大輔は初めてオリンピックの舞台に立ったが、メダルには遠く及ばなかった。それから4年…高橋は見違える成長を遂げていた。日本男子フィギュアスケート悲願の銅メダル獲得。この快挙の裏には、ある一人の女性コーチとの10年にも及ぶ深い絆があった。
高橋大輔を指導するのは、長光歌子コーチ。長光コーチは、かつて全日本ジュニアで優勝した経験を持つが、若くしてコーチ兼、振り付け師となった人物。中学2年の夏に長光コーチと出会い、めきめきと力をつけていった高橋は、2000年、2001年と、全国中学大会を連覇。そして、中学卒業後、高橋は長光の自宅に下宿し、本格的に指導を受けることになった。長光コーチと2人3脚で続てきたスケート人生。2007年の世界選手権では、2人で磨き続けた世界一と評される華麗なステップを武器に見事な演技を見せ、高橋は日本人過去最高の銀メダルを獲得。2人の夢であるバンクーバー五輪でのメダル獲得へ、期待は大きく膨らんだ。
だが、バンクーバーまで1年5ヶ月と迫った一昨年10月、アクシデントが起きた。右ひざ前十字靭帯断裂、そして半月板損傷。オリンピックに最高のパフォーマンスで望むためにも、高橋はすぐに手術を受けること決めた。しかし、術後のリハビリは予想以上に過酷なものだった。“本当に元のように滑れるようになるのか…?”高橋は言い知れぬ不安に襲われた。そんな高橋の気持ちを再び奮い立たせたのは、長光が言った意外な言葉だった。
そして、手術から5ヵ月後。高橋が再び、リンクに戻ってきた。昨年12月の全日本選手権では、1年前の怪我を感じさせない演技で完全復活をアピールし、高橋はバンクーバー五輪の切符を手にした。そして2月17日、高橋の2度目のオリンピックが始まった。フリープログラムで果敢にも4回転ジャンプに挑み、世界一のステップで観客を圧倒させた高橋大輔。そこには、かつて“ガラスのハート”と呼ばれた高橋の姿はどこにもなかった。そして、見事、五輪で銅メダルを獲得した。日本男子フィギュア界史上初のメダル獲得となった。