スイーツの神戸風月堂
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銘菓 せんべい ゴーフルの紹介 | 銘菓 せんべい ゴーフルはスイーツの神戸風月堂
神戸スイーツ ゴーフル
■ゴーフルができるまで
ゴーフル
神戸スイーツ 神戸風月堂を代表するお菓子「ゴーフル」。
サクサクと香ばしい薄焼きの生地に、バニラ・ストロベリー・チョコレートのクリームをやさしくサンドしました。 爽やかな味わいをお楽しみください。

ゴーフル 15S ゴーフル5B【6枚】税込525円
ゴーフル10S【9枚】税込1,050円
ゴーフル15S【15枚】税込1,575円
ゴーフル25S【24枚】税込2,625円

※写真はゴーフル15Sとなります。
 
ゴーフル  
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ゴーフル 物語
ゴーフル 製法 大正15(1926)年頃、一人のお客様が大阪・北浜風月堂にフランスのゴーフルを持参され、 「日本でもつくってみてはどうか」と提案されたのがそもそもの発端なのであります。 北浜風月堂の優秀な技術者であり、和洋菓子の職長であった渋谷太郎と田村豪也が、 早速この未開の新菓「ゴーフル」の開発に取り組みました。

フランス人のゴーフルをそのまま真似るのではなく、日本人の嗜好に合うようにと、 フランス製の長所を存分に生かしつつ和菓子の長所をも取り入れ、試作・研究に没頭いたしました。 その苦心が実を結び、発売にこぎつけたのは昭和2(1927)年のことでありました。 当時、吉川市三が北浜風月堂の業務執行社員として、業務全般の監督と経営の重責を担っていた関係で、 この新商品は東京銀座の米津風月堂と神戸風月堂、それに北浜風月堂の三店で同時発売することになりました。

ゴーフル 機器 発売当初の製法や機器は、現在のものとはかなり違いがございます。ゴーフルは、 二枚の「せんべい」状のものを合わせて一組としていますが、当時その「せんべい」は、 神戸名物でおなじみの「大瓦せんべい」と同じような焼き方をしておりました。焼き機は径六寸(約18.2cm)型で、 火床は木炭を主燃料とし、一枚づつ表・裏をひっくり返しながら焼きます。焼き上がると、 いちいち手でクリームサンドして一組づつ仕上げていくという、今では考えられないほど手間と費用をかけておりました。
このため一日の生産量は800枚程度にすぎず、売価は1枚8銭でありました。 ちなみに、その頃の雑誌広告などを見ると、浴用石鹸1個10銭、キャラメル1箱5銭、ハヤシライス25銭、ランチ50銭などと なっております。

従来の和洋菓子にはない独特の口あたりや感触、香気を持つゴーフルは、最初のうちは進物用に利用される程度で、 一般に浸透するには相当の時間を必要としました。数年を経てようやく販売量が上向きはじめましたが、 時期が悪かったのです。昭和6(1931)年の満州事変を契機として急速に戦時色が深まり、 まず容器の缶の生産が全面的に禁止、続いて全ての原料が統制されるようになって、 ついに全製品が製造中止のやむなきに至りました。
ゴーフル 焼き機 戦後、ゴーフルの生産を再開したのは、ようやく原料が手に入るようになった昭和26(1951)年のことであります。 以後、良質な原料入手や品質向上へのたゆみない努力、甘辛のれん街への出店、 積極的な広告活動などによって次第に知名度が高まり、販売実績も順調に伸びていきました。
こうしてゴーフルが広く世間に知られ、同業者からも注目されるようになると、 全国各地で類似品が出回る兆しが見え始めました。 しかし、「ゴーフル」の名称がそのまま流用されたのでは商品保護に支障を来しますし、 品質が劣るような商品が出回ったのでは信用問題にもかかわってきます。 そこで企業の当然の自衛手段として、また品質を維持向上するための手段として、 昭和28(1953)年9月、神戸風月堂は特許庁に商標の登録を申請し、その権利を取得いたしました。
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