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福島・富岡町の警戒区域にただ一人 “無人の町”の現状、イベントで/横須賀

2012年5月5日

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イタリア人フォトジャーナリスト、アントニオ・パニョッタ氏が撮影した松村さん=2011年6月、富岡町(NPO法人「がんばる福島」提供)

イタリア人フォトジャーナリスト、アントニオ・パニョッタ氏が撮影した松村さん=2011年6月、富岡町(NPO法人「がんばる福島」提供)

 東京電力福島第1原発事故後、立ち入りが禁止されている福島県富岡町の警戒区域にただ一人残る男性が、5、6の両日に横須賀で開かれる復興支援の催しで思いを語る。「福島を忘れてほしくない」。原発の再稼働に異を唱えつつ、“無人の町”の現状を訴える。

 松村直登さん(52)は富岡町の農家に生まれ育ち、自身も農業を営んできた。自宅は同原発から南西約12キロ。事故発生直後から、この地に残された動物たちに餌を与え続けている。

 「安全」と言われてきた原発で事故は起きた。政府の避難指示で町民が一斉に町を離れ、犬や猫のペットたちが鎖につながれたまま残された。

 ペットを気に掛ける余裕がないほど混乱していた。松村さんも叔母が住むいわき市に避難を試みたが、半日で富岡に戻った。

 「悲しい表情を見せた」ペットたちに「おまえらのことは死なせねえ」。そう約束し、飼い主を失った100匹の猫や数十匹の犬、数百頭の牛やブタ、ダチョウに、動物愛護団体から提供を受けた餌や、軽トラックで片道1時間かけて購入している餌を、毎日数時間与えて回る。

 事故から1年2カ月がたとうとしている今も、「原発20キロ圏内は『3・11』から何も変わっていない」。病気や飢えで命を落とした牛の死骸は放置されたまま。憂うのは、「このまま福島が忘れ去られてしまうこと」だ。風化させまいと、体を張って故郷にとどまり続ける。

 「内部被曝(ひばく)なんて、今更気にしても仕方がない」。自分の健康よりも気に掛けているのが、町の未来。「帰郷を望むお年寄りたちを富岡に戻したい」。将来を担う若い世代も安心して帰って来られるよう、横浜などに避難している同町の知人らとともに4月にNPO法人「がんばる福島」を立ち上げ、町の除染活動に取り掛かり始めた。

 法人化のために必要なノウハウを得るため、知人のつてで横須賀のNPO法人「元気ハツラツ明るいまちづくり」との関係ができた。5、6の両日は同法人主催のイベントに参加。講演のほか、富岡に残された動物たちの写真展示も行う。

 原発の再稼働をめぐる政府の対応を「ありえねえ」と憤る。「福島が置かれているこの現状を見ても、原発に依存するのか」

 イベントは京急線横須賀中央駅前Yデッキ広場や市役所前公園などで、午前10時半から午後5時まで開催。

 当日の問い合わせは、同法人電話080(4676)2241。

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