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箱根の神・柏原竜二「絶対あきらめない心」[前編]

プレジデント 4月8日(日)10時30分配信

「運動神経がよくなくて野球もサッカーもできないし、走りの才能もないし……」
柏原選手の口からは信じられない言葉が飛び出してきた。4回箱根の山を登って、4回とも区間賞をとった男の強さの秘密とは。

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■ゲームとアニメが好きな普通の若者

 お正月の風物詩、箱根駅伝(東京箱根間往復大学駅伝競走)が人気スポーツとなって久しい。1月2日、3日の2日間にわたり、関東地区より選ばれた20チームが、往路5区、復路5区、計10区の217キロメートル余を競う。
 箱根駅伝のファンである知人が、過去4年間のハイライト映像を編集していて、これを見る機会を得た。映像での主役は東洋大学のエース柏原竜二。柏原が受け持った区間は4年間を通じて往路5区。小田原〜箱根・芦ノ湖間23キロメートル余、標高で864メートルもアップする。曲がりくねった難コースで、各チームのエース級が起用される。通称「山登り区間」である。

 なにより「気」というものが伝わってくるランナーである。前を行くランナーに並びかけ、競り合い、ぐいと前に出て突き離す。あるいは、山道をものともせずに駆け上がっていく。スピードとパワーは天性のものであろうが、前に出る気持ちがぐいぐいと伝わってくるのである。
 埼玉県川越市にある東洋大学・川越キャンパスに、卒業を間近にした柏原選手を訪ねた。

 川越キャンパスには、陸上競技場、ラグビー場、室内体育館などの体育施設が並んでいる。ランニングコースもたっぷりある。近隣、杉林や農地も点在し、のどかな風情が残っている。
 陸上部の寮となっている建物でインタビューした。箱根から数日たって右足首が痛み出し、静養中とのこと。ビッグレースが終わると、その反動で階段を上るのも嫌になるほど疲れが出る。レースにすべてを出し尽くすランナーの特性であろう。
 激走を支えた「気」は仕舞い込まれ、静かな日々が訪れていた。寮暮らしでの楽しみ事はゲーム、アニメ、漫画本。漫画のお気に入りは、『GIANT KILLING』や『夜桜四重奏』など。ごく普通のいま風の若者である。穏やかながらはっきりモノを言う若者でもあった。
 箱根駅伝を中心に、4年間を振り返ってもらった。

 柏原は福島県いわき市の出身。6人きょうだいで、兄4人と妹がいる。地元の小・中学校を経て、県立いわき総合高校に進む。陸上部に所属したが、目立つ選手ではなかった。貧血という持病もあった。3年時、全国都道府県対抗男子駅伝で1区の区間賞を獲得、誘われて東洋大に進む。
 1年生時の5月、関東インカレで、1万メートルを28分台、5000メートルを13分台で走って注目される。その後も実績を重ねて箱根駅伝のメンバーとなるが、5区は自身希望した区間であった。尊敬する先輩、今井正人が走っていた区間であったからだ。

 今井正人。柏原より5学年上の順天堂大(現トヨタ自動車九州)のランナーであるが、5区のスペシャリストで、「山の神」とも呼ばれた。箱根駅伝での最優秀選手に与えられる金栗四三杯を3度獲得している。金栗は、日本人としてのはじめてのオリンピック、ストックホルム大会(1912年)に出場したランナーで、「マラソンの父」と呼ばれる。箱根駅伝の創設者でもある。
 柏原の今井への尊敬の念は、強い走りっぷりとともに、同じ福島県の出身者であることに由来する。

 箱根駅伝を前にして、監督・コーチが選手たちに与えた目標は「3位以内」ということだった。チーム力は充実していたが、優勝経験はない。過度のプレッシャーを与えまいとする配慮でもあったのだろう。
 2009年1月2日。5区の柏原がタスキを受けた時点での順位は9位。先頭を行く早大チームとの時間差は5分近くもあった。前を行く8人を次々に抜き去り、往路トップでゴールした。タイムは今井の区間記録を上回る1時間17分台。「新・山の神」の誕生であった。翌日、東洋大チームは復路の最終ランナーもトップで帰還し、初の箱根制覇を果たした。
「3位以内で、とは言われていたけれども、やる以上はトップ、優勝しなきゃ意味がないって思っていた。僕はフォームもきれいじゃないし、スマートなレースプランができる人間でもない。とにかくトップに出るためにがむしゃらに走った。気持ちだけでもっていったレースでした」

 2年生、10年1月2日。前年と同様、首位明大との時間差は4分半、7位での受け継ぎであったが、6人をゴボウ抜きして首位でゴールインする。自身の持つ区間記録を更新する「会心の走り」であった。東洋大チームは総合2連覇を果たす。
 箱根を前にしての調子はいまひとつ。体調は悪くなかったが、感覚的なところで乗り切れない。なんだか嫌だな、という気分がつきまとっていた。
 プレッシャーもあった。1年時はいわば無心で走って結果を残せたが、2年目は雑念も入り込む。あいつは1年だけで終わる一発屋だ、という声も聞こえてくる。そうなると逆に、ようし見ていろ、見返してやるぞ、と思う。ここ一番を迎えるとエンジンが全開する。集中力、あるいは勝負根性と呼ばれるもの。それが柏原という選手のもっとも秀でたところであろう。

――走ることへの情熱はどこからきているのでしょう。

「僕は走ることに関しては、悪あがきするというか、諦めが悪いんですよ。子供のころは野球選手になりたいと思っていたけれども、サイズや運動神経に秀でているわけじゃない。勉強ができるわけでもないし、自分にはこれという誇れるものがない。陸上にしても向いているのは長距離だけ。だからでしょうね、自分ができるたった一つのこと、走ることだけは頑張れるし諦めたくないと」

――人は誰も一つのことには頑張れるという言葉がありますよね。

「ええ、きっとね。ここに自分の居場所があるといいますが、だからこれについては諦めないぞと思う。僕にとって走ることはリミッター(限界値)を超えて頑張れることだったのです」

 どうしても諦めない、諦められないと思う対象とどう出合うか。それが青春という時代の意味なのだろうと思う。柏原はそのことに出合えた若者だった。


(箱根の神・柏原竜二「絶対あきらめない心」[後編]に続く)


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ノンフィクション作家
後藤正治
ごとう・まさはる●1946年、京都市生まれ。京都大学農学部卒業。ノンフィクション作家。『遠いリング』で講談社ノンフィクション賞、『リターンマッチ』で大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。

PANA=写真

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最終更新:4月8日(日)10時30分

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