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新聞は世界平和の原子力?

昨日の授業で新聞週間(10月15日~21日)について話をした。いまや多くの若者は新聞それ自体に触れる機会が減っているから、新聞週間などというものの存在は交通安全週間よりずっと縁遠い、というか存在自体を知らない。
この話の中でほとんど唯一、学生たちが反応したのは、毎年発表される新聞週間標語のうちの第8回標語(1955年)だった。「新聞は世界平和の原子力」。そりゃだれだってびっくりするはずだ。いったい新聞と原子力がどう関係するのか。
この年は、我が国の原子力平和利用が始まった年として記録されている。
きっかけは前年の1954年3月に、マグロはえ縄漁船の第五福竜丸が太平洋で操業中、米国がビキニ環礁で極秘に行った水爆実験のため被ばく。乗組員のうち久保山愛吉さんが死亡した事件だった。
この「人類史上3度目の被ばく」事件をきっかけに、敗戦後事実上米国の植民地支配に甘んじてきた国内で「反米、反核」の動きが高まる。当然、その運動の背後には日本支配をねらう旧ソ連がいたわけで、東西冷戦のなかでソ連と覇権を争う米国としては「最前線」の日本をソ連に渡すわけにはいかない。

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なんとか「反米、反核」運動をおさえる方策はないか、と考えた結果、米国は読売新聞前社主で日本テレビ社長の正力松太郎(CIAの重要工作対象者だった=暗号名ポダム)を窓口として、日本に原子力の平和利用というバラ色の夢を広げることに着手。1954年に読売新聞で原子力連載キャンペーン「ついに太陽をとらえた」、ついで1955年11月から原子力平和利用博覧会を開催した。このころ米がいちはやく日本テレビに放送させたディズニー制作のアニメ「原子力わが友」も、そのソフトなタッチで日本人に大きな影響を与えた。
こうして1955年は、日本が原子力平和利用への第一歩を踏み出した年となり、世界第3位の原発大国へ、そして2011年3月の福島第一原発事故へとつながる長い「原子力安全神話」の迷路へ迷い込んだ年になった。
つまり、この年の新聞週間標語「新聞は世界平和の原子力」は、こうした社会背景を色濃く映したものであり「原子力は人間の生活を大きく変える力を持つ。新聞も…」という文脈で読み取るべきものなのである。

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1948年に始まった新聞週間は、そもそもがGHQの日本占領政策の重要な柱であった「新聞の統制」を誇示するものだった。GHQ=マッカーサーが「この通り、日本の新聞を完全にアメリカの支配下に置くことに成功した」と、主に母国の人々に宣言するものだった。日本の新聞界は、GHQの言うがままに米国で行われていた新聞週間なるものを日本でも共同開催することに合意するしかなかった。

この時、日本中の新聞社は言われるままに、従順に、大々的な新聞週間特集を紙面展開したが、その中で目を引く小さな記事があった。合衆国国務長官のマーシャルが「米国新聞週間に向けて」発表した談話だ。マーシャルは「今も世界の多くの国で検閲が行われ、新聞が統制されている。検閲・統制は独裁者が行うものである」と民主国家・米国の誇りを高らかにうたっている。

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おそらく、この記事を掲載しようと思った日本の新聞の整理記者は心の中で「くたばれ、アメリカ」ととなえていたに違いない。
なぜなら、このとき日本の新聞はGHQの厳しい検閲と統制にあえいでいた。つい3か月前までは過去に経験したこともない事前検閲まで行われるなど、戦争中の軍部による検閲・統制よりもずっと厳しいGHQによる弾圧の中にいたのだから。GHQが日本に与えたプレスコードは「GHQを批判する記事をかいてはならない」「GHQが日本国憲法を起草したことを批判してはならない」「米、英、ソ、中の各国を批判する記事を書いてはならない」などがんじがらめの規制が盛り込まれていた。そうした現実と、華々しい新聞週間特集の中の国務長官談話。ブラック・ユーモアとしか言いようがない。

<新聞週間標語>
・第64回(2011年度)
上を向く力をくれた記事がある
・第63回(2010年度)
きっかけは小さな記事の一行だった
・第62回(2009年度)
新聞は地球の今が見える窓
・第61回(2008年度)
新聞で社会がわかる自分が変わる
・第60回(2007年度)
新聞で見つめる社会見つけるあした
・第59回(2006年度)
あの記事がわたしを変えた未来を決めた
・第58回(2005年度)
「なぜ」「どうして」もっと知りたい新聞で
・第57回(2004年度)
一面から 読むようになった 十五の夏
・第56回(2003年度)
広げれば 時代にアクセス 暮らしにプラス
・第55回(2002年度)
知りたい 本当のこと だから新聞
・第54回(2001年度)
改革の時代を見つめるたしかな目
・第53回(2000年度)
激動のネット社会に確かな活字
・第52回(1999年度)
新世紀かわる社会に変わらぬ使命
・第51回(1998年度)
混迷の世に新聞があり明日がある
・第50回(1997年度)
新聞が高める社会の透明度
・第49回(1996年度)
情報を選ぶ時代の確かな新聞
・第48回(1995年度)
新聞は歴史の検証未来の指標
・第47回(1994年度)
今日を読む世界が動く自分が変わる
・第46回(1993年度)
ふるさとを世界の視野で再発見
・第45回(1992年度)
新聞が守る地球 人 未来
・第44回(1991年度)
住む町も世界も見える今日の記事
・第43回(1990年度)
変革の明日へ確かな今日の記事
・第42回(1989年度)
明日を生む記事の確かさ温かさ
・第41回(1988年度)
新聞はひるまずおごらずかたよらず
・第40回(1987年度)
新聞がある信頼がある自由がある
・第39回(1986年度)
報道に強さ確かさあたたかさ
・第38回(1985年度)
新聞で確かな情報豊かな選択
・第37回(1984年度)
新聞は情報社会の正しい目
・第36回(1983年度)
書く勇気伝える真実待つ読者
・第35回(1982年度)
新聞が大きく育てる小さな主張
・第34回(1981年度)
知る権利守る新聞支える読者
・第33回(1980年度)
新聞はきょうの目あすの目未来の目
・第32回(1979年度)
新聞と読者でひらく八〇年代
・第31回(1978年度)
新聞で世界と語る考える
・第30回(1977年度)
よい新聞育てる読者のきびしい目
・第29回(1976年度)
新聞で育つ世論が政治を正す
・第28回(1975年度)
新聞は記事に責任主張に誇り
・第27回(1974年度)
新聞が守るなんでも言える国
・第26回(1973年度)
新聞は地球を守るみんなの目
・第25回(1972年度)
真実を伝える勇気が生む信頼
・第24回(1971年度)
新聞は世界の対話を生む広場
・第23回(1970年度)
新聞はきれいな地球の見張り役
・第22回(1969年度)
新聞は宇宙も世界も見える窓
・第21回(1968年度)
新聞が守る秩序のある社会
・第20回(1967年度)
新聞が育てる未来の人と国
・第19回(1966年度)
新聞で見る知る正しく批判する
・第18回(1965年度)
新聞の勇気が守る世界の平和
・第17回(1964年度)
新聞で育つ若い芽正しい目
・第16回(1963年度)
新聞は「小さな善意」の大きな味方
・第15回(1962年度)
新聞が日ごとにひらく新時代
・第14回(1961年度)
新聞は動く世界の正しい目
・第13回(1960年度)
新聞はゆれる社会のゆるがぬ指標
・第12回(1959年度)
真実の記事に世論がこだまする
・第11回(1958年度)
新聞が果たす世界の話し合い
・第10回(1957年度)
報道には大胆、人権には小心
・第9回(1956年度)
新聞にきょうも生きてる民の声
・第8回(1955年度)
新聞は世界平和の原子力
・第7回(1954年度)
新聞は正しい政治の見張り役
・第6回(1953年度)
報道の自由が守る・知る権利
・第5回(1952年度)
揺らぐ世界に揺るがぬ報道
・第4回(1951年度)
新聞が結ぶ人の和世界の和
・第3回(1950年度)
新聞は民主社会の安全保障
・第2回(1949年度)
「新聞の行くところ自由あり」(日米共同)
自由な新聞と独裁者は共存しない
・第1回(1948年度)
「あらゆる自由は知る権利から」(日米共同)
あなたは自由を守れ新聞はあなたを守る

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