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アンチ創価は単なる「アンチ」である

 投稿者:管理人  投稿日:2012年 5月 4日(金)18時59分29秒 softbank219205006025.bbtec.net
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  さて、過日に小生は、怪文書フェイクの下劣な記事に対する呵責を行ったが、その中で『富士門信徒
の中に於いても、創価学会幹部の死去に対して、嘲笑し侮蔑する者も居ろうが、応に折伏の精神から
して、其れは間違った方向である』と記(しる)した。さて見れば、何処(どこ)ぞの掲示板に於いて、
今回のバスツアーでの大事故に関して、其の旅行を企画した会社が創価学会に関係しているかの様な
文言が掲載されている。

して、其の旅行会社が、つまり、其の会社の社長や役員が、もしや創価学会員であるとして、今回の
大事故が、其れらの事が原因で発生した、と、投稿者は訴えている様である。又、其の事は、バスの
大破した写真を掲載し、其れこそは池田太作の頭みたいだ、と揶揄している文面からして、容易に判
別できよう。

しかし、小生からして、そういう感覚、つまり、今回の事件の犠牲者の方々を思う時、そして、其の
御遺族の無念を思う時、其の犠牲となられた方々が乗車していたバスの大破した写真を掲載し、それ
は池田太作の頭と同じだ、などと批判するは、これ、我らが法華講員の姿に非ず。此れこそは単なる
「アンチ」の姿であろうと思うものである。して、そうではない、其れこそは法華講員の正しい折伏
の在り方である、という御仁が居られるならば、早速、当室に来て戴こう。さすれば小生が心底より
呵責するであろう。

云うまでも無く、折伏とは、但、相手をやみくもに破斥すればよい、というものではない。

勿論、目の前に展開されている邪義己説などは、其の都度に破折すべきではある。しかし、ある事実
の発生、例えば今回のバスツアーの大事故であるが、其れが乃(すなわ)ち、創価の現証だ、と短絡的
に断定できるのか。いや、其れよりも何よりも、其の事故で無くなられた方々と、其の御遺族の無念
を思い語る事なく、但、邪義であるから罰が出た、だから創価学会を脱会した方がいい、などと言い、
其れこそ大破したバスの写真まで掲載するなど、そんな折伏があろう筈もない。小生からして見れば、
其の様なモノは、彼の怪文書フェイクと同じ、相手を憎念で悪口する、単なる信仰外の哀れな行為で
ある。

本より『アンチ』とは「反対」の意を指すものであろうが、要は、其の反対の理由付が浅薄である、
というのが、則ち「アンチ」なのである。つまり、我ら法華講員に於いては『アンチ創価学会』など
ではない、と云う事であり、本より其れら単純なる「アンチ」と一緒にされては堪るものではない。
つまり、我らには「アンチ」などと云う感情的なものではなく、全邪宗教に対する慈折の精神が先ず
在って、其の一端に創価学会を据えて「現代の一凶」と為しておるのが、抑も、我らが折伏の本意な
のである。

さても、己(おのれ)の好き嫌いで、宗教の正邪を計ってどうするのだ。

而して、事の正邪を計ろうとすれば、そこに正義の基準こそあれ、私心感情を以って其れを計るは、
此れ須らく邪道と心得るべきである。仍って『アンチ』による創価への悪口は、此れ富士門の折伏に
は非ず、其れは単なる感情の産物でしかない、と云う事を先ずは言っておこう。

日蓮大聖人が曰く『伏して願はくば心有らん君子、愛憎の情を捨て諸宗の憑(よりどころ)を熟察せよ』

と。(新編 1384)

怨念と折伏、一緒にされては堪らない。
 
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