ついに解守徳の『太極内功心法』を読み終わりました。いやはや、時間がかかりましたが中国語で読み通しましたよ。それだけ興味深い内容でしたね。ここまでレベルの高い情報には日本語ではなかなかお目にかかれませんので・・ でも講義を本にしたものらしいので、あまり難しい言葉も少なくなんとか読めました。
この本は、汪永泉や魏樹人の本に書いてあるようなことは当然みんな知ってるものとして前提としてますね。中国語としては難しくないんですが、時々古典中国語(漢文)の引用が入ったりしますし、内容的に私ではよく理解できないこともあったと思います。
付属にCD-ROMがついてますが私のディスクに問題があるらしく再生エラーになります。でもまあ、このCD-ROMは 56.com という中国の動画サイトにまるごと出ていますから見るのに問題はないですが(もちろん出版社が出しているのではなく、違法アップロードですよ。中国ではそういうことは無法状態なので)。
著者は、香港で太極内功のスクールをやってるようです。二年くらい通うと、気を武術的に使えるようになるみたいですね。
そういう太極内功の話に、大ホールを埋める満座の聴衆ですから、中国での太極拳の広がりというのはすごいのですね。
太極拳のめざしている途方もない深みとか、気の運行についての精妙な技術など、太極拳の世界を理解するにはいい書物だったと思います。
そこで、私が理解したことを少しまとめてみますと・・
太極拳は元来、気を武術的に使うことを目的とします(ただ、武術的目的なしに養生としてやることも可能ですが)。
武術的に気を使うことは、養生目的で気を動かすのとは比較にならないくらいの高度な、気への感度、気を扱う技量が求められるのです。(なお、ここではわかりやすくするために「気を動かす」などと表現していますが、厳密に言えば精神や意念のことも言わねばなりません)
よく、太極拳って気を感じながら気持ちよく動いていればいいんだみたいな理解がありますが、それはまったく違います。もちろん健康のためにやるならそれでもいいんですが、そのやり方は、それ以上に進歩することがありません。
上達したいなら、動きはきわめて正確にする必要があります。
なぜなら、動きのラインが少しでもずれると、気の流れや質も変わってしまうからです。
べつの言い方をすれば、そういう気レベルの微妙な狂いを感じ取れる力がなければ、武術的に気を使えることはありえないわけです。
ですので、気レベルがわからないうちは、とにかく動作の正確さを徹底してマスターすることが必要なのです。
つまり、気で気持ちよくなればいいという気功であれば、動作は「だいたい」でもいいのですが、太極拳は、武術的に使えるくらいのものすごい高度な気への感度、気の運用能力が必要とされます。つまり普通の気功とはまったく要求レベルが違うのです。それはこの『太極内功心法』を読んでわかったんですが、そもそも人類にはこういうことが可能なのかとびっくりするくらいのレベルなのです。一般人からすれば超能力の一種とも見えるものですが、それは人間の潜在能力としてあって、トレーニングすればできるようになるということなのです。 (注:気功でも、動作の厳密さを要求するものもあります)
「気功になくて太極拳のあるのは何か」という質問に対しては、ですから、「太極拳は、気レベルの感性や技術(それを身体と調和されることを含めて)への要求水準が、桁違いに高い」ということになると思います。それは武術的に気を使うところまで行こうとするからです。
ですので、太極拳の気レベルの要求があまりに高く、そこまでいきなり行けないので、初級のうちはまず気功で気の感覚になれるところから始める、ということを言ったわけです。(なお、これをもって、コメントのご質問への回答にかえさせていただきます)
とはいっても、これでもまだその「深み」については、何も語っていないんですよね。解守徳の強調するのも、その究極の深みは何かということなのですが、それはまた機会を改めてということにしましょう。
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