★本田宗一郎氏「韓国人とは関わるな」発言はデマですよ
テーマ:☆嫌韓流を批判するこんにちは!杉野洋明です。
ここ数日間の報道を見ていると、トヨタの品質問題がアメリカで取り沙汰されています。
自動車産業は、今まで日本の経済を牽引してきた産業であるわけで、今後の動向が気になります。
そこで、今回は、自動車についてのお話。
さて、ホンダについてネットで調べてみると、以下のような文章がコピペで出回ってます。
「かつて、本田技研の創業者、本田宗一郎氏が技術支援の為に、台湾と韓国へ技術支援に行きました。暫くして、台湾から、「日本と同じものが作れるようになりました。是非見に来てください!」と連絡が入りました。そして暫くして韓国からも連絡が。「日本と同じものが作れるようになりました。もう来なくてもいいです。」
そして韓国は本田とのライセンス契約を一方的に解消し、エンジンからデザインまで全くのコピー品を”韓国ブランド”として販売を始めました。
本田宗一郎氏は大変失望してこう話したそうです ”韓国とは絶対に関わるな”」
2chは勿論、多くのブログでこの文章があげられているのを見ると、相当有名なコピペなんでしょう。
一説には、『アジア共円圏の時代―さらばアメリカ』の
「一番具合の悪かったところはどこですかと、本田さんに尋ねましたら、「韓国」とおっしゃった。「どうしてですか?」と尋ねると、「向こうへ行って、オートバイを作るのを教えた。それで、一通りできるようになったら、『株を全部買いますから、帰ってくれ』と言われた。『どうしましょうか』と下の者が聞いてきたから、『そんなことを言われるところでやることはねえよ』と言って、金を返してもらった。その翌日に朴正煕が殺されたんだ」とおっしゃった。」
という文章が、改編されたものとも言われています。
また、その悪者になっている韓国のバイクメーカー”デーリムモーター”のWikipedia(2010年3月現在の記事)の説明でも、
『「ホンダからの技術供与を受け、一通りオートバイの製造ノウハウを取得した後、「株を全部買いますから、帰ってくれ」と提携解消を求め、本田宗一郎からも「そんなことを言われるところでやることはねえよ」と述べるなど、一時期関係はこじれたと言われる」』
とありますが・・・率直に言って、
出鱈目です。これ。
韓国経済が大学時代の研究テーマだったので、デリムについても、ある程度調べたことがあったのですが、一種の冤罪です。
杉野の覚えている内容だけでは、説得力がないので、ちょっと大学図書館の日経テレコンで当時の新聞を検索しました。
まず、ホンダが技術支援に行った時の記事です。
1975年7月23日 日本経済新聞 朝刊8P(日経テレコンにて検索)
「本田技研、韓国起亜産業と合弁、二輪車の製造販売会社「起亜技研工業」を設立」
本田技研は、韓国起亜産業と合弁で、二輪車の製造販売会社「起亜技研工業」を設立・・・・出資比率は本田49%、起亜51%・・・・月間5000台を目指し、近く工場建設に着手する。
日経テレコンは古いデータはテキストデータなので、当時の新聞自体を紹介出来ないのが残念ですが、上記の通り、ホンダが技術支援をした韓国のメーカーは、デリムではなく起亜です。
実際に、当時の韓国の新聞広告(1976年3月)を見ても、ブランドは”KIA HONDA”になっています。
当時、起亜が合弁でホンダブランドのバイクを製造/販売していたのです。
では、本田宗一郎氏に 「そんなことを言われるところでやることはねえよ」 と言われて撤退した時はどうだったのでしょうか?
同じく、日経テレコンで調べた当時の記事です。
1979年9月24日 日本経済新聞 朝刊7P(日経テレコンにて検索)
「本田技研、韓国での二輪車合弁事業を解消、起亜産業から資本撤退」
本田技研工業は、韓国での二輪車の合弁事業を解消、韓国から資本撤退した・・・・排気量50-200ccの二輪車を生産してきたが、このほど合弁計画解消を大韓民国経済企画院に提出、受理された。
75年に進出し、79年に合弁解消、わずか4年間の合弁だったわけですが、本田宗一郎氏が「金を返して貰った翌日に朴正煕が殺された」と発言した日と少しズレがあります。
朴大統領が殺されたのが1979年10月26日なので、約一ヶ月のタイムラグがあるわけですが、ひょっとしたら、発言を聞いた邱永漢氏が、翌日を”ヨクゲツ”と聞き間違えたからかも知れません。
(或いは完全に処理が終わって社長報告が10月25日にあったか)
それはともかく、上記の新聞記事で分かると思いますが、本田宗一郎氏を激怒させたという韓国のメーカーはデリムではなく、起亜だったんです。
従って、Wikipediaの
「ホンダからの技術供与を受け、一通りオートバイの製造ノウハウを取得した後、「株を全部買いますから、帰ってくれ」と提携解消を求め、本田宗一郎からも「そんなことを言われるところでやることはねえよ」と述べるなど、一時期関係はこじれたと言われる」(10年3月現在の記事)
は全くの出鱈目ってことになります。
ところで、注目すべきは下の起亜ホンダの広告です。
この広告は1981年11月に韓国の新聞に掲載されていた広告、即ち、合弁解消後ですが、起亜はホンダで売っています。HONGDAじゃないですよw
パクリではなく、ちゃんとホンダのバイクってことで売っています。
というのも、資本は韓国から引き上げたものの、技術提携はそのまま継続していたからです。
それは、81年12月の日経産業新聞の記事からも知ることが出来ます。
1981年12月12日 日経産業新聞 7P(日経テレコンにて検索)
「本田、韓国で起亜技研に続き大林工業に二輪車技術供与~鈴木自・暁星機械組と激突」
本田技研工業は、十一日、韓国の二輪車メーカー、大林工業と、このほど技術援助契約を結んだ、と発表した。本田技研は、従来から同じ韓国の二輪車メーカーである起亜技研工業に技術供与していたが、起亜技研が今年の六月に大林工業が属する大林産業グループ入りした為、新たに大林産業に対しても技術を供与することにしたものである。
本田技研が技術を供与してきた起亜技研工業は、起亜グループに属していたが、今年二月に韓国政府が発表した自動車工業の合理化措置によって大林グループ入りした。
今年の年間推定販売台数は、起亜が六万台、暁星が四万五千台、大林が二万四千台になるものとみられ、一位メーカーと三位メーカーが連携することになったわけだ。
将来、起亜と大林の両社が合併する可能性もあり、これが本田技研は大林とも新たに技術提携する動機になっている。本田技研では、起亜、大林二社と話し合って、生産者の銘柄を調整することにしている。
(一部略)
ここで初めて、デリム(大林)の名前が出てきますが、上記から分かるように、起亜もデリムも一方的にライセンス契約を解消したわけでもありませんし、勝手に韓国ブランドを名乗ったりしていません。
従って、上述のコピペは全くの出鱈目と言っても良いくらいなわけです。
※なお、実際に1982年4月に起亜技研と大林工業は合併し、現在のデリムモーターに至っております。
では、本田宗一郎氏ですが、「韓国と関わるな」と言ったのでしょうか?
そのような記録は全く残っていませんし、むしろ、新たな提携先のデリムとは、非常に良好な関係を築いていたようです。
1988年6月14日 日経産業新聞 1P(日経テレコンにて検索)
「米国製ホンダ車 韓国に」
~まず「アコード」月内、大林自と契約
韓国最大の二輪車メーカー、大林自動車工業は、十三日、米国ホンダから小型乗用車「アコード」を輸入、韓国市場で販売することを明らかにした。
大林はすでに二輪車ではホンダと技術提携関係にある。今回は二輪車の販売網とは別に、乗用車専門の販売店を展開する。国産車以外の輸入高級車に魅力を感じている弁護士、医者、中小事業主など高所得ユーザー層を対象に売り込む。
完成車の輸入を禁止してきた韓国政府は米国からの圧力もあって昨年から輸入を解禁した。関税も50%だったのを現在30%まで引き下げ、今後も段階的に引き下げていく方針だ。しかし、日本車だけは現在も事実上締め出しており、大林自動車はこうした輸入障壁を回避する為、米国製本田車の購入を決断した。
韓国での販売が軌道に乗れば、米国工場を稼動させているトヨタ、日産、マツダなど日本車メーカー各社が追随する公算が大きい。(一部略)
上記の日経産業新聞の記事でもわかるように、むしろ、ホンダは他の日本の自動車メーカーよりも率先して、韓国と関わろうとしていました。
この当時は、まだ本田宗一郎氏もご尊命の頃です。
「関わるな!」と言っていたとは、到底思えません。
その後、ホンダが韓国に進出し、ホンダコリアを設立した時、わざわざデリムから社長(鄭祐泳氏)を招聘した位、ホンダとデリムの関係は良好だったわけです。
在韓日本企業で、韓国人が社長ってかなり珍しいですよ。
ホンダ側がよほど信頼してるんでしょうね。
整理してみましょう。
最初にあげたコピペですが、
1.ライセンス契約を一方的に解消し・・・
→ 解消したのは合弁契約のみ。
技術提携は撤退後も継続。
2.全くのコピー品を”韓国ブランド”として販売・・・
→その後の広告でもHONDAのブランドで販売。81年の日経新聞記事で、「本田技研では、起亜、大林二社と話し合って、生産者の銘柄を調整することにしている」とあり、ホンダのライセンスを得たバイクを販売していたことが明白で、パクリ品を売った、というのは事実無根。
3.”韓国とは絶対に関わるな”(と本田氏が言った)
→合弁解消後も起亜とは技術提携を継続し、ホンダは韓国と(積極的に)関わり続ける。
デリムとの合併後も、非常に良好な関係を築き、ホンダコリア設立時にはデリムから社長を招いた。
実態は以上のようなものなんですが・・・日本で上述の本田宗一郎が韓国と関わるな等といったというデマを流すのはどこの売国奴なんでしょうかね?
本当のことなら兎も角、ありもしないデマを流して、まるで本田宗一郎氏が人種差別的な発言をしたかと勘違いされるようなコピペを流布させるのは、本田宗一郎氏の顔に泥を塗るようなもんですよ。
そういう売国行為は即刻止めて頂きたいもんです。
ついでに・・・
「日本と同じものが作れるようになりました。是非見に来てください」
と台湾メーカーがいった(らしい)ですが、ホンダと提携していたある台湾メーカーは、今、ヒュンダイの自動車を台湾で生産してます・・・参考までに。
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1 ■「韓国とは係わるな」だけが出鱈目
邱栄漢/渡部昇一 共著である『アジア共円圏の時代』で語ったとされる内容に嘘はないはずですから、本田氏が韓国に対して良い印象を持ってなかったのは間違いないと思われます。「そんなことを言われるところでやることはねえよ」ですから。それ以上でもそれ以下でもないはずです。今のホンダ4輪には韓国製部品が非常に多く使われています。結局はそれだけの事だと思います。
ですので、
「韓国とは係わるな」という言葉に限って、所謂尾ひれ背ひれの付いた「出鱈目」なのであって、「そんなことを言われるところでやることはねえよ」は『アジア共円圏の時代』の第二章に実際にある文章ですから実際の言葉です。この後の文面は「同じ日本の旧植民地だったところですけれども、日本人と肌が合うところと合わないところとあるようです。」というどちらかの著者のフォローで結ばれています。ということで、貴方がこれは出鱈目だと指摘している「範囲」には極めて印象操作的な誤りがあります。(貴方のエントリーにアイドルや音楽関連が無い事を祈ってます・・)
また、当時の韓国のメーカーと当時のホンダとの契約内容の詳細な中身を、当事者抜きで詮索しても無駄だと思われます。また、表に出ない形での技術支援が無かったとは言えない時代背景だったかもしれません(政治的な意味で)。よって、『一種の冤罪です』というのは貴方個人としての、尚かつあまりにも後日談的な見解であって、それを一般化されるのであれば、それこそ書籍化して世間の評価を仰いで頂きたい。
タイ工場製のホンダ2輪は、質量共に世界定番になりました。代表的なバイクのCBR250Rはついこの前日本に上陸しました。そして、ホンダから学んだその韓国メーカーが現存していて、ライバル車が同じマーケットでどの位置にあるか、ASEANにお詳しいのなら十分ご存知のはずです。韓国を持ち上げ過ぎるのは本当にいい加減にして頂きたい。所謂電通の回し者?という印象になってしまう。
とにかく、本田氏が語った言葉と、あなたの見解とはもっとキチンと分けて頂かないと文章として読みにくいです。指摘させて頂いた範囲の誤解に関する部分は、修正して頂ければ幸いです。