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宮沢賢治ゆかりの駅舎解体へ
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以前は駅員が住み、貨物車なども出入りした陸奥赤石駅 |
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開業した1925年9月に宮沢賢治が降り立った鳴沢駅 |
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大正末から昭和初期に建てられ老朽化が著しい鯵ケ沢町のJR五能線・鳴沢駅と陸奥赤石駅の駅舎が、5月中旬から建て替えのための解体作業に入る。8月には新駅舎が完成する予定だが、五能線の歴史として、建物の記録をきちんと残しておくべき−との指摘があるほか、鳴沢駅が詩人・童話作家だった宮沢賢治とゆかりのある駅だけに、解体を惜しむ声が上がっている。
鳴沢駅は1925(大正14)年5月、陸奥赤石駅は鳴沢駅に遅れること4年後の29(昭和4)年11月に開業した。
現存する県内の五能線の駅舎としては、24(大正13)年開業の陸奥森田駅(つがる市)に次いで、最も古い方だという。
両駅とも駅舎は木造平屋の簡素な造りで、これまでに屋根の葺き替え、壁の塗り直しなどの手が入っているが、柱など基本的な構造物は建築当時の物を使用。汚れや傷みが激しく、老朽化が著しい。現在はともに無人駅。1日に停車する列車は、鳴沢駅が上下各9〜10本、陸奥赤石駅は上下各5本。
JR東日本は2年ほど前から新駅舎建設を計画。両駅を管理するJR五所川原駅の葛西弘駅長は「だいぶ古くなっているので建て替えが必要。旅行客が乗降する駅でもなく、地元から駅舎保存を求める声は聞いていない」としている。
だが、県内の鉄道史に詳しい元県文化財審議委員会委員の佐藤仁さん(弘前市)は「五能線については風景がどうとか観光的な情報は伝えられているが、歴史的にしっかりした記録が少ない。取り壊す前に(建物の機能などを)調べておくべきだ」と指摘する。
さらに鳴沢駅は、開業した25年9月、宮沢賢治が近くにあった岩木山山ろくの陸軍山田野演習場にいた歩兵第31連隊所属の弟・清六を訪ねた際に降り立った駅でもある。清六氏の著書「兄のトランク」の一節「曠野の饗宴」は兄弟が将来の夢などを語り合う様子を伝えている。
弘前・宮沢賢治研究会の石谷江司代表は「駅舎がなくなってもホームは残るので昔をしのぶことはできる。ただ津軽地方にある数少ない賢治名残の場所の一つだけに、本当に寂しい」と話す。
一方、陸奥赤石駅前でかつて菓子屋を営んでいた木村ユリさん(83)は「砂利や鮮魚を運ぶ貨車も出入りしていた。駅舎にはかつて国鉄職員が住んだ。乗降客でいっぱいの時もあったが今は、駅前の店も減り寂しくなった」と振り返る。
佐藤さんは「古い物を残し鉄道史と観光を結び付けるような取り組みができないものか」とも提言する。
町教育委員会は、建物の構造や機能などを記録にとどめるため、8日に調査を予定している。
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