さて3月11日の地震の際に、都心部では九段会館の天井が崩落して死者2名を出す事態となりました。他には立体駐車場のスロープが壊れたなんてところもあったみたいですが、それ以外は特に大きな問題はなく、建物が倒壊して死人が出るほどの被害は発生しなかったようです。そこでふと思い出したのですが、かつてメディアを大いに賑わした姉歯マンションは結局どうなったのでしょう? 震度5程度で倒壊する恐れがあると聞かされたものですが、姉歯一級建築士の関わったマンションが倒壊したなんて話は一向に聞きません。というより姉歯氏の名前を聞くことすら既になくなった気がしますけれど、マンションの建て直しや補強は全て完了していたのでしょうか。姉歯氏の逮捕以来、報道が途絶えてしまったのでその後の動向は私の知るところではないのですが、元より杓子定規に検査すれば耐震強度を満たせないところは多々あったはず、それでも倒壊したのは九段会館だけでした。まぁ、運が良かったのかも知れませんが意外に耐えられるものです。
取りあえず都心部は一般の建物と同様、列車や線路、駅施設にもさしたる被害がなく、震災の数時間後には一部の地下鉄や私鉄は運転を再開したわけです。しかし、頑として運転を再開しなかったどころか早々に「今日は運転再開しません」と宣言し、あろう事か駅のシャッターまで閉めるという措置に踏み切ったのがJRでもあります。この結果、一部の運転再開した列車のホームには帰宅困難者が殺到、ホームに人が溢れて危険な状態になったために運行を停止せざるを得ない状況ともなりました。そして週明けの月曜日、主立った私鉄や地下鉄がほぼ平常通りの運行を目指す中、敢然と電車を止め、私鉄各社を「運転士が出勤できないため列車を動かせない」という状況に追い込んだのもまたJRでした……
首都圏の場合、今回の震災では帰宅困難者の大量発生が問題視されています。JRが速やかに運転再開「しない」ことを決定し、他の路線も身動きがとれなくなってしまう中、当然ながら車で帰宅しようとする人が出てきて道路は大渋滞、やむなく徒歩での帰宅を目指す人々で歩道も溢れる有様だったわけです。この結果として、緊急車両が道路を通行できなくなったり等の弊害もあったと指摘されていますし、火災などが発生した場合は逃げ場もない混雑の中で大惨事に到る可能性もあるのだそうです。取りあえず災害時に混乱を防ぐ対策としては「無理に帰宅させない」ことを推奨する自治体が多いみたいですけれど、う〜ん、東北を襲った震度7クラスの地震ならともかく震度5程度の地震なら、JRがマトモに電車を動かしておけば済んだ話、帰宅困難者の大量発生も道路の大渋滞も防げたような気がします。
たとえば食品の賞味期限など、気にするのが馬鹿馬鹿しくなるほど低いラインに設定されているわけです。だいたい賞味期限の倍までは確実に問題ないと言えますね。もっとも各メーカーに「賞味期限はどれくらいまで過ぎても大丈夫ですか?」などと聞いても明確な回答が得られることはないでしょう。製造側としては万が一の問題が発生したら困るだけに、そうした責任を問われずに済むよう出来るだけ余裕を持たせた期限を定めているはずです。「商品がいつまで保つか」という基準もさることながら、「どこまでなら短くしても営業面で支障が生じないか」という基準も少なからず考慮されているのではないでしょうか。商品が持つギリギリのラインに賞味期限を設けるよりも、これくらいなら商売に影響がないという範囲で短めに設定しておく、だいたい安全基準とはこういうものであるように思われます。
ただし、これは平時の話。平常時であれば余裕を持たせた賞味期限も、何らかの非常事態で食料品が不足するとなったらどうでしょう。そうなれば平時の「賞味期限」を撤回し、非常時の賞味期限へと引き上げることが必要になります。「どこまでなら短くしても営利面で支障が生じないか」という基準を放棄して、「商品がいつまで保つか」という視点へと後退せざるを得なくなるわけですね。そうしないと期限切れで食べられないものばかりが増え、かえって消費者サイドの不利益を招きますから。この辺は放射線量の基準も同様で、余裕のある平時であれば「国民の生活に制限を加えずに済む範囲で可能な限り低く」設定されている基準値も、非常時となるや「健康面で有意な影響を及ぼさない範囲」という物差しから導かれた数値が新たな基準となるのでしょう。余裕のあるときなら必要以上に厳しい安全基準を求める、これは「万が一」の事態を回避するためには無難な措置と言えますが、逆に余裕のない非常時にまで安全基準を厳しく要求していると、かえって住民の生活に過剰な負担を強いることにもなってしまいます。何が何でも平時の基準を守らせよと叫ぶのか、それとも無理に基準を守ることの負担を考慮して総合的に判断するのか、この辺はバランス感覚が問われるところです。まぁ、それが昨今は大いに危ういのですけれど。
JRの運行基準もまた、先に述べたような類だと思うのです。JR西日本は日勤教育で運転士をガンガン追い込む社風で知られていますが、東日本はどうでしょう。どうも乗車率アップの営業目標でも設定されているのではないかと訝しく思えるほど、JR東日本は電車を遅らせるのが大好きです。朝の通勤時間帯ともなるや、いつ電車が来るのか、いつ電車が目的地に着くのか全てが謎に包まれており、もはや運行ダイヤなど意味をなしていません。そして冒頭でも触れたように、震災後は頑として電車を動かそうとしなかったわけです。たぶん、列車の運行に必要な安全基準を満たしていなかったのでしょう。安全重視、「万が一」の事態を避けるためにはそれもまた言い分のある判断だったのかも知れません、しかし――
余裕のある「平常時」であれば、JRの厳しすぎるかに見える基準でも致命的な事態を招くことはないのでしょう。JRが止まっても他の路線を乗り継いで何とかなったり、取りあえず人命に関わるようなことにはならないわけです。ただ震災当日のような「非常時」に、「平常時」の基準にしがみついて電車を止めてしまうとなると、相応に悪影響も出てきます。帰宅困難者が続出し、何とか運行を再開しようとした私鉄各社や地下鉄をもパンクさせ、道路は大渋滞、非常用車両が通行できず、火災でも起きればあわや、という事態でもあったと伝えられています。行政サイドの取るべき対策としては、電鉄会社に運行基準を緩和して列車を動かすよう指示を出す、ってのもありなんじゃないかという気がしました。単に帰宅困難者が出るだけならいざ知らず、首都圏の道路が完全に使い物にならなくなってしまうような事態を避けるためには、もうちょっとバランスの取り方があるはずです。念には念を入れた、超が付くほどの厳しい基準で列車の運行を判断しておけば電車の事故が発生する確率を極限まで減らせるのでしょうけれど、そのせいで大渋滞発生で緊急車両すら身動きできなくなってしまう、全体として余計にリスクが増してしまう、より大きな事故を他で発生させてしまうようでは本末転倒ですから。国民の生活を圧迫してでも脱原発が第一のご時世ですけれど、特定の問題を避けるために近視眼的になることこそ余計に危ういことは心に留めておくべきでしょう。
ちなみに今回の記事に関しては、「震災時に電車を動かすべきか」みたいな、ちょっとずれたところに論点をすり替えたがっている人もいるようです。どんな僅かでも危険性があるなら絶対に電車を動かさない、という運行基準を状況の如何に関わらず堅持し続けるべきなのか、それとも電車を止めたままにする方が全体としてみると危機を招くと考えられる状況の下では運行基準を曲げることも考慮すべきなのか、あるいは他の安全基準にしてもどうなのかという問題なのですが、まぁその辺は既に本文で書いたことですね。その辺を敢えて無視して話をすり替えたがっている人は、何か別の思惑があるのでしょう。それより冒頭で触れた姉歯マンション、今はどうなっているか誰か知りませんか?
本文とは無関係ですが、産経としてはめずらしくです。
ただJRについては、万が一事故を起こしたときの補償のことを考えたとしたら、そこは一民間企業、100%の安全を確保できなければ運転しない、というのも無理からぬところだと思われます。
もしあの時点で「電鉄会社に運行基準を緩和して列車を動かすように指示を出」したとしても、恐らくそれだけでは運行再開に踏み切れなかったでしょう。
東電叩きを経た現時点では尚更。
今後も大規模停電が無いとは限りません、というか首都圏においては今回よりも大規模な地震が起きる可能性が高いとされています。
今回のようなことを避けるためには、
只今、JRは99%以上の安全状況により運行中です。
ただし事故の際の責任は、法律により免責されます。
というようなことを認めるような法律を予め作っておくことも必要なのではないでしょうか。
これによりJRの事故時の補償リスクを取り除くことで、現状よりは運行しやすくなるものと思われます。
事故時のリスクは利用者個人個人に負担してもらうことになりますが、そこは情報開示が大事だと考えます。
まあ、100%の安全が確保されてないというだけで、乗らない人はやっぱり乗らないんでしょうが。
まぁ震災後は産経新聞とか週刊ポスト辺りの方が、いわゆるメインストリームから外れた立場に立った意見にも好意的なところがあるように思います(その対極にあるのが毎日新聞でしょうか)。両紙とも全体としてみればあれなき時ばっかりですけれど、たまに良い記事がありますね。
>中川屋さん
JRが頑として電車を動かさないことで「他」の場所で重大事故が発生したとしても、それでJRが責任を問われるわけではないですからね。JRとしては、絶対に電車を動かさない方が(自分にとって)安全となるだけに無理からぬところです。だからこそ総合的な判断を下すべき行政が、免責措置なりの法律を用意して責任を負う体制が必要なのでしょう。でも昨今の政治は、責任を負うことではなく誰かを糾弾するのに熱心なようですから、それも難しそうです。