〔動員した人びと〕10 – 「誓約書」5
この誓約書にはどのような意味があったのか。
台湾政府は台湾人元従軍慰安婦と認定した女性たちに「生活支援金」を支給してきた。その法的根拠は、なかなか説明が難しい。そのため、本来生活困窮の高齢者が受け取るべき援助金に上積みをするという形で法的整合性をクリアしてきた。日本円にして月五万円程度である。台湾の地方都市なら、それだけで老人が一人暮らせる。実にありがたい仕組みだといえる。
それを申請するために高齢化した女性たちは、勇気を奮って名乗り出て、手続きをとろうとした。婦援会は、建前は民間団体でありながら、その生活支援金の受付ならびに支払窓口になった。支援金は、月々婦援会から女性たちの口座に直接振り込まれているが、その費用は政府と台北市・高雄市が拠出している。要するに税金であり公金であり、生活保護となんら変わらない。
婦援会はその一方で認定機関(かつて日本帝国陸海軍の従軍慰安婦であったと認定する権限は日本にはない)になった。正式な認定機関は政府連絡協議会となっているものの、実質婦援会の任意に委ねられていたといってよい。
ここに重大な誤りがあった。認定機関自身が支払窓口・受付窓口を兼ねるという仕組みは避けなければならない。担当の人が、いい人、悪い人という問題ではない。認定が恣意的になりやすく、金銭的に不明瞭になりかねない、という危惧をもつべきであった。民主主義的手続きの基本の基本であるが、台湾では一般にその基本が理解されていなかった。台湾=中華民国は、ちょうどこの年、1996年3月に中華史上初めての総統選挙を実施したばかり。民主政治に未熟なのである。
さらに問題なのは婦援会が政治運動体になったことである。日本政府から、賠償金をとると称して訴訟などに乗り出し、「支援運動」なるものを展開し始めた。それは大いに奨励されてしかるべきで、ぜひ頑張っていただきたかった。
しかし、もともと生活費を受け取りに来ただけの女性たちが、その運動の「駒」に駆り出されることになってしまった。手当を出す役所の窓口が政治活動に住民を動員するという、これも近代市民社会ではありえない事態が堂々と出現した。北朝鮮にはあるかもしれないが、韓国でもおそらくありえないことである。
いわば、障害者手当を受け取る窓口の担当者が障害者であるかどうかを認定する権限を有し、そして外国の政府を訴えるという特殊な運動を始め、それに参加することを受給の条件にして、書かせたのがこの誓約書なのである。
その矛盾、不合理を婦援会は、慰安婦全員が意思一致して一致団結して進めている運動だと宣布して取り繕ってきた。その瞬間から、彼らの世界は歪曲し、誓約書にある通り、自身も実に困難な道のりを歩むことになった。
彼らは女性たちからの異論が表に出ることを極端に恐れた。そのため、日本人と勝手に会うことを禁じ、本件について他人と話すことを禁じた。そして、婦援会の指示に従わなければ、「援助」を停止すると通告している。
もともと公金なのである。生活保護なのである。婦援会のメンツを汚したら、援助を打ち切るなどと脅すことは、公金の私物化も甚だしい。政府からの生活保護を、女性たちは、仲介する民間団体の職員の顔色を窺いつつ受け取ることになった。
そして婦援会は、この誓約書にある以上の言葉をもって、女性たちに忠誠を迫った。例えば、具体的に私の名前を出して、「柳本」とは会うなとも命じた。もともと女性たちを探し出して、証言をとり、婦援会に紹介した当人と今後は会うなというのであるから、実に滑稽であった。
しかし実際、私と会わなくなった女性は一人もいなかった。彼女たちはしたたかである。というより、立派な人生を生き抜いてこられた一人の独立した人格なのである。わずかな恵みに土下座する「可哀そうな」人たちでは決してなかった。
しかしもともと困難な生活環境を抱えた先住民の女たちは、支配民族の恫喝に身を小さくしていたのである。私は、そのことを十分に理解してあげていなかった。