2009-10-28
リア充化するニコニコ動画
ニコ動(9)は「原点回帰」 アイマス、ボカロ、東方を“隔離” - ITmedia ニュース
今回のバージョンアップを一言で言い表すならタイトルのようなことになるかなぁと、記者会見の動画を見ていて思った。
SNS化(要するに「個別のユニークユーザーがコミュニケーションしやすくなる」ということ)していっている傾向なんかまさにそんなものだし、「生放送とSMILE VIDEOの融合」という夏野氏が言っていたことも、現状のニコニコ生放送を見れば、それが「ニコニコ生放送のリア充をニコニコ動画にも持ってくるということ」に他ならない。そして何より、質疑応答で夏野氏が「ニコニコ動画のさらなる一般化は、一体どのようなユーザー層を目指すのか」という問いに対し
中高年層に働きかけるのはやはり無理だろうから、10代〜30代の間で、まだニコニコ動画を使っていない人たちを取り込みたい
と述べていたこと。これはつまり、ニコニコ動画なんか見ているよりも恋人とデートしたり友人とカラオケに行ったりするような、そんな層を取り込みたいということに他ならないのだろう。
そして、その為に取られた手法というのが、東方、アイドルマスター、VOCALOIDというような、いわゆる「御三家」の隔離であったり、全体的に言うならば、ジャンルの細分化により「それぞれのジャンルが好きな人は、その好きなジャンルのみを見るようにするようなシステムの改変」であるというのも、実に興味深かった。
なぜジャンルの細分化が「リア充」を呼び寄せることにつながるのか
ただここで誤解してはならないのは、別に今回のこのような「隔離」と本人達が揶揄するような改変は、決して「リア充はそんな萌え系のコンテンツなんか興味ないだろう→だったら萌え系を見えなくするようにすればリア充が来るんじゃね」みたいな、ひろゆき氏が表面的に述べているような単純な理由によるものではないということだ。
だってそもそも、前にもブログでの述べたけれど(ボーカロイドが嫌い - 斜め上から目線)、現在のボーカロイドの主流なんか、それこそ恋だの友情だの青春だのと言った、いかにもリア充的なベタベタした(言ってみれば友達が増えそうな*1)曲が溢れているわけだ。あるいは、動画の周りの雰囲気にしたって、東方やボカロの「歌ってみた」の周りとかにあるあの何とも言えないぬるっとしたなれ合い、例えそれが表面的に「リア充爆発しろ」みたいな歌詞を歌っているとしても、それの周りにいる人たちが「リア充」でないなんていうことは、絶対に言えないでしょう。一体ああいうものを楽しんでいる人間達の中で一体何人が、本当に今現在、学校や職場に行っても休み時間はずっと机に突っ伏して過ごす、あるいはそもそも部屋から一歩も出られないような、そんな生活を送っているのか、僕は大いに疑問です。
だから別に、今の現状だってニコニコ動画や、その象徴である御三家の様な所に、リア充がいないわけではない。というか、むしろリア充だらけなのが今のニコ動の現状であり、そしてそれがどんどん増えていっている状況がある。今回のバージョンアップも、その元々ある流れを後押ししている、ただそれだけです。
そして、その「後押しする手法」として重要なのが、カテゴリの再編や、ランキングの改変などに見られる「ジャンルごとの細分化」なんですね。
これって一体どういうことなのか?説明する前に、これまで散々「リア充」という概念を使ってきましたが、ではそもそも「リア充」とは一体何であるのか?考えてみましょう。
友人や恋人が居る人?これは確かに重要でしょう。でも、それは「リア充」である結果であって、じゃあ何でそもそも友人や恋人を作れるのか。ネットとかよりリアルに重点を置いている人?でも、そもそも「ネット」と「リアル」の区別って一体何だろう。例えばネットの話題を一杯知ってて、それでリアルの友達とコミュニケーションするような人は、「リア充」ではないのか。あるいは「非オタク」?でも、今の世の中には、「オタク」でありながら友人や恋人が居る人間も数多く居ますよね。
僕の見解を述べましょう。「リア充」、それは端的に言えば、「自分を自分が幸せになるコミュニティに置くことができ、そしてそれを維持することが上手い人」です。そしてそれは逆に言えば「自分が不快になるような人・コミュニティを回避するのが上手い人」なのです。
そもそも、何故同じ人間なのにある種の人は友達が多く作れ、別の人はそうでない、というような違いが表われるのか。「コミュニケーション能力の違い」と簡単に言ってしまえばそうです。ですが、そこで言う「コミュニケーション能力」とは一体何か。どんな人とも上手にコミュニケーションがとれる人?ですが、だとしたら何で「リア充」と「非リア充」の間で対立が起きるのか。「リア充」がどんな人ともコミュニケーションを取れるなら、そもそも「非リア充」ともコミュニケーションをとる訳で、しかし現実はそうではない。「リア充」はあくまでリア充同士とコミュニケーションをとる。
万人と上手くコミュニケーションをとる能力なんて、そもそもそんなにあるものではないんです。「リア充」だってそれは同じ。彼らにも「コミュニケーションできる人」と「出来ない人」というのは、非リア充と同じ割合で存在する。では何故リア充の方が多く友人を獲得できるか。それは、「この人は自分と同じ/違うタイプだ」という「見切り」が早いからなんですね。そして、それこそがまさに「リア充」と「非リア充」を分かつものなのです。
そうであるから、「リア充」というのはmixiが大好きなんですね。何故なら、mixiというのは閲覧制限に代表されるように、「自分の望むものは近づけ、嫌うものは遠ざける」ということをしやすいシステムなんです。そしてそのmixiという中で、リア充は自分がコミュニケーションをしていて楽しい人たちとだけコミュニケーションをし、「充実」を得るわけです。
そして、今回のニコニコ動画のバージョンアップも、まさにそのようなシステムをニコニコ動画内に作ることに他ならないわけです。ランキングをカテゴリごとに分けるというのは、「自分の嫌いなものを排除し、好きなものだけを見る」というリア充の好きな見方に近いものですし、ウォッチリストなどにより自分の好きな作者やコミュニティの動画・生放送を見やすくするというのも、まさに「好きなものだけを見てニコニコライフを送れるようにする」ことに他ならないわけです。
リア充化するニコニコ動画の未来
さて、ではこのような「リア充化」により、今後ニコニコ動画はどうなっていくのか。
まず言えるのは、「見たくないものは見たくない」大多数の人には、とても快適なサイトになっていくということです。例えば「歌ってみた」とかは大好きなんだけど、萌え系のコンテンツは嫌いという人にとっては、今回の改変はうれしいでしょう。そしてその逆の人、萌え系のコンテンツは好きだけど歌ってみたは嫌いというような人にも、今回の改変はうれしいはずです。
そしてそれにより、ニコニコ動画のコミュニケーションには「不純物」がなくなり、その結果よりニコニコ動画内の、それぞれの勢力による「祭」は、勢いを増すでしょう。だって、例えばアイドルマスター内で大きな祭が起こって、それにランキングが占領されたとしても、それは「歌ってみた」の方のランキングには影響は与えないんですから、「あいつらうぜーな、何やってんだ」みたいな冷やかしはなくなるわけです。
しかしそのことは、逆に言ってみれば「何か祭が危ない方向に行っても、止める人は居なくなる」ということでもあります。例えばこの前も、ニコニコ生放送で悪のりした放送者が幼稚園に乱入なんて騒ぎもありましたが、そういう「自分たちだけで盛り上がり、社会的な判断が出来なくなる」みたいなことは今後一層増えていくと思います。というか、まぁ2chが来た道なんですけどねこれ要するに。
そして更に、ジャンルが細分化されることにより、「誤配」というものもなくなっていきます。例えば今までのニコニコ動画でしたら、工作により兄貴動画などが上がり、そしてそれが大多数の人の目にとまって、新しい動画のムーブメントが作られるみたいなこともあったわけですが、今後はそういうことは少なくなるでしょう。
それぞれの人が、それぞれのジャンルの動画を見ながら、同じものを好きな人同士で純度百%で盛り上がる。しかし一方で、じゃあ他ジャンルにじんなものがあるかといったことは全然眼にも入れず、ただ「自分の中にある熱狂できるもの」に没頭していき、外の可能性は一切考えない。良いか悪いかは別として(まぁ、ぶっちゃければ、僕はそういう世界には寒気がするんだが)ニコニコ動画がそういう楽しみ方を推奨する方向に行っているのは、間違いないのではないでしょうか。