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2009-05-17

いやいや

はてなブックマーク - ところで - 日常ごっこ

  • id:y_arim まあなんでそんなに「女の子」に肩入れするのってことになると、amamakoくんの内面の問題になってきて突っつきがたい。 2009/05/17
  • id:lisagasu いま私は復讐復讐と病んでおきながらおっぱいに懐柔されたカタギリを後ろで見てるグラハムの気持ち/中身より態度を大事にするのは女の子にありがちな感情なのでamamakoさんが庇ってるのは自分の中の「女の子」だと思う 2009/05/17

そんな複雑な内面の問題じゃないですよ。要するに妖怪どっちもどっちで、戦略が悪く、まあでも僕の感覚を述べているだけで他意はない*1、そんな意見を述べているだけなんです。

まー内面の問題を言っちゃえば、僕はどっちかというと佐藤亜紀とかいう人の感覚*2に近くて、そもそもエロゲーなんてものの存在が認められているのが気持ち悪くて、僕もエロゲー二、三本持ってるけど、もしなんか法律で「エロゲー持ってる奴は全員女性を蹂躙しているから死刑!」なんて条文が出来たら、まーそうだよなーしょうがないよなーって感じで、とぼとぼと絞首台に歩いていくべきだろうって、そんな個人的な信仰を持っています。でもそれはあくまで個人的な信仰であって、他人にそれを広めようなんて意志すら持たないし。ここで言ってるのはそんな内面とかとも全く関係なく、ただ単に運動論の話ですよ。

というのも、なーんか今回のことについての反応を見て思うに、何でみんなそんな「イメージ戦略」とかいうことを一切考えずに規制反対とか声高に叫んでるんだろうって思っちゃう訳よ。もしかして、別にエロゲー規制とかを本気で阻止しようとかは思ってなくて、ただエロゲーを規制しようとする人を罵倒して、自分の中の嗜虐心を満足させたいだけなのかなーって、そんなことを件のブコメを見ているとついつい思っちゃうの。もし本当にそうなら別に良いんだけど、もしそうじゃないのなら、もうちょっと「外向きに」考えて物を言うべきなんじゃないかと。相手の感覚に同意しつつ、「でもね……」と理性的に諭す、そういう「理性的なエロゲー規制反対v.s.感情的なエロゲー規制賛成」っていう対立構図を作り出せる良い機会なのになーって、そう思ったの。でも今のままじゃ「感情的な2者の対立」って感じで、「結局こういう問題って言うのは感情でしか語れないよねー」って感じになって、そして感情論で言ったら「陵辱エロゲーに肯定的な人/否定的な人」のどちらかが多いか何て明らかなわけでさ。

もちろん、そもそも「理性的なエロゲー規制反対v.s.感情的なエロゲー規制賛成」とかいうステレオタイプを作り上げること自体いけないことだろうっていう意見もあるでしょう。そしてその意見は正論だと思う。エロゲ―規制反対派にも多種多様な人が居る。賛成派にも多種多様な人が居る。そういう認識をみんなが持ってくれて、そしてその多種多様な人々の意見の中から自分が正しいと思うものを選択する。そんなことをみんなしてくれたら、それはとても良いことだろう。

でも、それは良いことだけど、やっぱり夢想論だと思う。大衆はステレオタイプで物を見るよ。そんな多種多様な意見なんか一々聞かない、なんとなーく雰囲気で、どっちがどんな雰囲気かを見て、そしてその雰囲気で決める。そういう大衆に、どっかうめてんてんてーみたいに「絶望した!」なんて言うのも勝手だけど、だったらもうそこに希望はないよと。大衆が雰囲気で決めると分かってるなら、雰囲気をプロデュースすべきなの。それが、生き抜く知恵ってものなんだから。

最後に

  • id:KoshianX そういう「女性は守られるべきもの」というのがそもそも男女平等を阻害してる要因だと思うのだがねえ。いやそっちのほうが多くの人に望まれてる世界だからしょうがないんだけども 2009/05/17

これは最も。だから僕の感覚は原理的に男女平等を目指すフェミニズムと相容れる感覚でないから、このような僕の議論を礎にエロゲー批判が加熱するなんてことは絶対にないと思うので、みなさんご安心ください。

lisagasulisagasu 2009/05/17 23:10 私はamamakoさんのことは口数の多い刹那あるいは沙慈クロスロードみたく思ってるから、複雑な内面勝手に読み取る仕様なのかもね。ごめんね、でもあまり改める気はないです。
それでねはてな村の喧嘩ははてな村の流儀というか、どっかの長いidの人が前にはてなは言葉のドッジボールをするところと言ってましたがそんな感じなので、ほんとの大衆がはてブのやりとりを真に受けて一気に規制に傾くなんてことは、たぶんないと私は思ってます。凌辱エロゲに嫌悪感示してる人も、自身の嫌悪感と規制の是非は別としてる人が多いしね。
それでもイメージ戦略としてソフトな路線で相手の理解を求めていくなら、自分はなぜ凌辱エロゲを好むのか、どんな形で楽しんでいるのかをまじめに語り、それが現実の性犯罪、性差別を助長するものであるか否かを対話のなかで検証していけばいいのかもしれないけどさ、なんかもう、それ自体が、凌辱エロゲ愛する美学っつーか俺のブシドーに反してしまう気がするのよ。
まして私なんか女だから「男女差別を内面化したかわいそうな人」とか素敵に現実を優先した嫌すぎる解釈されてしまいそうだしね。うげー。
まあでも本当に本気でヤバくなったら、嘘でも奇麗事でもなんでも語って、同情でもなんでもいただけるように頑張ります。ヤだけどね。そういう「女の子」のフリが気持ち悪いってのも純愛苦手で凌辱エロゲ好きな理由の一つだし。

y_arimy_arim 2009/05/18 01:19 「変わった人」は必ず内面を暴かれようとする。「理解」するために。「普通の人」はいちいちそんなの問題にされないのにさ。
それ自体がもう圧倒的に非対称的であり暴力的な抑圧だ。なんてことを思った。そしてどんな人も、内容によってどちらの側にも立ちうるのだ。

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