なるだけ一緒にスタジオ入った順にしようかな、と。
なんで、管野友くん!
東京来て、初めてまともにやってたあるバンドを辞めてから、
色々、実験してました。
音楽の作り方も、楽器というものの在り方も、
なんなら、それは音楽であるべきか、など、
随分裾野を広くとり、
どういう纏め方をしようかな、と、いつも考えてました。
なんで、当時のメンバー募集の文章が、歴代で一番カオスだったと思います。
そんなメンバー募集の文言の中でも、
多分、
バウハウス、スジバン、キュアー、ノイバウテンあたりから、
さらにポジパンやゴスに振り切ったものを求めて、
彼は連絡をくれたんだと思う。
でも、
実際には、僕は、
ほんとにカテゴライズや、
先人の後追いが苦手だったんで、
言うことがとっちらかっていて、
彼は絶対に苦労したと思う。
だけど、
何とも言えず柔和で、
またそこはかとなくセクシーなお兄ちゃん的なオーラで、
とりとめのないシダのガラクタ遊びを手伝ってくれた。
見守って、時に新しいモチーフを与えてくれて、
短期間だったけど、
後の自分が、
少なくとも、バンド形態で、
しかも真ん中で、
自分でつくった唄を歌っていく、
そういう、オーソドックスだけど最適な王道を歩む事になったのは、
彼が、
深く僕を理解して、
自信を与えて、
更には、
勇気ある決断で、
後腐れなく送り出してくれたからだと思う。
例えば、その時期に自信を削ぐような事ばかり言われたら、
自分で曲を作ることや、
ボーカルなんてど真ん中のポジション、
なげ出していたかも。
それくらい、
四方八方やり方を探して迷いまくっていたし、
自分に、自信を持ちきれてなかった。
華もなく、力量もない、
ただ衝動と、自分の、自分だけに見えているだけかも、ってくらい、
あやふやで、うまく説明できないバランスや世界観というものに、自分自身がテンパっていたから。
ま、その後もずっとそうなんだけどね(笑)
まあ、でも、
出だしの出だしにして、
そんな風に
とても
わだかまっていた。
そんな時期なんで、断片的なマテリアルはたくさんあったけど、
具体的な楽曲というのは少なかった上に、
なるべくマトモに楽器を演奏できない、というか、したことがない人や、
そうとうバラバラなジャンルの人達を集めてスタジオに入ったので、
当然ゴチャゴチャな初セッションとなった。
たすくくんは、
むしろ、その中で唯一、ちゃんと、楽曲を理解していて、
自分の確固たる好みもやり方も本来あるのに、
シダのオーダーする、意識的にギクシャクさせて、
かつ王道のアンセム級のカタルシスが解りやすくちゃんとある、
そんな感じにしたい!
…みたいなムチャぶりに
他の誰よりも内心困惑し、
でも、ただ一人の正メンバーとして、
少しでも音以外での不協和音が発生しないように、
とても頑張って寄り添ってくれていたのを思い出す。
だから、本来、彼のプレイヤーとして当然の要求も、
なんもかんも、
その時点の僕には、許容するだけの余裕がないのだと言うことを冷静に見極め、
あえてそこを突きつけるのではなく、
しかし、その時点のシダのアイデアに、そのままで合わすには、困難だけど
ここから単に解りやすく纏まるのでなく、
さらに思うようにやってみるべきだ、
と、
背中を推してくれた。
E前夜の、最大の理解者。
管野友くん
ギタリスト。
彼は、
今でも、
変わらぬ優しい佇まいと、
美意識で、
ステージにたっています。