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2012.01.19

第5回 「分かり合えたらいいのに」という理想 アムロもララァも地球の子(ニュータイプ論①)

©創通・サンライズ

©創通・サンライズ

―オリジンでは、ガンダムからおかしなニュータイプ論を引きはがそうとされたのですか。人間は分かり合えないのが基本だと?

安彦 ニュータイプとは何かというのが本編終了後、いろんなところで話題になって、評論家とか頭のいい人たちもいろんなことを発言した。だけど、これもひとことで言っちゃうと恐ろしく勘のいいタイプの人間。勘がいいということは反応速度が早いとか反射神経が優れているとかね。そういったことも含めて、あとはインスピレーションが超能力レベルにいいとか。それだけだったら、子供もののヒーローはだいたいそうなんですよね。常人を超えてないとヒーローになれないんだから。もう一つ何があるかというと、勘がいいということは非常にコミュニケーション能力にたけていると。人の気持ちが分かる。それが、ララァとアムロの交感、感じ合うという形で途中から描かれるんですがね。

―それは、今までも描かれていたし、それを「ニュータイプ」と新しい呼び名を付けることで、論理として飛躍していくのに危険を覚えられたと?

安彦 富野氏が自分で言ってますが「ニュータイプという言葉を思い付いて『やった』と思った。うれしくてしょうがなかった」と、そういう告白をしているんですけどね。それはさもあろうと。それが今までのヒーローの、ヒーローたるゆえんみたいな、常人を超えた能力ではおもしろくないと。もっと違う、ガンダムなりの超人性というんですかね、「われわれが、それがあったらなんぼいいんでしょう」というものを思い付いた。

―物語に広がりを持たせることですよね。1人じゃなくて、ニュータイプという種類の人間が現れるということですか。

安彦 新しい種が現れるかどうかっていうと、これはまた微妙な問題で。たとえば宇宙に行くと、一時言われましたけど、宇宙飛行士がどうだとか立花隆氏なんかが言ったりしてたけど。宇宙に行くと地球なんて何と小さい、地球ガイア説とかがあったりして、「違う感性や能力が目覚めるんじゃないか」と。そういう風に思っていただいても結構だと思うんだけど、ただそうではないということをガンダムのシチュエーションはやってるわけですよ。
 すぐ分かることなんですけど、われわれは案外見過ごしている。アムロというのは地球の子なんですよね。物語の中で、はっきり言われている。地球の子だと。仲間に冷たくされたりするわけ。「あいつは地球の子だからな」。その地球の子がニュータイプとなるわけですよ。だから「違うんだ、宇宙に出たからどうだってんじゃないんだ」ということをちゃんとオリジナルは言っている。
 ララァっていうのが正真正銘ニュータイプとして描かれる。これはインドの難民だと描かれているんですよ。(笑)どっかで拾ってきたんだと。これも典型的な地球の子なんです。

―地球にいても、宇宙に行ったら(ニュータイプに)目覚めるというわけでもないと?

安彦 違うね。

―安彦さんの中では、(ニュータイプは)宇宙生まれじゃないといけないんですか。

安彦 違うんです。「宇宙生まれだからニュータイプになれる」なんて誰も言ってないし、そんな問題ではないんだ。宇宙に行こうがどこに行こうが、人間は人間なんだと言ってるんですよ。
 それをスペースノイド、アースノイドとSF的に言葉で幻惑されるわけですよね。そこを取り違えたのがジオニズムなわけですよ。「われわれはスペースノイドだと。地球にいるやつはくずだと、だからやっつけるんだ」と。これは新しい選民思想なんですよね。
 それをジオン・ダイクンというわれわれの指導者は言ったんだと、死んだ後から後継者が言うわけですよ。「指導者が言ったことだ」と代弁するわけですよ。「われわれはスペースノイドだ」。それは根本的に間違っている。何世代宇宙にいようが、人間は人間なんだ。

―そうですね、だったら宇宙の人はみんなニュータイプにならないとおかしいですね。

安彦 ええ、ええ、そうじゃないわけですからね。地球の子がニュータイプだっていって、交感し、感じ合い、分かり合えたって喜ぶわけです。そういう話なんですけどね。だからニュータイプ、オールドタイプというのは現存するものでも定義できるものでもないんです。これは、コミュニケーションとディスコミュニケーションというのを体現しているキャラクター、分かり合えたらどんなにいいだろうと、その理想なんですよ。地球の子も宇宙の子も関係ないわけです。
 理想だということは、人間はそこには行けないのかもしれない。生涯、永遠に分かり合えないのかもしれない。それがテーマ。分かり合えないかもしれないけど、分かり合えたらどんなにいいだろう。

―そこに希望を見せて終わる。

安彦 「誰も1人では生きられない」(映画「機動戦士ガンダムⅢ めぐりあい宇宙編」の主題歌「めぐりあい」の歌詞)。今は非常にありふれたフレーズになってますけどね。

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次回、ニュータイプについてさらに踏み込んで語る「救いのない対立構造に」(ニュータイプ論②)は26日更新予定です。

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