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【芸能・社会】

長良グループ会長 転落死 氷川、玉緒ら育てた名伯楽

2012年5月4日 紙面から

ハワイで亡くなった長良グループ会長の長良じゅんさん=09年、東京都千代田区で(石井裕之撮影)

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 演歌歌手氷川きよしらの育ての親として知られる大手芸能プロダクション「長良グループ」会長の長良じゅんさん(本名・神林義忠)が日本時間3日午前7時30分(ハワイ現地時間2日午後0時30分)、滞在していた米ハワイで亡くなった。東京都出身、74歳。同事務所によると、長良さんはゴルフ場でゴルフカートを運転中に事故に遭ったという。葬儀・告別式の日取り、喪主は未定。

 長良さんは4月27日に日本を出発。現地時間2日正午ごろ、オアフ島南部の名門ゴルフ場「ワイアラエ・カントリークラブ」の17番ホールで、ゴルフカートを自分で運転していて誤って溝に転落。現地の警察によると、現場で蘇生の応急処置を行い、救急搬送されたが、後に死亡が確認された。同乗していた34歳の男性も負傷したが、命に別条はないという。

 芸能界の重鎮として知られる長良さんは、才能のある音楽プロデューサー、名伯楽としても有名だった。

 1938(昭和13)年3月18日生まれ。浪曲師・東天晴さんの子として、幼いころは自分自身も舞台に立っていた。7歳で父が急死後、長野の興行社の社長に引き取られた。

 高校卒業後に上京し、雪村いづみ(75)らが所属する木倉音楽事務所に入社。中学時代から見習いとして学んだ興行のノウハウを生かし、20歳で雪村の初代マネジャーに。弘田三枝子(65)らも担当した。

 さらに「黒い花びら」で第1回日本レコード大賞を受賞後、借金やスキャンダルで失墜した水原弘さんにもうひと花咲かせようと、作詞家の川内康範氏や作曲家の猪俣公章氏らと大プロジェクトを組み、名曲「君こそわが命」で見事にカムバックさせた。

 64年に「長良事務所」を設立。美空ひばりさんと親交が深く、「姉さん」「きょうだい」と呼びあっていた。03年に松浦亜弥(25)の主演で舞台化されたミュージカル「草原の人」は、75年にひばりさんが長良さん(当時社長)に送った手紙の中で、本名の「加藤和枝」名義で書いた歌詞を題材にしたものだった。

 84年に廣済堂映像を設立後、「長良プロダクション」を中心とする長良グループを創設。梅宮辰夫(74)、中村玉緒(72)、山川豊(53)、田川寿美(36)らを育て上げた。

 中村の元夫の故勝新太郎さんとも親交が深く、勝さんが90年にコカイン所持で逮捕された際は、ハワイまで迎えに行ったというエピソードは有名だ。

 2000年2月には、秘蔵っ子の氷川きよし(34)をシングル「箱根八里の半次郎」でデビューさせ、演歌界の貴公子として大ブレークに導いた。09年のヒット曲「浪曲一代」は、自身の父・東天晴さんがモデルとなっている。

 また、水森かおり(38)にご当地ソングシリーズを歌わせて大成功させたのも長良さんの戦略。昨年には演歌好きなAKB48の岩佐美咲(17)を移籍させ、今年2月にシングル「無人駅」でソロデビューへと導いた。

 07年3月に歌手森進一(64)と作詞家の川内康範氏の間で名曲「おふくろさん」をめぐる騒動が起きた際は、自ら仲裁役を買って出るなど、面倒見の良い親分肌として知られていた。多くの関係者やタレントから慕われていただけに、芸能界に悲しみと動揺が広がっている。

 

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