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shuueiのメモ



2012-04-29

「加害」教えると「反日」〈25年の轍:1〉

「加害」教えると「反日」〈25年の轍:1〉

2012年4月28日 朝日新聞





  

■「みる・きく・はなす」はいま

 漁村が点在する長崎五島列島の小さな町に、白い車が走ったのは2月中旬のことだった。

 強い北風の日だ。ガーガーと大きな音が聞こえた。

 「移動販売の車じゃろか? 魚かな、野菜かな」。主婦(81)はサンダル履きで通りに出た。港に白い車が見えた。バスのようだ。

 「うそをつく先生のいる学校に、大切なお子さんを預けられますかー」

 野太い男の声がした。

     □

 その漁港近くには、ひとりの教師(60)が暮らしていた。日中戦争時に報道された「百人斬り競争」の新聞記事を中学校の授業で扱った。南京へ向かうふたりの将校がどちらが早く100人を斬るか競争中だという、当時の記事を見せた。

 「今の世の中で一番してはいけないことはなに?」

 「人を殺すこと」

 「そうだね。でも戦争になると、人を殺すことは良いことになってしまう」

 「百人斬り」については諸説ある。ただ、国民が称賛し、英雄視した風潮を伝えようとした。

 授業では、アウシュビッツの大虐殺や、多くのユダヤ人を救った杉原千畝(ちうね)、被爆者など幅広いテーマから戦争の悲惨さを考えた。

 こうした授業をまとめ、1月30日に富山県であった日本教職員組合の教研集会で発表した。

 翌日。集会から戻ったとたん、青ざめた顔をした教頭が走ってきた。

 「これは先生のことですか」

 校長から差し出されたのは、ある全国紙の記事だ。「自虐的教育を報告」などと批判されていた。

 ネット上では学校と教師をあぶり出そうとしていた。町に六つある中学と教委の電話はパンク。学校が判明すると、どこからか組合の名簿が投稿された。

 「何これ?」。妻(59)はパソコンを開いてぼうぜんとした。夫の名がさらされている。えたいの知れないものが自分たちに迫りくる様を見た。

 抗議は「反日、捏造(ねつぞう)だ」とか「日本が一方的に悪いと刷り込む教育だ」とか。

     □

 2月14日夜。携帯電話が鳴る。組合の知人からだ。

 「あす右翼の車が行くぞ」

 白い車が島に入る朝。とうとう妻と80歳を超える母親は長崎市内へ、自らは知人宅へと身を寄せた。自宅そばでは車が目撃された。

 「どこのだれではなく私をめがけてきたのです」

 白い車はこどもたちがいる中学の前にも止まった。

 部活動や学校行事の中止。学校側は早く収拾させたかった。真相よりも、教師は抗議をそのまま受け入れ、生徒らに謝罪した。

 どんな抗議も、来れば「問題」となる。町教委は「議論が分かれる話題を一方の立場から教えたのは不適切」と文書訓告にした。

 白い車の正体は、右翼団体「正気塾」。「(昭和)天皇戦争責任はあると思う」と発言した長崎市本島等・元市長を構成員が銃撃したことで知られる。幹部は取材に対し、こう語った。「五島の件は内部からの通報です。私たちの手足になる人間から要請がありました」

 3月末、教師は定年退職した。「再任用」は認められなかった。慎重さに欠けた面もあった。しかし憂う。「教師が面倒になる加害のことにあえて触れなくなるのでは」

 27日夜、彼は言った。「親の行動が子どもの勤め先に知られると何か影響するかもしれない。本名で語れない」。実名から匿名へ切り替えた。

     □

 大阪府羽曳野市。昨秋、ある中学校が配った在日韓国朝鮮人をテーマにしたプリントがやり玉に挙がった。

 プリントには、植民地支配で「日本が奪ったもの」を問い、「土地」「名前」などと答える欄があった。

 保護者の代理人を名乗る男性2人が市教委を訪れ、「奪うというのは一方的な立場で表現され、時流にあわない」と指摘した。

 「奪う」は感情的な言い回しで、発達段階の子たちによくない影響を及ぼすのでは――。当時の校長は「短絡的な表現で、不適切だった」とプリントを回収し、授業をやり直した。差し替えたプリントは、歴史の教科書をそのままコピーしたもの。一からつくる余裕はなく、市教委幹部は「責任は出版社や文部科学省にとってもらおうという無難な選択だったのでは」と明かす。

 学校に抗議や苦情が寄せられる時代になった。「子どもを守るための苦しい選択ですわ」。校長はこれがリスク管理なのだという。

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