法政大学について

2006年度1・2月号 雑誌「法政」

法政大学と私―母校と後輩たちへ―「原島榮一編(1)」

今月から2回にわたり、元東京消防庁消防総監の原島榮一氏にご登場いただきます。
原島氏は19歳で東京消防庁に入庁し、豊島消防署勤務のかたわら受験勉強に励んで本学法学部第二部法律学科に合格。初心を貫いて4年間で卒業後、幾度もの昇進試験を突破し、配属された各部署で手腕を発揮し続けた原島氏は、1990年に組織のトップである第13代消防総監に就任されました。


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福島県で生まれ育った私は、教員だった父の転勤で県内3カ所に移り住みました。須賀川高校時代に父が退職し、経済的事情から県内に探した就職先には不採用。就職難もあって、卒業しても職が決まらずに思いあぐねていた時、東京消防庁の職員募集の話を聞きました。5月の採用試験に挑戦し、十数倍の競争率でしたが、幸いにして合格することができました。

1952年10月に東京消防庁入庁後、半年間の消防学校での初任教育を経て、翌53年に豊島消防署に配属されました。
東京で社会人として歩み始めた私は、カルチャーショックの連続で大いに刺激され、「もっと勉強しなくては」と大学受験を決意しました。しかし、高校時代に進学をあきらめたことで不勉強だったため、受験勉強は大変な苦労をしました。

1954年春、法政大学法学部に合格させていただき、働きながら、第二部で学び始めました。法政は、職場から通いやすいという立地に加えて、学費が安く、月払いもできた点が、勤労学生には非常に有り難かったのです。
自分の給料で学費も生活費も賄って、卒業までの4年間、勤務中以外の時間は、ひたすら勉強に努めました。

消防署員は、消防士から消防総監までの十段階の消防吏員の階級に区分され、昇任のためには幾度もの試験を突破しなければなりません。絶えず自己研鑽が求められる一方、努力が報われ、実力が認められる社会でもあります。こうした職場に入った私は、運が良かったのかもしれません。
大学進学を応援してくれた上司をはじめ、先輩、同僚、後輩など、周囲の人々にも本当に恵まれました。

そして、実に多くを学ぶことができた法政での4年間は、私の人生の貴重な礎となっています。卒業に際し、大内兵衞総長(当時)にいただいた「主体性のある人間になれ」という言葉は、生涯の生活信条として、深く刻まれました。この素晴らしい母校の後輩たちには、不屈のチャレンジ精神を持ち続け、常に最善を尽くして、人生を切りひらいてほしいと願っています。

 

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