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[31539] 【習作】真剣で私に恋しなさい!S+佐々木小次郎@Fate/stay night
Name: 甲子◆e575495c ID:ee30bfb0
Date: 2012/02/12 23:08
【習作】真剣で私に恋しなさい!S+佐々木小次郎@Fate/stay night

本作はみなとそふと様から発売されているPCゲーム「真剣で私に恋しなさい!」の続編である「真剣で私に恋しなさい!S」を原作とする二次創作です。
また、本文中には上述2作品のネタバレが多数含まれています。
上述2作品を未プレイの方、これからプレイを考えている方には申し訳ありませんが、その点ご承知おき下さい。

内容はタイトルにありますとおり、「真剣で私に恋しなさい!S」の世界に「Fate/stay night」に登場したアサシンのサーヴァント、佐々木小次郎を登場させてみたものとなっています。
原作のテンポの良い会話を再現することをを念頭に、多量のコメディ要素と少量のシリアス要素を織り交ぜています。

注意点として、
・前述の通り原作のネタバレがあります
・作者は厨二を患っています
・誤字脱字が頻出する恐れがあります
・設定ミス、設定等の改変、強引またはご都合主義の展開等が起きる恐れがあります
等が挙げられます。

ここまで読んで頂き、ありがとうございます。
まだ「ちょっと読んでやるか」と寛大なことを思って下さる方は、そのまま本文へとお進み下さい。

読後、感想を頂けると作者は木に登るかもしれません。
ただしその際は舞様の掲げる「投稿掲示板利用上の注意事項 基本ルール 2. 感想を投稿する際の注意事項」の遵守をお願いします。


2月11日、ご指摘を受けて全面削除・修正を行いました。
みなとそふと様のガイドラインに抵触する文章を掲載していたこと、まことに申し訳ありません。
二度とそのようなことのないよう猛省し、修正した文章を掲載します。
また、その際操作ミスにより皆様から頂いたご意見が消失してしまいましたこと、重ねてお詫びします。申し訳ありませんでした。
ただ、そのログは著者の方で保存しています。決して疎かにはしませんので、ご承知くだされば幸いです。



[31539] 001
Name: 甲子◆e575495c ID:ee30bfb0
Date: 2012/02/12 23:08



*****

 日本全国はおろか海を越えた世界にまでその名を轟かす土地、川神市。
 その外れには大規模な工場地帯が広がっている。
 夜の工場地帯。
 煌々と灯るライトに浮かび上がる工場の姿は、まるで巨大な迷路のようだ。
 昨今は工場の夜景を見学することが一部の人間に流行っていたりするが、今宵それらしき者たちの姿はない。
 だが、全くの無人でもない。
 否、むしろ常よりも数倍、数十倍の人間がこの場所に集っていた。
 縦横無尽に張り巡らされたパイプの間を、人の形をした影が駆け抜ける。
 それも、一人や二人ではない。
 その数、少なく見積もっても五十を越えている。
 さらに、それだけの人間がこの場所にいることを示すように、あちこちで己の存在を隠そうともしない喚声が湧き上がっていた。
 これだけの数の人間が夜の工場にいる筈がない。
 即座に然るべき所へ通報するべきだろう。
 しかし、それは無用。
 今この工場地帯にいる人間は、全てこの場にいることを認められた者だけ。
 その許可は、工場を所有する九鬼財閥を筆頭に関係各省庁、周辺住民に至るまで完璧である。 
 それだけの許可を得て回るのに、がどれだけの労力を必要とするのか。
 そして、それだけの労力をかけてまで、一体何が行われているのか。
 答えは、決闘、である。

 日本には、とある理由から有名な二つの学び舎がある。
 一つは東、ここ川神にある川神学園。
 一つは西、遠く九州は福岡にある天神館。
 両校はある共通点を持つ。
 そして、その共通点とは即ち、武の理念。
 教育機関でありながら、競争どころか教師の立会い元で決闘というシステムを取り入れていることだ。
 勿論、決闘と言っても殴り合いという意味ではない。
 一対一ないし複数対複数、両者合意の方法によって教師立会いの下で行われる勝負の総称である。
 ただ、その勝負の方法の中に殴り合いから、果ては武器を用いた戦闘までが含まれているだけだ。
 そして今夜、ここ工場地帯を舞台に繰り広げられているのが、まさに武器を用いた戦闘による決闘。
 参加人数は四百人。
 東の川神学園と西の天神館、東西両軍によるルール無用の実戦形式の集団戦だった。

 勝敗は制限時間内に敵大将を倒すことによってのみ決する。
 しかし、それは容易なことではない。
 火蓋が切って落とされてから早一時間以上。
 工場地帯の各所で東西の学生達が己の武をもって相対している状況では、敵大将の元へ辿り着くこともままならない。
 何しろ互いに二百人ずつが参加する大規模な決闘だ。
 最早それは、決闘というよりも合戦と呼ぶに相応しい。
 偵察部隊、戦闘部隊、護衛部隊、救護部隊が。
 拳や蹴りは言うに及ばず、刀、剣、槍、薙刀に弓、ありとあらゆる武器を用いて。
 奇襲、強襲、迎撃、突撃、あの手この手を駆使し、あらゆる手段で相手を陥れる。
 あちらで喚声があがり、こちらで悲鳴が迸り、どこもかしこでも怒号が飛び交う。



*****

 ―――目に見えてもおかしくないほどの戦意が、この地に渦巻いていた。

*****

 決闘序盤は、一つでも多く相手の隙を伺うべく繰り出した偵察部隊によって発生した。
 部隊の目的ゆえに気配を極力消しての行動だったため、出会い頭に遭遇しそのまま済し崩しに戦闘に雪崩れ込む。
 偵察部隊だけあって構成する人員は少人数かつ身軽な者たち。
 戦闘の趨勢を左右するのは単純な力ではなく、いかに相手の機先を制するかだった。
 そんな戦闘を潜り抜け、あるいは戦闘そのものを回避して敵陣に侵入を果たした部隊が収集した情報は、速やかに軍の頭脳ともいうべき者へと送られる。
 情報を受け取った者、参謀とも軍師とも呼ぶべき者たちは断片的な情報を組み立てて戦場を俯瞰していく。
 そうして決闘は中盤戦へと移行する。
 見出した相手の隙へと戦力に優れた大軍を送り込み、敵陣に楔を打ち込む。
 同時に相手が送り込んできた戦力に見合っただけの防御を敷く。
 重要なのはバランス。
 攻撃に専念し過ぎては防御が疎かに、防御に専念し過ぎては攻撃が疎かになる。
 戦闘はほぼ同程度かやや相手を上回る程度の戦力が激突することになり、拮抗する戦力によって結果として起こるのは力による正面からの削り合いだ。
 序盤の、どちらかといえば静かな小競り合いとは全く違う、腕力体力に優れた者が中心となるしっかりと腰を据えての戦い。
 力、というある意味分かり易いものが戦闘の主役になり、ゆえに当初は拮抗していた戦いも時間が経つにつれて明暗が分かれてゆく。
 とは言え、それは決闘全体の天秤がいずれか片方に傾いたことを意味しない。
 あちらでは押し込まれ、しかしこちらでは押し込んでいるという、そんな状態だ。
 次第に互いの戦力が磨り減っていったがために、実力ある者だけが生き残り、ますます優劣がはっきりする。
 その優劣が、軍を指揮する者に伝わり、さらに戦場での流れを加速させていく。
 自軍の優れる地点に戦力を追加し攻すべきか。
 または劣る地点に戦力を追加し抗すべきか。
 各所での優劣など、言ってしまえば一つの指標に過ぎないのだ。
 攻めては退き、退いては攻め。
 幾十もの戦いを積み上げて、それは全て敵大将までの道を切り開いてゆく、ただそれだけのために。
 そして遂に、決闘は終盤へと突入する。



*****

 ―――高まり続ける闘争の気配は衰えることを知らず、時間の経過と共にますますその濃さを増していく。

*****

「はっはっはっ――っと」

 ライトに照らし出された夜の工場地帯は、昼間ほどには明るくないものの、それでも軽快に駆けられるだけの余裕がある。
 張り巡らされたパイプを潜りあるいは飛び越え、梯子を昇降しつつ、明確な目的地を定めて進む一つの人影。
 東軍にて采配を振るっていた軍師の一人、直江大和。
 その大和は今、単独で西軍の陣地深くへと足を向けていた。
 偶に視界に入る西軍の者たちに見つからぬよう物陰を利用して遭遇を避け、細心の注意を払いながら進んでいく。
 そして、何度目かになる遭遇を回避した大和の脳裏には先程交わした会話が浮かび上がっていた。

「敵の大将が見つからない……?」
『そうだ。自分は今、最前線で敵と戦ったいるのだが、敵大将の姿がない!』

 それは、一本の電話。
 電話を掛けてきた少女――クリスの愛用する武器のように、細く鋭い切先を開いて陣地に突き立てた彼女の部隊が激しい戦闘中であることが会話に紛れる音によって伝わってくる。
 どうやら戦闘そのものは優勢らしい。
 少なくとも電話を掛ける程度の余裕がある。
 更に大和は、部隊を引きいるクリス自ら連絡をしてきたということから、戦闘中の敵部隊に既に強者がいないことを読み取っていた。
 ……仮にそんな相手がいたならば、クリスが戦いを挑まないはずがないからな。
 心中で呟きつつ、大和は僅かに思案し。

「これは状況が不利と見て……隠れるとしたら、候補は幾つかに絞られるな。クリス、了解。敵大将はこちらで探すから、引き続き前線を脅かしてくれ」
『うむ、任された!』

 答えを託して、大和は背後を振り返る。

「……ということらしい。出陣する」
「一人で、ですか」

 大和の宣言を受けて、驚いたように答えるのはもう一人の軍師、葵冬馬。
 その柔和な物腰や穏やかな彼の雰囲気は、決闘の場にはそぐわないものだ。
 しかし実を言えば、決闘序盤から戦場をコントロールしていた中心人物こそが、誰であろうこの冬馬。

「一人だからこそ、いく意味がある。人数を引き連れて行けば安全だけど敵に見咎められる可能性が高まる。それに敵大将が隠れる判断を下したのなら、また逃げを打たれるかもしれない」

 冴え渡る頭脳が巧みに相手の心理を読み取り、その甘く落ち着いた声で自軍を的確に動かす様を、大和は補佐しながらも見せつけられていたのである。
 オトコノコとして負けてはいられない。
 あまり感情を露わにしない大和のその様子に、冬馬は嘆息しつつも笑顔を返した。

「なるほど、一理あります。ふむ……勝利のために自らを危険に晒す大和君。そそられます」
「じゃ、そういうことで!」

 敵将目指して一目散、というよりも一刻も早くこの場を離れなくてはならないとばかりに大和は駆け出した。
 自分の背中に、というよりももう少し下に注がれる熱い視線は気づかないことにして。
 ――葵冬馬。
 学園2年生で一、二を争う秀才にして、男女どちらも愛せる性癖の持ち主だった。

「――っと、こんなこと思い出してる場合じゃない。時間が経てば経つほど相手を見つけ難く、自分が見つかり易くなるから急がないとな。確か最初の候補は、……こっちか」

 妖し過ぎる冬馬の視線を思い出してしまい、大和は身震い一つ。
 気を取り直して、目的地への歩みを再開した。



*****

 一方その頃。
 当の西軍大将は正しく大和の読みどおり、前線から距離をとった安全地帯へと下がっていた。
 だが、その後退の理由は戦いに臆した為ではない。 
 元々鋭い顔立ちを普段よりも険しくし苛立たしげに歪めている彼が西軍大将、石田三郎。
 彼は西の天神館の中でも特に武に秀でた者たちの集まりである西方十勇士においても筆頭に位置し、言わば西軍最強の武の持ち主である。
 腰に一振りの日本刀を下げた姿に違和感はなく、それ即ち常日頃から刀を携えていることを意味していた。
 勿論、刃引きされたものであるが。

 そして、石田に従う一人の男。
 ガッシリとした体格に彫りの深い顔立ち、といった外見からは生徒には見えない彼の名は、島左近。 
 特別大柄というほどではないが、どっしりとした風格がある彼もまた西方十勇士に数えられる一人である。
 日頃から石田を補佐する彼は、今日もまた副将として決闘に参加していた。
 また、二人を除く残りの西方十勇士たちも有力な将として部隊を率いている――否、率いていた。
 決闘の終盤、既に西方十勇士のほとんどが東軍によって打ち倒され壊滅。
 今なお両足で戦場に立っているのは、この場にいる石田と島だけという状況だった。

 そう。
 石田たちが後退を選んだ理由が、ここにあった。
 西軍において戦力の中核をなす西方十勇士が壊滅の憂き目にあった今、西軍の戦力は著しく減じ、攻めるも守るも不足する。
 この状況では最早、まともに戦って勝つことは困難と言わざるをえない。
 ゆえに今出来る最良の選択、それこそが時間切れによる引き分け、だった。
 先に述べた通り、勝敗を決するのは敵将を討ち取る事によってのみ。
 ならば石田が倒れねば、西軍が彼一人しか残らずとも負けにはならない道理である。

 しかし、一先ずの安全を確保したことにより気が緩んだか。

「一つ目の候補で大当たり、か」
「……! 己、何奴か!?」

 即座に背より引き抜いた棍を構える島、その背後で石田は僅かばかりの感心を示す。
 島の放った誰何に従い工場の暗がりから姿を見せたのは、石田も島も見覚えのない一人の少年。

「――直江大和」

 二人の視線を受けて、彼は誇るでもなく落ち着いた名乗りを上げていた。



*****

「現場の下見を欠かさないで正解。だから逃げるならここじゃないか、そう思ってたよ」

 ポケットに手を入れたままの姿を敵将に晒しつつ、大和は己がここに辿り着いた理由を口にする。
 淡々と、当たり前のことのように。
 これは駆け引きだ。
 お前の行動などお見通しだった、大和は言外で相手を挑発する。
 相手よりも心理的優位に立ち、そして次の策の下地とするのが軍師たる大和の得意技。
 そう、大和は軍師である。
 日頃の経験から回避力にはちょっとした自信を持っているものの、武力という点では石田はもとより島にも大きく及ばない。
 精々が、一般生徒よりも少し上といった程度。
 本来ならばこうして敵将と相対するなど、ましてや一人でともなれば以ての外と言うより他にない。

「おれの思考に追いついたことは褒めてやろう。だが供も連れずたった一人現れた貴様はやはり阿呆だ!」
「だろうね。なら――」

 それが分かったのだろう。
 嘲笑と共に石田が腕を振るい、主の動作から意思を汲んだ島が棍を構えたまま前に出る。
 距離を詰められてしまえば、十秒と経ずに大和は叩き伏せられるだろう。
 だから大和は、ポケットから手を引き抜いた。

「むっ」

 警戒したのか動きを抑えた島に構わず、大和は引き抜いた手を口に運ぶ。
 正確には手の内に隠していた笛を、だ。  
 大和が笛へと鋭く息を吹き込み、しかし音は出ない。
 壊れているのかとでも言うように訝しむように島が眉を顰めるのと、一人の少女がまるで空から降って来たかのような勢いで跳び込んできたのは、ほぼ同時だった。

「川神一子、推参っ!」
「伏兵かっ!?」

 高らかに名乗りを上げるや否や、一子は手にした薙刀を振りかざして島へと挑んでゆく。
 笛は壊れていたのではなく、元から人の耳には聞こえない音を発する犬笛だったのである。
 しかしこの戦場には、その音を聞き分け更にはすぐさま飛んで来るよう普段から躾けられている一子がいた。
 彼女は、世界に名を轟かせる川神院の総長である川神鉄心の孫娘であり、その腕前は東軍でも指折り。
 特に愛用する薙刀を扱わせれば敵の副将とて易々とは相手に出来ないことは、今まさに目の前で証明されている。
 これこそが大和一人で敵将の前に姿を晒した理由。

「――これで一対一だ!」
「ふん、初めから仲間を伏せていたか。しかし直接おれに戦いを挑もうとは無謀にも程がある。阿呆という評価は変わらん!」

 島を一子に任せ、大和は石田と正面から相対する。
 大和が両手を顔の前に掲げるように構え、そして、それを見た石田の顔色が変わるのは直ぐのこと。

「貴様……!」
「フッ――見抜いたか。そう、俺は何を隠そう」
「ド素人ではないか! 隠すまでもないわ阿呆が!」

 そう、繰り返すが大和は軍師であって武人ではない。
 一対一になろうが石田を相手に戦えるだけの力など持ち合わせていよう筈がなく、相手が島から石田になっただけの状況は先程と変わらないどころか悪化している。

「一体一などと、よくもほざいたものよ! おれを愚弄した罪、その身で贖うがいい……!」

 一息にて鞘を払い、引き抜かれた日本刀の切先が大和に向けられる。
 いくら刃引きされているとは言っても凶器には違いない。
 肉を打ち骨を折ることなど容易く、石田ほどの腕を以ってすれば刃は無くとも人が斬れる。
 大和の目に禍々しく映る刃が見せつける様に掲げられ、己目掛けて襲い掛かってくる――寸前。

「いくz――ぐほあっ!?」

 凄まじい衝撃音を響かせ、石田が吹き飛んだ。
 それも、大地を踏みしめていたはずの両足がまとめて引っこ抜かれたかのような勢いで。

「今のは……」

 さしもの石田も今の衝撃は無視出来るものではなかった。
 意識こそ失わず転倒もしなかったが、それでも朦朧となるのまでは耐えられない。
 思わず、といった様子で工場の壁面に手をついて体を支えていた。

「……狙撃。貴様、弓兵まで伏せていたか!」
「ご名答」

 そんな隙を見逃す大和ではない。
 身動きが自由にならない石田へ、それでも油断無く距離を詰めたかと思うと蹴りを放っていく。 
 狙いは主に膝。
 自分の攻撃では石田を倒すには役者不足だと分かっているからこそ重点的に急所を、特に相手の機動力を削ぐ。
 そうすることで次なる、そして石田を倒しうる力を持った役者の一手に繋げるのだ。



*****

 ――大和が地味に嫌らしい攻撃を敵将に加える姿を、遥か遠方から見つめている一対の瞳。
 瞳の持ち主である小柄な彼女こそ、誰であろう石田を射抜いた弓兵だった。
 だが、考えても見てほしい。
 ここは工場地帯、周囲には迷路のように張り巡らされたパイプがはしっているにもかかわらず、彼女は遥か彼方の目標を唯の一矢で射てみせたのだ。
 途方もない技量の持ち主であることは疑いようもないが、それもそのはず、彼女こそ天下五弓と称される弓の名手。
 愛用の弓から放たれる矢は、狙った獲物を決して逃がさない。
 そしてまた、彼女の弓に矢が番えられる。

「――大和の心と体を手に入れるため。あなたには犠牲になってもらう」
 
 淡々とした呟きと共に再び放たれる矢が、パイプの隙間へと飛び込んでいく。
 彼女は川神学園2年F組所属、椎名京。
 好きなものは大和、将来の夢は大和のお嫁さんと言って憚らない少女である。



*****

「くっ」

 何度と無く蹴りを受け、それでも石田は己の意識を狩りとらんと飛来する致命の矢だけは避けていた。
 しかし、それも次第に余裕がなくなりつつある。

「御大将!」
「おっと、アンタの相手はアタシなんだからね!」
「――くうっ!?」

 主の危機を見咎めた島が救援に向かおうとするも、一子がそれを阻む。
 単純な技量だけの比較ならば一子に勝っているのだが、この状況が島の焦りを招き本来の実力を出し切れない。
 結果、島は一子の足止めを抜けられずにいた。

「ワン子、そっちの相手は任せたぞ」
「任せてよ! さっきは良いところを取られちゃったから……今度は、アタシの番!」
「……だ、そうだ。そろそろ参ったしない?」
「くそう……貴様、おれを愚弄したばかりか一対一ですらないではないかっ! どこまで謀れば気が済むのだ!?」

 土埃に汚れた頬を拭いながら放たれた石田の罵声を、しかし大和は聞き流す。

「謀りも兵法だ。軍師にとっては褒め言葉さ」

 返答ついで、またしても石田の膝を蹴る。
 如何に非力な大和の攻撃でも、積み重なれば決して小さなものではない。
 さらには京の弓による支援があり、しかも石田がいよいよ隙を見せたならば一撃必倒の矢が送り込まれるだろう。
 最早石田の、西軍の敗北は逃れられぬ――。

「――とでも思ったか! 西方十勇士を、この石田をなめるでないわぁぁぁ――!」



*****

 ―――立ち上った凄まじい気は、そのまま天へと吸い込まれる。

*****

「なんだ!?」

 尋常ならざる気配に息を呑んだ大和が咄嗟に石田から距離を取る。
 下がる大和の代わりに、遠方より送り込まれた京の一矢が吸い込まれるようにして石田の額を目指し。

「その程度なぞ!」

 翻った刀で、己に迫る矢を打ち払った。
 避けるのが精一杯だった先程までの石田とは、明らかに違う。
 いや、違うと言うならば動きもそうだが、それ以上に明らかな違いがある。

「光龍覚醒。これぞ我が奥義よ……まさか貴様らごときに披露することになろうとはな」

 口調に悔しさを滲ませた石田の髪は金に染まっており、更には天を衝く様に逆立っていた。
 文字通り怒髪天を衝く、といったところだろうか。
 妙な感心をさせられる大和だったが、それも呆気にとられていた僅かな間のこと。
 金に輝いた石田へと一矢、二矢と襲い掛かる京の狙撃が全て打ち払われるのを目の当たりにしては、余裕を見せている暇はない。

「寿命を削るほどの大技。こうなっては最早、貴様らだけを倒したのでは釣り合いが取れぬ。このまま攻めたて――東の大将の首、とらせてもらうぞ」
「くっ……大言も甚だしいが、この威圧。その金髪、伊達じゃないってことか」
「伊達や酔狂でこのようなことをやっていられるか、阿呆が! 契機付けに、まずは貴様からだ!」

 喰らいつく様に飛来する矢をものともせず、石田が大和との間合いを詰める。
 この状況に至り、石田は遠方の狙撃者を警戒しつつも目の前の大和をこそ最も警戒していた。
 間を置いては新たな策を繰り出してくるやもしれない、そう考えて。

「この一撃にて――沈めぇ!」

 瞬く間に指呼に迫った石田の、大上段からの切り下ろし。
 構えとしては隙の多い、しかし頭上に落ちてくる斬撃は速く、大和ほどの技量の者にとっては十二分に過ぎるほどの脅威となる。
 大和が地面に身を投げ出す覚悟で回避に全力を注ぎ。

 ――その刹那。

 垂直に近い工場の壁を、駆け下りて来る影があった。
 その影に石田が真っ先に気づき、遅れて気がついた大和の視界に彗星が映る。
 否、彗星ではない。
 後頭部で結った長い黒髪をまるで尾のように靡かせて、一直線にこちらへ向かってきている少女。

「何奴!」
「源義経――推参!」

 流れるような抜刀からの胴薙ぎ。
 義経と名乗った少女の一太刀を、石田は咄嗟に体に沿って縦に構えた刀で受けていた。
 きぃん、と鋼同士が噛み合い奏でる澄んだ音が響き渡る。
 石田と義経、強者二人の激突はそれだけで大気を震わせた。



*****

 ―――そして、その激突が引き金となる。

*****

 互いに目の前の相手に集中する石田と義経とは違い、ある意味では舞台袖へと追いやられた大和だからこそ、先程とは違い最初に気づいた。

「……誰だ?」

 大和の視線の先。
 対峙する石田と義経を結ぶ線を底辺と見立てれば、三角形の頂点よりやや石田に近い位置に、いつの間にか一人の男が立っていた。
 女性と見紛う様な長い髪と涼しげな顔立ち、しかしそのすらりとした長身と体つきは男であることを示している。
 身に纏った薄紫の羽織袴は現代では見慣れないものだが、男には誂えたように様になっていた。
 そして何よりも目を引く、背に帯いた日本刀。
 いい加減な目測に拠っても長さが際立っており、その長さは持ち主の身長と同じほどに見える。
 男を一言で言い表すならば"侍"、それ以外に相応しい言葉はないというほど絵に描いたような姿だった。

「……ええい、次から次へと何なのだ! まあいい、全員まとめて刀のさびにしてくれるわ――!」

 叫ぶなり、石田は男へと斬りかかる。
 大和でも義経でもなく、男へと。
 何故あえてそうしたのか、その理由は石田本人にしか分からない。
 だが、それが分水嶺。

「――ちぇえぇぇぇい!」

 蹴りつけた地面から土煙が上がるほどの、石田の踏み込み。
 相手が何者であろうと斬って捨てる気迫の篭った一刀が迫り、対する男は――

「(――笑った?)」

 大和の気のせいかもしれない。
 しかし大和は、男が愉快げに口元を緩ませたように見えた。
 そして男は背の刀を苦もなく抜き放ち、ゆらり、と右手に携える。
 構えらしい構えに見えず、いっそ無造作といっていい。
 だというのに、

「――むぅ!?」

 石田が放った大上段からの斬り下ろしが、金属が噛み合うような音と共に弾かれる。
 大和に目には、石田の斬撃は切先が霞みそうなほどに映っていた。
 そうであるにもかかわらず、男はむしろゆっくりとした動きで長尺の刀を振るい、石田の刀を捌いたのである。
 実際、石田が驚きの声を漏らしたのもそのせいだろう。
 
「防いだか。ならばこれはどうだ!」

 袈裟斬り、逆袈裟斬り、胴薙ぎ、逆胴薙ぎ、左右の斬上げに突き。
 息もつかせぬような怒涛の斬撃が石田の刀より放たれ、男へと襲いかかる。
 上下左右から間断なく雨のように降り注ぐ刃を、しかし男は涼しい顔で受け流す。
 しかも恐ろしいことに、男の刀は石田の刀よりもかなり長い。
 すなわち小回りの利きといった点において圧倒的に不利なはず。
 更に加えるなら、一気呵成に攻め掛かる石田が常に先手を取る様に、防ぎ続ける男は常に後手。
 つまるところ男は、刀の長さの不利と後手による不利、二つの不利をものともせずにいるということ。

「いけません御大将! そやつ只者では――!」

 島が制止の声を上げるが、石田は止まらない。
 気づけばいつの間にか、この場にいる全員が男に意識を集中させていた。
 大和は勿論、島と戦っていた一子、乱入して来た義経と名乗る少女に至るまでが固唾を呑むように男と石田の戦いに目を奪われている。
 それほどまでに、男の強さには目が惹かれるものがあった。

「ええい、このままでは埒が明かぬか……! かくなる上はこの状態でのみ放つことができるおれの真の秘剣で――」
「いけません、いけませんぞ御大将! それだけは決して使ってはなりませぬ!」
「黙れ島! こうまで虚仮にされて、黙っていられるものかよ!」
「御大将……!」

 男から大きく間合いを取った石田は、刀を大上段に構えて男を睨み据える。
 途端、石田の身を包む輝きがこれまで以上の光を放つ。
 石田の本気を見て取ったのか。
 不意に、それまで構えらしい構えを取ることのなかった男が動いた。
 輝きを増していく石田に背を向けつつ、しかし肩越しに見据え、顔の横に水平に刀を掲げるという構え。
 大和にも、男が構えた瞬間に周囲の空気が張り詰めたのが分かる。
 仲間の一人、剣聖の娘の肩書きを持つ剣士が刀を構えたとき以上の、呼吸することすら躊躇われるような雰囲気。

「喰らえ我が秘剣――!」

 直視しがたいほどに輝いた石田が、凄まじい勢いで男に向かって突撃する。
 大上段に構えられた刀は、籠められた気によってか刀身が金に染まり、時折火花らしきものまでが散っていた。 
 大言壮語に偽りのない、石田の斬撃。
 放たれたが最後、敵を斬るまでは止まらない――かに見えた。

「そこまでじゃ」

 するり、と心に滑りこんでくる穏やかな声。
 一体いつの間に現れたか、石田と男の間に立つ一人の老人の姿があった。

「貴様は、いや、あなたは」
「まずはその力を収めよ、石田。……無論、そちらの御仁もじゃ」

 両者の間に立つ老人は、左手一つで石田の手首を押さえ、右手を男に向けて掲げることで制していた。
 常人には立ち入る事の出来そうにない戦いに、易々と割って入ったこの老人。
 勿論、只者ではない。
 老人の名は、川神鉄心。
 川神学園の総長でもある老人は、武の総本山と崇められる川神院の長である。
 最近はその身の老いを理由に後進の育成を専らしているが、それでも武神と讃えられた程の力は健在。
 今もこうして石田を押さえ、更には男までもを威圧して抑えるという化物ぶりを披露していた。

「そう仰るならば……承知しました」

 石田の輝きが小さくなっていき、金に染まっていた髪も元の黒に戻る。
 そして、解放された右手の刀を鞘に納めて大人しく後ろに下がった。
 
「それで良い。さて……」

 鉄心が、改めて男へと向き直る。
 今なお男は構えを解いていなかったが、その視線が向かう先は石田から鉄心へと変わっていた。
 それを気づいているのかいないのか、鉄心はゆったりとした歩みで男へと向かっていく。

「ふむ、ここら辺りかのう」

 あるところで鉄心はぴたりと足を止めた。
 余人の誰が知ろう。
 その位置こそが、男の構えより放たれる秘剣の間合いの一歩外であることを。
 だが、ただこの場において鉄心と、そして男だけが知っていた。
 涼しげな男と、朗らかな鉄心。
 しかしその胸中では凄まじいほどの遣り取りが無言の間で交わされているのか、瞳は真剣そのもの。
 静けさが痛いほどになる頃。

「ワシは川神鉄心。御仁は一体何者か。名乗ってはくれんのかの?」

 鉄心の言葉が引き金になったのか、遂に男は構えを解き、刀を背の鞘へと納めていた。 
 男は正面に立つ鉄心と、その後方の石田、更には周囲の他の全員を順に眺めていき、そして。

「――佐々木小次郎」

 そう、名乗った。



*****

【後書き】
まずは何よりも謝罪から始めさせて頂きます。
修正・削除以前の本作には『真剣で私に恋しなさいS』の台詞が多量に使用されており、『みなとそふと』様の二次創作ガイドラインに抵触するとのご指摘を頂きました。まさしくその通りだったこと、著者として伏してお詫びします。大変大変、申し訳ありませんでした。
また、修正・削除にあたり操作を誤ったためか、頂いた感想等が消失してしまったようです。重ねてお詫びします。


次に本作における佐々木小次郎及び関連する設定についてです。
なお、Fate/stay nightが現在手元にないため、設定の大半は著者の記憶とインターネット上に掲載されている内容によって構築されています。

燕返しの持つ意味について。
燕返しについて、『生涯を賭して完成にいたり、その直後に完成の喜びを得たまま死亡した』とご指摘を受けていましたが、Wikiなどにより確認できました。
それらを受けて『燕返しは佐々木小次郎が全力を出すに値すると認めた相手に限り、その相手に勝利するため放つものである』と著者は解釈しています。
それほどの技を全力で放たない、手加減するなどおかしいといったご指摘もあり、確かにその通りです。これらを受けて、燕返しを安易に用いていた点を修正しました。

燕返しの速度について。
著者が確認したところによると、燕返しは剣速が速過ぎるためFateにおける魔法のひとつ『多重次元屈折現象』の域に達している、とありました。また、同時に放たれる三閃が相手の逃げ場を失わせる絶対不可避の魔剣である、ともありました。
以上から、燕返しとは『魔術ではなく技術でありながら、現実にはありえない同時の斬撃が三閃生じるという、魔法の域に達した魔技である』と著者は定義しました。
しかし、刀身が歪んでいたために本来の速度に至らず結果としてセイバーに敗れた戦闘において、回避はされたものの三閃が放たれています。
このことから燕返しの速度は一定ではなく、万全の状態でない刀(=本来よりも剣速が劣る)でも本来の完成された燕返し同様に二の閃三の閃が生じうるのだと分かります。著者の定義に照らし合わせれば、同時の斬撃が生じている以上、これもまた燕返しに相当します。
よって『何らかの理由により剣速が遅くなったとしても燕返しが成立しうる場合がある』と著者は解釈しています。


次に展開が原作のままであることについてです。
これは著者の力不足というより他にありません。佐々木小次郎を東西交流戦の最後に乱入させることを選択したのは、原作主人公である直江大和、さらに登場人物の中で影響力のある川神院、九鬼財閥の全てが一所に集結しているからです。(交流戦の舞台となる工場地帯が九鬼財閥ないし九鬼財閥関連の団体の所有であることは、CG背景から読みとりました)
そのあたりの描写を小出しにしたために、一層展開が原作のままになっていました。改めて申し訳ありません。




[31539] 002
Name: 甲子◆e575495c ID:ee30bfb0
Date: 2012/02/14 23:00



*****

 激闘の東西交流戦。
 昨夜の決闘は最後にひと悶着おきたものの、最終的に東軍勝利でまとめられた。
 川神鉄心が割って入った後、程なくして石田が倒れたからである。原因は短時間に大量の気を放出したため。つまり、東軍によって追い詰められたために切り札を披露した結果として自爆した、との扱いである。石田本人にして見れば大層不本意だろう。しかし、仮に鉄心が止めていなくとも石田は遅かれ早かれ倒れていた筈であり、石田が言うように東軍大将を討つほどの余裕はなかったと判断されたのである。その判断に至るまでに行われた協議には川神学園総長のみならず天神館館長が加わっていた以上、最早結論は覆らない。
 ただ不思議なことに協議には何故か九鬼財閥の人間まで含まれていたが、これをを知る者は少ない。
 一方、協議の結果が出るまで待機させられることになった東西両軍の生徒たちにしてみれば何とももどかしい時間。決闘の疲れを癒すために早く休みたい者、未だ体力が有り余っているがためにじっとしている事が苦痛な者、その他諸々。理由は各人それぞれだが、年頃の少年少女にとって『何もせずに待っていること』は苦の部類に含まれるということだ。そんな中で、降って湧いた空き時間を利用する者もいた。その筆頭が、直江大和。はやくも天神館の生徒相手に人脈構築の手がかりを得ている。その手際の良さは賞賛されるべきものであると同時に、彼を激しく慕う少女からの嫉妬を煽っていたりもした。

 そして、一夜明けて。
 長時間にわたる緊張を強いられていた疲れによって、大和は寮に帰りつくなり泥のように眠りに落ちていた。特に、軍師でありながら敵大将との戦いの場に足を突っ込んだことが後になって響いたのだろう。まるで気絶でもしたような、夢も見ないほどの深い眠りだった。
 それでも朝が来れば目が覚める。最後の力を振り絞り、何とか昨夜のうちにセットして置いた携帯電話のアラームが効を奏していた。
 尤も、例えアラームが不発に終わっていたとしても大和が寝過ごすことはなかっただろう。なぜなら今朝の大和は、布団に一人きりではなかったからだ。

「おはよう、大和」

 いつの間にか、そしていつものように大和の部屋へと忍び込んできていた椎名京が、大和の横で満面の笑みを湛えていた。途端、ふわり、と大和の鼻先に広がる少女の甘い匂い。健全な年頃の男子ならばあっという間に骨抜きにされ惑わされているだろう。
 だが、これまたいつものように大和は耐える。起き抜けでありながら、大した抵抗力だった。

「おはよう京。それで、今日はどこから侵入りこんだ」
「天井裏。罠を増やしたみたいだけど、あれぐらいじゃ私の愛は止められないッ!」

 常日頃から苛烈な求愛行動に晒されている大和である。当然、防衛も自然と高度なものになっているのだが、それでも京を止められない。大和自身が望まずとも罠設置技術は向上し、京の罠解除技術もまた向上する。これもまた切磋琢磨の一つの形なのだろうか。
 ただ実のところ、障害が困難になればなるほどそれを乗り越えた京の愛が深く重くなっていっていたりする。既に彼女の大和に対する愛のメーターはMAXだが、針は振り切れそろそろ何周目かに突入していた。つまるところ、止まることを知らない暴走状態。唯一のブレーキは、京が大和を愛するあまり大和が望まない行動には出たくない、という理性が働いていることだった。だが、その理性も最近箍が緩み始めている。

「お友達で。でも最近、妙に積極的?」
「口にするのは恥ずかしい。だからちょっと耳を貸して」
「うん……?」
「貰ったッ!」

 恥らう乙女のように頬を赤くした京に、半ば反射的に大和が耳を傾け――直後それを狙って飛び掛かってきた京を、大和は寸での所で回避する。
 無駄に洗練された鋭いタックルだった。大和がもう少し気を抜いていたら一瞬で足を刈られ、倒され、圧し掛かられ、京は本懐を遂げていたことだろう。尤も、ぎりぎりではあったがこの遣り取りは慣れたもの。おかげで大和は幸か不幸か意識していなくても咄嗟の回避行動が取れるまでになってしまっていた。

「お友達で」

 そして再びの発言。京の『好き』にこう返すのは最早お約束である。迂闊な答えをしようものならば大和にとって大変なことになるのは目に見えていた。釘はしっかりと刺しておかなくてはならない。情けは人のためならず、とは少し違うかもしれないが。
 今の攻防で乱れた服の裾を直しつつ、大和は起き上がって大きく伸びを一つ。勿論愛するヤドカリへのおはようを欠かさない。

「それじゃ着替えるから」
「うん、どうぞ。私はちゃんと後ろ向いてるから気にしないで」
「気にします。はいはい部屋から出る出る」
「むー」

 拗ねたように唇を尖らせる京を、構わず大和は部屋の外へと押しやる。
 上を脱ぐために両手が塞がっているところを襲われでもしたら抵抗のしようがないのだから、当然の処置。着替え一つ取っても脅かされる大和の暮らしだが、大和にして見れば慣れを通り越していた。

「(後で京が布団に何か仕掛けていないか確認しておかないとな……)」

 着替えながら、忘れないようしっかりと脳裏のメモに書き残す大和。
 感謝すべきは感謝するが、こと己に関する事について京は恐ろしい行動力をみせる。注意を怠ってはならないのだった。



*****

 朝の洗顔を終えた大和が洗面所から食堂へ到着する頃には、寮で生活する全員が既に顔を揃えていた。
 寮母であり友人の母親でもある島津麗子との挨拶を皮切りに、他の面々とも挨拶を交わして席についた大和の目に、早速飛び込んでくる大々的に新聞一面を飾った記事。

「……武士道プラン、か」
「ああ。よくまあ記事が間に合ったもんだ……読むか、直江」
「ありがとうゲンさん」
「勘違いするんじゃねぇ。ただ、後から言われて食事を中断させられたくねえからだ」

 字面だけ見ればツンデレ以外何者でもない台詞と共に大和に新聞を差し出す少年、源忠勝。
 言葉遣いは粗く他人を寄せ付けない雰囲気をまとっているが、その実、家事万能で気配りを欠かさないといった面もある。外見は不良だが、中身は頼れる兄気分。そのことをよく知っている者たち、特に大和は非常に懐いていた。
 新聞記事には『現代に蘇った真の武士』『壇ノ浦の興奮再び』といったセンセーショナルな見出しが踊り、記事の内容もどこか記者の興奮を感じさせる。しかし、それも無理はない。
 
「源義経、武蔵坊弁慶、那須与一……いずれも日本の歴史に名高い武将ばかり。今から会えるのが楽しみだ」
「源義経には昨日会って少しだけ話せたけど、なんていうか、こう、すごいしっかりしてたかな」
「ズルイぞ大和! 何で自分も呼んでくれなかったんだ!」

 ずい、と身を乗り出して大和に詰め寄る少女、クリスティアーネ・フリードリヒ。
 親しい相手からはクリスと呼ばれる彼女は日本をこよなく愛しており、特に日本の武将や侍といった存在への関心が高い。そんな彼女からしてみれば、一足先に義経と言葉を交わす機会を得た大和が羨ましくてたまらないのだろう。勿論、大和にして見れば偶然居合わせただけの幸運に過ぎず、ずるいと言われたところでどうしようもできなかったのだが。

「なー。ズルイよなー。ちっくしょー、そんな面白いことがあったのにその場にいられなかったなんて、キャップの名が廃るぜっ」
「まあまあ。どちらにしてもこの後で会えるんだし。それまでの我慢ってことで」
「うー…………イヤダメだガマンできない! ってことで俺は先に行くぜうおおおおおおっ――!」

 言うが速いか、弾かれた様に食堂を抜け寮を飛びだして行ったのは、風間翔一。
 その名にあるとおり、自らを風のように自由でありたいと考え、それを実現させている少年。東に興味を惹かれた料理があればその日の食べに行き、西に興味を惹かれた祭りがあればその日のうちに参加する。仲間からはキャップと呼ばれ頼りにされるリーダーの行動力を抑えられる者はそういない。
 ちなみに渾名の『キャップ』は翔一が特撮ヒーローをこよなく愛し、仲間たちに自らをそう呼ぶように宣言したことに由来する。

「初めて会ったばかりの方といきなり話せるだなんて……」
「『マジぱねーよなー。そんなテクがまゆっちにもあれば、きっと友達の一人や二人作り放題だったんだぜ』」
「ううっ……羨ましすぎます」

 一方、食卓の端の席で一人悲しみに暮れる少女、黛由紀江。
 彼女の話し相手は主にその携帯ストラップについた馬のマスコット――に宿った九十九神――の松風。
 傍からは一人で腹話術をしているようにしか見えない、そしてそれが事実であるという悲しい少女だったりする。ただ、忠勝をも超える家事スキルの持ち主。さらには剣聖と称される者を父に持ち、自身も無窮の才能を有する剣術少女として特別に真剣の帯刀を許可されるほど。ただ、その帯刀が彼女をより一層近寄りがたい存在として周囲に認識される原因のひとつになっている等、報われない面が多い。
 
「大和、ニュース始まるよ」
「ありがとう京」
「どういたしまして。お礼をしてくれるなら結婚して」
「いやいや飛躍しすぎだから」

 相も変わらず誘惑の手を緩めない京をあしらいつつ、大和はテレビへと視線を向ける。ちょうど、話題の渦中にある人物たちを生み出した九鬼財閥による記者会見の映像が流れ出していた。
 ――武士道プラン。
 過去の偉人をクローン技術によって現代に蘇らせる、という夢のような計画。
 しかしそれが夢ではないらしいことを、大和は知っている。何しろそのプランによって蘇った二人の人物たちと実際に遭遇していたから、これを疑うとなると自分そのものを疑わなくてはならないことになる。

「(源義経。それに佐々木小次郎)」

 大和は興奮した様子でまくし立てるアナウンサーの映るテレビを漠然と眺めつつ、自然と昨晩のことを思い出す。
 天から壁を駆け下りてきた少女、源義経。誰に気づかれることなくそこにいた男、佐々木小次郎。
 鉄心が佐々木小次郎と石田の戦いに割って入り、その後に石田が倒れて程なく、慌しく駆けつけた川神院の僧や九鬼財閥の関係者によって二人は連れていかれている。その後しばらくして義経と僅かに会話する機会はあったが、小次郎の方は顔すら見かけることはなかった。
 だから大和には、二人が石田をも超える卓越した剣の腕があるということくらいしか情報が無い。

「(そう。特に最後の構え。あれは一体、何だったんだ……?)」

 いつしか大和の思考はテレビから離れ、記憶の中へと沈み込んでいった。

*****

 意識の浮上は唐突に訪れていた。
 それでも取り乱さなかったのは、過去に同様の"経験"があるからだ。
 何者かによる召喚。
 抗うことの出来ない大きな力のようなものによって体がすくい上げられるような感覚は好ましいものではない。だが、苦言を呈することなど出来ようはずもない。
 僅かに揺れるような感覚は一瞬。
 直後、両足が地面の感触を伝えてくる。頬を撫でる風の香り。耳に届くのは鋼同士がぶつかる音。
 そして開いた目に映る、刀を構えて睨み合う男女。
 どれもが慣れ親しんだものだ。
 続いて己の体を検分すれば、薄紫の羽織袴をまとい背には長尺の愛刀、備中青江。四肢に欠損はなく、意識も明瞭。
 こうして"生き返る"のは果たして何度目のことだったものか、そんな益体もないことを考える。

「――ちぇえぇぇぇい!」

 ふと顔をあげれば、先ほど視界に映った刀を構えた二人のうち、男の方がこちらへと斬りかかって来ていた。足元には土煙を巻き上げ、その踏み込みの強さの程が窺い知れる。
 しかし、それは素人の考え。真に洗練された踏み込みは音すら立てぬもの。
 尤も、それは己も未だ届かぬ境地。
 未熟という点においては相手も己も変わるまい。

「――ク」

 しかし、理由は分からずとも己に挑もうとする相手が目の前にいて。
 その者が己と同じ得物を構えているならば。
 
「(――相手をせぬ等、以ての外よ。)」  

 この身に慣れ親しんだ五尺余りの備中青江を抜き放つことは、呼吸と同じ。意識せずとも体が動く。

「(さて、どう相手をしたものか。)」

 なるほど大した勢いで間合いを詰めてくる男を見定め、その技量を推し量る。
 異国の者のように輝く黄金の髪の男が手にした得物は間違いなく日本刀――だが、刃引きされているのが分かる。それが僅かに残念を覚えさせた。しかし男の気合に偽りは感じられない。間違いなく本気で打ちかかってくる相手に心が躍り、自然と口元が緩むのを止められない。

「――むう!?」

 己の残撃を捌かれたのが以外だったのか、男は驚きの声を漏らしていた。
 たしかに今の斬り下ろしは悪いものではなかった。真正直に受け止めていたならばどうなっていたか、とも思わせられる。だからこそ常のように受け流したのだが。

「防いだか。ならばこれはどうだ!」

 いうなり、男が猛烈な速度で無数の斬撃を放ってくる。
 肩口を狙う袈裟斬りに逆袈裟斬り。胴を狙う左右の薙ぎ。同じく左右の下段からの斬上げ。胴の中心へと伸びてくる突き。いずれも見事である。
 その一つ一つを、丁寧に捌き、受け流す。
 なるほど確かに豪語するだけのことはあった。しかし同じ金の髪の持ち主でも、いつか戦った記憶にある少女ほどではない。だから常に後手を自らに強いていながら、それでも余裕を失わない。

「いけません御大将! そやつ只者では――!」

 制止の声が横槍を入れてくるが、幸いにして男は止まらない。折角興が乗ってきているものを止めようとは無粋の極み。
 止まらずにいてくれた男には僅かな感謝の念すら覚えていた。その感謝が男に伝わったからというわけでもないだろうが、男は強引に距離を取った。

「ええい、このままでは埒が明かぬか……! かくなる上はこの状態でのみ放つことができるおれの真の秘剣で――」
「いけません、いけませんぞ御大将! それだけは決して使ってはなりませぬ!」
「黙れ島! こうまで虚仮にされて、黙っていられるものかよ!」
「御大将……!」

 直後、男の放つ気配が膨れ上がるのを感じる。それまでも大したものだったが、膨れ上がる気配はその数倍にも届く。
 この雰囲気に、覚えがある。それはつまり、男が隠していた一手を明らかにしようとしているのだ。しかもその一手は、およそ尋常なものではないと分かる。
 男が本気になった以上、己も加減をしていては礼を失するというもの。
 ゆえにここで応じる己の一手は、己が持つ唯一の技を置いて他にはない。
 そう心が定まれば、最早体は止められぬものとなる。立ち位置を変え、僅かに腰を落とす。相手を左の肩越しにひたりと見据え、顔の横に水平に青江を構える。
 構えだけで場の空気が己に威圧され、張り詰めたように震えているのが感じられた。それが実に心地良い。
 男も着々と力を蓄えていたらしい。なにやら刀身に雷の様な輝きが宿り、火花を散らしているのが見て取れた。
 あれほどの力を込めた一撃ならば相手にとって不足はない。

「喰らえ我が秘剣――!」
 
 瞬く間に間合いを詰めてくる男を冷静に見据える。
 さあ、そのまま進め。踏み込むが良い、己の間合いへ。そしてその目に灼きつけよ、己の技を。
 だが、その思いは叶わない。
 
「そこまでじゃ」

 唐突に現れた老人が、男の手を掴んで止めてしまっていた。落胆を覚え、同時に老人の強さに瞠目する。
 男を簡単そうに片手で押さえとどめていることもだが、いつ現れたのか全く分からなかった。仮に老人と戦うことになっていたならば、己の気づかないうちに背後をとられていたかもしれない。

「貴様は、いや、あなたは」
「まずはその力を収めよ、石田。……無論、そちらの御仁もじゃ」
「そう仰るならば……承知しました」
「それで良い。さて……」

 刀を納め身を退いた男に代わり、老人が歩み寄ってくる。
 依然、青江は構えたまま。己の間合いに入って来たならば、空舞う燕を逃がさない己の秘剣をもって老人を斬る。だが、しかし。

「ふむ、ここら辺りかのう」

 老人は足を止めた。その位置、間合いのちょうど一歩外。たった一歩、しかしその一歩を詰めねばいかな秘剣とて相手には届かない。
 構えを見ただけで己の間合いを把握されたことに、驚きを通り越して畏敬の念すら覚える。だからこそ己の秘剣がどこまで通じるか試して見たい。その上で勝利を得られれば、何者にも勝る喜びを得られよう。
 一方で心は警鐘を打ち鳴らす。老人は己の間合いの一歩外にいる。しかし翻って己は、果たして老人の間合いの外にいるのか。
 老人の手に得物はなく、徒手。であるならば青江よりも間合いが広いとは考え難い。考え難いのだが、それが考え違いではないのか。己の想像を超えた技を老人が持っていないと、どうして決め付けられよう。
 
「ワシは川神鉄心。御仁は一体何者か。名乗ってはくれんのかの?」

 穏やかな老人の声によって、老人へと向ける戦意が霧散させられる。しかもその上、先に名乗られてしまった。
 この場で老人との決着は諦めるほかない。
 青江を背に納め、老人を、さらに周囲の者へ顔を巡らせて確認する。周囲の者たちはいずれも年若き者たちばかり。されどそのほとんどが手練れ、中でも己と似たように髪をまとめた少女の腕は別格と見える。
 先達ては思う様に青江を振るえず臍を噛んだものだが、この様子ならば偽りの今生は楽しきものになりそうであった。
 ゆえに万感籠めて己の名を謳い上げる。
 
「――佐々木小次郎」

 願わくば望む戦いがこの身に訪れよ、と。



*****

 武士道プラン。
 世界最大の財閥とも称される九鬼財閥が突如として発表したそのプランは、高度に情報化された社会ならではの速さで瞬く間に世界を席巻した。
 日本の総理が懸念した通り、倫理面、技術面を中心に関連する組織、団体へと空前の混乱が波及していく。
 それらが暴発せずに済んだのは、自体があまりに想像を超えていたから。
 今はとにかく少しでも多くの情報を得なければ、何一つ判断することも出来ない。
 言葉にこそしないものの、世界各国の有力者たちの考えは期せずして一致していた。

「『九鬼財閥は本日未明、過去の英雄を現世に転生させたと発表しました――』」

 ニュースのアナウンサーは、さすがに語る情報が尽きたらしい。
 先程から同じ内容ばかりが繰り返されている。

「『これらの方たちは、本日から神奈川県は川神市の川神学園に編入することが合わせて発表されています。それに伴い同学園には川神院および九鬼財閥による厳重な警備が――』」
「みんな、そろそろ出かけないと遅刻しちゃうよ」

 その声と共にやってきたのは人ほどの大きさの、しかし明らかに人とは異なる輪郭の持ち主。卵のような体に、左右につき出たアンテナらしきもの。足はなく、滑るように移動する。漏れ出る光と、漏れ聞こえる電子音。
 
「もうそんな時間か。ありがとう、クッキー」

 クッキー、それが彼の名前。その正体は世界に名立たる九鬼財閥が開発し、紆余曲折を経てこの寮に住む主人に仕える、ご奉仕ロボット。丸っこい外見に似合わず器用なもので、趣味は掃除洗濯という中々家庭的な存在である。
 今朝も朝早くから寮の掃除に勤しんでいたらしい。

「……それじゃそろそろ出るとしよう。麗子さん、ごちそうさまでした」
「源義経たちが来るんだろう? ちゃんと仲良くしてやるんだよ!」
「もちろんだ! 共に学び競おうと思う!」

 手を合わせて席を立った大和たちに台所から麗子の檄が飛び、クリスが意気込んで応えていた。



*****

 寮で暮らしている者たちは、揃って学園に向かうことが多い。
 目的地が同じである上に、出発時間も同じなのだから不思議なことではないだろう。
 今日は大和、京、クリス、由紀江の4人揃っての登校。普段は翔一も一緒であることが多いが、今日は先に飛び出していってしまった。
 また、忠勝は群れることを嫌う。そのため一緒に登校することはない。
 その一方で学園に向かう多馬川沿いの道中、次々と合流してくる者たちがいる。
 例えばそれは、寮母である麗子の息子、島津岳人。
 同年代の少年たちの中で飛び抜けて大柄な、しかし太っているのではなく絞り込まれた体の持ち主。自慢の筋肉は見せ掛けではなく、その証拠にベンチプレス190キロを持ち上げるという怪力振りである。
 女性、特に年下の少女からの評判は悪いものではない。悪いものではないのだが……

「見てくれこの筋肉。今日も朝から最高のコンディションだぜ!」
「確かにすごい。が、だからといって公衆の前で脱ぐ奴があるか! 少しは公序良俗というものをだな――」

 本人は年上好きを公言して憚らず、しかも露骨に筋肉をアピールし過ぎるために未だ恋人を得たことがないという悲しい経歴の持ち主でもあった。
 続いて合流したのは小柄で色白の少年、師岡卓也。

「クリスの言うとおりだよガクト。もう少し周りの目を気にしないと」
「うっせーぞモロ! だったらその手に持ってるエロ雑誌は何だ?」
「エロじゃないよ普通の漫画だよ! 人聞きの悪いこと大声で言わないでくれる!?」

 特に岳人との付き合いが長く、丁々発止な遣り取りもお馴染みである。
 漫画やゲーム、電子機器といった方面の娯楽を趣味とする少年であり、押しは強くないもののマイペースなところがあった。その証拠に、卓也の手には今日発売された漫画雑誌。世間全体が武士道プラン一色で浮かれていても、普段から継続して読んでいる雑誌の購入を欠かさない。
 一方でそのマイペース振りは思い込んだら一直線な者が多い仲間たちの貴重な歯止め役。今日もそのツッコミが冴え渡る。

「モロは相変わらずだね」
「あはは。京に言われるほどじゃないと思うけど……そういえばキャップは? てっきり元気になって飛び跳ねてると思ってたんだけど」
「キャップなら我慢しきれずに寮を飛びだして行ったぞ。きっと今頃はもう学園に――」
「――どっこい俺はここにいるっ!」
「うわぁ!?」

 卓也の問いにクリスが生真面目さを発揮しているところへ、突然割り込んで来たのは誰であろうキャップその人。まるで地面から生えたような唐突さだった。
 だが何のことはない、川の土手を駆け上がってきたのである。
 種を明かしてしまえば単純だが、その行動は突風の如く前触れがない。慣れた仲間でも、よくこうして驚かされるほどだ。

「驚かさないでくれ、キャップ。それにしても、どうしたんだ。先に学園に行ったのではなかったのか?」
「それがさー、学園に行って九鬼の人んとこに義経たちに会わせてくれーって掛け合ったんだけどダメの一点張りでさ。待ってるのもつまらないから戻ってきたんだよ」
「無茶するなぁ……でも思った通り。キャップ、やっぱりテンション高いね」
「もちろん! あー、やっぱり気になる。気になるからもう一回掛け合ってくるぜ!」

 言うなり身を翻し、猛然と走り出す翔一。その脚力は大したもので、あっとう言う間に去っていく背中が見えなくなった。

「す、すごい勢いでしたねキャップさん……」
「『決して一所には止まらない風。オラも負けてらんねぇ……!』」
「分かりました松風。私も――」
「はいはいどうどう」
「珍しいね、まゆっちまでそんな風にテンション高いなんて。何かあったの?」

 妄想が暴走しつつあった由紀江を京が落ち着いて宥めれば、卓也がそんな由紀江の様子に首を傾げる。
 たしかに由紀江は普段は引っ込み思案の強い落ち着いた少女。今のように自分から飛び出していこうとするなど、滅多にない。
 
「もしかしてまゆっち、風がいつもと違うのを感じたせいか?」
「は、はい。昨日から……どうにも落ち着かなくて」
 
 もじもじ、と恥じるように胸の前で指先を合わせる由紀江。しかし、言葉はきちんと口にする。
 
「それってどういうこと?」
「ああ。昨夜から川神にただならない気配が渦巻いているんだ。直ちに危険というわけではないが、どうしても体は緊張してしまう」
「なるほど。それじゃ京も感じてる?」
「ちょっとだけ。でもそれ以上に私は大和の愛を感じてる」
「お友達で。でもそうなると姉さんが心配だな」

 大和が言う『姉さん』は年中闘いに餓えている。そんな彼女が川神に強者が集っていることに気づいたら、どうなるか。否、クリスたちが気づいているならば彼女もまた間違いなく気づいているはずだ。
 問題を起こさなきゃいいけど、と大和は願うばかりである。

「まあ、川神では何が起きても不思議じゃないよね。偉人のクローンがやってこようと、それこそ偉人本人がやってきてもおかしくないって言うかさ」
「あー、言えてるな。何しろうちにも身に覚えがありそうなのが」

 うんうん、と卓也と岳人が頷き合う。
 実際、川神という地はおよそ常識ではかりきれない所がある。武術の総本山としても武家の鍛錬場所としても名高い川神院などがその筆頭であり、他にも多馬川に架けられた多馬大橋が通称『変態の橋』と呼ばれるなど数えていけば枚挙に暇がない。
 例えば、二人の見つめる先にいるクリスなどもその一人。彼女は川神にやってきた当初、馬に乗って登校した経験の持ち主だ。更にその父親は、有事の際には戦闘機に乗って駆けつけるという傍迷惑なドイツ軍中将なのだった。



*****


 川神学園は世界的に有名な川神院を擁する川神市の代表的な学園である。生徒の個性を尊重し、いくつもの独特な授業、行事、規則が存在する。例えば決闘システムもその一つだ。
 校訓は『切磋琢磨』。生徒同士が競い合うことで高みに昇ることを是とし、各学年に『S組』という学力に秀でた者のみが在籍を許されるクラスがあるのもその表れである。
 生徒たちを導く教師たちも必然的に個性豊かな者が多い。その筆頭が学長の川神鉄心だが、他にも副業に何でも屋を営んでいる者や、武家出身で鞭の名手などが名を連ねている。
 その一方、生徒たちもまた個性豊かだ。九鬼財閥を統べる九鬼家の男児や、川神市最大の病院院長の息子など、挙げていけば限りがない。
 尤も、全員が全員個性豊かというわけでもなく、普通の教師、普通の生徒も存在している。むしろそちらの方が人数の割合としては多い。
 ともあれそんな川神学園。
 今朝は臨時の朝礼が設けられていた。その目的は、言うまでもない。

「――以上が今日から、3年、2年、1年のS組に入ることとなる転入生じゃ。皆、仲良く競い合うが良いぞい」

 3年S組に葉桜清楚。
 2年S組に源義経、武蔵坊弁慶、那須与一。
 1年S組に九鬼紋白、ヒューム・ヘルシング。
 以上六名が川神学園の中でも成績上位者のみが在籍を許されるクラスへ転入することが発表される。それぞれが行った自己紹介はいずれも個性的で、大きな驚きも少なくなかったものの、生徒たちは概ね友好的に迎え入れる雰囲気だった。
 そんな中、大和は首を傾げていた。
 足りないのだ。てっきり昨夜のあの人物もまた、川神学園に転入してくるものだと思っていたから。
 大和の疑問を感じ取ったわけでもないだろうが、まさにその時。壇上の鉄心が口を開いた。
  
「そしてもう一人。こちらは2年F組への転入となる」

 ざわざわ、と生徒たちが声を潜めて囁き合い、それが全体として看過できないほど騒然となる。それほど鉄心の言葉は生徒たちの意表を突いていた。
 ここまで武士道プラン関係者は全てS組に転入している。にもかかわらず一人だけがS組ではなく、しかもよりいよってF組なのは一体何故か。
 F組はS組とはまた違った意味で個性豊かな者たちが集められている。ここでいう個性とは、主として学力以外に秀でた何かを有している者だ。つまりこれから発表される人物も、そういった者である可能性が高い。

「彼もまたこれまでの者らに劣らぬ、日本が誇る英雄じゃ。佐々木小次郎! 来ませい!」

 声に導かれ鉄心に代わって壇上に上がる川神学園指定の白い制服を纏った男、佐々木小次郎。その姿を目にした生徒たちが口々に感想を漏らし始めていた。
 
「美形! 超美形だわ!」
「キタコレ! スゲーイケメン系!」

 女生徒の多くは、小次郎の涼やかな美貌に色めき立つ。何しろ学園で指折りの美形男生徒に『エレガンテ・クアットロ』などといった称号を作ってしまう彼女たちである。その彼女たちをして、小次郎の容姿は目を奪われるほどだった。
 一方の男生徒は、

「チッ! 所詮女は顔かよ……」
「敵だ。ヤツは敵だ…・・・」

 主に嫉妬と羨望のあまり呪いを吐いていた。中には極少数であるが、女生徒と同様に小次郎を熱く見つめる視線の持ち主もいたりしたがここでは割愛しておく。
 ともかく、女生徒からは熱い視線、男生徒からは冷たい視線という両極端な視線を浴びつつ、小次郎は壇上から列を成した生徒たちを一望する。
 
「川神鉄心殿より紹介に預かった。私は佐々木小次郎という。どのような因果かこの川神学園に通う仕儀となり、これからは皆と同じ学び舎にて机を並べることになる。何かと迷惑を掛けることになるやもしれぬが、どうかよろしく頼む」

 自己紹介の声は、鈴を転がしたように澄んでいた。最後に下げた頭と共に、後頭部で結った髪が揺れる。声、動作、一つ一つに色気があった。
 当然、女生徒はますます色めき立ち、男生徒たちからの嫉妬の視線が強くなる。しかし当の小次郎自身は一切気づいていないのか、全く動じた様子はない。

「さて、皆も疑問に思っておろう。何故この者だけがS組ではなくF組なのか。そのことについてじゃが――」
「その理由は私から述べよう」

 小次郎の容姿に気をとられてい忘れられていたが、転入する組が一人だけ違うのも確かに疑問であった。その疑問が早速、しかも当人の口から語られるという。必然、男女の区別なく全員が小次郎の言葉に耳を傾ける。誰もが小次郎の一言一句に固唾を呑んでいた。
 
「私はその生涯、刀を振るい続けた。それゆえ学が無い。今更そのことを恥じはせぬが、しかし話に聞くところによると、私以外の他の者たちはいずれも武のみならず智にも秀でているという。いやはや、才の差を痛感させられるばかりよ」

 もちろん、一般的な知識は有している。しかしその知識は知識に過ぎず、S組で学力を競うほどではない。
 堂々と語られたその理由に、生徒たちが再び騒然とする。確かにS組ではなくF組に転入する理由としては間違っていない。理解できる。しかしかの英雄、佐々木小次郎が。あの佐々木小次郎が自らの無知を認めようとは。違った意味で、予想だにしていなかった。
 特に、S組に所属する生徒たちの一部からは速くも興味が失われつつある様子だった。彼らにして見れば学力こそが唯一。それを持たないという者を相手にするつもりはない、ということだろう。
 しかし、小次郎に恥じた様子は無い。それも当然。彼にとって学とは重要なものではなかったから。そして彼にとって重要なものとは、その背にある青江と同じ重みと、その技だけ。生涯を賭して完成した技へ満足しながら死んだ身であれば、学の有無など気にしたことも無かっただろう。

「僭越ながら申させて頂きます。小次郎様がF組への転入となりましたのは防犯上の観点から、という理由がございますのであしからずご承知ください」

 先程クラウディオ・ネエロと名乗った従者が小次郎の言葉に付け加えていた。
 クラウディオは九鬼家従者部隊序列3番に数えられる執事。位階としては2年S組に所属する忍足あずみより低位ではあるものの、実際は彼女を凌駕する腕前の持ち主である。
 なお川神学園には九鬼家直属の護衛として二名の従者が在籍することになり、さらには様々な支援を行うために少なく無い数が派遣されることになっていた。

「ゴホン。以上七名! いずれも名に恥じぬ者たちじゃ。皆、校訓にあるとおり切磋琢磨を心がけるが良いぞ」
「これで臨時の朝礼を終わりとする! 一同姿勢を正して――礼!」

 2年F組の担任にして武家の血を引く女教師、小島梅子の号令によって朝礼は解散となった。
 三々五々、生徒たちはそれぞれの教室へと戻っていく。いずれの顔にも、大なり小なり転入生への関心を滲ませながら。
 一方、転入生たちはそれぞれ転入する組の担任の元へと集う。もちろん小次郎もその一人であり、梅子のもとへと足を運んでいた。

「そちらが小島梅子殿で相違ないだろうか」
「うむ。私が今日からお前の所属する組の担任を務めている小島梅子だ」

 合流し、揃って2年F組の教室へ向かう。それは案内と途中で生徒たちが接触してくるのを防ぐための処置だった。

「F組は問題児も多いが仲が良いからな。佐々木も直ぐに馴染めるだろう」
「そうであってくれるとありがたい。何分このような学び舎に通うのは初めてのことなのだ」
「ほう、そうなのか……そうなのか?」

 小次郎の『今まで学校に通ったことがない』ととれる発言に梅子が眉を顰める。
 少なくとも、聞いていた話によれば義経ら3人は地方の学校に身分を隠して通っていたはず。小次郎もまたそうだろうと梅子は思っていたのだ。

「あ、いや、それはだな」
「私めが代わりにお答えしましょう。小次郎様には少々人には言い難い事情がありまして、これまでの学習は全て家庭教師によるものに御座いました。そのため、このように通学なさるのは初めてのことなので御座います。小島様、どうか御配慮お願い致します」

 咄嗟に答えあぐねる小次郎に代わり、どこからとも無く姿を見せたクラウディオが解説する。
 更に、必要十分な説明を終えたと単に姿を消す。
 それらの様子はまさしく従者。主に対しあらゆる面で補佐する執事という点においては、九鬼に数いる従者の中でも彼を超えるものはいない。

「そういうことか。いや、すまないな。込み入ったことを聞いてしまったようだ」

 ソツのないクラウディオの説明を受けて、梅子が謝罪する。恐らくはクラウディオが言った『人には言い難い事情』を汲んだものと思われる。
 しかし実際のところ、小次郎にそれほど複雑な事情があるわけではない。生前は学び舎に通う余裕などなかった。佐々木小次郎となってからは言うまでも無い。なるほど確かに人には言い難いが、梅子が謝ったのは深読みしすぎであった。
 尤も、わざわざそれを蒸し返す小次郎でもなかったが。
 そうこうしている間に、二人は目的地である2年F組の教室に辿り着いていた。

 
 ―――そして、佐々木小次郎の川神学園での日々が幕を開ける。




*****

【後書き】

改定第二話をお送りしました、甲子です。いかがだったでしょうか。
未だ状況説明的な内容なので、どうしても小次郎中心に出来ていません。そのためご指摘頂いた『展開が原作どおり』という点を脱却できていないと再度ご指摘されることになりそうです。
次回からは小次郎に対するF組の反応やそもそも小次郎が川神学園に転入するに至ったかといった話になります。なので原作とは異なる話を進めていける予定です。

ここで一つ、皆様に質問させて頂きたいことがあります。それは、
 【小次郎が己を"佐々木小次郎"であると証明するための手段として燕返しを披露することが『ありえる』か『ありえない』か?】
です。

小次郎は"佐々木小次郎"と名乗ることを喜んでいたように、己の剣技を披露することもまた喜んでいました。
ただ、燕返しだけは小次郎の思い入れが段違いのようなので、容易に披露するべきではないと承知したつもりです。
その上で、例えば小次郎に対して「佐々木小次郎である証拠を見せろ」と問われた場合に、証拠として燕返しを披露するかどうか。その点につき『ありえる』か『ありえない』か、よろしければ皆様のご意見をお聞かせ頂きたいと思います。

*****

【修正履歴】
2/13 東西交流戦終盤で石田が倒れた理由を追加
   小次郎の服装の描写を追加(川神学園指定の白い制服)
   誤字修正

 



[31539] 003
Name: 甲子◆e575495c ID:ee30bfb0
Date: 2012/02/15 19:16



*****

 佐々木小次郎は、己の数奇な運命を前に戸惑っていた。

 かつて冬木の地にて佐々木小次郎の器に収められる者として召喚され、名もなき魂であった己が佐々木小次郎を名乗ることになった。
 そして昨晩この見知らぬ世界に放り出され、武士道プランなるものの一員として佐々木小次郎のクローンであるとされた。
 しかしそれも、今の状況を思えば安らかなものだったのかもしれない。
 眼前に広がるのは、その数およそ四十からなる男女の列。いずれも己へ関心を注いでいることが表情から窺える。他者と武を競い、己の剣を披露することに喜びを覚える身とて、これは何とも居心地が悪い。
 川神鉄心。ヒューム・ヘルシング。いずれ劣らぬ強者からの威圧すら受け流した小次郎が、生徒たちの前ではどこか狼狽している。その理由は単純、慣れの問題である。
 小次郎は世界の英雄と剣を交えた記憶がある。強者と相対した時、威に呑まれることなく我を貫くことが戦う以前の心構えであると分かっている。何より強者との戦いは望むところだ。
 一方、幼さの残る男女はどうか。しかもそれが戦う相手でなければどうか。
 
「ええい、静かにせんか! ……よし。佐々木、改めて自己紹介するがいい」
「承った」

 梅子の鞭が唸りを挙げ、騒いでいた男子生徒が物理的に沈黙させられる。その様を見て私語を続ける剛の者はいなかった。
 水を打ったように静まり返る教室内で、小次郎は一段高い教壇に立つ。
 騒がしかった先程よりも、静かになった分だけ小次郎に向けられる視線が強まっていた。そういう意味では、小次郎にとっては梅子の行いが却って仇であったりする。
 それでも表面上は変わらない態度を貫き続けていたことは賞賛されてしかるべきだろう。
 黒板に白墨で己の名を記していく。
 本来ならば名を書くどころか、名も無かった身。そもそも字の読み書きすら出来なかったものが、人並み程度には扱えるようになっている。かつてならば聖杯からの支援の一言で済ませられたものだが、果たして今の己に聖杯の支援があるものなのか。
 ただ現実に生きていく上で不都合が起きないことは正直なところを言えば助かるものだった。

「既に知ってのこととは思うが、改めて名乗らせて貰う。私の名は佐々木小次郎。本日よりこの教室の一員となるが、よろしく頼む」
「うむ。皆、分かっていることとは思うが、彼もまた武道プランの一員として現代に甦った偉人の一人とのこと。現代人として恥ずかしい振る舞いをしないよう心掛けるように。……よし、何か質問があれば挙手していけ」
「はいっ!」
「川神か。よし、一番手はお前に任せよう」
「やった!」

 誰もよりも速く、そして元気良く手を挙げた川神一子を梅子は指名。
 当てられた一子は全身で喜びを露わにしながら立ち上がった。
 
「え、えーと、佐々木小次郎さん?」
「佐々木でも小次郎でも、好きに呼んで貰って構わぬよ」
「それじゃ小次郎さん、って呼ばせて貰うわね。小次郎さんの背の刀って真剣よね? やっぱり、物干し竿なのかしら?」

 真剣、という言葉を受けて、じっ、という擬音が聞こえてきそうなほどにクラスの生徒全員の視線が小次郎の肩辺りに注がれる。その位置にはちょうど、背に帯びた刀の柄が覗いていた。
 ここ川神学園では武道が奨励されている。川神院が武の総本山であり、周囲に暮らす人々の中には武家の子孫も少なくない。そのため武器を目にすること自体は慣れている。そもそも教室の前方、黒板の上に幾つもの武器のレプリカが並んでいた。
 ただしそれは基本的に模擬刀等の殺傷力を制限したものだ。一つ下の学年に真剣を帯刀している者がいるが、それはあくまで数少ない例外に過ぎない。

「ふむ、問いには順に答えよう。まず私の刀は備中青江。確かに物干し竿と呼ばれているらしいが、あまり良い響きではない。できれば避けてもらいたい呼称と言えよう。次に今この背にある刀だが、真剣ではない」
「び、びっちゅうあおえね。難しい名前だけど、分かったわ……あれ。でも、確か昨夜は真剣だったような」
「そちらの疑問には私めが答えさせて頂きましょう」

 小次郎にとっては最早恒例となりつつあるが、突如として表れたのがクラウディオ・ネエロであることは疑うまでも無い。
 目を丸くしている一同に向けて優雅な一礼をした後、クラウディオは手の平の上に向けて小次郎の刀を指し示した。

「こちらの刀は九鬼財閥が用意した小次郎様の刀の完璧なレプリカに御座います。なお備中青江本来の刀身は現在、小次郎様の許可を得て研究のために貸与して頂いております」
「青江を手放すのは断腸であったが。しかし長さや重量はいうに及ばず、全ての点において青江と変わらぬ程の見事な品を用意されてまで懇願されたのでは、無碍にすることも出来ぬ」
「はい。改めてご協力に感謝致します、小次郎様。それでは私めはこれにて下がらせて頂きます」

 出現したときと同様、音も立てずに消えるクラウディオ。もちろん実際には廊下へ出ていっただけのことなのだが、その動きがあまりに滑らか過ぎて目で追えないほどなのだ。結果、気づいたらいなくなっていたように感じてしまう。
 小次郎をして感嘆させられる動きだった。
 ましてやそれをはじめて目にした2年F組の生徒たちの驚きは筆舌に尽くしがたいものになっている。

「ま、まぁ、そういうわけだそうだ。川神、質問を終えたら席につけ。他に質問がある者はいるか?」
「はい」 
「甘粕か。うむ、お前なら何の問題もないな。質問していいぞ」

 小さな手を大きく伸ばした少女、甘粕真与。この2年F組で最も小柄であると同時に最も年長であるという、小さなお姉さんである。クラス委員長の職に就いており、担任である梅子からの信頼も厚い。その証拠が、梅子が真与を指名した時の言葉から窺えた。
 座っていると小柄に見える彼女は、立ち上がるとますますその小柄さが目立つ。その小さな体を折り曲げて、真与は小次郎に深々と頭を下げていた。最大限の敬意を籠めた礼である。
 対する小次郎もまた、自然と答礼を返していた。

「はじめまして、佐々木さん。このクラスで委員長をしている甘粕真与です。あの、佐々木さんは何月生まれの、何歳ですか?」
「確かに佐々木の落ち着きは大したものだからな。私も気になるところだ」
「それは何と答えて良いものやら。生前は……数えておらぬな。そして今生は――」
「――18歳以上なのは間違い御座いません、甘粕様。決してお間違えなきようにお願い致します」

 再びのクラウディオによる補佐。しかし先程よりも語気が強めなのは、それが大切な情報だからなのか。
 そしてやはり消えるクラウディオに、F組の生徒は速くも順応しつつあった。ろくでなしの集まり、などと揶揄されることも少なくないF組ではあるが、溢れるバイタリティは他のクラスを凌駕する。環境への適応力は随一だった。 

「そ、そうなのですか……ええと、何だかちょっと複雑みたいですけど、私がクラスのおねーさんなので困ったことがあったら頼りにしてください」
「それはありがたい。甘粕殿、そのときにはお願いする」
「はいっ」

 嬉しそうに席に戻っていく真与。世話好きな彼女にしてみれば、仲間が増えることは歓迎である。しかも自分頼ってくれる相手なら尚更だった。結局何月生まれなのか、何歳なのかは分からないままだったが。
 その後もHRの時間を全て使って小次郎への質問は続けられた。
 彼女はいるのか――特に興味を抱いている女性(にょしょう)はいない。
 もしかして男色なのか――衆道の気はない。
 等々、年頃の生徒からの興味は尽きない。一部不埒な発言をして梅子から鞭による教育的指導を受ける者を出しつつ、HRの時間は過ぎていく。
 この僅かな時間で気力を使い果たし、しかし学園で過ごす時間の大半が未だ残っているという事実を前に小次郎は打ちのめされつつあった。
 かつてこれほどまでに絶望し掛けたことがあっただろうか。いや、あるまい。

 ――壇上にて晒されながら、小次郎は学園に通うことになった昨夜の遣り取りを後悔と共に思い出していた。



*****

「フハハハ! 九鬼揚羽、降臨である! ……ふむ。お主が佐々木小次郎か」
「いかにも。私は佐々木小次郎だ」

 老人、川神鉄心によって金に輝く髪の男との戦いを制された後。佐々木小次郎はどこからともなくやってきた黒服の男たちによって、ある場所へと招待されていた。
 その場所は芸術に疎い小次郎をして見事と分かる壷や彫り物が飾られ、足元に敷かれた織物は毛が長く柔らかな感触。天井は高く、嵌め込まれた硝子は磨き上げられ一点の曇りも無い。それらを一言で形容するなら、豪勢と言う他ない。
 それもそのはず、ここは世界に名立たる九鬼財閥の極東本部。ただの一棟のために費やされた財貨は他に類を見ないだろう。
 現在、そんな建物の中でも特に贅を尽くされた一室にて腰を下ろした小次郎の姿があった。
 他にも部屋の中には複数の人間の姿がある。
 そのうちの一人が今まさに小次郎の正面に立つ女性、九鬼揚羽。額にある×の字の跡が目を引く美女である。髪は長く、膝裏に届くほど。全体的に白を貴重とした服を身にまとっている。そしてそれら目の見た目以上に、漂わせている風格は彼女が只者では無いと主張していた。

「さて。本来ならばまずお主がどこの組織に属する人物で、どのような目的を持っているのか確かめるところである。……クラウディオ?」
「はい、揚羽様。事前に聴取致しましたところ、全てこちらにまとめて御座います」
「さすが、良い手配であるな。どれ……」

 振り返ること無く差し出した揚羽の手に、ファイルが乗る。気がつけば揚羽の隣には、その直前まで部屋の扉の脇に控えていた執事、クラウディオ・ネエロの姿があった。
 揚羽はクラウディオから受け取ったファイルに目を通していく。たまにその手が止まるのは、揚羽をして興味を惹かれる点があるからか。
 程なくしてファイルを一読し、揚羽は嘆息一つ。

「……ふむ。佐々木小次郎。お主が話したという内容はこれで我の知るところとなった。その上で問おう。お主の言に偽りはないか?」
「さて。虚言を弄した覚えは無いが」
「では一つ、我から良い事を伝えよう。……この日本にお主の言う冬木市などという土地は無い。もちろん、聖杯などといった物も存在してはいない!」

 冬木市。
 そこは日本有数の霊地であり、そうであるがゆえに一つの儀式の舞台として見出された土地。
 聖杯。
 それは「最後の晩餐」において、キリストが弟子達に「私の血である」としてワインを注ぎ、振舞ったという杯のことである。しかし、冬木市における聖杯は少し違うものだ。冬木市にて取り行われる儀式により降臨する聖杯は、願望機。人々のあらゆる願いを叶えるという器である。
 そしてその聖杯を入手せんと争う魔術師による戦争、聖杯戦争。
 聖杯の支援により一人の魔術師につき一騎のサーヴァントを召喚。一人と一騎からなる組が七組作られ、その七組によって繰り広げられる聖杯争奪戦。
 佐々木小次郎。
 聖杯戦争においてキャスターのサーヴァントによって召喚されたアサシンのサーヴァント。より正確に言えば、佐々木小次郎という器に相応する名も無き亡霊。そして、キャスターが陣を敷いた寺の防備のため、その入り口たる山門に括りつけられた存在である。
 その佐々木小次郎は今、山門はおろか冬木市ですらないこの地にいた。
 
「正確に言えば冬木市という地名はある。しかしその地に柳洞寺という寺はなく、教会もない。つまりそこは、お主が言う冬木市では無いということになる。……これがどういう意味か分かるであろうな?」
「この短時間にそなた等がどれほど詳細に調べ上げたのか分からぬが、それが真に事実であるならば私は天下の大嘘つき、ということになるか」
「では認めるか? 佐々木小次郎ではなく、石川五右衛門であると」
「……その者は大嘘つきではなく大泥棒であろう。そして私は石川某などでない」
 
 揚羽の突きつけた事実を前に、しかし小次郎は揺るがない。
 その堂々たる態度をじっと睨み据えていた揚羽は、小次郎が屈さない様子を見て僅かに笑みを溢す。
 何故なら、小次郎が己の名前を誇りにしていることを感じ取ったから。揚羽もまた自らの誇りを大切にしている。そこに共感めいたものがあった。
 さらには手応えのない柳の様に飄々とした態度を崩さないが、芯が一本通っている所にも好感を覚え出していた。
 しかし、それだけで小次郎を信用できるものではない。九鬼家と九鬼財閥は、既にそれだけのものを背負っている。

「ヒューム。お主はどう思う」
「はい、揚羽様」

 揚羽の問い掛けに応じる声は、小次郎の背後から聞こえていた。
 それまで一言とて発することなく、しかし何よりも雄弁に小次郎を威圧し続けた人物、ヒューム・ヘルシング。九鬼家の器の大きさを認めて仕えており、総勢千人が在籍する九鬼家従者部隊において別格の0番が与えられ、今は九鬼紋白の直属の護衛を務めている。かの前武神、川神鉄心のライバルだったとされ、高齢ながら技の鋭さにますます磨きの掛かっている化物。
 そんなヒュームが何故紋白の傍を離れ、この場にいるのか。
 それこそ九鬼家が小次郎に対して今の所どのような評価を下しているかの証明なのかもしれない。

「私から見れば赤子のような存在です。……が、見るべきところもあるのも事実。特にそう、良くもそこまで己を追い込めたものだな、貴様」
「何、他にやる事もなかったのでな」

 相手の底を見透かすようなヒュームの鋭い視線。もちろん背後からなので小次郎には見えない。しかし叩きつけられる圧力は凄まじく、子供はおろか大人であってもそれだけで膝が笑い腰が砕けるだろう。
 しかし小次郎は一切感じさせない態度で応じてみせる。
 短い言葉の中に小次郎の何を感じ取ったのか。それがヒュームの興味を引いたのは間違いない。一頻り笑うと揚羽へ向き直り、姿勢を正して主に己の意見を伝える。

「クク。他にやる事がなかった、か。――まあ、そういうことです。揚羽様がこの者を登用なさるというのであれば反対は致しません」

 恭しく腰を折るヒュームに揚羽は鷹揚に頷き返し、続けて横の者へと視線を向ける。

「ならばクラウディオ、お主の意見はどうだ」

 揚羽に指名されたクラウディオは、既に答えを決めていたらしい。
 ヒュームとは異なり、即座に己の意見を口にした。

「はい、揚羽様。私めもヒュームと同意見に御座います。加えてもう一つ。もしこの者が真に佐々木小次郎であるならば武士道プランの一員として扱うことも出来ましょう。また、後に有事となりました時に有用で御座います」
「む? 後の有事とな」
「はい」
「それ以上の説明はせんか……まあよいわ」

 いささか釈然としないものを抱えつつ、揚羽は頷いた。クラウディオが濁した内容は気になるが、この優秀な従者が説明しなかったのだ。即ちそれは、今のところ主たる揚羽が知る必要のないことに違いない。
 九鬼の従者が九鬼家に絶対なる忠誠を誓っているように、九鬼家もまた従者たちに全幅の信頼を寄せていた。今の遣り取りなど、まさにその証左であると言えよう。

「さて、我らの厳重な管理化にあった工場地帯へ誰にも察知されることなく侵入したこと。義経の太刀を受けて見せた天神館の大将その者を歯牙にも掛けぬその腕前。いずれも野に放っておくには勿体無き物である」

 小次郎の前へと歩み出ながら、揚羽は進むごとに言葉を重ねてゆく。そして遂に、正対する位置に辿り着いた。必然、視線が衝突する。
 揚羽の冷静な、しかしその身に宿した炎の如き苛烈さの宿ったその視線が、小次郎に注がれる。揚羽の視線はヒュームのそれとは違い脅威は感じさせず、しかし威圧感という点では負けていない。
 むしろ、揚羽の方が勝っているところもある。絶対的王者の風格とでも呼べばいいのか、見つめられるだけで自然と膝をつかねばならない気にさせられるのだ。
 だが、小次郎はそんな威圧すらも風に吹かれる柳の如く受け流してみせる。

「面白い。面白いが、さて、そうなるとお主の身分をどうすべきかが問題であるな。何しろ九鬼家の力を以ってしてもお主が何者であるか、血液鑑定、指紋、声紋、虹彩、ありとあらゆる角度からの調査を行っても判明しておらぬ。身分証明の類も持ち合わせず。なるほど、確かにお主は佐々木小次郎の名を持った亡霊のようなものか」

 小次郎の前で腕を組み、揚羽は思案に耽る。
 九鬼財閥が武士道プランを公のものとするこのタイミングに合わせたように現れた男、佐々木小次郎。
 彼は一体何者なのか。
 真実、歴史上の偉人と同一人物が時空を超えてやってきたとでもいうのか。それとも九鬼財閥以外の組織が九鬼財閥と同様に遺伝子から甦らせた人物なのか。前者は荒唐無稽も甚だしいが、後者もその可能性は低い。
 更に、先程のファイルにあった小次郎の話。到底信じられないという点では似たようなものだ。
 ただ実のところ、彼女にとって小次郎が何者であるかは重要ではなくなりつつあった。
 九鬼家が己の配下に求めるものは何よりも実力、そして次に忠誠。九鬼従者部隊に属する者には前身が暗殺者であるような後ろ暗い者がいる。それすらも呑み込む九鬼には、ヒュームも認めた器の広さがある。
 そして、既に実力という点では申し分が無い。他者への評価が異様に厳しいあのヒュームまでもが納得しているのだ。また、有力な者は影響下に抱え込むのが九鬼の人材確保の基本である。
 しかし名を偽る者が忠誠を捧げるとは考え難い。もちろん忠誠と言っても、身命を捧げるということではない。最低限、九鬼に対して敵対しないことだ。無論、身命を捧げるほどの忠誠を持つ者なら言うことは無い。
 故に今確かめなければならないことは、小次郎を歴史上の偉人"佐々木小次郎"として認めるか否か。認めたことで九鬼に有益なものがあるか、だった。 

「――改めて問おう。汝、佐々木小次郎に相違なきか」
「然り。私は佐々木小次郎だ。他に名乗る名は持たぬ」
「ふむ。常なら世迷言か妄言の類と切って捨てるところであるが……しかし、お主の澄んだ瞳に嘘は感じられぬ。はてさて、如何にして確かめるべきか――ふっ!」

 全く予備動作を感じさせることなく放たれる、揚羽の拳。狙いは正面、浅く座した小次郎の額。
 両者の間の空気を貫いた拳は、揚羽の性分を示すかのように一直線に小次郎へと吸い込まれていき。

「ほう。微動だにせぬか」

 そして、その額に触れる寸前で止まっていた。

「殺気の欠片もない突きなど――」

 さらりと涼しい顔でのたまう小次郎。そう、揚羽は初めから拳を当てるつもりはなかったのである。
 とは言え、人間ならば迫る拳を前にすれば体が反射的に動くもの。しかし、そんな反射すら小次郎は己の意思一つで封じてみせた。
 一方の揚羽も、突き込んだその拳と小次郎の額の間に紙一枚ほどの隙間も生じさせていない。これだけで、その高い技量が窺えると言えよう。

「――避けるには及ばぬよ」
「であるか――はあっ!」

 再度放たれる打突。しかも教書の手本のように見事な先程の突きよりも、なお洗練されている。加えて揚羽に寸止めで済ませるつもりはなく、間違いなく額を割らんとして放たれたそれは。
 またしても、小次郎の額に触れるか否かに止まっていた。
 結果を見れば、先程と全く同じ。けれど、その結果に至る過程は全く異なる。
 重ねて言うが揚羽に寸止めで済ませるつもりはなかった。
 そして、注意深く確認しなければ気づけないほど僅かであるが、小次郎の頭部は先程よりも後ろに下がっている。
 これらが意味するところは即ち、小次郎が揚羽の間合いを完璧に見切って見せたということだ。

「フハハハ! 見事である!」
「……なんとも豪快な女性(にょしょう)よ」

 己の拳が届かなかったことを、揚羽は悔しがった様子はない。それどころか両手をそれぞれ左右の腰に当てて呵々大笑であった。
 顔色一つ変えずに拳を回避した小次郎も、さすがにこれには驚いたように目を瞠っている。
 が、そんな反応を返されても揚羽は一顧だにしない。

「しかし、我が一撃を避けただけを以ってお主をかの剣客と認めるわけにもいかんか」
「そちらから仕掛けてきながら手前勝手な話もあったものだ。しかしそういった手合いが好みならば話は早い。ここは一つ、己が証を立ててみせようではないか」
「ほう。何を以って証とする」

 問われた小次郎はすぐさま答えを返さず、ゆったりと立ち上がる。すらりとした長身は、しなやかでありながら真ん中に通った芯を感じさせた。さらに、それまでとは異なる雰囲気が漂い出している。
 それを敏感に感じ取ったのだろう、揚羽の顔にはますます楽しげな笑みがこぼれていた。

「さあ、我に何を見せてくれる」
「私は非才の身、不器用者でな。それゆえ、ただ一つに春夏秋冬昼夜の別なく心を傾けた。その果てに至りし我が剣こそ私の証に他ならぬと考えるが、如何か」
「武を以って己の証とするか―――その意気や好し! よかろう。ならばその剣、見せてみるがよい!」

 ―――その日、九鬼財閥中枢に激震が走ることとなる。もちろん物理的にではない。いわば精神的にである。しかし、それだけに関係者の動揺は決して無視できるものではなかった。
 しかし、それらの事実は即座に敷かれた緘口令によって外部には一切漏れ出ることはない。
 ただ、その日を境にして九鬼財閥の科学開発研究部門に計上される予算が倍増していき、更には世界各地から精鋭と呼んで差し支えない研究者たちが集められることになる。
 集められた彼らに与えられた命題は―――




*****

【後書き】
ここまで読んで頂き、ありがとう御座います。著者の甲子です。
前話の後書きでさせて頂いた質問へのお答え、ありがとう御座いました。貴重な参考にさせて頂きます。


頂いた感想によると、筆者の力不足で混乱を招いている様子。申し訳ありません。
本来であれば本文中でより詳細に描写すべきなのですが、今は欄外にて簡単にまとめさせて頂きます。

まず、Wikipediaなどから集めた情報が、以下の通りです。

『Fate/stay nightにおける佐々木小次郎と"佐々木小次郎"』
 佐々木小次郎はFate/stay nightに登場したアサシンのサーヴァントです。
 その正体は名も無き人物。その人物の魂が燕返しを会得していたために歴史上の偉人・英雄である"佐々木小次郎"という器に収められ、今の佐々木小次郎という存在になっています。
 得物は備中青江の銘を持つ五尺余りの長刀。

 "佐々木小次郎"とは歴史上の偉人・英雄そのもの。巌流島で宮本武蔵と決闘したなどの逸話が有名な、正真正銘の存在です。
 日本史において安土桃山時代から江戸時代初期にかけて実在したとされる人物。ただ、名前や年齢などには諸説あるようです。
 得物は備前長船長光の銘を持つ三尺三寸の長刀。

続いて、ここ以下は本作品独自の設定になります。

『本作における佐々木小次郎』
 001終盤から登場している佐々木小次郎は、前述した『Fate/stay nightにおける佐々木小次郎』です。なぜ彼が真剣で私に恋しなさいの世界に出現したのかは、今後の話をお待ちください。
 本作中では「武士道プランにより現代に甦った歴史上の偉人である」と紹介されていますが、これは九鬼財閥の思惑によって情報操作されたものです。
 これにより、佐々木小次郎に対する認識が三つの階層に分かれます。

 一つ目の階層が佐々木小次郎自身の認識。
 前述の通り、"佐々木小次郎"という器に魂として入った名も無き人物であることを自覚している。
 二つ目の階層が九鬼財閥の中でも九鬼家に近い者の認識。
 佐々木小次郎を名乗る素性不明の男、という認識。ただし歴史上の偉人である"佐々木小次郎"として扱うことが九鬼の益になる「とある理由」があったので、武士道プランの一員として公表した。
 三つ目の階層がそれ以外の者の認識。
 歴史上の偉人である"佐々木小次郎"のクローンと認識。九鬼財閥が世間一般に対して公表したため、それがそのまま認識されている。

よって本作品内における佐々木小次郎は、世間的には義経らと同様に過去の偉人のクローンと認識されていますが、実際はクローンではありません。Fate/stay nightに登場した"佐々木小次郎"という器に魂として入った名も無き人物です。

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Name: 甲子◆e575495c ID:ee30bfb0
Date: 2012/02/15 19:19


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 学園全体が沸き立つような興奮に包まれる中、それでも一日の時間は流れてゆく。
 今日一日、休み時間の度に佐々木小次郎を一目拝もうと2年F組の教室には大量の野次馬が押し掛けて来ていた。その内訳は同じ学年の他のクラスに止まらず、別の学年にまで及んでいる。
 それでも、見目麗しい女性である3年S組の葉桜清楚や2年S組の源義経と武蔵坊弁慶の3名に比べればまだマシだろう。2年S組前など男生徒が黒山の人だかりを作ったために通行すら妨げられ、辟易したS組の某軍人が蹴散らす展開にまで発展していたからだ。
 尤もその代わり、小次郎の元にはその美男子ぶりを一目見ようとする女生徒たちが来ていたわけだが、男生徒に比べれば分別がある。さすがに窓や扉に張り付くような真似をする者はいなかった。

 ともかく、激動の一日が終わり今は放課後。さすがにこの頃ともなると興奮もいくらか収まっている。野次馬の姿も廊下に見えるが、それでも大分減った方だろう。
 やれやれ、と凝った肩を労わりつつ小次郎が席を離れようと立ち上がり。その瞬間を狙い済ましていたかのように声をかける者たちがいた。

「佐々木さん。どうだった? 学園初日を過ごしてみて」
「む。お主たちは―――」

 声の主へと振り向いた小次郎の視界には、七人の男女。身長体格も違えば、纏った雰囲気もそれぞれ個性豊か。だと言うのに全員でまとまっていることに違和感がない、そんな不思議な一団。
 小次郎も、その不思議な者たちの姿に多いに興味を引かれる自分を感じていた。

 まず口火を切ったのは、七人組の中で人当たりの良い笑顔を浮かべた少年。

「自己紹介が遅れて失礼。直江大和、この2年F組で軍師的な役割をさせてもらってる」
「ほう、軍師とな。なるほど言われてみれば直江殿には智に長ける者に通ずる雰囲気がある」
「おおっ、大和があの佐々木小次郎に褒められているわ」
「軍師といっても仲間内の間だけですから、そこまでは。次はワン子ね」

 大和が身を引き、代わりに前に歩み出たのは赤い髪を後頭部で結った少女。

「私は川神一子! よろしくお願いするわ」
「なんとも快活なものよ。これはこちらまで気分が優れてくるというもの」
「たしかに、俺様もワン子に負けてはいられんと筋トレにも気合が入るぜ」
「えへへ……次はクリの番よ」

 一子に続いて歩み出たのは、一目で日本人ではないと分かる金髪の少女。

「自分はクリス。クリスティアーネ・フリードリヒだ。佐々木殿、高名な侍である貴公に会えて感激している」
「丁寧な挨拶、痛みいる。私もそなたのように美しい髪の女子(おなご)を見ることができて嬉しく思う」
「うんうん、クリスの髪ってさらさらで綺麗なんだよねえ」
「あ、ありがとう。それと、もしよければなのだが今度手合わせをお願いしたい。……ほら、京」

 クリスティアーネ―――クリスに促され、すい、と前に出る最も小柄な青髪の少女。

「どうも。大和の妻、椎名京です」
「なんと。直江は既に妻帯しておったか」
「いやいやいや、京のは冗談だから。冗談」
「そのうち本当にしてみせるけどね。はい次、ガクト」

 京が肩の辺りに手を掲げ、示した先には見事なポーズを披露する大柄な少年。

「おう、俺様が島津岳人だ! 見てくれこの筋肉。パワーなら誰にも負けねえぜ?」
「うむ、日頃の鍛錬が見てとれる。かの金剛力士にも比肩しよう」
「むー……しかしガクトには、こう……品格が足りないと自分は思うんだが」
「ううっ、褒められたかと思った直後にそれかよぉ。落差がすごいぜ……次、モロの番な」

 岳人の肩を掴まれる様に前に押し出されたのは、気弱げな笑みを浮かべた線の細い少年。

「お、押さないでよガクト。っと、僕は師岡卓也。機械関係とかなら、ちょっとは役に立てるかも」
「それは助かる。なにしろ生来不器用な性質(たち)でな。是非、お願いしよう」
「あはは。その時は頑張らせてもらうね。じゃ、最後はキャップに飾ってもらうよ」
「応よっ」

 卓也が道を開けるように下がったところへと跳躍し、見事な着地をするバンダナを頭に巻いた少年。

「最後に真打が颯爽登場! 俺がみんなの頼れるリーダー、風間翔一!」 
「これはまた見事な身ごなしよ。なるほど、その名の通り風の如き快男児よな」
「お! 言うより先に分かってくれるなんて、さすがは佐々木小次郎!」

 最後を飾った翔一を中心に左右三人ずつが並び、計七人。さらにここにはいない二人を加えた総勢九人こそが、

「俺たち風間ファミリー、佐々木小次郎を歓迎するぜっ!」

 ――風間ファミリー。
 メンバーはここにいるリーダーの翔一を筆頭に、大和、一子、クリス、京、岳人、卓也。そして3年の川神百代と1年の黛由紀江。
 別名、風間翔一と愉快な仲間たち。
 個性豊かな生徒で溢れる川神学園の、さらに個性の豊かな2年F組において、中心となることが多い集団である。

 今も、気がつけば風間ファミリーの自己紹介が契機となり、クラスに残っていた全員が立ち上がって小次郎に向けて思い思いに歓迎の意思を示していた。
 実を言えばこれは軍師と称される大和の仕込み。事前にクラスメートの何人かに対して風間ファミリーの行動に追随するよう頼んでおけば、後は場の勢いでクラス全体の流れとなる。
 目的は、自分たちの存在をより強く感じてもらうと共に好意を伝え、小次郎との間に良好な関係を築くためだ。

「いや……皆、ありがとう。なんとも気恥ずかしいものだが、嬉しく思う」

 裏では冷静な計算があったとは知らず、小次郎は素直に歓迎を受け入れていた。
 面食らったようとも照れているともとれる小次郎の様子を見て、ますます教室内は盛り上がり、更には廊下にいた野次馬たちをも巻き込んでの大喝采になっていくのだった。


*****

「というわけで、済し崩しに学園を案内することになったわけだけど。よく考えれば、もう既に九鬼財閥と学園から一通り紹介されてるだろうから……どこか特に、改めて見てみたいところある?」
「ふむ、そうだな」

 自己紹介からクラス挙げての歓迎の挨拶に繋げるという大和発案の策は、予想以上の盛り上がりとなった。いや。なってしまった、と言うべきか。
 その盛り上がりが呼び水になり、一度は落ち着きを取り戻しつつあった野次馬が再び激発。山のような人だかりに十重二十重と取り囲まれ、さしもの小次郎も進退窮まるといった様相を見せるに至り。

 そして、一人の少女が立ち上がった。

 少女の名は、甘粕真与。
 2年F組の学級委員張を務める、クラス最年長であると同時に最も小柄な少女。150センチに満たない体で押し寄せる野次馬を相手に必至に解散を促していく。
 何とも健気なその行動に、彼女の親友である小笠原千花が誰よりも早く賛同。
 そして、当初は小次郎を囲んでいた2年F組がそのまま反転、壁となって野次馬を下がらせていく。

 ―――なお、小笠原千花の次に甘粕真与の援護に回った者が実は2年F組所属ではない某ハゲだったりしたが、そのことに気づいていた者は少なく、気づいていた者はいつものことなので放置していたりするが、ここでは重要ではないので割愛する。

 ともかく。
 野次馬の対処を風間ファミリーと2年F組のクラスメイトに任せ、大和は小次郎を伴い教室の窓から脱出を決定。騒ぎの元凶である小次郎が教室内に不在と分かれば、野次馬たちも程なく沈静化するだろうと目論んでの事である。
 教室は学園の二階に位置していたが、小次郎は苦もなく飛び降りる。そこまで身体能力に優れていない大和は、しかし日頃から周到に用意してあったロープを用いて降下に成功。
 そうしてようやっとまともな放課後を手に入れた小次郎は、ほとぼりが冷めるまでクラスに戻るのは待とうと言う大和の提案を受けて学園内の施設見学に繰り出し、今に至っていた。

「直江よ、私はこの学び舎に来て日も浅く、今一つこれといった行き先が思い浮かばない。そこで、だ。ここは足の先の赴くままにゆるりと回ってみたく思うのだが、どうだろうか」
「ああ、なるほど。それがいいかもしれない。足の向くまま気の向くまま、ってヤツだね」
「では……まずはこちらの方へ向かってみるとしよう」

 そんな遣り取りを経て。
 まず辿り着いたのは、学園に在籍する年頃の生徒たちの胃袋を支える食堂。
 早速食堂に足を踏み入れる―――その前に、入り口脇にあるガラス張りの陳列棚に並んでいるメニューのサンプルを目にした小次郎が感嘆のため息を漏らしていた。

「なんとも精巧な造りよ。予め模造品であると教わっていなければ気づくこと適わなかったであろう……いや見事見事」
「ん? ……ああ、うん。普段は気にも留めてなかったけど、佐々木さんの言う通りすごい精巧だ。たしか、日本の食品サンプル技術は世界でも高く評価されてる」
「うむ、これほどの技術ならばそれも頷けよう」

 あちらこちらに動き回りながら、小次郎は様々の角度から食品サンプルを検分していた。すっかり目を奪われたといった様子であるが、その姿は事情を知らない者から見ると、レストランで料理に目移りしてはしゃいでいる子供の様だったりする。その姿に、大和は僅かに怪訝そうな様子で眉を顰める。ただ、今の時間帯は食堂を利用するものは少なく人通りもあまり無いため、幸いにして小次郎自身の気づいていない醜態を知る者は大和のみに止まっていた。
 一頻り鑑賞を堪能して満足した小次郎は、特に空腹でもなかったため食堂を利用せず、次なる場所へと足を向ける。
 そして、その道すがら。

「それにしても、如何なる時でも己の好む物を食すことが出来るとは。いやはやこの国も豊かになったものと痛感させられる」
「あー……やっぱりそうなのか」
「うむ、その日暮らしていけるだけの食料があれば御の字よ。巷には餓えた者が溢れておったし、それが理由で毎日のように死んでゆく。思い起こせば、かく言う私も幼い時分は木の根を齧って凌いだものよ」
「歴史を知っているとはいえ、生き証人から直接聞かされるとなると想像以上だったらしいのがよく分かる」

 小次郎からかつての日本の実情を聞かされた大和が神妙に頷いたり。

「食と言えば、佐々木さんは何か好物はある?」
「好物か。あまり考えたことはなかったが、さて…………おお、そうだ。川で採れた鮎を煮付けた―――名を何といったか」
「もしかして、佃煮?」
「うむ、それよ! 鮎の佃煮、であったな。一度だけ食す機会に恵まれたが、あれは何とも言えぬ美味であった」
「ふむふむ」

 小次郎の好物を聞いた大和が得たばかりの情報を脳裏に書き止めたり。
 そうこうしている間に両者の心理的距離が以前よりも大分近くなっていったのは、大和がこれまで培ってきた人脈形成の経験ゆえだろう。
 時折出くわす生徒から注目されたり、質問を投げかけられたりしつつ、二人が食堂に続いて辿り着いた場所。

「ここは……道場か?」

 それは、弓道場だった。
 弓道部顧問でもある梅子の許可を得て、小次郎と大和は部活動中の弓道場へと上がらせてもらう。
 直後、小次郎に気づいた弓道部員が悲鳴のような歓声を挙げたのも無理はない。弓道部は女生徒が部員の大半を占めている。そこへ突然やってきたのが今学園で最も話題になっている人物たちの一人。しかも美形である。騒ぎになって当然だった。
 すわ先程2年F組で起きた騒ぎの再現かと身構えかけた小次郎だったが、その危惧は二人に続いて道場へ上がった梅子によって未然に防がれていた。

「さすがは梅子先生」
「まさしく。惚れ惚れするような大喝であったな」
「世辞を言うでない! ―――まあ、悪い気はせんが。それよりも佐々木、弓に興味はないか?」

 いささか急な話題転換だが、それは何も照れ隠しというわけだけではない。梅子は弓道部顧問として、学園に在籍する武に長けた者に対して一通り勧誘を行っている。そして今回の勧誘もその一環だった。
 ふと大和が周囲に目を向けると、弓道部員の女生徒の多くが小次郎と梅子の会話に意識を傾けているのが見てとれた。喝を入れられ慌しく部活動に戻った彼女たちだが、それはあくまで表面上のものに過ぎなかったらしい。何とも強かなことだが、逆に言えばこれぐらいでないとここ川神学園での生活を潜り抜けられないということなのかもしれなかった。

「生憎弓の経験は持ち合わせておらぬゆえ、申し訳ないが」
「待て待て、佐々木。そう決め付けてはいかん。経験が無いと言うならばこれから積めばいいのだからな。まずは試してみてからでも遅くはないだろう」
「……ふむ。一理ある」
「では、そうだな―――」

 瞬間、静かに。静かであるがその実、凄まじい電撃めいたものが弓道部員たちの体に走ったという光景を、小次郎は幻視していた。
 全員が全員、背を向けているが、誰もが自分の一挙手一投足に全神経を集中させている。何やら只ならぬ気配を感じていたが、結局は己を害するものではないと判断して意識の外へ置くことで落ち着いた。
 そして。

「―――矢場、すまんが」
「はいっ! 直ぐに用意してきま―――用意してくるで候」

 梅子に呼ばれた一人の女生徒が雷で打たれたかのように反応、嬉々とした態度で振り返り、しかし直後にきりりと引き締まった表情になる。それでも完全には律しきれなかったようで、足取り軽く用具室へと向かっていく。
 一方、他の女生徒たちは表面的には変わらないものの、明らかに剣呑な気配を漂わせていた。
 さらに、程なくして戻ってきた女生徒から弓を受け取った梅子が出した指示によって、弓道場に満ちつつあった気配が更に色濃くなっていくことになる。

「矢場。私は弦の張りを確かめておくので、その間に佐々木の準備を手伝ってやれ」

 ――そこからはもう大変だった。その場に居合わせた大和は後に仲間に語っている。
 きっかけは梅子の指示を受けて矢場と呼ばれた女生徒が小次郎に弓懸けを嵌めさせようと手をとったこと。顔を真っ赤にさせつつも冷静を装っている女生徒の姿に、他の弓道部員たちの我慢がその限界を突き破ったらしい。
 我も我もと小次郎の元へ押し寄せ、さしもの梅子すら呆気にとられる間に小次郎は女生徒たちに呑み込まれる―――寸前、再起動を果たした梅子の鞭が唸りを上げた。目にも止まらぬ早業で、怪我を負わせることなく女生徒たちを捌いていく。
 その隙を突いて大和は小次郎と共に弓道場を離脱し、その後どうなったかは知るべくもない。というか知りたくもなかった。
 梅子へ感謝もそこそこに、とにかく弓道場から見えない位置へ。

「さ、さすがに追いかけては来ないか」
「実(げ)に恐ろしきは女子(おなご)の行動力よ。世の男女が平等とは分かっていたつもりだったが、これほどのものか」
「……川神は特に女性が強い土地柄なんだ」
「うむ、今まさに実感したところよ」

 ようやく安全を確保した後、小次郎は大和と揃って額に浮かんだ汗を拭うのだった。



*****

 弓道場に続き、小次郎は大和と共に足の赴くまま学園施設を巡り。そして最後に辿り着いた場所は、第2茶道室。なるべく人の少ない方へと進んでいった結果だった。
 第2茶道室はその名の通り川神学園にある二番目の茶道室であり、予備の部屋である。そのため通常は使用されず、半ば空き教室となっている。また、学園内でもやや辺鄙な場所に位置するため、通りがかる生徒も少ない。サボリ癖のある生徒にしてみれば優良物件間違いなしである。
 ただ、使用するにはもちろん学園の許可がいる。生徒が勝手に上がりこめば、相応のペナルティを受けることもあるだろう。だというのに、この部屋を無許可で使う人物がいた。

「お。来たな直江……ってなんだ。話題の渦中の人物と一緒とは、ここはさすがと言うべきなのかね」

 第2茶道室の奥。畳の上で胡坐をかきながら将棋盤を眺めていたその人物は、やってきた小次郎と大和を迎え入れた。
 顎に蓄えたヒゲ。だらしなく緩んだ首元のシャツ。草臥れ気味のスーツ。いずれも学園の生徒には持ちえない特徴であるが、それも当然。
 二人を出迎えたその人物の名は、宇佐見巨人。
 ここ川神学園の教師であり、現在は2年S組の担任。担当科目は人間学と呼ばれる、川神学園が目指す個性ある生徒の育成を目的とした教科である。本職として代行業を営んでいることから抜擢されたのだった。
 そしてここ第2茶道室を無許可で使っている張本人である。いくら教師であっても許可は必要なところ、部屋をほぼ私物化しているという辺りいい加減さがよく分かるというもの。そもそも茶道室に将棋盤など常備しているはずもない。あえて言うまでもなく巨人の私物である。

「や、ヒゲ先生お邪魔するよ」
「ふむ。ヒゲ殿、お邪魔する」
「ああどうぞ、ってそれだと俺の名前がヒゲみたいじゃん。宇佐見だよ、宇佐見巨人。オジサン、たしかに生徒たちからはヒゲ先生なんて呼ばれてるけどさ」
「それは失礼した。改めて。宇佐見殿、お邪魔する」

 将棋盤を挟んで巨人と正対する位置に腰を下ろした大和に倣い、大和の右手側から盤を囲む位置に腰を下ろす。
 本来の用途として教室が使用されていたならば正座すべきだろうが、今はそんな堅苦しい場面ではない。全員が全員とも胡坐である。
 
「次、俺の手からだったよね」

 すい、と手を伸ばして盤上の駒を動かす大和。
 今日以前から巨人と対局しており、中断した後そのままの盤面が残してあったのだ。
 
「そ。……で、ここに来たのは外の騒ぎから逃げるために、ってあたりか」
「正解。佐々木さんと一緒に学園まわってたんだけど、ちょっと一休みするのにはちょうどいい場所だったんで」
「なるほどね。佐々木はどう? 学園生活、やっていけそうか? ああ、ここでは特に敬語とかきにしなくていいからな」
「承知した。問いの答えだが、初日にして早くも気疲れが酷い。慣れておらぬゆえとしても、中々に不安も尽きぬよ」
「なるほどねえ」

 教師らしい助言が出るかと思えば、さにあらず。巨人は顎を撫でるだけだ。
 冷たい態度に見えるが、実のところはそうでもない。相手が求めて来たならともかく、自分から押し付けはしないというスタンスなのだ。
 だから、生徒の事を何も考えていないということではない。むしろ学園の教師の中では生徒思いである。
 事実、生徒からの人気も上から数えた方が早い。最もその人気は、尊敬されていることを必ずしも意味してはいないことに注意しなければならない。
 
「S組はどんな感じ?」
「まあ概ね問題……あるなぁ。義経と弁慶はどっちも手が掛からなさそう、っていうか義経いい子過ぎて困るくらい。逆に気を使われちまったりしてるしな。…………ただ、与一がなぁ」

 源義経。武蔵坊弁慶。那須与一。
 武士道プラン中核の三人は、巨人が担任を務める2年S組に転入している。
 当然、それによる大小様々な苦労が巨人に圧し掛かっているだろうと予想した大和の考えは、一部当たっていた。

「那須与一、朝礼もさぼってたしね。一匹狼?」
「もっとヒドイ。一種の病気だな、あれは。――病名、中二」
「む。直江、どうした」

 小次郎は、声もなく沈んだ大和の姿に目を丸くする。そのあまりに唐突な倒れ方に「すわ毒でも呷ったか」など脳裏で考えるほどだった。
 
 ――しばらくして。
 ようやく復帰した大和は、しかしなお苦しそうに胸を押さえている。巨人が告げた言葉は、かつて同じ病をこじらせていた大和に凄まじい衝撃を与えていた。

「宇佐見殿、中二という病はそれほど重いものなのか」
「人それぞれだけどな。こじらせると大変なことになるのは間違いない。しかも治っても黒歴史なんて後遺症が残るヤツもいるしな」
「そうなのか……」
「やめて! それ以上ヘンなことを佐々木さんに吹き込まないで! ……強引に話変えるけど、弁慶はどんな感じ?」

 言葉で制止するのみならず、大和は小次郎と巨人の間に伸ばした手を挟んで物理的に制止する。その必死さは、件の病がどれほど大和の古傷を抉るかの裏返しだろう。これ以上は血を吐いて倒れる、大和の顔にそう書いてあった。
 さすがの巨人も大和の様子に哀れみすら感じたらしい。苦笑と共に話題転換を受け入れる。
 他方、小次郎には大和の狼狽が何なのかよく分かっていないため、すっかり話を聞く側である。それでも知らないことを知る、ということに興味を感じている様子だった。

「弁慶か。さっき言った通り手が掛からなさそうなんだが、まだ何とも言えねーな。今日のところは川神水飲んでダラダラしてたぞ」
「――おや。私の話をしているね」

 不意の声に、大和と巨人は驚きを浮かべつつ声の聞こえてきた方へ目を向ける。果たしてそこに、やや気だるげな雰囲気を纏った少女の姿があった。
 彼女の名は武蔵坊弁慶。
 九鬼財閥の主導する武士道プランによって現代に甦った過去の偉人"武蔵坊弁慶"のクローンである。
 やや乱れた黒髪に長身ながら均整のとれたスタイルは美少女と呼んで何ら差し支えは無いだろう。むしろ、言われなければ武蔵坊弁慶のクローンだと分かる者はいまい。
 携えた錫杖にもたれかかるように立ち、腰には瓢箪を下げていた。

「だらけられる場所を探してたら声が聞こえたんでね。あ、上がらせて貰うよ?」

 言うが早いか、弁慶はさっさと第2茶道室に上がり込んでいた。そして、やはり将棋盤を囲む位置に腰を下ろす。ちなみに彼女もまた正座ではなく、片膝を立てたようなあぐらをかいていた。
 結果、小次郎を基点とするなら、時計回りに大和、弁慶、巨人が将棋盤をぐるりと囲んだことになる。
 がらんとした殺風景な教室で中年と少年少女があぐらをかいて将棋盤を囲む光景。傍目にはどんなものに映るのか気になるところだが、幸か不幸かここは滅多に人が通り掛らない。
 
「ん、初めての顔だ」

 腰を下ろしてからようやく、といった様子の弁慶の言葉を契機にして互いに自己紹介が始まる。
 そこで大和があることに気がついて声を上げた。 

「あれ。弁慶と佐々木さん、初対面なの? 同じ武士道プランの一員だから、てっきり顔見知りだと」
「九鬼の者によると何か事情があったらしい、とな。そういうわけだ、改めてよろしく頼む、武蔵坊殿」
「弁慶でいいよ。私も小次郎って呼ばせて貰うけどね。詳細は私たちも聞かされてなくて、今朝初めて知ったって感じかな」
「へえ」

 そのまま話は学園生活関係へと流れていく。
 すると必然、会話の中心になるのは大和である。この四人の中でもっとも話術に秀でていると言うこともあり、会話の展開が巧みなのだ。
 弁慶の今日一日の様子や、気になったこと。小次郎の放課後のぶらり旅(?)等々。しかし、いずれの話ものんびりというか、何ともまったりしたものだ。話に夢中、といった雰囲気にはならない。 
 だからだろう、弁慶がポツリと呟いた。
 
「いいね、この雰囲気」
「うむ。学園の皆の活気も決して悪いものではないが、一人静かになりたい時もあるというもの。直江、宇佐見殿、折りを見てここを使わせて貰ってよいだろうか」
「あー、いいよいいよ。お前らなら全然問題なし」
「仲間が増えるのは歓迎だしね。むしろ今までヒゲ先生と二人きり、っていうことが今更ながらにどうかと思った」

 小次郎の提案に、大和も巨人も快諾を返す。
 実際は二人の承諾があったところで教室無許可使用に変わりは無いのだが、そこは先住者への配慮というものだろう。
 
「それじゃお近づきの印に」

 そういって弁慶が差し出した朱塗りの杯には、なみなみと無色透明の液体が満たされていた。
 
「これは?」
「佐々木さんは初めてか。これ、川神水っていう川神特産品のうちの一つでね。ノンアルコール……酒じゃないんだけど、場で酔えるっていう代物なんだ」
「ほう、酒ではないのに酔える水とは奇妙な物もあったものよな。ではありがたく頂こう」

 弁慶から杯を受け取り、小次郎は早速一口。途端、目を輝かせる。そして、そのまま一気に杯を干していた。

「おお、いい飲みっぷり」
「何とも言えぬ味わいよ。確かに酒では無い。酒ではないが、美味い」
「いいねいいね。飲める奴に悪い奴はいないからねえ。それじゃ次、大和もどうぞ」
「頂きます」

 返された杯に弁慶は再び瓢箪から川神水を注ぎ、今度は大和が受け取る。こちらは飲み慣れた様子で一息に呷っていた。そして、その頬が僅かに赤く染まる。
 重ねて言うが川神水はアルコールを含んでいない。だが、なぜか酔える。
 酔えてしまう以上、飲酒規制に引っかからずとも学園の風紀に抵触する可能性がある。そしてこの場には、風紀を守る側である教師がいるのだ。
 しかし弁慶は一向に気にした様子もなく、それどころか巨人にも杯を差し出していた。

「先生も一杯いっとく?」
「おう。……って言いたい所だけど、さすがに学園内で生徒から受け取るわけにはいかねーよ。と言うかいくら川神水とはいえ大っぴらに教師の前で飲むってどういうことよ?」
「あー、美味し」
「聞いてねぇし。まぁいいけどよ、他のところでは一応気に掛けておけよ」

 巨人の忠告を、弁慶は杯に口をつけたまま手をひらひらと振って返す。
 そんな教え子の姿に、やれやれ、といった様子で巨人は肩を落としていた。



*****

 第2茶道室で思うままに過ごしている間に太陽は傾き、はや夕刻。
 小次郎は大和、弁慶と共に校庭へと向かっていた。義経を迎えに行くと言う弁慶に、小次郎たちがついて行くことにしたのである。
 三人が校庭に出たとき、ちょうど義経の用事が終わるところだった。その用事とは、決闘。
 薙刀を構えて突撃した川神一子の放った一撃を、義経は跳躍して避ける。そして、着地と同時に再び跳躍、一子との間合いを一気に詰めるなりその肩口を斬りつける。
 義経の無駄のない動きを見て、小次郎は己の腕が疼くのを感じていた。
 
「それまデ! 勝者、源義経!」

 両者の決闘に立ち会っていた教師、ルー・イーによって決着が告げられた。
 校庭に人垣を造っていた観戦していた生徒たちから大歓声が巻き起こる。その様子からして、二人の戦いは手に汗握る白熱したものだったらしい。惜しみない拍手は、勝者の義経だけでなく敗者の一子にも送られている。
 どうやら義経の最後の一撃は寸前で力を抜いていたらしく、一子は怪我らしい怪我をおっていない。二人は力強く握手を交わしていた。

「義経、お疲れ様ー」
「弁慶! 一体どこに行っていたんだ……あ。そちらの二人は」
「小次郎と大和。さっき意気投合した、飲み仲間だよ」
「うん、東西交流戦のときに義経は二人と会っている。――ああっ! またお前はそうやって飲んで。義経はいつも言っているだろう、飲みすぎては壊れるから制限するようにと」

 のらりくらり、といった態度で義経の追及をかわす弁慶。どうやらこれが二人の普段の関係らしかった。
 源義経。
 彼女もまた九鬼財閥の主導する武士道プランによって現代に甦った過去の偉人"源義経"のクローン。
 弁慶に比べると小柄だが、きりりと整った眉がその意思の強さを窺わせる。
 先程の決闘でも振るっていた刀は既に腰の鞘に納められている。刀の名は薄緑。義経記に記されている"源義経"の愛刀が由来である。

「うう。弁慶は川神水のこととなると義経の言葉を聞いてくれない……」
「それほど譲れぬものがある、ということであろう。ある程度は大目に見てやっては如何かな」
「そうそう、小次郎はいいこと言うね」
「う、ううん……いや、佐々木さんの言も分かるが義経は弁慶を甘やかしてはいけないと思う。放っておいたら大変なことになるかもしれない」
「ちょットいいかナ」

 弁慶の腕を掴んでこれ以上は川神水を飲ませまいとする義経に、背後から声が掛けられる。
 義経が慌てて振り返ると、少し困った様子のルーの姿があった。

「会話が弾んデいるところすまないネ。決闘希望者はまだ残ってルけど、どうしたいかナ?」
「あ! はい、やります。義経は一人でも多くの人と手合わせしたい」
「放課後ずっと決闘続けてたんだよね。大丈夫?」

 大和が眉を顰めるのを無理はない。
 義経は放課後になってから何人もの挑戦者との決闘を繰り返していた。技量の差から一瞬で勝負が決まってしまうことが多いとはいえ、全く疲れていないということはないだろう。
 今は余裕があるとしても、初日からこれでは体がもたない可能性もある。
 
「これは、武士道プランの一員である義経の役目だ」

 しかし、義経は大和の言葉に首を左右に振って答えた。そして刀の柄に手を掛けて、次の挑戦者を向かえるべく踏み出し。
 踏み出した義経の視界を遮るようにして、その視界を白が埋め尽くした。慌てて下がればその分視界が広がり、そうすると白の正体が直ぐに分かる。

「佐々木さん?」
「義経殿。聞けばお主、一人で戦い続けたとのこと。それが役目と言うならば止められはせぬ。が――」

 義経を遮った白は、小次郎の背中。
 すらりとした長身が夕日に赤く染まりつつある校庭に影を落としていた。

「役目と言うならば、私も武士道プランに名を連ねた身。ここは一つ、私が引き継ごう」
「で、でもそれは」
「いや、小難しい話は無しとしよう。先程の義経殿の戦い、実に見事であった。ああも美しいものを見せられては、私もじっとしてはおられぬのよ。――皆の者よ! これよりこの場は、この佐々木小次郎が引き継がせて頂く!」

 そして、小次郎は一息に背の備中青江を抜き放った。刃引きされたレプリカではあるが、その長く美しい刀身は本物に劣らない。
 また、五尺余りの刀を抜く動作に一切の無駄がない。そして無駄のない動作とは、それだけで人の目を惹くものがある。
 事態を見守っていた生徒たちも、これで一気に湧き立つ。
 いくら義経とて、観衆を完全に味方につけた小次郎を押し退けてまで決闘に応じるわけにもいかない。最終的には弁慶に諭され、しぶしぶと言った様子で引き下がっていた。
 
「さて、次の相手はどちらの者か」
「ム。それなんだけド、今ここにいるのハ全員が源義経への挑戦者なんダ。だから君が相手をしてしまうわけにはいかないヨ」

 青江を提げて校庭の中央に歩み出た小次郎だったが、たしかにルーの言うとおりである。
 体を使った内容で決闘を行う場合は、本来事前の申請が必要になる。今回、武士道プランの関係者への挑戦が殺到することが予想されていたため、後者の事前申請は川神院師範ないし師範代が決闘に立ち会う条件で緩和されていた。
 しかし、それでも基本的に決闘は二者の間の合意で執り行われる。既に義経への挑戦をしている者たちが小次郎に挑むのは、いわば決闘の掛け持ちになってしまうので禁止なのだ。
 ルーの指摘を受けて、小次郎の決闘を見られると思っていた観衆の勢いが盛り下がる。
 しかし。

「そこデ提案ダ。それ以外の者たちの中から、君が決闘を挑ム。それならバ決闘は成立するヨ」

 盛り下げてしまったのがルーの指摘なら、盛り上げるのもまたルーの提案だった。しかも盛り上がり方が先程まで以上である。
 何しろ、小次郎から決闘相手を指名するのだ。そして指名されることは即ち、小次郎が手合わせしてみたい相手として認められたということだ。
 これで生徒たちが盛り上がらないはずがない。

「ふむ。その提案、承知した。では――」

 小次郎が、周囲に人垣を作っている生徒たちを順繰りに眺めていく。武に自信がある者たちや小次郎に挑む栄誉に浴したい者たちが、我も我もと主張している。
 きっかり一周、小次郎は見える範囲の生徒たちの顔を確認した。
 そして。



「クリスティアーネ・フリードリヒ殿。異国の剣、私に一手馳走しては頂けぬかな?」



 すらりと掲げた青江の切っ先は、間違いようもなくクリスを指し示す。
 大歓声が湧き起こり、その場の生徒たちの視線が小次郎とクリスへ交互に向けられる。決闘を挑まれたクリスの返答を、誰もが固唾を飲んで見守っていた。
 


「無論だ。自分は騎士、クリスティアーネ・フリードリヒ! 挑まれた戦いに撤退はない!」



 胸を張り、クリスは高らかに宣言した。
 


*****

【後書き】
 ここまで読んで頂き、ありがとう御座います。著者の甲子です。
 皆様、お待たせしました。
 ようやく小次郎の戦いが始まります。お好みのBGMを用意してお待ち頂けると、より楽しめるかも、しれません。
 ではまた、次回の更新にて。

 


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