つなぐ 希望の木
災難を乗り越えてきた木々を、都内に訪ねた。
【社会】被災地 幸福追求・生存権どこへ 今こそ憲法の出番2012年5月3日 07時11分
一人一人が尊重され、人間らしく平和で安全な社会に生きる。東日本大震災と東京電力福島第一原発事故以降、だれもがその願いを切実にしていることだろう。六十五年前のきょう、日本国憲法が施行された。一三条と二五条が保障する権利の実現に国は努力しているのか。大震災の後、千六百十八人が関連死で亡くなっている。もうこれ以上、悲しみと苦しみを広げてはいけない。 ◇ 被災した約百世帯が入居する宮城県石巻市東部の万石浦(まんごくうら)仮設住宅。今年一月の深夜、救急車のサイレン音が響き、八十五歳の女性宅前に止まった。 女性は心臓を患っていた。この夜、女性は助けを求めて部屋の壁をたたいた。「コンコンコン」。その音に異変を察した隣部屋の主婦が通報し、女性は一命をとりとめた。 女性は以前にも発作を起こしたことがあった。助けを呼ぶときは、壁をたたいて知らせることが合図になっていた。仮設住宅の薄い壁が命綱なのだ。 「うまく隣人が気づいてくれてよかったが…」と自治会長の後藤嘉男さん(71)。いつも気になるのは入居者の様子。高齢の単身者十九人には特に気を配っているという。 県内一の被災者を抱える石巻市は、七千二百戸の仮設住宅の入居先を決める際、公平を期すため原則抽選とした。このため、同じ地域の住民がバラバラに分かれて入居。見知らぬ人が隣人になった。 「周りは田んぼ、何にもないべ」。市中心部から離れた桃生(ものう)町の仮設住宅で、一人暮らしの木村勝夫さん(70)がこぼす。町までの巡回バスは一日二便。五十一戸ある仮設住宅は空き部屋が多く、日中も人の気配がない。 木村さんは足が不自由で出歩けず、買い物はヘルパーに頼むが、調理に苦労する。昼すぎ、テーブルの上には卵かけご飯の残りと焼酎。三年前まで建築業をしていたが、今は生活保護に頼る。「マッチ箱に入れられたような生活。おかしくなる」とコップに焼酎をついだ。 同じ仮設住宅で一人で暮らす亀井洋さん(45)は震災後に職を失い、今年に入ってようやく、仙台港での荷揚げのアルバイトを紹介してもらった。日当は一万二百五十円だが、仕事があるときだけの臨時アルバイト。「少ないと月に五日程度、十日働けたらいい方。朝晩自炊して食べていくのがやっと。全く先が見えない」と話す。 四月半ば、市内の田んぼの中に立つ仮設住宅で、五十二歳の男性と知人の三十六歳の女性の遺体が見つかった。死後一〜二週間。男性が先に病死し、女性が後で亡くなったとみられる。 「死」のニュースは、仮設住宅で暮らす被災者にとって人ごとではない。「ドキッとするんです」と万石浦の後藤さんは話す。昨年九月にも別の仮設住宅で一人暮らしの男性が刃物で腹を刺して命を絶っている。 炊き出しなどで被災者を支援するNPO法人「フェアトレード東北」の佐藤大知さん(26)は「仮設住宅の規模や場所によって支援の届き方に格差が出ている。市中心部から離れた仮設住宅には支援が行き届かず、孤立している人が点在している」と訴える。 (東京新聞) PR情報
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