・ぼくが京都にいるときというのは、
いまごろだったら、ま、新緑に染まる山道を歩いたりね、
空を眺めつつお風呂に入ったりね、
いつも以上にのんびりと食事をしたり、
夜中に大きめのボリュームで音楽を聴いていたり、
そういういかにも休暇の男性みたいな脚本なんです。
しかし、本棚を見て、はっと気がつくわけです。
せちがらいビジネスの本やらが、いっぱいだった。
戦略だの方法だのという単語のめだつ本、
いかにも俗流の「こうすればうまくいく」的な本から、
分厚い「こういう時代がきている」みたいな翻訳書から、
論語だとか、宗教だとかに関わるものまで。
恥ずかしいほど、中小企業の「しゃちょうちゃん」です。
前は、こういう機会にミステリを読もうとかしてたし、
小説や気分のいいエッセイやらを選んでいたものです。
逆にそういうものは、東京にいるときのほうが読みます。
日々の仕事から離れてなにをするかというと、
「しょちょう」みたいなことをしているわけです。
いつもよりも、ちょっと大局的なこと考えるとか、
日頃は気づけないビジネスのヒントを得るとか、
いわばね、「欲でいっぱい」なんですよー。
因果なものですねぇ、中小企業の「しゃちょう」って。
このくらい本気で「商い」を考えていないと、
「やっていく」のは難しいんじゃないかなぁ。
少なくとも、ぼくはそう考えているみたいです。
・昨日、ツイッターで、福島でいい仕事をしている方が、
「大事なのはなにしろ実行力であって、
岡目八目のアイディアなんかじゃない(ぼくの意訳)」
と言っていたけれど、ものすごく同意しましたよ。
理念、ヴィジョン、動機、意欲、アイディア‥‥
みんな大事、ほんとに掛け値なしに大事。
だけど、その場をどうやってつくるんじゃぁっていう、
そう言えるだけの土台はあるのかぁっていうね、
んで誰がそれを責任もってやるんだいっていうね、
そういうところは、まさしくアヒルの水かきでしてね。
「利益は目的じゃない。利益は手段である」という
ドラッカーの言ってること、身にしみてわかるわぁ。
今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
だけど「しゃちょう」は、けっこう楽しくやっております。
いまごろだったら、ま、新緑に染まる山道を歩いたりね、
空を眺めつつお風呂に入ったりね、
いつも以上にのんびりと食事をしたり、
夜中に大きめのボリュームで音楽を聴いていたり、
そういういかにも休暇の男性みたいな脚本なんです。
しかし、本棚を見て、はっと気がつくわけです。
せちがらいビジネスの本やらが、いっぱいだった。
戦略だの方法だのという単語のめだつ本、
いかにも俗流の「こうすればうまくいく」的な本から、
分厚い「こういう時代がきている」みたいな翻訳書から、
論語だとか、宗教だとかに関わるものまで。
恥ずかしいほど、中小企業の「しゃちょうちゃん」です。
前は、こういう機会にミステリを読もうとかしてたし、
小説や気分のいいエッセイやらを選んでいたものです。
逆にそういうものは、東京にいるときのほうが読みます。
日々の仕事から離れてなにをするかというと、
「しょちょう」みたいなことをしているわけです。
いつもよりも、ちょっと大局的なこと考えるとか、
日頃は気づけないビジネスのヒントを得るとか、
いわばね、「欲でいっぱい」なんですよー。
因果なものですねぇ、中小企業の「しゃちょう」って。
このくらい本気で「商い」を考えていないと、
「やっていく」のは難しいんじゃないかなぁ。
少なくとも、ぼくはそう考えているみたいです。
・昨日、ツイッターで、福島でいい仕事をしている方が、
「大事なのはなにしろ実行力であって、
岡目八目のアイディアなんかじゃない(ぼくの意訳)」
と言っていたけれど、ものすごく同意しましたよ。
理念、ヴィジョン、動機、意欲、アイディア‥‥
みんな大事、ほんとに掛け値なしに大事。
だけど、その場をどうやってつくるんじゃぁっていう、
そう言えるだけの土台はあるのかぁっていうね、
んで誰がそれを責任もってやるんだいっていうね、
そういうところは、まさしくアヒルの水かきでしてね。
「利益は目的じゃない。利益は手段である」という
ドラッカーの言ってること、身にしみてわかるわぁ。
今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
だけど「しゃちょう」は、けっこう楽しくやっております。
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