日本人に中国語を教えるのは簡単なことではない。勿論、適当に教えて授業料さえもらえばいいと割り切ったら話は別なのだが、真剣に中国語を勉強しようとしている日本人に最も効率的に中国語を教えるのは容易なことではない。私が思うに、日本人に中国語を教えるときに一番難しいこと、あるいは、教える前にはっきりしておかないとダメなことは、「中国語は難しい」という日本人の思い込みを正すことだ。
ほとんどの日本人は、勉強する前から「中国語は難しい」と言う。勿論、日本人にとって難しいのは中国語だけではなく、日本語を含んだ全ての言葉である。とにかく勉強する前に、「自信はありますか」と聞いたらシーンとしてしまう。難しいと思っている理由を聞いたら、「中国語は漢字だらけで難しい」「四声があるから難しい」あるいは「発音が難しい」などなど。「中国語が難しくてごめんなさい」と謝りたくなるほどだ。
正直言って、私も中国語は難しいと思う。ただ、はっきりと申し上げれば、世の中に難しくない言葉なんてないようにも思う。問題は、他国の言葉を勉強するときに、自分がどれくらいのレベルに達することを目標にするのかによって、その国の言葉が難しいか、簡単になるのか、という風に分かれるのではないだろうか。
余談になるが、全くちがうタイプの日本人もいる。一昔前、日本に来たばかりの私は、次の二種類の日本人とよく遭遇した。
一つ目の種類の日本人との会話はこんな風だ。「あなたは日本語が上手ですね。お国はどこ?」「中国です」「そうですか、私も中国語出来ますよ」「そうですか、ちょっとしゃべってみてください」「迩好 謝謝 一 二 三 四 五 六 七 八 九 十」――本当は、全然すごいとは思わないのだけれど、「すごいですね。どこで勉強されたのですか」「飲み屋で」「え―、素晴らしい。勉強の為に飲みに行くんですか? えらい! それでは、十の次は?」とちょっと意地悪のつもりで聞いたら、「忘れた。あ、もう一つ分かる。我愛迩」が出てくる。この程度の中国語を覚えただけで、堂々と「私は中国語ができる」と胸を張って言う日本人も実際にいる。
二つ目の種類の日本人との会話では、「あなた日本人じゃないね」「はい。中国人です」と答えたとたんに、言葉を英語に変えるのだ。でも、その英語は、英語を全く勉強したことのない私が聞いても、「日本語のカタカナ語」にしか聞こえない「英語」だったりする。「英語」で聞くのに疲れて、「話の途中ですみません。私、英語が分からないので日本語でおっしゃってくださいませんか」と哀願調で言うと、せっかくの自己表現の場を逃したような残念な表情で私を見つめたりする。「日本語を分かっている」ということが悪いことのように思え、「英語を分からない」ということを悔しく思った。
話はさらに脱線するようだが、日本人の外国語の発音は、気が短い私には本当に疲れる。普通の日本人はさておき、テレビコマーシャルによく出て来るプロゴルファー石川遼のスピードラーニング英語の宣伝でも、聞いたら聞き流せないくらい耳に残ってしまう。はっきり言って、上手だとは言えないから、「プロゴルファーならゴルフに専念せぇ」と片言の日本語で軽く怒りながらすぐテレビチャンネルを変えてしまう。
本論に戻ろう。日本人にとって中国語は確かに難しいと思う。しかし、中国経済の成長に伴い中国語が必要になっている。私に言わせると、中国語の難しさは、四声があるからではない。中国は、日本の30倍の広さがある。しかも、55の少数民族と共存している国だ。同じ中国人でも、四声は全く違う。同じ国の国民であっても、発音が違うことは極く自然なことなのだ。だから、四声の難しさにこだわる必要はない。
次に、漢字ばかりだから難しいというのも正確ではないように思う。同じく漢字の国である日本人には、かえってありがたいことではないだろうか。平仮名やカタカナに匹敵するピンインがあるので、ピンインとその組み合わせだけをきちんと覚えたら、そんなに難しくはないと思う。ビジネス上、中国語が必要になってきたのだから、中国語を勉強する意欲も強くなっているのではないだろうか。
最後に、発音が難しいと言っている日本人の方々に告げたい――中国で生まれた残留孤児ではない限り、発音が難しいのは仕方がありません。あなたも、日本にいる私たちのように、「中国語が上手ですね」と褒められるだけで満足したらいかがですか?
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