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2012年4月8日10時18分

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プリプリ「5人なら大きなことできる」 再結成を語る

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【動画】プリンセス・プリンセスのインタビュー

写真:16年ぶりの復活を発表したプリンセスプリンセス。左から渡辺敦子、今野登茂子、岸谷香、中山加奈子、富田京子=竹谷俊之撮影拡大16年ぶりの復活を発表したプリンセスプリンセス。左から渡辺敦子、今野登茂子、岸谷香、中山加奈子、富田京子=竹谷俊之撮影

写真:プリンセスプリンセス。左から中山加奈子、渡辺敦子、岸谷香、富田京子、今野登茂子=畔柳ユキ氏撮影拡大プリンセスプリンセス。左から中山加奈子、渡辺敦子、岸谷香、富田京子、今野登茂子=畔柳ユキ氏撮影

写真:「同窓会ならしない。グレードアップしなければ意味がない」と語る岸谷香(ボーカル)=竹谷俊之撮影拡大「同窓会ならしない。グレードアップしなければ意味がない」と語る岸谷香(ボーカル)=竹谷俊之撮影

写真:「再結成は絶対ない、と思っていた」と話す中山加奈子(ギター)=竹谷俊之撮影拡大「再結成は絶対ない、と思っていた」と話す中山加奈子(ギター)=竹谷俊之撮影

写真:16年の空白の間に「それぞれの生活が音楽を成長させた」と語る渡辺敦子(ベース)=竹谷俊之撮影拡大16年の空白の間に「それぞれの生活が音楽を成長させた」と語る渡辺敦子(ベース)=竹谷俊之撮影

写真:「まるで昨日まで活動していたみたいだった」と話す富田京子(ドラムズ)=竹谷俊之撮影拡大「まるで昨日まで活動していたみたいだった」と話す富田京子(ドラムズ)=竹谷俊之撮影

写真:再結成ライブの熱狂に「私も1曲目で泣きました」と振り返る今野登茂子(キーボード)=竹谷俊之撮影拡大再結成ライブの熱狂に「私も1曲目で泣きました」と振り返る今野登茂子(キーボード)=竹谷俊之撮影

 1980年代後半に日本の音楽シーンを駆け抜けた5人組のガールズバンド「プリンセスプリンセス」が16年ぶりにステージに帰ってきた。3月20日、同時期に活躍した「米米CLUB」「TM NETWORK」と合同で、千葉・幕張メッセで東日本大震災復興支援ライブを実施。今後は1年間限定でチャリティーツアーをする。再結成を決めた5人に話を聞いた。

――16年ぶりのステージはどうでしたか。

 富田京子(ドラムズ) お客さんを前にしたら泣いちゃうかもと思っていましたが、全然そんなことはなかった。終わった後も、もっと感慨深いのかなと思っていましたが、日常の生活に戻ると普通ですね。でも、ほっとしています。

 岸谷香(ボーカル) 不思議なくらい自然で、ずっとステージに立っていたような感覚でした。

 渡辺敦子(ベース) ファンの皆さんの「待っていました」という波動のようなものが伝わってきて、ありがたかった。戻るべきところに5人で戻れたと思いました。

 今野登茂子(キーボード) 楽しかったです。私は感極まってしまって1曲目で泣きました。

 中山加奈子(ギター) 不思議なことに緊張はなかった。5人それぞれが完璧に演奏するのが、プリンセスプリンセス。さすがだな、と思いながらステージに立っていました。

――16年間の空白で、感覚を戻すのに苦労したのでは。

 岸谷 忘れていた部分はありましたよ。「こうやって弾いてたっけ」という会話も結構ありました。けど、再結成を決めたとき「昔の再現や同窓会ではない。やるからには過去の最高ではなく、グレードアップしたプリプリになろう」と確認しました。演奏ではすごくよくなった部分もある。みんなで「昔もこれくらいできたらよかったのにね」と笑っています。だから「昔よりずっとよかったよ」と言われるのがうれしいですね。

 今野 お互いを理解しやすくなってきたのかもしれません。昔より演奏に関する指摘を受け入れやすくなった。そういう意味でメンバーの関係は昔よりもいいと思えます。

――再結成のきっかけは東日本大震災でした。

 岸谷 地震のとき、メンバー内で無事を確認し合うメールが飛び交いました。当然、みんなそれぞれ自分たちにできることは何だろうと考えていたのだと思います。私は、1人でやれるどんな大きなことよりも、5人集まればもっと大きいことができると思っていた。そう考えながら日々過ごしていて、この時代に存在していたわけだし、再結成というのもありなのかな、と。この時期に再結成するために、プリンセスプリンセスは存在していたのではないか、とまで思えたのです。それで「ちょっとみなさん集まりませんか」とメールをしました。

――中山さんは過去のインタビューで、再結成は絶対にないと言われていた。

 中山 ないと思っていました。みんな生活の事情も合わないし「懐かしむだけの再結成は絶対にない」と。でも、今回は意味が違うと思った。香からメールが来たときにみんなピンと来ていたと思います。

 岸谷 再結成というのは手段であって目的ではない。震災があって私たちにできることの一番大きなことが再結成だったということです。

――解散したことは正しかったと考えていますか。

 渡辺 正しかったと思います。打ち上げ花火のようにドカンと上げて終わりたかった。プリンセスプリンセスというものが大きくなりすぎた。当時は惜しんでいただける状態だったし、解散が一番いいと思いました。

 岸谷 プリプリという存在は、例えばドラえもんのように「こうあるもの」というイメージがあって、それを壊しちゃいけない。もう私たちにも扱いきれないプリプリという存在があった。

 今野 引退直後しばらくは楽器屋さんの前を歩くだけで吐き気がするくらい、音楽から離れたかった時期もありました。

――再結成にあたり音楽活動と生活との両立は。

 富田 息子が2人いますが、音楽活動をしない方が子育てをする上ではよかった。ただ、被災地の方々の映像を見て苦しい思いをされている人たちのことを思うと、自分たちはこんなに平穏で安定した生活でいいのだろうかと思いました。

 今野 いま小学2年生になる子供が生まれたとき、これからの人生は子供のために生きようと決めました。でも、今年1年間は家族が協力してくれ、主人も「誇りに思うことだから行ってらっしゃい」と言ってくれています。

 岸谷 子供たちには「プリプリでもう一回大きなことをやろうと思う。あなたたちが自分のことを自分でできるならお母さんはやろうと思うけど、できないなら言って欲しい」と説明しました。子供たちは「困っている人たちに、お母さんが歌うことで大きなことができるならやって下さい」と約束してくれました。

――この1年で新曲を発表する予定はありますか

 岸谷 ないです。新曲を作るというのはライブとは全く違う話です。新しく曲を作って世の中を盛り上げる役目の人たちは他にいるはず。私たちの役目はそれではないと思います。(近藤康太郎、佐々木洋輔、竹谷俊之)

     ◇

 〈プリンセスプリンセス〉 ボーカルの岸谷(旧姓・奥居)香(45)、ギターの中山加奈子(47)、ベースの渡辺敦子(47)、ドラムズの富田京子(46)、キーボードの今野登茂子(46)の女性5人組バンド。1983年にオーディションで選ばれ「赤坂小町」の名前でデビュー。86年、「プリンセスプリンセス」に改名。「ダイアモンド」「M」などのヒット曲を飛ばし、89年に女性だけのバンドとして初の武道館公演を開催。96年に解散した。

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