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当Blogは恋愛小説家はまうず美恵の小説中心サイトです。
其れは、狂気のキスだった。



ヒョンシクは無理矢理シワンの頭を押さえ付け、激しく唇を重ねていく。
口の中が切れていても、まったく構わないというような、手荒なキスだった。キスというよりも捕食行為なのかもしれない。シワンと言う人間を口元からばりばりと食べて行くような、野性的なキス。
痩せ細った筋肉の無い腕と指。抵抗は全くの無駄だった。シワンは目を何度も目を閉じ、開けたけれど、ヒョンシクの閉じた瞳と長い睫毛が見えるばかりだった。
「んうっ……ヒョ…ンシ……やっ……ん」
口内に捩じ込まれた舌が動く度に、官能と恐怖が同時に襲って来る。
ヒョンシクの血の味が口の中に広がって、頭の中でサイレンが鳴る。
――駄目だ!今すぐ離れてくれ!お願いだから。
いつか見た幻覚の中に居た、もう一人の自分が何処かで笑っている。まるで自分と同じ状態の人間が増えて行くのを面白がるように嘲笑う。

シワンは自分の体とヒョンシクの体の間に挟まれ、圧迫されている腕を動かそうとした。握った拳に力を込めようとしても、ヒョンシクの胸板に押されてしまう。
ぱっと目を見開いた或る瞬間に、ヒョンシクと目が合った。

一瞬ヒョンシクの力が抜けたとき、シワンは顔を背けた。頭は混乱している。ちら、と横目でヒョンシクを見つめると、唇が自分と同じ位真っ赤になっており、其れが血の紅と透明な唾液の所為だと分かる。

何時の間にか押し倒されていた背中で、床に散らばった薬を押しつぶしている感覚があった。

「ひょん……!」
恐ろしく弱い声とは裏腹の力強さで、ヒョンシクはシワンに覆い被さった。華奢過ぎる体にのしかかり、両腕で、強く抱き締め、また唇を重ねようとした。
「んぅっ……駄目……ヒョン、シ、ク……」
したいから求める唇と。体と。熱。
離れなければならないのに、シワンの体は言う事を聞かなかった。ヒョンシクはシワンが来ていた緩いズボンに手をかけて、中心を揉みしだいた。
「——ひっ」
声にならず、息を飲む音だけがした。ヒョンシクは布越しに其の形を確かめるように大きな掌で触れながら、シワンの首筋に歯を立てて噛んだ。
何をされるのか、なんて分かっている。
シワンは呼吸をするのも忘れてただ感じていた。
「綺麗……感じてて、良いよ……」
先ほどまでの荒々しさと異なる、甘い囁きに背筋がぞくりとした。

——駄目だ、絶対にそんなことはしていけないのに。
濁流に飲み込まれるように、シワンは理性を完全に失っていた。

ヒョンシクが体中を愛撫して、唇と舌で愛して来る。丁寧に服を剥がれる。まるで、愛されているかのように。
触られることにかなりの抵抗があったのに、発疹がうっすらと残る腕でヒョンシクを何度も抱き寄せた。
「ヒョン……好き。大好き。だから……だから、どうでもいいみたいにしないで……愛してるんだ……」
そう言いながらヒョンシクはシワンの髪に滑り込ませた指で頭を撫でた。まるで駄々をこねる聞き分けの無い子供をあやすように、何度も、呪文のように優しい言葉をかけながら、行為を先へ先へと進めていた。

——其れが、何を意味するかなんて、明白な真実なのに。
二人は濁流に飲み込まれて行って、最後に残った指先すら、真っ黒な渦の中へ消えて行く。
其の先はきっと、美しい未来なんか待っていないのだ。もう一人のシワンがくすくすと笑いながら、二人のことを天から見ていた。



「大好き。ねえ、シワンの中に、入れさせて」



==================



「ラスト!アンコール!」
舞台裏でスタッフが一人一人のメンバーの背を押し、ステージへ送り出して行く。
歓声。スポットライト。何台ものカメラと、無数の目が彼らを待っている。
何十回も、何百回も聴いた前奏が鳴り響いている。

呼ぶ声がする。

目の前のミヌが駆け出して行き、ヒョンシクも「次だ」と思った。其の時だった。

目の前は、真っ暗になって
何かが途切れる音がした。



==================


「——あいつが呼んだのかな?」
ジュニョンは、黄色い花束を寄り合わせた花束を、角張った石の前に置いた。
彼の此の世に生まれた日と、最期のコンサートのあった年号が刻まれている。
「さあ」
ケビンは曖昧に笑った。肯定でもなく、否定でもなく。

二人の立っている墓地の一画に、さっと春の風が吹き、供えた黄色い花の花びらが、空に二枚、舞い上がった。二人は其れを見上げ、やがて風に消えて見えなくなるまで、いつまでも目で追っていた。



Fin.

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がたん

「其れ……本当?」

ジュニョンが振り返ると、真っ白い顔をしたヒョンシクが立っていた。
「ヒョンシク!」
「ねえ…本当……なの?」
無理に冗談にしようとした笑顔が引きつり、上手く笑えなくて崩壊した。ヒョンシクは、受け入れたくない、と両耳を塞いで、時間差の「聞こえなかったふり」をした。嫌だ、と小さな声で呟きながら。
ケビンがヒョンシクに駆け寄り、其の肩を力強く掴んで揺さぶった。
「落ち着け」
「落ち着くって、どうやって!?そもそも落ち着かなきゃならない話しなのかよ!」
ヒョンシクが大声で怒鳴ったので、ケビンは慌てて其の口を覆うように手を当てた。ヒョンシクの息が詰まり、一瞬言葉が途切れる。
「……」
眉根を寄せたケビンは、ジュニョン視線を移した。ジュニョンもまた、自分の問いに対する予想通りの回答に、予想していたとは言え衝撃を受け立ち尽くしている。何と言えば良いのか。ずっと隠し続けるつもりだったのに。

——いや、違う。ヒョンシクが居る気配には気付いていたのだ。其れなのに、わざと、話をした。重かった。一人で抱えるには、ずっと重い、他人の秘密だった。
——シワン。ごめんな。

がぶっ
「痛っ…」
左手に痛みが走り、何をされたのかと意識を向けると、皮膚が噛みちぎられたことに気付いた。ヒョンシクはケビンの手に噛み付き、尚も言葉を紡ごうと、彼を突き飛ばした。ケビンはよろけながら噛み付かれた左手の指を擦り、低い位置からヒョンシクの顔を見上げた。
「嘘だ……!嘘だって、言ってよ……嘘だって…………」
ヒョンシクはまた、耳を塞いだ。

真実を知りたがるのに、与えられた真実は残酷過ぎて耳を塞ぎたくなる。

==================

テーブルの上の砂時計は、あと数分で落ちようとしていた。
砂時計を見つめながら、残された砂の量について考える。

——きっと、多くはない。

薬を飲むのをやめた。
病に殺されるのは嫌だったけれど、薬に生かされるのも嫌だった。
今僕は、生きることを諦め、死ぬことを恐れている。

シワンは、砂の落ち切った砂時計を暫く見つめ、もう一度逆さまにした。
さらさらと、か弱い音を立てながら、空色の砂が上から下へと落ちて行く。
目を閉じて、砂の音を聞く。
此の時計は、本当は時間なんて計れないのだ。ただ決まっている開始から終了までの時間が分かるだけ。カウントダウンをするだけの時計。シワンは、「誰かによって」、砂の量を減らされたか、時計のサイズを小さくされてしまったのだと思った。そして其の縮小したものは二度と拡大されることはなかった。
ガラスの管の向こうを見つめる。
只一人、このことを知られたくない相手のことを。

"ヒョンシク……"

名前を呟けば、急に喉から体内に入って来た外気に体が震え、また咳が出た。
咳が止まらなくなって、息が出来なくなる。涙目になりながら、口元を押さえた。

==================

「——行っちゃった」
ジュニョンは、開け放たれたドアを見ていた。
「止めたって聞かないだろ」
ケビンがそう答えながら、ジュニョンに向き合う。台所はまた二人だけの空間になっていた。
「正しい選択だったかどうかは……分からないけどな」
ケビンは噛まれた後の残る手に視線を落としながら、呟く。

==================

ヒョンシクが駆け付けたとき、シワンは床に仰向けになって倒れるように眠っていた。手元にはガラス瓶が握られており、床には白い錠剤が無数に散らばっていた。
彼は、死んでいるように見えた。
「シワン……シワンヒョン!」
「ん……」
駆け寄って体を持ち上げようとしたとき、其の軽さに驚いた。あの夜、支えて歩いたときよりも更に細く、痩せてしまったように思えた。青白い頬を叩くと、睫毛が僅かに動いき、ゆっくりと目が開いてヒョンシクを認識した。
「ヒョン……シク……」
「シワンヒョン!」
抱き締めると、其の線の細さに泣きたくなる。自分の想像していた仮説と、ケビンから伝えられた事実と、何もかもが重なって、言葉が出て来ない。
「何で…此処……」
此処を知っているのは、数人しか居ない。そして、漏れるなら、ルートは一つだった。
——約束が違うじゃないか。
シワンは、たった一人の顔を思い浮かべ、苦々しい顔をした。
「シワンヒョン……」
ヒョンシクは問い掛けには答えず、ただ、床に伸びていたシワンの体を抱き寄せて、肩に顔を埋めていた。

それから何分も、言葉も無く、ヒョンシクはシワンを抱き締めた。
シワンの腕は啜り泣くヒョンシクの背にゆるりと回され、力の入らない指で、そっと背骨を辿るように撫でた。
「ヒョンシク……俺のことは忘れて……」
「出来ないよ」
「ねえ、分かるだろ。もうこんななんだよ、俺……」
ヒョンシクはちらりと床に散らばった薬を見た。
「キスも出来ない。セックスも出来ない。したらお前も死ぬんだよ」
シワンの方が、泣きそうな声になった。
「いいよ」
ヒョンシクが短く答えると、頬を思い切りぶたれた感触があった。

「軽々しく言うな!」
何も無い真っ白い部屋に、シワンの怒声が響いた。

「俺は、お前だけは殺したくないんだ……」



一番好きな人と、体を重ねられない。
暴行を受けて感染させられた此の病気で、もう、何人もを相手に未必の故意の殺人を行って来た。「こんな相手死んでも良い」と思いながら体を受け渡して来た。
其れなのに、一番好きな相手には出来ない。
其の衝動を抑えることこそが、唯一出来る愛し方だった。
其れで良かった。其れで完結した。
ヒョンシクが笑っていてくれれば。
此の笑顔を、奪ってはいけない。
だから、ケビンにも其のことを頼んだつもりだったのに。


「俺だって、死んで欲しくない……俺のエゴだよ。どんなに苦しんでても、どんなに変わっていっても、やっぱり生きていて欲しいと思う」
ヒョンシクがそう呟くと、また反対側の頬を殴られた。
「お前は知らないんだ!此の病気になった人間の最後を見たことがある?体中にかびが生えて、腫瘍ができて、脳にも其れが転移して、誰のことも、自分のことも分からなくなるんだ。其れでもお前は言える?俺が好きだって!愛してるって!!俺は家族にすら此のことは伝えてないのに……何で……よりによってお前が気付いちゃったんだよ…………」
シワンは目から大粒の涙を流し、力の入ったり入らなかったりする拳で、抱き締めているヒョンシクの背を何度も殴った。悲痛な、声にならない絶叫がヒョンシクの耳に届いた気がした。
「お前は全然分かってない」
「分かってるよ!」
「分かんねえだろ!」
「分かってる!話を聞かないのはヒョンの方だ」
「お前はなったことが無いから言える」

「——じゃあ、うつしてよ」

「——!」
「うつして。俺に」

ヒョンシクが無理矢理、シワンの唇を奪った。
シワンが抵抗した瞬間。

ヒョンシクの口の粘膜に傷がつき、其処にシワンの唾液が絡んだ。

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一人、誰も居ない部屋に戻る。
ただいま、を言う相手も
おかえり、と言ってくれる相手も居ない。

――あかりをつけよう。
そう思って伸ばした手に、微妙に力が入らなくてスイッチを押し損ねる。暗い部屋は暗いままで、部屋の中で滞留した空気が外気と変わらないくらいに冷たかった。
目を閉じる。
――時間の問題か。
壁に寄り掛かろうとした瞬間、今日何度目かの眩暈がシワンの体を襲った。

==================

いなくなったと聞かされていた人たちが、実は死んでいたことをジュニョンが知るのに、そう時間はかからなかった。
明らかに死因を聞かされたこともあったし、どうも自殺らしい、と聞いたこともあった。
自殺をしたと噂を立てられたディレクターは、何日か前にマスクをした姿を見たが、酷く頬が痩せこけ、よく躓いて挙動が不審だった。挨拶をしても虚ろな目をして鈍い反応を返すだけだった。
「――?」
不審に思ってジュニョンが笑顔を維持しつつも顔を覗くと、相手はマスクをしていた口元を見せて言った。
「君は、クリスチャンだったかな」
「?はい」
「僕は無宗教だ。でもこんなことになると、天罰という言葉を信じたくなる」

其の口元に映えた白いかびのようなものが、恐ろしく気味が悪かったことを覚えている。
其の数日後、彼が死んだことを人づてに聞いた。

一つだけ、思い当たることがあった。
どうしても考えないようにしていたことで、けれどどうしても唯一の結論に辿り着いてしまう。
死んだ人たちの共通点。

「彼」の、ドラマに関わった人たち。
ほぼ、同時期に。

==================

「なあケビン」
「うん?」
弟達の居ない台所で、冷蔵庫を開けようとしていたケビンの後ろ姿に声をかけた。がたん、と冷蔵庫の重い扉が開き、8人分プラスαの食料が入った冷蔵庫の中身と、白っぽい電灯が光った。
「聞きたいことが」
ジュニョンは間を取りながら言った。
「何?」
冷えた缶ジュースを取り出しながら、ケビンは背後に立っていたジュニョンに向き直った。
「ウンジェの…シワンのことなんだけど」
「うん?」
「――率直に聞くからYESかNOで答えて」
「其れは質問によるなあ」
ケビンは少し反応を窺うように笑った。

「シワン……陽性だったんでしょ」

何となく気付いていた。
シワンが兵役に行かないこと。
彼が活動の場所を此の国ではなく違う国を視野に入れていること。
彼の体調の変化。異様な咳。痩せ細って行く体と崩れ落ちる肌。

「——違う?」

「YES……だよ」

==================

『YES……だよ』

真夜中、眠れなくて廊下を歩いていると、誰かが台所に居る気配がした。しかし、ジュニョンの声がしていると気付いた時、其の声音の響きに何処か恐れを感じて、近付けなかった。結果、ヒョンシクは廊下で、来た道を戻ることも行くことも出来ずに立ち尽くし、其の会話を聞いてしまった。

——陽性?

脳味噌がちりちりと痛む気がした。

自分が口飲みしたものを飲ませないようにしていたこと。
零れたペットボトルの水。
生ものを食べないようにしていたこと。
食べたことがあると嘘を吐いた希少な貝。
時間を気にして飲む、大量の薬。
一つ一つの欠片は、繋いでみるとぴたりと一枚の図を構成させた。



言葉が、見出せなくて。
思い出せるのは、最後に見た泣きそうな表情のシワンだけだった。

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宿舎を去った後でも、シワンは練習に参加し、イベントに出席し、グループのメンバーとしての生活を続けていた。
「打ち上げだって!」
イベントの仕事を終え、ヒョンシクはシワンの肩を叩いた。海沿いの町で、新鮮な海の幸を使った料理が美味しいとスタッフから聞いていたヒョンシクは、機嫌がとても良かった。
「あ!あ……うん」
それほど強く叩いたつもりは無かったのに、シワンはやけに大きくリアクションをして、ヒョンシクの居た背後を向き直った。
持っていたペットボトルのキャップを締めようとしていた。
「俺も飲みたい」
「!」
ヒョンシクがシワンの持っているボトルに手を伸ばしたとき、シワンは目を見開いた。

バタン、

ボトルは、鈍い音を立てて床に落ち、中に入っていた水を楽屋の床に広げ、シワンとヒョンシクのズボンの裾と靴を少しだけ濡らした。
広がって行く水を、シワンは確かめるように見つめていた。
「……ごめん、手が滑った」
シワンはするりとヒョンシクに背を向け、まだ封の開いていないペットボトルがストックされていた机に歩み寄って、其の中の一本をヒョンシクに向かって投げた。
「はい」
「ヒョン……?」

——違和感。

ヒョンシクはずっと感じていた。
スタッフは何も言わなかった。
兄達も何も言わなかった。
皆、何かを隠していた。
そう——シワン、彼自身も。
ヒョンシクは、足元に広がったままの水たまりと、倒れて水の減ったペットボトルを見つめた。



打ち上げのテーブルには魚と貝が彩りよく盛られていた。久しぶりに9人で長机にスタッフとともに座り、料理や酒を囲んでいた。
料理に殆ど手を付けないシワンのことを、ヒョンシクは気にしていた。何もつままずに酒ばかり飲んで、まるで其処にアルコールの成分が含まれていないかのように見えた。
「ヒョン……此の貝美味しいよ?」
心配して、右隣に座った相手の平皿に、ヒョンシクが食べようとキープしていた貝を移動させた。シワンは指先で其の貝の殻をつまみ、ヒョンシクの皿に戻しながら言った。
「いいよ俺は」
シワンは笑うと、十分なほど潤っている筈の喉を上下させて、渇いた咳をした。
「そんなこと言ってないで、食べてみて」
貝が、二つの皿の間で行ったり来たりする。
「いいって」
ヒョンシクの手を制止し、シワンは少し間を置いて、言った。
「前食べたとき当たったんだ。腹痛くなったから、今日はいい」
「……そう」
ヒョンシクは其のシワンの態度に、また違和感を感じた。

——此の土地の名産で、あまり他の場所で食べることは無いのに。

本当に僅かに首をひねりながらも、納得した表情を作った。其れが賢い選択だというように。

==================

帰り道、酔っ払って足元が覚束なくなったシワンの肩を抱いて、ヒョンシクは其の体が恐ろしく軽くなっていたことに気付いた。
痩せているとは思っていたけれど、本当に食べ物を食べているのか、また其の他べた食べ物が体を構成する要素となっているのか、心配になるほどだった。彼が着替えている所を最近は見たことが無くて、いつの間にこんなに痩せてしまったのだろう、と思った。

地下にあった店から地上に出ようとする時、ヒョンシクは団体の最後の方に居て、シワンの体を支えていた。
「ヒョン……」
酒臭い兄に声をかける。顔を近付けて、髪の中に顔を埋めてみた。
「ごめんな……飲み過ぎた、あ」
登り始めた薄暗く狭い階段の途中で、シワンが急に身じろいだ。
「待って、今、何時?」
「えーと、22時過ぎ…?」
「え、あ、本当だ、ごめん、ちょっと放して」
支えている腕の中でもがき、急にシワンの落ち着きがなくなった。数分前までの緩慢さは消え、異様に俊敏な動きだった。
「飲まないと……」
「え?何?」

シワンはヒョンシクが片方の手で持っていたバッグに手を伸ばした。
「貸して」
「え」
思わず渡してしまうと、シワンはバッグを受け取るや否や中身を漁り、ペットボトルとピルケースを取り出した。
「サプリ飲むって決めてるんだ」
シワンはヒョンシクと目を合わせて笑顔を作り、ペットボトルのキャップをくるくると回し、何錠もの薬を左手に持って口の中に放り込んでいた。

サプリ?

「ねえ、ちょっと待って。俺でも分かるよ。シワンヒョン、何か、病気じゃないの?」
ごくん、と口の中のものを嚥下する白い喉を見つめながら、ヒョンシクは問う。
「ねえ——」
「うるさいな。最近ちょっと体調悪いから、処方して貰ったサプリだってば」
シワンは酔いで赤くなった頬をヒョンシクに向け、横を向いた。其の素っ気ない態度に、ヒョンシクは周囲のことも気にせず、腕を掴んだ。
「何か隠してない?ヒョン、嘘付くときいっつも目見るでしょ。いちいち説明したのだって、凄く、不自然。——ヒョンらしくない!」

腕を掴まれたシワンが、泣きそうな表情を一瞬、見せた気がした。しかし其れは一瞬で、すぐに腕を振り払い、本当に酔っていたのかと言うスピードで階段を駆け上がって行ってしまった。
狭い空間に、彼の靴音が響いた。

==================

シワンだけが、別の車に乗って、別の方向へ帰って行った。
ヒョンシクは乗り込んだバンの後部座席からバックミラーを見つめて、シワンの乗った車が右折するのを目で追った。

車のライトが遠ざかって行って、物陰と夜闇に消え、見えなくなった。

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鏡に映った肌が荒れていた。
剃刀を持った手を止め、洗面台に向き合い、頬に手を伸ばした。
鏡に顔を近付けると、目の前のもう一人の自分も頬を寄せて来た。

コホ……
また、小さく咳をする。

次の瞬間、鏡の中から手が伸びて来た。もう一人のシワンが、シワンの首を両手で押さえ付けた。彼は——鏡の中のシワンは、鏡の手前に居るシワンよりもずっと、肌が荒れ、頬が痩せこけ、発疹だらけの腕でシワンの首を覆い、絞め付けた。
「くる……し……」
「くるしい?お前もいつかこうなるんだよ。いま、まだ"綺麗"な状態でいなくなった方が良いと思わない?早く、こっちにおいでよ」
鏡の中のシワンが笑う。
「いやだ……」
呼吸が出来なくなり、頭が朦朧とする中で抵抗する。薄く開けた目で、首を締め付けるかびのようなものが付着した腕を見てしまった。
——気持ち悪い!
持っていた剃刀でもう一人の自分の腕を突き刺した。

我に返ると、呼吸を荒げた自分が、鏡に映っていた。
——幻覚が、酷くなってる……
シワンは剃刀を叩き付けるように洗面台に投げ付けた。肩からかけていたタオルで鏡を覆うと、足早に洗面所を出た。

==================

「——辞職?」
スタッフが小声で話しているのを、聞いてしまった。

楽屋で、ジュニョンは立ったまま目元のメイクを受けていた。スタイリストの女性はティッシュペーパーで彼の目尻を拭ったり、口紅の色を直したり、襟元や胸ポケットのチーフの位置をああでもないこうでもないと動かしたりと忙しない。
「ねえ、あの話本当?」
ジュニョンが目を瞑り、遠くで話しているスタッフ達を、握り拳に立てた親指で指し示した。
或るプロデューサーが、突然仕事を辞めると言う。其の日の午前中会社に足を運び、突然辞職の話を持ち出してきたらしい。
「らしいよ。此の間もM局の監督居なくなっちゃったし、退社ブームみたい」
「ああ、あの監督……」
言われて、ぼんやりと覚えている一瞬擦れ違っただけの相手のことを思い出す。
「ちょっと、気味悪いよね。はい完成」
女性はジュニョンの肩を叩き、準備が終わった合図をした。
「よくある話でしょ」

——よくある話、なんだろうか。
にしては、何かが……何処かが、引っ掛かる。
「ムン・ジュニョンさん!準備お願いします!」
遠くでテレビ局の男性スタッフが呼んでいた。
「はい!今行きます!」
思考が寸断され、頭を切り替えろと誰かが叫ぶ。今は、目の前にある仕事をこなすことしかない。他の思考なんて要らなかった。
手渡された進行表を見て、司会を任されている音楽番組の流れを確認する。
思考の結び目を解く作業は、四方から当たるスポットライトによって、中断された。

==================

薬を、アルコールで飲む。
生きたいのか、死にたいのか。
生温い液体と錠剤を口の中に入れる。飲み込めば、そっと体中に成分と酔いが流れて行くようだった。

与えられた真っ白な個室で、シワンはぼんやりとしていた。

死装束のような真っ白なローブを羽織り、だるく、力の入らない腕を持ち上げる。数日前に発症していた発疹のような赤みは引いていた。
咳も、薬を飲めば随分と楽になる。

——隠さなければ。

シワンは目を閉じてシーツに横になった。

拍手[11回]

あの頃の僕は、生きることを諦め、死ぬことを恐れていた。



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I'm so happy

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「——本当に、行っちゃうんだ」
荷物をまとめ、玄関から出て行こうとするシワンの小さな後ろ姿に、ケビンは声をかけた。ワークブーツを履き、靴ひもを几帳面に結ぶ手は震えていた。
コホン、コホ……
返事をしようとしたシワンが、咳をした。
「うん……」
未だ目は迷っている。其の迷いが見られただけでも、ケビンは良かったと思う。

シワンが、宿舎を出て行くと言った。
其れは、別離を意味していた。

コホ……
シワンの、もう数週間に渡って続いている咳の症状に、気付かない訳が無かった。
「——なあシワン」
「じゃ、皆のこと、宜しくね」
にこりと笑った真っ白な顔が、扉の隙間から差し込む太陽の逆光で一瞬真っ暗になる。あ、と言いかけた言葉の続きすら言わせて貰えなかった。
前よりもずっと痩せた手の残像が、瞼の裏から消えない。
ケビンは閉ざされた扉を、ずっと見つめていた。

シワン。
お前は、卑怯だ。
俺に、何て仕事を押し付けて。
自分だけ、いなくなろうとしているんだよ。

==================

"此の国の男なら当然の事です"

電車の中のモニターの小さな画面の中で、男性歌手が語っていた。自分と同い年で、彼の所属していたグループが此の国でも、別の国でも人気があったことも知っている。

"やっぱり格好良いよね。本物の男って感じ"

同じモニターを見ていた女生徒が二人、顔を見合わせて笑った。其れを見て、シワンはぐるぐると首の周りに巻いたマフラーの中に、顔を埋めた。
モニターの中の男性は白い歯を見せて笑った。
画面にはテロップが踊る。
『現役入隊のため、永住権を放棄』

——男なら当然、か。
男なら。
本物の、男、なら。
此の国なら。

肉体はまたぎしぎしと痛み、渇いた咳が出た。
コホ、コホ……
モニターの画面は変わり、インフルエンザが流行していることを知らせるニュースに変わっていた。
電車は、ひたすらに暗いトンネルを短い間隔を持って停車しながら、シワンの体を運んで行った。

==================

「あれ?シワンヒョンは?」
帰宅したヒョンシクが、彼の靴が無いことに気付いた。玄関に散乱している中でも、どの靴が誰のものくらいは分かる。
シワンが最近気に入って履いていたブーツが無いことは、一目瞭然だった。

「出掛けた」

「何処に?」
「……」
「ねえ、何処に?」
「……」
「——ケビンヒョン?」

拍手[7回]

エレベータの中で、指を絡められて、
非常階段で、キスを奪われて、
ベッドの上で、「抱かれて」と言われた。

視線が宙を彷徨って、窓越しの青白い小さな月を見つめる。
照明を完全に消した此の部屋で、手探りで身体に触れている。ベッドに座ったままするキスがだんだん深くなって、歯が数回ぶつかって顔面に響く感覚がある。
呼吸音と、唇を舌で舐める音がして、だんだん其れに夢中になって行く。

やってはいけない、と思いながら、
自分の口内に突き入れられた彼の舌を、上唇と下唇で挟んで、付け根から先端まで滑らせた。
其れをしたら理性と言い訳が全て焼け落ちて行くようだった。

ベッドに押し倒されて、目を塞がれてキスをされる。彼の左手の掌が左右の瞼を覆って、視界を遮られる。其の格好のまま、服の下に手を入れられて、脇腹を撫でられる。
其の手が背中に回って、背骨を確かめるようにシーツと背の間を辿る。腕の付け根の傍まで行くと両手で抱き締められる。真っ暗な闇に解放された瞳が、彼の髪の色を捉えた。
暗がりでも分かる、染め上げられた髪。
抱き締められる手の温もりから伝わる、
愛されているような、ちっとも愛されていないような、不思議な感覚。

ほとんど無言のまま、挿入されて、何度も腰を突き入れられる。
腰が離れると、しがみつくように彼の腰に回した脚に力を入れてしまって、彼が苦笑する。
「こういうのが良いの?」
杭を打ち込まれたと思ったら今度は先端が入るか入らないかというギリギリの場所まで引き抜かれて入り口のあたりを刺激される。それを三回、不規則に読めないペースで繰り返される。合間に彼の薄く開いた目で見つめられれば、狂うほどの官能が血の流れを変えてしまうくらいに、全身を駆け巡る。
「あ……あん……」
無言でいようなんて約束したことは無かったけれど、何となく口数は少なく、囁き合う言葉も無い。
ただ、自分の喘ぎ声が高く響く。まるで雌のように。

腰を抱え上げられ、奥を何度も突かれる。
絡ませた指で、絶頂が近いことを合図される。
「イっていい?」
頷くことしか出来なくて、何度も頭を振ると、粘膜に触れるものを感じた。
どろりとした何とも言えない感触があって、異物感から解放される。

——ガチャ
部屋のドアが開いて、廊下からの灯りが部屋に差した。
「待ってたよ」

自分を抱き締めたままの格好で、彼はドアの方の人影へ声を掛けた。

混乱。
誰?
——ジュニョン?

「ふふ、ねえ?まだシワンヒョン、イってないんだ。でも限界みたいだから、ヒョンがイかせてあげて?」

——何言ってるの、ミヌ?

部屋の入口に立っている人影は身動き一つせず、こちらに目線を投げかけていた。
「ねえ、突っ立ってないで、こっちおいでよ。分かってて来たんでしょ?」
入り口の方を見ながら、ミヌにキスをされて、思わず拒む。
(——嫌だ、ジュニョン、見ないで……)

ベッドに、ミヌとシワン。
部屋の入り口には、ジュニョン。



月明かりで、ミヌの口の端が少し切れて血が滲んでいることに気付く。
ミヌは右手の親指でそれを脱ぐって自分の指を舐め、シワンの後ろの髪を強引に掴んで引っ張った。

「痛……」
「ほら、大好きな人が来てくれたよ。俺もう萎えちゃったから、イかせて貰いなよ」
強く性器の根元を握られれば、反応しない筈がない。
ミヌの目は冷たく、何も感情なんて無いようだった。
残酷さも、冷徹さも無く、何も意思の無い、人形の硝子玉の目のようだった。

ミヌは乱暴に掴んだシワンの頭部をぐい、とベッドに倒すように押しやり、自分はさっさとベッドを降りて窓際のテーブルに置いてあった煙草とライターに手にした。
ライターを付ける音が響いて、煙草に火を点けるミヌの顔の周りだけが明るくなる。
其れ以外、部屋に光はない。
ライターの火が消えて、煙草の先端の火だけが小さく燃えていた。
「ね、何してるのヒョン?シワンヒョンが可哀想。やってあげて?」

ミヌは自分はもう関係無い、と傍観者を決め込んで、椅子に座って煙草を吸う。
シワンはベッドに投げ出されたまま、呆然と暗い部屋の空気を見て。

ジュニョンは、無言のまま、ベッドに近付いた。

——そうだよヒョン、それでいいんだ。
煙草の煙が、部屋に漂う。
きつい香りのする煙草。



ジュニョンはベッドサイドに立ち、青白い月に照らされたシワンを見た。
白い肌がますます白んで、儚く見える。
怯えた瞳が、自分を見上げる。
ミヌの施した愛撫やら何やらで、汗と体液まみれの体。
唇が震えて、何かを言い出したくても言えないようだ。

「ほら、"大好きな"ヒョンに抱かれないと苦しいって。ジュニョンヒョン、抱いてあげて?」
「ミヌ…やめて……」
「ふふ」

(——歪んでく)

ジュニョンは無言のままシワンに覆い被さった。

「——!」
キスをされる。舌が口の中に入り込んで来る。
嫌だ、好きな人とこんな状況で繋がりたくない。
思考で拒絶する。けれど今この状況を逃したら、「次」は二度と訪れない気がして、身体は彼を欲しがって手を伸ばしてしまう。横目でちらりと青白い月とミヌを見る。
——ミヌ、どうしてそんな目をするの?
服を着たままのジュニョンに身体をまさぐられ、ミヌに付けられた跡を全部辿られ、口付けられる。
一瞬萎えていた自分の芯がまた立ち上がり、感じていることをジュニョンに伝える。優しい手つきで追い上げられ、「シワン」と呼びかけられれば、苦しくて泣きたくなる。

——どうして?どうしてこんなことになってるんだ?
俺がいけないの?俺が、ミヌに流されたから?

思考がぐるぐると旋回して、いつまで経っても着陸出来ない飛行機の機体のようだ。
部屋にはミヌの煙草の匂いが漂う。
ジュニョンに指を入れられ、1本、2本、3本と増やされる。
中でばらばらに動かされればまた男を欲しがって、腰が動いてしまう。
「ああ、ジュニョン……だめ、も、ほんとダメ……」
「俺もヤバいみたい……ちょっと、抑えらんない……」
ジュニョンが素早くベルトをがちゃがちゃと音を立てて外して下し、下着から取り出したそれを宛てがう。
「あ!」
言葉を発しながら、息をすると、一瞬弛緩した身体に太い杭を打ち込まれる。それは腰に刺さり、物凄い質量の圧迫感をもたらす。
涙が出た。

さっき、ミヌにも挿入されたのに。
何で今はこんなに、泣きたくなるんだろう。

「ジュニョン……」
「気持ち良い……」

遠くで、ミヌが立ち上がり、去ったのがわかる。
気が散ったシワンの意識を自分に向けさせるために、ジュニョンが激しく動いた。
細い身体がベッドの上でバウンドする位に突き上げられ、揺さぶられる。
堕ちていく。

「あ!」
いい、と思う場所があって、其処に触れられたときに仰け反って官能を伝える。
其処を探り当てられた瞬間、本当に全部の理性を手放した。
「ここ?」
「……ああ、そこ……」
「もっと……?」
「うん……」
抑えの無い喘ぎ声が部屋に響く。

ジュニョンに何度も貫かれて、引き抜かれる。粘膜が擦れ合う感触がただ気持ち良くて、何も考えられなくなっていた。もう、ジュニョンの表情を見たり、読んだりする余裕は無かった。ただ本能で焼き尽くされるまま、行為に夢中になって、彼をねだるばかりだった。
「シワン、イっていいよ……」
そう囁かれ、前に触れられれば、あられもなく叫んで、果てた。
時間差で、ジュニョンもシワンの中に自分の精を放った。
二人で重なるようにベッドに倒れ込む。
ジュニョンは気絶したシワンの頬にキスをした。



目を閉じていると、煙草臭い感じがした。
「ふふ、俺、調教上手いでしょ?」
ベッドサイドに立っている手ぶらのミヌに、声をかけられる。
ミヌが気絶したシワンの髪をそっと撫でた。
「どうだった、シワンヒョン。凄くエロかったでしょ。全部俺が教えたんだよ」

ミヌの煙草の匂いのするキス。

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「疲れた……限界」
ホテルの部屋に入るなり、ベッドの位置を確認したケビンは奥のベッド目掛けてダイブした。
ヒョンシクもつられて手前にあるベッドに手を広げて大の字になる。けれどもまだ自分は体力が残っていた。

連日のイベント。
取材。収録。握手会。握手会。交換会。取材。握手会。取材。握手会。取材。リハ。ライブ。
最早何がどの順番であって、どんな人に会ったかすら覚えていない。
でもだからと言って逃げる訳にはいかない。何より芸能人という道を選んだのだから、此の状況は受け入れるべきもの。其れを理解していて「アイドル」をやっているのだ。
応援してくれるファンやスタッフ、家族や友人が居て、彼ら彼女らが支えてくれるなら、後ろに倒れる訳には行かない。

でも、さすがに疲れたかも……

ライブを終えて即移動、移動した先でイベントスタッフや事務所の人間と宴席があり、ホテルの部屋に入れたのは23時を回っていた。

ケビンが突っ伏した頭を持ち上げ、ヒョンシクのひっくり返っている隣のベッドを見た。
「なあ」
「何?」
「脚揉んで」
「えー」
「立ちっぱなしで疲れた」
年上の命令には逆らえない。ましてや、ケビンが甘えてくるなら。

ヒョンシクは然程疲れては居なかった。
来日初日に、いつどのときに上手く緊張を解すか、というペースを掴めたからだった。だから今日も少し余裕を持って仕事に臨めたと思っている。
そして何よりも気分が良かった。久しぶりの同室が単純に嬉しかった。

「いいよ」

ベッドから降り、隣のベッドへ移動する。
ベッドに乗って彼の脚の傍にあぐらをかき、ショーツから伸びた脚に触れる。と言っても自分の踵で無慈悲に押してみただけだった。
「痛!痛いって!誰が蹴っていいって言った?」
「蹴ってないよ。ちゃんと揉んでるもん」
ぐりぐりと踵を押し付け、血流の固まった部分を探り当てる。
今度は手を添えて力づくでふくらはぎの固い部分を指の先で押す。ケビンが俯せになった姿勢のまま、仰け反った。
「痛い!」
「こってるんだよ」
「お前今絶対悪意あったろう?」
「無いよ」
ヒョンシクは突然手に込めていた力を抜き、やんわりと丁寧にこりをほぐしていった。始めは痛いと大騒ぎしていたケビンも、徐々にリラックスし枕に顔を埋めていった。

その様子を見て、ヒョンシクの心が動いた。

ちゅ。

キスの音がした。
とともに、触れられた部分にくすぐったい感覚が走る。
ケビンが思わず振り返ると、ヒョンシクが自分の膝の裏の薄い部分にキスをした後だと理解した。
「ヒョンシク?」
「ケビンヒョン、今日疲れてるんでしょ。だから……」

——上になってあげる。

と言いながら、ケビンの体を裏返すよう、リードした。

一度軽く唇同士を触れ合わせるキスをすると、ヒョンシクはベッドの足元の方へ体を移動させ、ケビンの足の指を一本一本舐め始めた。
親指。人差し指。中指。薬指。小指。
普段歩いたり立ったりしていても意識しない足の指の感覚。それに湿った舌先を絡められて、酷く興奮してしまう。指と指の間に舌を入れられれば、やはり皮膚が薄いせいか、ぞくりとする。
小指を吸われると、今度は舌が足の甲を這い、足首、脛、膝、と唇が皮膚の上を上がって来る。

ケビンは少し今の状況に戸惑っていた。
宿泊先のホテル。
まだシャワーも浴びていない。荷物も適当に放り出したまま。明かりも全部点いている。
何よりも、ヒョンシクがいつになく積極的。

——何か、変だ。

ベッドに肘をついた状態で上半身を少し斜めにして支えていると、投げ出された自分の足に触れるヒョンシクの唇や舌が見える。それだけで酷く官能が込み上げてきて堪らなくなる。触れてほしい部分には触れてこない手に、焦れる。

「シク……もう、いいよ……」
左手で彼の右肩を押すと、逆に跨がられて自分の両肩をベッドに押さえつけられた。
「ヒョンは今日手出ししないで」
触るの禁止、と言われ、唇を重ね合わせられる。

「ヒョン、大好き。今日は俺が乗るから」

==================

ヒョンシクの提案を聞いたとき、耳を疑った。

「無理無理無理!絶対無理!」
「無理じゃないもん。だって俺だってできたんだよ?」
「そういう問題じゃないって」
「じゃ、どういう問題なの?」
しゅん、としたヒョンシクとベッドの上であぐらをかいて向き合う。
「落ち着けよ」
「落ち着いてるよ。挙動不審なのはヒョンのほう」
「きょど……」
お互い、まだ服は着込んでいて。
ただ、向き合って座っているだけなのだけれど。
ヒョンシクの顔が見られず、俯いてしまう。
「ねえ……凄い気持ち良いんだよ?」
と、ヒョンシクがケビンに抱きついて、耳に唇を触れさせて小声で囁く。ただでさえ敏感になっている耳に、其の言葉。
ヒョンシクの体重を感じた瞬間、ベッドに背中が引っ付いた。
「ね?」
潤んだ瞳に見詰められれば、NOは言えなくなる。

キスをして。
服を脱いで。

ヒョンシクはケビンのくれた感触を一つ一つ思い出すように、体をなぞった。

好奇心とかじゃなくて、ただ「返したい」という想い。
普段どれだけ自分がされて、恥ずかしくて、でも嬉しくて、気持ち良くて、幸せなのか、伝えたかった。
仕返しではなく、お返し。
だから提案したのだ。

『自分が上になる』と。

人差し指を入れて、第一関節の部分でまるで缶の蓋を開けるように手前に傾ければ、内壁をぐっと抉る。
「ねえ、ヒョン分かる?こうされると、いつも俺、気持ち良いんだよ?」
浅い部分を行ったり来たり。小刻みに動かすと、ケビンが首を傾けて腕に顔を押し付けた。
「シク……」
ケビンの呼吸は浅く、声が漏れないように小さく開いた唇で息をしている。
ヒョンシクの言葉が、普段逆のポジションだったら絶対意地になって言わないような言葉で、其れにまた混乱する。ああ、其れが良いんだ、とか、やっぱりそうだったんだな、と思う以上に、自分が感じていることが全てだと思ってしまう。
「もっと、ってなるでしょ?でもヒョンはいつもこうやって」
指を引き抜く。
「意地悪する」
から、俺も同じようにする。
ケビンは物足りなさに気が狂いそうになった。いつも自分がしていること。ヒョンシクが求めるのが見たくて、わざとしてしまう意地悪。
「ね、言ってよ。俺ちゃんと良い子にしてゆってるでしょ?」

——欲しい、って。

目の前の存在の色気に顔が熱くなるのが分かる。
首筋の脈が、速くなっている。
薄っぺらい胸。筋肉の付かない体。白い肌。いつも自分が見下すばかりだった体が、ホテルの暖色の照明に照らされて、陰影をまといながら自分に覆い被さっている。

悔しい。

ケビンは、そっと手を伸ばし、自分の枕元に両手を付いて反応を窺っている顔の顎に添えた。
「嫌な奴。本当に俺が教えたの?」
「ぜんぶ、ヒョンが教えてくれたよ」
——キス。
「ヒョンシク」
「うん?」
「来いよ」

映画のゲイみたいだ、とヒョンシクが笑うと、お前そんなもん見たことあるのか、とケビンがからかう。

そのうち、会話は無くなって。
息遣いと、
水音。

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キスをする、と言っても。
唇を触れさせる体の部分や、時間や、深さ、目の閉じ方、手の添え方、体同士の距離……ちょっと考えて思い付いただけでも複数の構成要素がある。

——じゃあ、首って何だよ。

移動のバスの斜め後ろの座席から、ドンジュンは思っていた。
一列前の右斜め前方に座った男の首に、跡を発見してしまった。

——そうゆうこと?

昨日撮影で別行動だったため、一番最後に電灯の消えた宿舎に帰って来たので、他のメンバーがその日何をしていたか、なんて知るはずもなかった。
朝移動するときや飛行機に乗っている間は気が付かなかった。
疲れのせいか立って歩くことすら億劫だったので、周りを意識していなかった、と言う方が正しいかもしれない。
恨み言を言うつもりはないし、メンバーが交替で割り振られた仕事をこなし、割り振られた休暇をそれぞれのペースで消化していくことについても文句は無い。

ただ、彼が「そういうこと」をしていること、に納得がいかなかった。

この体勢で居たら嫌でも視界にその体が目に入ってしまう。
ドンジュンは眉間に皺を寄せ、Tシャツの襟元にぶら下げてたサングラスをかけて窓側に向き直った。
バスは海沿いの街の中を通り抜けて行く。区画整理された街並。東京とはちょっと違う、横浜の街。
特に見るものもなくて、ただぼんやり眺めているだけ。
釈然としない思いが、自分の中にあることに気付きながら、それを飼い馴らす。

==================

オフィスで打ち合わせを済ませ、中華街の萬珍樓で会食。
脂っこい食べ物が苦手な自分には、日本のラーメンで良いんだけどな、と思った。日本の中華は同じくそれほど脂っこいものを採らない日本人向けに調整してある、とは聞いたことがあるし確かに台湾や香港で食べた料理よりはマシだったが、それにしても脂っこい。体作りにも採って良い油ではない気がしたので少し控えめに食す。
本当は、こういうかしこまったものじゃなくて、ラーメンとか、丼物とか普通の日本人の男の子が食べるような物が食べたい。偉い人とじゃなくて、ヒョン達と。

そこまで考えて、思う。

いや、あの人はいいや。
偉い人にニコニコして、隣に座ったコーディネーターの女の人にはヘラヘラしてさ。

「どうしたの、今一瞬怖い顔してた」
と、円卓で左隣に座ったミヌに言われてはっとした。
自分はジュースを持ったままグラスに口も付けずぼうっとしていたらしい。
「え、そんなことないよ……」
ミヌに向き直りつつ自分の皿に視線を落とした。と思ったら皿の上にあった筈の肉まんが無い。
はむはむ。
視線を移すと、右手で肉まんを持って頬袋を上下させているミヌ。
「あ」
「あ」
バレた。
「ちょ、返せよ!!!」
バトル開始。

==================

料理を食べ終わり、もう一度バスに乗ってホテルへ移動する。
マネージャーから聞かされた部屋割りは、最悪だった。
一番会いたくない、顔も見たくない、話したくない相手と同室。二人部屋。
明日のスケジュールを確認し、それぞれ荷物を持ってエレベータホールへ向かう。が、自分だけは何だか移動したくなくて、ロビーのソファーから立てずに居た。浅腰掛け背を思いっきりもたれさせ、脚を前に投げ出すだらしのない座り方のまま。
「ドンジュンどうした?行くぞ」
と本日のルームメイトに背もたれ側から自分の後ろ姿に向かって声をかけられる。だんまりを決め込む。
「ドンジュン?」
無視。
「キー、スペア無いんだけど」
お前が持ってるから。
「先に行けば良いじゃないですか。俺はもうちょっとここに居たいんです」
苛々。
「なあ、俺何かした?」
してないよ。
貴方は何も悪くない。
相手はドンジュンの視界に入るように移動した。
「した?」

==================

ホテル内にあるバーのカウンターに並んで座った。
宿泊客専用で、程よい間隔でテーブルが配置されていて、他の利用客を意識せずに過ごせる作りになっている。カウンターの備え付けの椅子の間隔も、悪くない。
店内の照明はかなり落とされていて、店内奥に置かれたピアノの傍で、ジャズバンドが演奏している。名の売れたバンドらしい。そのためなのか、カウンター席には自分たちしかおらず、他の客は演奏を聴きバンドを見ながら酒の飲める奥のテーブル席を希望していた。
「何か今日一日変だったよな」
マティーニの入ったグラスを置いて、ドンジュンに語りかける。
「そんなこと無いです」
「なら大問題だ」
「え」
「機嫌が悪いのがデフォルトのテンションだったら、大問題さ」
説教かよ。
「あ、いま説教かよって思ったろ」
「思ってないです」
「顔に書いてある」
と言った瞬間、伸ばした人差し指の先を眉間に触れさせられた。
「!」
ビクン、と頭を思い切り逸らして反応したドンジュンに、逆に相手が驚いた。
「あ、ごめん」
「いえ……」
悪いのは俺。一日中態度が悪かったと自分でも反省している。感情をそのまま外に出してはいけない。まして不機嫌なら。
「ミヌもドンジュンが怖いってゆってたぞ」
——ミヌ?何でここでミヌが出てくるんだよ。
「ヒョン」
かすかな苛立ちを必死で抑えながら、自分の右隣に座った相手の顔を見る。
「昨日何処に居たんですか?」

==================

もの凄く苛々して、金を置いて大股気味でバーを出て行く。
後ろから彼が追い掛けてくる。

エレベーターのボタンを押して待機していたエレベーターに乗り込む。キーを読み取り部にかざし、部屋のある階のボタンを押した後、ドアを閉めるボタンを連打する。
が、ドアが閉まるギリギリのところで追いつかれた。
「それが年上に対する態度か」
息を切らせ、腰を軸にして体を折り畳んだヒョン。
伸ばしかけている髪が、重力に負けて下に垂れ下がり、首周りが全開になる。

その首筋に、まだ残る跡。

バタン。
瞬間、ドンジュンは彼を壁側に押し付け、その唇に噛み付くようなキスをした。
歯がぶつかる感覚。ただ、激しさだけの荒々しいキス。
「ねえ、ゆうべ何処に居たの?ジュニョンヒョン」

==================

部屋に連れ込むと、今度は玄関口のドアに彼を押し付けてキスをする。執拗に、その首筋の跡を舌先でなぞる。
「あ……ドンジュン……」
「誰かと居たんでしょ。ここ、跡付いてる」
「あ……」
ジュニョンは、しまった、と思った。が、何より普段愛嬌を振りまいているドンジュンの豹変ぷりに驚いており、正常な判断力を欠いている。
「ねえ、楽しかった?」
シャツの下から遠慮なく差し込まれ、肌を這い回る荒々しい手つき。自分の右手を掴んで壁際に押し当てている力強い手。自分の太腿に当たる、固さを持った、感覚と脚。
逃げ場が無い。隠れられもしない。
「ねえ?」
無理矢理口を開けさせられ、舌をねじこまれる。頭を掴まれた、と思ったら、今度は手が首筋に回され、あの跡の場所に爪を立てて強く引っ掻かれる。
「誰と居たかは聞かないであげるから、今日は俺の相手して?」
隣の部屋は、確かーー。

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Profile
HN:
はまうず美恵
HP:
性別:
女性
職業:
吟遊詩人
趣味:
アート
自己紹介:
ハミエことはまうず美恵です。

当Blogは恋愛小説家はまうず美恵の小説中心サイトです。
某帝国の二次創作同人を取り扱っています。

女性向け表現を含むサイトですので、興味のない方意味のわからない方は入室をご遠慮下さい。

尚、二次創作に関しては各関係者をはじめ実在する国家、人物、団体、歴史、宗教等とは一切関係ありません。
また 、これら侮辱する意図もありません。
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