——真夜中、夢を見た。
夏の午後の庭に、二人の子供が居た。5、6歳だろうか。
一人の少年が、虫かごに入った青い蝶を飽きもせず眺めていた。
——幼い頃の、シワン。
「ほら——、みて。きれい」
彼はもう一人の少年に虫かごを差し出す。
もう一人の少年は、彼から虫かごを取り上げてしまった。
虫かごの扉を開けて手を突っ込み、中の蝶を乱暴に捕まえる。
びりっ
シワンの目の前で、蝶は羽根を左右に引きちぎられ、真っ二つになった。
==================
「嫌な夢見たな……」
大人になると、何故虫が苦手になるのだろう、と思う。
砂遊びも、虫取りも、子供の頃に出来ていたはずの色々なものに対して、潔癖になる。
目の前で引き裂かれた蝶の妙にリアルなグロテスクさに、少し吐き気がした。
そして、何よりも、何故今こんな子供の頃の夢を見たのだろう、と思う。
夢には自分のことを想っている人が出る、と聞いたことがある。
シワンは、ベッドから這い出し、水でも飲もうとリビングへ向かった。
==================
せっかく失恋した傷も綺麗にかさぶたくらいになった、と思っていたのに。
クァンヒは最近生徒会室に入り浸るようになった存在達を、疎ましく思っていた。
「シワン先輩!今度俺らの部活で、模擬店出すんですけど、何が良いと思います?」
今日もそのうちの一人は、シワンの横でにこにこと笑っている。
夏休みが明けた頃、突然道場破りのように生徒会室のドアを開けて入って来た少年は
「面白そうだから俺も入る」と勝手に生徒会の一員になってしまった。
始めは戸惑っていたシワンが、断りきれずに「じゃあ、書記が病弱で今も学校を休んでいるから少し手伝ってくれ」と言い出してしまった結果、今に至る。
シワンはただの荒くれ者だった後輩が、意外と可愛らしい一面を見せるのを気に入っていたが、クァンヒには一向に懐かないその少年。
シワンが「あれやっといてくれ」と言うと「はい!」と素直に聞くのに、シワンの居ない場所で軽い頼み事をしただけでも「は?何で俺なんスか」という態度を取るその姿は、小悪魔どころか悪魔だった。
「——ラーメンの屋台に『ザ☆麺』って看板出して女子に引かれればいいんじゃない?」
これが、もう一人の存在。
何時の間にか生徒会室に入って来たジュニョンが、シワンに向かって企画書を出しつつ、ドンジュンとシワンの間の狭い空間に割り込んでシワンの肩を抱いた。
「はいシワン陸上部の企画書。出来るリーダーは決定も仕事も早いんです」
——手もだろ。
クァンヒは心の中で突っ込んだ。
==================
「ケビン先輩ー、ライブの曲どうするんですか?」
帰宅途中に立ち寄った牛丼屋で、特盛りの牛丼を目の前にご機嫌なヒョンシクが尋ねた。
「うーん、俺的にはTOKIO HOTELとかやりたいけどなー」
其の横で並盛りの牛丼とサラダを取るケビン。
「Linkin Parkとかは?」
「あ、皆聴いたことあるだろうし良いかも」
ヒョンシクが牛丼をかき込みながら言う。相変わらず見ていて気持ちがよくなるほどの食べっぷり、とケビンは思う。
「ほんとはオリジナルがやりたい。ツインボーカルでさ」
ケビンの声のトーンが変わり、素早くヒョンシクが丼から顔を離して、目を見詰めて来た。
「あ」
ついてる。
と唇の端に付いた米粒を指で取ってあげる。
==================
機材を操作する手が、思わず止まった。
オセロを演じる高校生離れした演技力と存在感。
その場に居た部員と顧問、全員が彼の演技から目が離せなかった。
スポットライトを当てなければならないのに、当ててはいけないような危うい姿。
それが、照明を操作するテホンの前に、圧倒的な存在感を持って、立っていた。
「演目変えた方が良い気がする」
部室に戻り、舞台衣装から着替えた彼を待ち構えて、テホンが言った。
「は?何で?」
そこに立っていたのは、いつものヒチョルだった。
「何か怖い」
「怖い?」
何を言うか、とテホンの首に手を回し、プロレスで言う所のヘッドロックの格好をする。
「痛いよヒチョル」
「何で俺が怖いんだよ」
「何となくだよ」
へらへらと笑う姿はいつもと同じ。
——でも、君は、最近様子がおかしい。
==================
——あの日。
ヒチョルが学校の屋上に続くドアの屋根の上で煙草を吸っていると、ドアが急に開いた。
聞き慣れた声が聞こえる。
——シワン?
吸いかけの煙草を地面に擦り付け、身を隠すようにして様子を窺った。
『失恋したばっかの男って、落とし易いんだよ。知ってる?』
その台詞を吐いた相手に抱き締められ、挙げ句、白昼堂々のキス。
——ふうん、そういうこと。
途端に、自分の中に真っ黒なものがこみ上げてくるのが分かった。
君の気に入った玩具は、全部取り上げて壊したい。
To be continued......
夏の午後の庭に、二人の子供が居た。5、6歳だろうか。
一人の少年が、虫かごに入った青い蝶を飽きもせず眺めていた。
——幼い頃の、シワン。
「ほら——、みて。きれい」
彼はもう一人の少年に虫かごを差し出す。
もう一人の少年は、彼から虫かごを取り上げてしまった。
虫かごの扉を開けて手を突っ込み、中の蝶を乱暴に捕まえる。
びりっ
シワンの目の前で、蝶は羽根を左右に引きちぎられ、真っ二つになった。
==================
「嫌な夢見たな……」
大人になると、何故虫が苦手になるのだろう、と思う。
砂遊びも、虫取りも、子供の頃に出来ていたはずの色々なものに対して、潔癖になる。
目の前で引き裂かれた蝶の妙にリアルなグロテスクさに、少し吐き気がした。
そして、何よりも、何故今こんな子供の頃の夢を見たのだろう、と思う。
夢には自分のことを想っている人が出る、と聞いたことがある。
シワンは、ベッドから這い出し、水でも飲もうとリビングへ向かった。
==================
せっかく失恋した傷も綺麗にかさぶたくらいになった、と思っていたのに。
クァンヒは最近生徒会室に入り浸るようになった存在達を、疎ましく思っていた。
「シワン先輩!今度俺らの部活で、模擬店出すんですけど、何が良いと思います?」
今日もそのうちの一人は、シワンの横でにこにこと笑っている。
夏休みが明けた頃、突然道場破りのように生徒会室のドアを開けて入って来た少年は
「面白そうだから俺も入る」と勝手に生徒会の一員になってしまった。
始めは戸惑っていたシワンが、断りきれずに「じゃあ、書記が病弱で今も学校を休んでいるから少し手伝ってくれ」と言い出してしまった結果、今に至る。
シワンはただの荒くれ者だった後輩が、意外と可愛らしい一面を見せるのを気に入っていたが、クァンヒには一向に懐かないその少年。
シワンが「あれやっといてくれ」と言うと「はい!」と素直に聞くのに、シワンの居ない場所で軽い頼み事をしただけでも「は?何で俺なんスか」という態度を取るその姿は、小悪魔どころか悪魔だった。
「——ラーメンの屋台に『ザ☆麺』って看板出して女子に引かれればいいんじゃない?」
これが、もう一人の存在。
何時の間にか生徒会室に入って来たジュニョンが、シワンに向かって企画書を出しつつ、ドンジュンとシワンの間の狭い空間に割り込んでシワンの肩を抱いた。
「はいシワン陸上部の企画書。出来るリーダーは決定も仕事も早いんです」
——手もだろ。
クァンヒは心の中で突っ込んだ。
==================
「ケビン先輩ー、ライブの曲どうするんですか?」
帰宅途中に立ち寄った牛丼屋で、特盛りの牛丼を目の前にご機嫌なヒョンシクが尋ねた。
「うーん、俺的にはTOKIO HOTELとかやりたいけどなー」
其の横で並盛りの牛丼とサラダを取るケビン。
「Linkin Parkとかは?」
「あ、皆聴いたことあるだろうし良いかも」
ヒョンシクが牛丼をかき込みながら言う。相変わらず見ていて気持ちがよくなるほどの食べっぷり、とケビンは思う。
「ほんとはオリジナルがやりたい。ツインボーカルでさ」
ケビンの声のトーンが変わり、素早くヒョンシクが丼から顔を離して、目を見詰めて来た。
「あ」
ついてる。
と唇の端に付いた米粒を指で取ってあげる。
==================
機材を操作する手が、思わず止まった。
オセロを演じる高校生離れした演技力と存在感。
その場に居た部員と顧問、全員が彼の演技から目が離せなかった。
スポットライトを当てなければならないのに、当ててはいけないような危うい姿。
それが、照明を操作するテホンの前に、圧倒的な存在感を持って、立っていた。
「演目変えた方が良い気がする」
部室に戻り、舞台衣装から着替えた彼を待ち構えて、テホンが言った。
「は?何で?」
そこに立っていたのは、いつものヒチョルだった。
「何か怖い」
「怖い?」
何を言うか、とテホンの首に手を回し、プロレスで言う所のヘッドロックの格好をする。
「痛いよヒチョル」
「何で俺が怖いんだよ」
「何となくだよ」
へらへらと笑う姿はいつもと同じ。
——でも、君は、最近様子がおかしい。
==================
——あの日。
ヒチョルが学校の屋上に続くドアの屋根の上で煙草を吸っていると、ドアが急に開いた。
聞き慣れた声が聞こえる。
——シワン?
吸いかけの煙草を地面に擦り付け、身を隠すようにして様子を窺った。
『失恋したばっかの男って、落とし易いんだよ。知ってる?』
その台詞を吐いた相手に抱き締められ、挙げ句、白昼堂々のキス。
——ふうん、そういうこと。
途端に、自分の中に真っ黒なものがこみ上げてくるのが分かった。
君の気に入った玩具は、全部取り上げて壊したい。
To be continued......
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ケビンを抱き締めたまま、動かなくなってしまった、男の人。
「先輩、俺今日は帰ります」
ヒョンシクはそう言って、その場を立ち去ろうとした。
ケビンが慌てて引き止める。
「待って。おいちょっとジュニョン……話は聞くから一瞬離れて」
==================
ケビン、ヒョンシク、ジュニョンの三人は近くのファミリーレストランへ移動した。ケビンは最初自分の一人暮らしの部屋へ二人を連れて行こうと思ったが、どうもヒョンシクの顔が険しかったので、レストランへ行き先を変更した。
4人掛けの席にジュニョンを上座、自分とヒョンシクを下座に座らせる格好で、ケビンはジュニョンの話を聞こうとした。途中ヒョンシクが帰ると言い出したので、下座でも上の方に座らせ、ソファの手前に自分が座って逃げないようにした。
「どうしたの?」
出された水を飲みながらケビンが聞く。
「……失恋したっぽい」
「……そんなことだろうとは思ったけど」
途端、不貞腐れた表情で窓の外を見ていたヒョンシクが向き直った。
「?」
「……一応言っとくと、こいつ恋人居るから」
状況が飲み込めない表情の後輩にジュニョンを指差して教える。
「こいびと」
話の流れだと、この『恋人』はケビンではない。ヒョンシクはそこに気付いて、やっと安堵の表情を見せ、ジュニョンに対する警戒を解いた。
ケビンは隣に座った相手のその様子を見て、やはり勘違いしていたか、と思う。
「居た、の間違いだよ」
前の席に座った先輩は未だに表情が暗く俯いている。彼は制服のシャツの胸ポケットから煙草の箱を出そうとし、ケビンに嗜められた。
「煙草ダメ」
「悪ぃ……」
何かしていないと手持ち無沙汰なのだろう、目の前の相手はグラスの水滴を指で拭う仕草をした。
「したっぽいって?」
「うん、何かね」
ジュニョンがぽつりぽつりとそれまでの経緯を話し始めた。
自分には、共通の友達の紹介で付き合っていた他校の後輩が居たこと。
相手がダンスをしていて、才能があったこと。
そして今日、会ったときに何か違和感があったこと。
「違和感って?」
3人分の飲み物を持って来たウェイトレスに礼を言いながら、ケビンが尋ねる。
「何か、別れたいのかなあ、みたいな雰囲気」
「直接言われたとかじゃなくて?」
「でもあるじゃん……分かるだろ?何か言いたいんだろうな、みたいな雰囲気」
ヒョンシクには、未だその感覚は分からなかったが、ケビンは納得したのか固い表情になった。
「ああ……何か言いかけてやめる感じ」
「そうだよ。生殺しの感覚」
ジュニョンは言葉を切って、コーヒーカップに口を付けた。
ヒョンシクはまじまじとその顔を見た。レストランの明るい照明の下で見ると、更に格好良いのだと思う。整った顔に、少し気怠い雰囲気。色気があって、高校生なのに水商売の人みたいだ、と思う。こんな格好良い人をふる人が居るんだろうか、と思ってしまう。
「その相手の人に好きな人……とか、居たんですか」
言ってしまってから、無礼だったかなと後悔する。
「いや、多分、そういうんじゃないと思う」
相手はずっと自分の才能を輝かせてくれる場所を求めていた。
誰よりも何よりも、ダンスを愛していたし、神様からも愛されていた。
「自分の道を歩きたいんだと思う」
==================
少し落ち着いたので帰る、とジュニョンが言い、金を置いて出て行こうとしたので、ケビンとヒョンシクも店を出た。ジュニョンは道が違う、と言って二人とは別の道を歩いて行った。
「あそこまで落ち込んでるのは初めて見たな」
大体面倒になって自分からフることが多かったからだろう、と思う。
ヒョンシクは、そういう別れ方があるのだ、ということが理解出来なかった。
「ジュニョン先輩……可哀想……」
「まあ、人間、相談してる時点で、本人の中では結論が出てるもんだろ」
「そうなんですか?」
連れ立って歩きながら、ヒョンシクはケビンの顔を見た。
「うん」
「そういうもの?」
「そういうもの。だからさ、外野はその結論にYesって言ってやる位しか出来ないんだよ」
「……ジュニョン先輩の結論は?」
「『自分が身を引く』だね」
==================
携帯電話の着信履歴を確認すると、ミヌから2回、10分前に不在着信があった。
ケビンとヒョンシクと別れ、道端の電話ボックスに入って、電話をかける。
呼び出し音が、やけに長く感じる。
出てほしいような、出てほしくないような気持ち。先ほど飲んだぬるいコーヒーが胃から食道を逆流してくるような感覚。
『——ヒョン……』
この声も、聞けなくなるのか。
==================
「今日は遅くなったから帰る?」
帰り道の途中で、ケビンはヒョンシクへ尋ねた。
部活の後に食事をCD屋に寄って、軽く食事をして、更にジュニョンと話していたら時計は21時を回っていた。高校生が出歩くには十分遅い時間だった。
「あ……はい……」
残念だ、という表情を隠しきれないまま、返事が先に口をついて出てしまう。
「うちはいつでも来ていいから」
な、とヒョンシクの頭をかき回して言った。
やめてくださいセットが崩れます、と言いながら、ヒョンシクは笑みを見せた。
==================
ヒチョルとテホンは家が近所なので最寄り駅からも同じ道を通って帰った。
「そういや、それあげる相手ってどんな奴?何繋がり?」
ヒチョルは荷物の入った黄色い紙袋を指差して聞いた。
「うーん。何かね、キカンボウ」
「キカンボウ?」
「そ。強情で、『これ!』って決めたら突き進んじゃう現実主義な子」
「可愛い?」
ヒチョルの問い掛けに、テホンが歩いている足を止めた。
「気になる?」
一緒に立ち止まったヒチョルがふい、と横を向いた。
「別に!ただ聞いただけじゃん。バーカバーカ」
——またそういうこと言って、子供みたい。
「可愛いよ」
「え」
そっぽを向いていたヒチョルが、ぐるり、と首を回してテホンへ顔を向けた。
「嘘」
「はは」
——ほんとは超可愛いんだけどね。
==================
電話を切ったミヌは、その場に崩れ落ちた。
出した答えに、深く頷く。
これで良かったんだ、と。
それなのに涙は止まらなかった。声を上げて泣いた。
==================
ランニングから戻ったドンジュンは、部屋の時計を見上げた。
——まだ、21時か。
明日も部活があるから、学校に行かなくてはならない。
生徒会は、あるんだろうか。
もっと話してみたい。顔が好きだけれど、性格は分からない。
==================
それぞれの思いが交錯したまま、夜は更けて行った。
==================
【翌日】
朝シワンが登校すると、下駄箱で一番会いたくなかった顔と思いがけなく会ってしまった。
「おはよ」
腫れぼったい顔で、ジュニョンが挨拶をしてきた。
「お…はよう」
目元が変だな、と思ったが相手のことを言えるほどではない気がした。自分も今朝鏡を見たときに、目が腫れていた気がした。
「今日も部活?」
取り繕うように話題を探す。見れば部活の荷物が入っているであろうボストンバッグを抱えており、ジャージで登校しているのだから、部活に来たことは間違いが無かった。愚問だったな、と後悔する。
「そう。シワンは生徒会?」
「あ、うん」
こちらも愚問。
途中まで一緒に行こう、と言われ、連れ立って校舎の階段を歩いていた。
「昨日部長のお前が抜けたから部員の皆困ってたよ」
「……俺なんか居ても居なくてもいいのにね」
その言葉を聞いて、やはり様子がおかしい、とシワンは思う。自分の言った台詞に対する答えにしては、今の返しはあまりに投げやりな答えだと思った。
頼りなく乾いた笑いを発する相手が気になり、2階と3階の踊り場にさしかかった所で、シワンはそっとジュニョンの半袖のシャツの肩口を引っ張った。
「変なこと言うなよ」
二人はその場に立ち止まった。
「何かあったなら、聞くよ。話せば楽になるかも」
左手でジュニョンの右頬に触れる。自分でも大胆なことをしたと思うが、今のジュニョンは触れていないと消えそうなくらい、生命力の無い存在だった。
ジュニョンは、嫌がるかと思ったら、されるがままに黙って頬を触らせていた。
「ジュニョン?」
ますます心配になって、シワンは口をもう一度開いて名前を呼んだ。その瞬間、ジュニョンがシワンの肩を引き寄せ、シワンの右肩に自分の額を乗せた。
「ごめん……ちょっと肩貸して……」
こもった声が、耳元のすぐ傍で聞こえる。
そのまま暫くの間、シワンは自分の肩にジュニョンの重さを感じていた。そっと頭に手を回すと、柔らかい髪質の髪が指先をすり抜けて行った。何度も何度も髪をといて、その間もずっとジュニョンは声を押し殺して泣いていた。
これでもいい。
高望みなんてしない。
ただ、こいつがこういうところを見せてくれるだけでも——。
To be continued......
「先輩、俺今日は帰ります」
ヒョンシクはそう言って、その場を立ち去ろうとした。
ケビンが慌てて引き止める。
「待って。おいちょっとジュニョン……話は聞くから一瞬離れて」
==================
ケビン、ヒョンシク、ジュニョンの三人は近くのファミリーレストランへ移動した。ケビンは最初自分の一人暮らしの部屋へ二人を連れて行こうと思ったが、どうもヒョンシクの顔が険しかったので、レストランへ行き先を変更した。
4人掛けの席にジュニョンを上座、自分とヒョンシクを下座に座らせる格好で、ケビンはジュニョンの話を聞こうとした。途中ヒョンシクが帰ると言い出したので、下座でも上の方に座らせ、ソファの手前に自分が座って逃げないようにした。
「どうしたの?」
出された水を飲みながらケビンが聞く。
「……失恋したっぽい」
「……そんなことだろうとは思ったけど」
途端、不貞腐れた表情で窓の外を見ていたヒョンシクが向き直った。
「?」
「……一応言っとくと、こいつ恋人居るから」
状況が飲み込めない表情の後輩にジュニョンを指差して教える。
「こいびと」
話の流れだと、この『恋人』はケビンではない。ヒョンシクはそこに気付いて、やっと安堵の表情を見せ、ジュニョンに対する警戒を解いた。
ケビンは隣に座った相手のその様子を見て、やはり勘違いしていたか、と思う。
「居た、の間違いだよ」
前の席に座った先輩は未だに表情が暗く俯いている。彼は制服のシャツの胸ポケットから煙草の箱を出そうとし、ケビンに嗜められた。
「煙草ダメ」
「悪ぃ……」
何かしていないと手持ち無沙汰なのだろう、目の前の相手はグラスの水滴を指で拭う仕草をした。
「したっぽいって?」
「うん、何かね」
ジュニョンがぽつりぽつりとそれまでの経緯を話し始めた。
自分には、共通の友達の紹介で付き合っていた他校の後輩が居たこと。
相手がダンスをしていて、才能があったこと。
そして今日、会ったときに何か違和感があったこと。
「違和感って?」
3人分の飲み物を持って来たウェイトレスに礼を言いながら、ケビンが尋ねる。
「何か、別れたいのかなあ、みたいな雰囲気」
「直接言われたとかじゃなくて?」
「でもあるじゃん……分かるだろ?何か言いたいんだろうな、みたいな雰囲気」
ヒョンシクには、未だその感覚は分からなかったが、ケビンは納得したのか固い表情になった。
「ああ……何か言いかけてやめる感じ」
「そうだよ。生殺しの感覚」
ジュニョンは言葉を切って、コーヒーカップに口を付けた。
ヒョンシクはまじまじとその顔を見た。レストランの明るい照明の下で見ると、更に格好良いのだと思う。整った顔に、少し気怠い雰囲気。色気があって、高校生なのに水商売の人みたいだ、と思う。こんな格好良い人をふる人が居るんだろうか、と思ってしまう。
「その相手の人に好きな人……とか、居たんですか」
言ってしまってから、無礼だったかなと後悔する。
「いや、多分、そういうんじゃないと思う」
相手はずっと自分の才能を輝かせてくれる場所を求めていた。
誰よりも何よりも、ダンスを愛していたし、神様からも愛されていた。
「自分の道を歩きたいんだと思う」
==================
少し落ち着いたので帰る、とジュニョンが言い、金を置いて出て行こうとしたので、ケビンとヒョンシクも店を出た。ジュニョンは道が違う、と言って二人とは別の道を歩いて行った。
「あそこまで落ち込んでるのは初めて見たな」
大体面倒になって自分からフることが多かったからだろう、と思う。
ヒョンシクは、そういう別れ方があるのだ、ということが理解出来なかった。
「ジュニョン先輩……可哀想……」
「まあ、人間、相談してる時点で、本人の中では結論が出てるもんだろ」
「そうなんですか?」
連れ立って歩きながら、ヒョンシクはケビンの顔を見た。
「うん」
「そういうもの?」
「そういうもの。だからさ、外野はその結論にYesって言ってやる位しか出来ないんだよ」
「……ジュニョン先輩の結論は?」
「『自分が身を引く』だね」
==================
携帯電話の着信履歴を確認すると、ミヌから2回、10分前に不在着信があった。
ケビンとヒョンシクと別れ、道端の電話ボックスに入って、電話をかける。
呼び出し音が、やけに長く感じる。
出てほしいような、出てほしくないような気持ち。先ほど飲んだぬるいコーヒーが胃から食道を逆流してくるような感覚。
『——ヒョン……』
この声も、聞けなくなるのか。
==================
「今日は遅くなったから帰る?」
帰り道の途中で、ケビンはヒョンシクへ尋ねた。
部活の後に食事をCD屋に寄って、軽く食事をして、更にジュニョンと話していたら時計は21時を回っていた。高校生が出歩くには十分遅い時間だった。
「あ……はい……」
残念だ、という表情を隠しきれないまま、返事が先に口をついて出てしまう。
「うちはいつでも来ていいから」
な、とヒョンシクの頭をかき回して言った。
やめてくださいセットが崩れます、と言いながら、ヒョンシクは笑みを見せた。
==================
ヒチョルとテホンは家が近所なので最寄り駅からも同じ道を通って帰った。
「そういや、それあげる相手ってどんな奴?何繋がり?」
ヒチョルは荷物の入った黄色い紙袋を指差して聞いた。
「うーん。何かね、キカンボウ」
「キカンボウ?」
「そ。強情で、『これ!』って決めたら突き進んじゃう現実主義な子」
「可愛い?」
ヒチョルの問い掛けに、テホンが歩いている足を止めた。
「気になる?」
一緒に立ち止まったヒチョルがふい、と横を向いた。
「別に!ただ聞いただけじゃん。バーカバーカ」
——またそういうこと言って、子供みたい。
「可愛いよ」
「え」
そっぽを向いていたヒチョルが、ぐるり、と首を回してテホンへ顔を向けた。
「嘘」
「はは」
——ほんとは超可愛いんだけどね。
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電話を切ったミヌは、その場に崩れ落ちた。
出した答えに、深く頷く。
これで良かったんだ、と。
それなのに涙は止まらなかった。声を上げて泣いた。
==================
ランニングから戻ったドンジュンは、部屋の時計を見上げた。
——まだ、21時か。
明日も部活があるから、学校に行かなくてはならない。
生徒会は、あるんだろうか。
もっと話してみたい。顔が好きだけれど、性格は分からない。
==================
それぞれの思いが交錯したまま、夜は更けて行った。
==================
【翌日】
朝シワンが登校すると、下駄箱で一番会いたくなかった顔と思いがけなく会ってしまった。
「おはよ」
腫れぼったい顔で、ジュニョンが挨拶をしてきた。
「お…はよう」
目元が変だな、と思ったが相手のことを言えるほどではない気がした。自分も今朝鏡を見たときに、目が腫れていた気がした。
「今日も部活?」
取り繕うように話題を探す。見れば部活の荷物が入っているであろうボストンバッグを抱えており、ジャージで登校しているのだから、部活に来たことは間違いが無かった。愚問だったな、と後悔する。
「そう。シワンは生徒会?」
「あ、うん」
こちらも愚問。
途中まで一緒に行こう、と言われ、連れ立って校舎の階段を歩いていた。
「昨日部長のお前が抜けたから部員の皆困ってたよ」
「……俺なんか居ても居なくてもいいのにね」
その言葉を聞いて、やはり様子がおかしい、とシワンは思う。自分の言った台詞に対する答えにしては、今の返しはあまりに投げやりな答えだと思った。
頼りなく乾いた笑いを発する相手が気になり、2階と3階の踊り場にさしかかった所で、シワンはそっとジュニョンの半袖のシャツの肩口を引っ張った。
「変なこと言うなよ」
二人はその場に立ち止まった。
「何かあったなら、聞くよ。話せば楽になるかも」
左手でジュニョンの右頬に触れる。自分でも大胆なことをしたと思うが、今のジュニョンは触れていないと消えそうなくらい、生命力の無い存在だった。
ジュニョンは、嫌がるかと思ったら、されるがままに黙って頬を触らせていた。
「ジュニョン?」
ますます心配になって、シワンは口をもう一度開いて名前を呼んだ。その瞬間、ジュニョンがシワンの肩を引き寄せ、シワンの右肩に自分の額を乗せた。
「ごめん……ちょっと肩貸して……」
こもった声が、耳元のすぐ傍で聞こえる。
そのまま暫くの間、シワンは自分の肩にジュニョンの重さを感じていた。そっと頭に手を回すと、柔らかい髪質の髪が指先をすり抜けて行った。何度も何度も髪をといて、その間もずっとジュニョンは声を押し殺して泣いていた。
これでもいい。
高望みなんてしない。
ただ、こいつがこういうところを見せてくれるだけでも——。
To be continued......
真っ白な天井を見上げ、ベッドに寝そべったシワンは自分の中で渦巻く感情を整理しようとしていた。
ジュニョンが他校の子と付き合っていること。
それに傷付いている自分。
どう考えても、ジュニョンを気にしてしまう気持ち。
これは。
——恋?
そう気付いて、シワンはふっと笑った。
——気付いた瞬間、失恋か。
シワンは寝返りを打って頭からシーツを被り、目を閉じて耳を塞いだ。
——自分の才能とか、部員のこととか、グラウンドの使用権とか、全部どうでも良いんだ。あいつにとっては無意味なんだ。あの子が好きで、可愛くて、何よりも大切にしたいんだろう。
才能があるのにそれを無駄遣いしている人間だ、と思っていた。全国大会に出られるレベルの短距離走の実力がありながら、何もかもにおいてやる気が無い。学校にも来ないし来ても最後列の席で寝ている。部活も部長なのにやる気が無くて。
そんなジュニョンが唯一目を輝かせるものが、あの存在——。
そこまで考えた所で、さらにシワンはきつく目を閉じた。
==================
公園であの光景を見たときのシワンを見て、見たくないものを見てしまったとクァンヒは思った。
——シワンは、ジュニョンを好き。
自分はピエロだったのだ。
シワンが好きで好きでどうしようも無くて、根回しをして生徒会長と副会長になるように仕組んだり、近くに居る為の手段を色々講じて来たけれど、全部無駄だった。
シワンが嫌がらないから、その冷たい優しさに甘えて色んなことをしてしまったけれど、ずっと目は何処違う所を見ていたのだと思う。
——結局、人の気持ちを変えることが一番難しいんだ。
帰りの電車のホームで、バイバイ、と手を振ったときのシワンの目が、自分には向いていないことを知るのが辛かった。
——分かりたくなかったよ、シワン。
痛い気持ちを抱えたまま家へ帰ることはできなくて、一駅、また一駅と電車を乗り過ごして行く。
終着駅を伝えるアナウンスが車内に響き、人もまばらになった電車から降りた。
==================
『またね』という台詞が一番辛い。
——結局言い出せなかった。
ミヌはいつもは絶対失敗しないウインドミルを回転不足で終わらせてしまった。
「ミヌどうした?何か調子悪い?」
仲間が声をかけてくる。
「ごめん、大丈夫、ちょっと気が散ってた」
「しっかりしてくれよ。来週行くんだろ」
==================
映画館からの帰り、テホンが雑貨を見たい、と言い出した。
「ちょっと雑貨見ていい?」
映画も面白く、キャラメルポップコーンとバニラアイスクリーム、コーラのフルセットも付いていてご機嫌になったヒチョルは快諾した。
「何見るの?」
「今度さ、知り合いが留学するから、プレゼントをね」
「ふーん」
近くにあった、雑貨店へ立ち寄る。バラエティグッズ、生活雑貨、ステーショナリー。一体何をあげれば良いのかが分からない。
「海外だし、あんまり荷物になってもなあ……」
店内を見回しながら、テホンが悩む。
「そいつ何好きなの?」
「キャップとか、スニーカーとか」
「じゃ、ここじゃなくね?別の店行こうよ」
テホンの腕を引っ張って、ヒチョルが外に連れ出そうとした。向かいに靴屋、数分歩いた先には百貨店があったはずだ。
「でも、サイズ分かんないし趣味違ったらって思うんだよね」
「確かに……ゲーム機のカバーとかは?」
日本のアニメのロボットが描かれたポータブルゲーム機のカバーの棚を指差して、ヒチョルが言う。
「それヒチョルが欲しいやつでしょ。あ、でも……iPadのカバーとか良いかも」
「5階だって」
==================
二人が道を歩いていると、項垂れた人物と擦れ違った。
「ジュニョン!」
ヒョンシクは、(誰だろう?)と思ったが、同じ制服と親し気な様子でケビンの同級生だと気付く。
「ケビン……」
その人は、元気の無い様子で無理に笑っている印象があった。見覚えはあるような、ないような。ただ、こんなに顔の整った人なら学校では目立つはずなのに。
「……?どうした?」
「ケビン!」
ジュニョン、と呼ばれたその相手はヒョンシクの目の前でケビンに抱き付いた。
「痛い痛い!おいジュニョン!どうしたの!?」
「俺、ダメかも……」
状況の飲み込めていないヒョンシクには、戸惑うそぶりを見せているケビンの顔も目に入っておらず、ひたすら所在無く立ちすくんでいた。
==================
帰宅しても気分が晴れなかったドンジュンは、漢江沿いをひたすらに走った。
走っているときは思考がクリアになる。
——自分が男が好きな訳が無い。
この気持ちはたまたまテレビで格好良くて演技も上手い俳優を見付けた感覚と一緒だ、と言い聞かせる。
試しに帰宅してネットで同性同士の動画などを見てみたが、気分が悪くなっただけでいっさいその気は起こらなかった。
——確かに、美人だけど、可愛いけど。
あの人、絶対恋人居るよな。
そう言い聞かせて、ドンジュンは手元のMP3プレーヤーのリモコンを操作して聴いている音楽を激しいロックにし、走る速度をスピードアップさせた。
負けず嫌いだけれど、負け戦はしない主義。
合理主義者でもあった。
To be continued......
ジュニョンが他校の子と付き合っていること。
それに傷付いている自分。
どう考えても、ジュニョンを気にしてしまう気持ち。
これは。
——恋?
そう気付いて、シワンはふっと笑った。
——気付いた瞬間、失恋か。
シワンは寝返りを打って頭からシーツを被り、目を閉じて耳を塞いだ。
——自分の才能とか、部員のこととか、グラウンドの使用権とか、全部どうでも良いんだ。あいつにとっては無意味なんだ。あの子が好きで、可愛くて、何よりも大切にしたいんだろう。
才能があるのにそれを無駄遣いしている人間だ、と思っていた。全国大会に出られるレベルの短距離走の実力がありながら、何もかもにおいてやる気が無い。学校にも来ないし来ても最後列の席で寝ている。部活も部長なのにやる気が無くて。
そんなジュニョンが唯一目を輝かせるものが、あの存在——。
そこまで考えた所で、さらにシワンはきつく目を閉じた。
==================
公園であの光景を見たときのシワンを見て、見たくないものを見てしまったとクァンヒは思った。
——シワンは、ジュニョンを好き。
自分はピエロだったのだ。
シワンが好きで好きでどうしようも無くて、根回しをして生徒会長と副会長になるように仕組んだり、近くに居る為の手段を色々講じて来たけれど、全部無駄だった。
シワンが嫌がらないから、その冷たい優しさに甘えて色んなことをしてしまったけれど、ずっと目は何処違う所を見ていたのだと思う。
——結局、人の気持ちを変えることが一番難しいんだ。
帰りの電車のホームで、バイバイ、と手を振ったときのシワンの目が、自分には向いていないことを知るのが辛かった。
——分かりたくなかったよ、シワン。
痛い気持ちを抱えたまま家へ帰ることはできなくて、一駅、また一駅と電車を乗り過ごして行く。
終着駅を伝えるアナウンスが車内に響き、人もまばらになった電車から降りた。
==================
『またね』という台詞が一番辛い。
——結局言い出せなかった。
ミヌはいつもは絶対失敗しないウインドミルを回転不足で終わらせてしまった。
「ミヌどうした?何か調子悪い?」
仲間が声をかけてくる。
「ごめん、大丈夫、ちょっと気が散ってた」
「しっかりしてくれよ。来週行くんだろ」
==================
映画館からの帰り、テホンが雑貨を見たい、と言い出した。
「ちょっと雑貨見ていい?」
映画も面白く、キャラメルポップコーンとバニラアイスクリーム、コーラのフルセットも付いていてご機嫌になったヒチョルは快諾した。
「何見るの?」
「今度さ、知り合いが留学するから、プレゼントをね」
「ふーん」
近くにあった、雑貨店へ立ち寄る。バラエティグッズ、生活雑貨、ステーショナリー。一体何をあげれば良いのかが分からない。
「海外だし、あんまり荷物になってもなあ……」
店内を見回しながら、テホンが悩む。
「そいつ何好きなの?」
「キャップとか、スニーカーとか」
「じゃ、ここじゃなくね?別の店行こうよ」
テホンの腕を引っ張って、ヒチョルが外に連れ出そうとした。向かいに靴屋、数分歩いた先には百貨店があったはずだ。
「でも、サイズ分かんないし趣味違ったらって思うんだよね」
「確かに……ゲーム機のカバーとかは?」
日本のアニメのロボットが描かれたポータブルゲーム機のカバーの棚を指差して、ヒチョルが言う。
「それヒチョルが欲しいやつでしょ。あ、でも……iPadのカバーとか良いかも」
「5階だって」
==================
二人が道を歩いていると、項垂れた人物と擦れ違った。
「ジュニョン!」
ヒョンシクは、(誰だろう?)と思ったが、同じ制服と親し気な様子でケビンの同級生だと気付く。
「ケビン……」
その人は、元気の無い様子で無理に笑っている印象があった。見覚えはあるような、ないような。ただ、こんなに顔の整った人なら学校では目立つはずなのに。
「……?どうした?」
「ケビン!」
ジュニョン、と呼ばれたその相手はヒョンシクの目の前でケビンに抱き付いた。
「痛い痛い!おいジュニョン!どうしたの!?」
「俺、ダメかも……」
状況の飲み込めていないヒョンシクには、戸惑うそぶりを見せているケビンの顔も目に入っておらず、ひたすら所在無く立ちすくんでいた。
==================
帰宅しても気分が晴れなかったドンジュンは、漢江沿いをひたすらに走った。
走っているときは思考がクリアになる。
——自分が男が好きな訳が無い。
この気持ちはたまたまテレビで格好良くて演技も上手い俳優を見付けた感覚と一緒だ、と言い聞かせる。
試しに帰宅してネットで同性同士の動画などを見てみたが、気分が悪くなっただけでいっさいその気は起こらなかった。
——確かに、美人だけど、可愛いけど。
あの人、絶対恋人居るよな。
そう言い聞かせて、ドンジュンは手元のMP3プレーヤーのリモコンを操作して聴いている音楽を激しいロックにし、走る速度をスピードアップさせた。
負けず嫌いだけれど、負け戦はしない主義。
合理主義者でもあった。
To be continued......
「……電波無い!もうすぐMカの時間なのに!」
「あ、こら仕事しろよ!今日中に終わらせるんだろコレ!」
「あ、またやってる」
テレビの電波が悪いだの何だのと言って、窓際に立って携帯電話を動かしていたクァンヒが、急に大人しくなって校庭を見ながら言った。
「何?」
会計簿に目を通していたシワンが顔を上げると、傾いた日の光が目に入った。
「陸上部とサッカー部。また場所の取り合いしてる」
クァンヒが窓の外を指差し、ほらあそこ、と言う。
「また?」
窓に近寄ってクァンヒが指差す方向を見ると、二人の人物がグラウンドのど真ん中に立って対峙していた。
==================
「アンタらがどくのが筋じゃないんスか。俺ら先に練習してましたけど?」
相変わらず口の減らない後輩だ、とジュニョンは思う。
「今日は夕方からはうちが使うってなってた」
正直、ジュニョン自身もこの学校の狭いグラウンドには不満があった。だがそれを仕方無く半分、野球部が居るときは三等分して使う、と言うのが暗黙のルールだった。
今日は夏休みで、ジュニョン達は学校近くのグラウンドで練習をしてから学校のグラウンドで走り込みをする予定になっていたのだが、外から戻って来たら、サッカー部の一年生達がゲームを続行中だった。交渉し、別の場所へ移動して貰うよう頼んだのだったが。
「聞いてないっスよ」
サッカー部のドンジュンは、後輩ながら先輩に対する礼儀が無く、無礼な奴だと有名だったが、部長の自分が噛み付かれたのは初めてだった。
——どうしたものか……。
此処でいつまでも温和な部長を演じれば、目の前の単細胞にはずっとナメられる。かと言って、本性を出すのはまだ早い気がした。
==================
「また揉めてるね。どうする?助ける?」
状況を把握したシワンは、クァンヒに伺いを立てた。
「でもMカが!」
「知らないよそんなの!どっちが大事なんだよ」
「シワン★」
ドゴッ
「いっぺん死んでこい。俺は校庭に行く」
床にくたばったクァンヒを置いて、シワンは生徒会室のドアから出て行った。
==================
校庭に出ると、クーラーの効いていた部屋とは違い、凄まじい暑さだった。夕方とは言え少し歩いただけで肌がひりひりする感覚と汗が出る感覚がある。
シワンは、自分が移動する間も未だに睨み合っていたであろう、両者のもとに向かった。
「ジュニョン、どうしたんだ?」
同級生である陸上部の部長に話しかける。
「そいつらが横取りしてきたんです!」
話しかけた相手ではなく、サッカー部のユニフォームを着た少年が口を開いた。
「君は黙ってて。ジュニョン、半分あれば今日は大丈夫?」
「ああ、まあ」
どっちでもいい。ジュニョンはそう言った。
「サッカー部は?半分で良い?」
「嫌だ!ゲーム出来ない!」
——何て後輩だ。シワンが頭を抱える。
そのとき、電子音が響いた。ジュニョンがジャージのポケットから携帯電話を取り出す。
「もしもし、久しぶり。声聞けて嬉しいよ。マジで?今日?行く行く!」
と話しながらその輪から離れた。
「あ!グラウンドどうぞ!お前ら今日は解散なー!」
シワンとドンジュン、それから部員達に手を振り、勝手に帰ってしまう部長。
シワンとドンジュンは校舎へ猛スピードでダッシュするジュニョンの後ろ姿を呆然と見ていた。
「何スかあれ。あの人部長で陸上部大丈夫なんですか」
「さあ……」
後輩の冷静なツッコミに、シワンは首を捻ってそう答えるしか無かった。
==================
「ダメ……終わらない……」
「ダメだよヒチョル。あともう少しだから頑張ろう?」
机に顔を突っ伏したヒチョルの様子を、テーブルを挟んで前の席に座ったテホンが見ていた。
『家に引きこもってゲームばかりしているから、ちょっと勉強みてあげて』とヒチョルの母親に頼まれたテホンは、嫌がるヒチョルを引っ張り、学校の図書館で夏休みの課題をこなす時間を無理矢理にでも作ってやっていた。
ヒチョルの前には、英語の文法問題のプリントと、電子辞書がある。
「大体さ、英語なんて喋れればいいだろー」
「ほらそういうこと言わない。これはこれでやらなきゃいけないの」
「何で」
「何でも」
「無駄じゃん。英語の文法とか数学とか。興味無いのに何で全部勉強しなきゃなんねーんだよ……」
「社会にはもっと無駄なことがあるから、それに慣れる為の訓練なんだよ」
ヒチョルは突っ伏していた顔を上げた。
「大人だねえ」
目の前の同級生に感心した。テホンはいつも自分とは違うもの見方をしていると思う。大人びていると言うか、達観していると言うか。
「ほら、課題提出したら映画行くんでしょ」
前売券を2枚、胸元のポケットから取り出して、ヒチョルの前でひらひらさせる。
「行く」
「じゃあ、頑張らないと」
「もっと餌無いの?」
「じゃあ、ポップコーン買ってあげるよ」
「アイスもな」
==================
スネアドラムの音が止んだ。
「今日はここまでにしよう」
ケビンがバンドメンバーに合図した。一息ついてマイクスタンドからマイクを外していると、セッションを横で見ていた後輩のヒョンシクが駆け寄って来た。
「先輩、やっぱり歌上手いですよね!格好良かったです」
「そう?ありがと」
両手を肩の上に置いて、背中にぴっとりと付き添う大きな後輩のスキンシップには、オーストラリア帰りの自分でも相変わらず戸惑うばかりだった。
「やっぱり先輩は英語の発音が、綺麗ですよね。本当憧れです。大好きです」
「ありがと」
——大好き……。これも、韓国ではLikeの意味なんだよな?
「あ、先輩この後予定ありますか?」
「無いよ」
「じゃ、CD屋行きましょうよ!俺先輩が何聞いてるのか気になります」
「良いよ」
「やった!」
ガッツポーズをして、にこにこ笑う後輩は、多分頭が幼いまま身長と年齢だけが大きくなってしまったんだろうな、と思う。可愛いっちゃ可愛いが、何しろデカい。
ケビンは、笑顔で帰り支度をし自分を待ち受ける後輩の少年を見つめた。
==================
シワンがグラウンドから戻るとクァンヒは相変わらず携帯電話に熱中していた。
「仕事しろよ会長殿」
「良いんですー俺には優秀で美人な秘書が居ますのでー」
「秘書じゃない、副会長です」
「優秀と美人は否定しないんだね」
言葉遊びのような遣り取りが続く。正直、シワンには何故この人間が生徒会長なのか理解し難かった。数ヶ月前に生徒会選挙をしたとき、他にも会長候補は居た。例えば自分だ。だが、票数では圧倒的にクァンヒの勝ち。シワンにとってはかなりの屈辱だった。
右手にペンを持ち、左手で電卓を押す。予算の見積もりの提出期限が迫っていた。
もうちょっと運動系の部活に予算を割いてあげられば良いのに、とシワンは思う。
——大体、何でうちの高校は学費が高いのに、設備がイマイチなんだろう。教師のやる気もそれほど高くはないし、むらがあるのに。一体何処に経費が消えているんだろう。運動部に特待生を入れたりする割には、ちゃんと練習させる環境が無かったり、無駄が多い。ジュニョンだって、もっとちゃんと設備があれば——
「それはないか」
「ん?」
「や、こっちの話」
クァンヒが不思議そうな顔をして、シワンを見た。
==================
「ミヌ、待たせてごめん」
「待ったよ」
ファーストフード店の窓際に腰掛けて、ストローの先を噛んでいる他校の少年。
「ごめんごめん、悪かったって」
「嘘だよ。部活だったんでしょ?大丈夫だったの?」
「大丈夫大丈夫!」
「本当……?」
「本当さ、お前のためなら俺は部活だって抜けてくるよ」
——それは、部長としてアウトじゃないのか?と思いながら、ミヌは肩を抱かれて夕暮れの街へ繰り出した。
==================
ギターを背負ったケビンとヒョンシクは、CDショップに立ち寄った。すぐに店の中で別行動になり、ケビンはR&Bの棚へ、ヒョンシクはROCK/POPSの棚へ向かう。
ケビンは自分の好きな歌手の新譜を発見し、気分を高揚させた。おあつらえ向きに試聴することが出来たので、ヘッドホンを耳に当ててCDの再生ボタンを押し、ジャケットの曲目リストを見ながら気になるタイトルの曲を頭出しする。その動作に夢中になっていると、ふと、曲目リストが見えなくなる瞬間があった。人の影だった。
気付いたらヒョンシクが傍に立っていた。
何を聴いているんですか?と、耳を指差す仕草をされ、ケビンはヘッドホンを外した。
「気付かなかった」
「超集中してましたよ。俺ちょっと寂しかったです」
口を尖らす後輩が、うっかり可愛く見えた。
「ごめんごめん」
「何聴いてたんですか?」
ヒョンシクにCDを渡す。
「凄く好きな歌い手なんだ。柔らかくて、でもシャープで。ヒョンシクも気に入るかも」
「この人のCDってこれだけですか?」
「他にもあるよ」
「先輩持ってます?」
「うん、全部持ってる」
「俺も聴きたいです!」
「じゃあ、今度学校に持ってくよ」
「今日聴きたいです」
「今日?」
だったら、動画サイトとかで取り敢えず試聴すればいいんじゃないのか、と思おうとしたとき。一つの回答に行き当たる。
「じゃあ、うち来る?」
嬉しさを押し殺そうと試みて失敗した顔で、ヒョンシクが頷いた。
==================
ロッカールームで着替えている最中、ドンジュンはふと先ほど会った副会長の顔を思い出した。
——美人だよなあ。
制服のシャツに腕を通しながら思う。
色白で、華奢で、身長も高くはなくて、柔らかい物腰で。頭も良くて有名。
学年も離れていたし、それまで口を聞いたことはなかったが、近くで見たらその美貌に男の自分でもびっくりした。
男子校だから、「そういう話」があるのは聞いたことがあったけれど、まさか自分はそんなことは無いだろうと思っていたのに。
まさか。
——一目惚れ、ってやつ?
ロッカーの扉の裏側に付いた小さな鏡に映った自分が、明らかに気付いた気持ちに戸惑った表情を見せていた。
==================
「じゃ、俺、行かないと……」
公園の傍まで近付いたところで、ミヌは繋いでいた手を離した。
「ああ、うん……」
二人の間に沈黙が流れる。
人通りもまばらで、夜に鳴く虫の声だけが響いていた。
ミヌは、これからダンスの練習の為、公園で仲間に合流しなければならなかった。
「じゃ、頑張って」
自然と顔を近付けて、唇同士を触れ合わせる。
軽い、キス。
「……うん」
頬を紅潮させ、ミヌが小さく頷いた。
「またね」
「おやすみなさい」
名残惜しいな、と思いながら、ジュニョンは公園に消えて行く背中が見えなくなるまで手を振った。
==================
「ジュニョンだ」
クァンヒとシワンが焼き肉を食べた帰り道、クァンヒがジュニョンの姿を発見し、にやにやしながらシワンの腕をつついた。
遠くに居る二人組を確認した瞬間、咄嗟に、隠れなくてはと思った。クァンヒを街灯の影に引き摺り込んだ。
「痛、シワン君大胆!」
「静かにして」
隠れたものの、シワンは二人の様子が気になって仕方が無かった。この国では、確かに、男同士手を繋いでいるのも珍しくはないのだけれど。
あれは、あの二人は——。
「あ、チューした」
「だから静かにしろってば!」
ちくん、と胸が痛くなる感覚があった。
夜の暗闇が広がっていた。
蒸し暑い夏の夜だった。
To be continued......
「あ、こら仕事しろよ!今日中に終わらせるんだろコレ!」
「あ、またやってる」
テレビの電波が悪いだの何だのと言って、窓際に立って携帯電話を動かしていたクァンヒが、急に大人しくなって校庭を見ながら言った。
「何?」
会計簿に目を通していたシワンが顔を上げると、傾いた日の光が目に入った。
「陸上部とサッカー部。また場所の取り合いしてる」
クァンヒが窓の外を指差し、ほらあそこ、と言う。
「また?」
窓に近寄ってクァンヒが指差す方向を見ると、二人の人物がグラウンドのど真ん中に立って対峙していた。
==================
「アンタらがどくのが筋じゃないんスか。俺ら先に練習してましたけど?」
相変わらず口の減らない後輩だ、とジュニョンは思う。
「今日は夕方からはうちが使うってなってた」
正直、ジュニョン自身もこの学校の狭いグラウンドには不満があった。だがそれを仕方無く半分、野球部が居るときは三等分して使う、と言うのが暗黙のルールだった。
今日は夏休みで、ジュニョン達は学校近くのグラウンドで練習をしてから学校のグラウンドで走り込みをする予定になっていたのだが、外から戻って来たら、サッカー部の一年生達がゲームを続行中だった。交渉し、別の場所へ移動して貰うよう頼んだのだったが。
「聞いてないっスよ」
サッカー部のドンジュンは、後輩ながら先輩に対する礼儀が無く、無礼な奴だと有名だったが、部長の自分が噛み付かれたのは初めてだった。
——どうしたものか……。
此処でいつまでも温和な部長を演じれば、目の前の単細胞にはずっとナメられる。かと言って、本性を出すのはまだ早い気がした。
==================
「また揉めてるね。どうする?助ける?」
状況を把握したシワンは、クァンヒに伺いを立てた。
「でもMカが!」
「知らないよそんなの!どっちが大事なんだよ」
「シワン★」
ドゴッ
「いっぺん死んでこい。俺は校庭に行く」
床にくたばったクァンヒを置いて、シワンは生徒会室のドアから出て行った。
==================
校庭に出ると、クーラーの効いていた部屋とは違い、凄まじい暑さだった。夕方とは言え少し歩いただけで肌がひりひりする感覚と汗が出る感覚がある。
シワンは、自分が移動する間も未だに睨み合っていたであろう、両者のもとに向かった。
「ジュニョン、どうしたんだ?」
同級生である陸上部の部長に話しかける。
「そいつらが横取りしてきたんです!」
話しかけた相手ではなく、サッカー部のユニフォームを着た少年が口を開いた。
「君は黙ってて。ジュニョン、半分あれば今日は大丈夫?」
「ああ、まあ」
どっちでもいい。ジュニョンはそう言った。
「サッカー部は?半分で良い?」
「嫌だ!ゲーム出来ない!」
——何て後輩だ。シワンが頭を抱える。
そのとき、電子音が響いた。ジュニョンがジャージのポケットから携帯電話を取り出す。
「もしもし、久しぶり。声聞けて嬉しいよ。マジで?今日?行く行く!」
と話しながらその輪から離れた。
「あ!グラウンドどうぞ!お前ら今日は解散なー!」
シワンとドンジュン、それから部員達に手を振り、勝手に帰ってしまう部長。
シワンとドンジュンは校舎へ猛スピードでダッシュするジュニョンの後ろ姿を呆然と見ていた。
「何スかあれ。あの人部長で陸上部大丈夫なんですか」
「さあ……」
後輩の冷静なツッコミに、シワンは首を捻ってそう答えるしか無かった。
==================
「ダメ……終わらない……」
「ダメだよヒチョル。あともう少しだから頑張ろう?」
机に顔を突っ伏したヒチョルの様子を、テーブルを挟んで前の席に座ったテホンが見ていた。
『家に引きこもってゲームばかりしているから、ちょっと勉強みてあげて』とヒチョルの母親に頼まれたテホンは、嫌がるヒチョルを引っ張り、学校の図書館で夏休みの課題をこなす時間を無理矢理にでも作ってやっていた。
ヒチョルの前には、英語の文法問題のプリントと、電子辞書がある。
「大体さ、英語なんて喋れればいいだろー」
「ほらそういうこと言わない。これはこれでやらなきゃいけないの」
「何で」
「何でも」
「無駄じゃん。英語の文法とか数学とか。興味無いのに何で全部勉強しなきゃなんねーんだよ……」
「社会にはもっと無駄なことがあるから、それに慣れる為の訓練なんだよ」
ヒチョルは突っ伏していた顔を上げた。
「大人だねえ」
目の前の同級生に感心した。テホンはいつも自分とは違うもの見方をしていると思う。大人びていると言うか、達観していると言うか。
「ほら、課題提出したら映画行くんでしょ」
前売券を2枚、胸元のポケットから取り出して、ヒチョルの前でひらひらさせる。
「行く」
「じゃあ、頑張らないと」
「もっと餌無いの?」
「じゃあ、ポップコーン買ってあげるよ」
「アイスもな」
==================
スネアドラムの音が止んだ。
「今日はここまでにしよう」
ケビンがバンドメンバーに合図した。一息ついてマイクスタンドからマイクを外していると、セッションを横で見ていた後輩のヒョンシクが駆け寄って来た。
「先輩、やっぱり歌上手いですよね!格好良かったです」
「そう?ありがと」
両手を肩の上に置いて、背中にぴっとりと付き添う大きな後輩のスキンシップには、オーストラリア帰りの自分でも相変わらず戸惑うばかりだった。
「やっぱり先輩は英語の発音が、綺麗ですよね。本当憧れです。大好きです」
「ありがと」
——大好き……。これも、韓国ではLikeの意味なんだよな?
「あ、先輩この後予定ありますか?」
「無いよ」
「じゃ、CD屋行きましょうよ!俺先輩が何聞いてるのか気になります」
「良いよ」
「やった!」
ガッツポーズをして、にこにこ笑う後輩は、多分頭が幼いまま身長と年齢だけが大きくなってしまったんだろうな、と思う。可愛いっちゃ可愛いが、何しろデカい。
ケビンは、笑顔で帰り支度をし自分を待ち受ける後輩の少年を見つめた。
==================
シワンがグラウンドから戻るとクァンヒは相変わらず携帯電話に熱中していた。
「仕事しろよ会長殿」
「良いんですー俺には優秀で美人な秘書が居ますのでー」
「秘書じゃない、副会長です」
「優秀と美人は否定しないんだね」
言葉遊びのような遣り取りが続く。正直、シワンには何故この人間が生徒会長なのか理解し難かった。数ヶ月前に生徒会選挙をしたとき、他にも会長候補は居た。例えば自分だ。だが、票数では圧倒的にクァンヒの勝ち。シワンにとってはかなりの屈辱だった。
右手にペンを持ち、左手で電卓を押す。予算の見積もりの提出期限が迫っていた。
もうちょっと運動系の部活に予算を割いてあげられば良いのに、とシワンは思う。
——大体、何でうちの高校は学費が高いのに、設備がイマイチなんだろう。教師のやる気もそれほど高くはないし、むらがあるのに。一体何処に経費が消えているんだろう。運動部に特待生を入れたりする割には、ちゃんと練習させる環境が無かったり、無駄が多い。ジュニョンだって、もっとちゃんと設備があれば——
「それはないか」
「ん?」
「や、こっちの話」
クァンヒが不思議そうな顔をして、シワンを見た。
==================
「ミヌ、待たせてごめん」
「待ったよ」
ファーストフード店の窓際に腰掛けて、ストローの先を噛んでいる他校の少年。
「ごめんごめん、悪かったって」
「嘘だよ。部活だったんでしょ?大丈夫だったの?」
「大丈夫大丈夫!」
「本当……?」
「本当さ、お前のためなら俺は部活だって抜けてくるよ」
——それは、部長としてアウトじゃないのか?と思いながら、ミヌは肩を抱かれて夕暮れの街へ繰り出した。
==================
ギターを背負ったケビンとヒョンシクは、CDショップに立ち寄った。すぐに店の中で別行動になり、ケビンはR&Bの棚へ、ヒョンシクはROCK/POPSの棚へ向かう。
ケビンは自分の好きな歌手の新譜を発見し、気分を高揚させた。おあつらえ向きに試聴することが出来たので、ヘッドホンを耳に当ててCDの再生ボタンを押し、ジャケットの曲目リストを見ながら気になるタイトルの曲を頭出しする。その動作に夢中になっていると、ふと、曲目リストが見えなくなる瞬間があった。人の影だった。
気付いたらヒョンシクが傍に立っていた。
何を聴いているんですか?と、耳を指差す仕草をされ、ケビンはヘッドホンを外した。
「気付かなかった」
「超集中してましたよ。俺ちょっと寂しかったです」
口を尖らす後輩が、うっかり可愛く見えた。
「ごめんごめん」
「何聴いてたんですか?」
ヒョンシクにCDを渡す。
「凄く好きな歌い手なんだ。柔らかくて、でもシャープで。ヒョンシクも気に入るかも」
「この人のCDってこれだけですか?」
「他にもあるよ」
「先輩持ってます?」
「うん、全部持ってる」
「俺も聴きたいです!」
「じゃあ、今度学校に持ってくよ」
「今日聴きたいです」
「今日?」
だったら、動画サイトとかで取り敢えず試聴すればいいんじゃないのか、と思おうとしたとき。一つの回答に行き当たる。
「じゃあ、うち来る?」
嬉しさを押し殺そうと試みて失敗した顔で、ヒョンシクが頷いた。
==================
ロッカールームで着替えている最中、ドンジュンはふと先ほど会った副会長の顔を思い出した。
——美人だよなあ。
制服のシャツに腕を通しながら思う。
色白で、華奢で、身長も高くはなくて、柔らかい物腰で。頭も良くて有名。
学年も離れていたし、それまで口を聞いたことはなかったが、近くで見たらその美貌に男の自分でもびっくりした。
男子校だから、「そういう話」があるのは聞いたことがあったけれど、まさか自分はそんなことは無いだろうと思っていたのに。
まさか。
——一目惚れ、ってやつ?
ロッカーの扉の裏側に付いた小さな鏡に映った自分が、明らかに気付いた気持ちに戸惑った表情を見せていた。
==================
「じゃ、俺、行かないと……」
公園の傍まで近付いたところで、ミヌは繋いでいた手を離した。
「ああ、うん……」
二人の間に沈黙が流れる。
人通りもまばらで、夜に鳴く虫の声だけが響いていた。
ミヌは、これからダンスの練習の為、公園で仲間に合流しなければならなかった。
「じゃ、頑張って」
自然と顔を近付けて、唇同士を触れ合わせる。
軽い、キス。
「……うん」
頬を紅潮させ、ミヌが小さく頷いた。
「またね」
「おやすみなさい」
名残惜しいな、と思いながら、ジュニョンは公園に消えて行く背中が見えなくなるまで手を振った。
==================
「ジュニョンだ」
クァンヒとシワンが焼き肉を食べた帰り道、クァンヒがジュニョンの姿を発見し、にやにやしながらシワンの腕をつついた。
遠くに居る二人組を確認した瞬間、咄嗟に、隠れなくてはと思った。クァンヒを街灯の影に引き摺り込んだ。
「痛、シワン君大胆!」
「静かにして」
隠れたものの、シワンは二人の様子が気になって仕方が無かった。この国では、確かに、男同士手を繋いでいるのも珍しくはないのだけれど。
あれは、あの二人は——。
「あ、チューした」
「だから静かにしろってば!」
ちくん、と胸が痛くなる感覚があった。
夜の暗闇が広がっていた。
蒸し暑い夏の夜だった。
To be continued......
——昔、昔、或る所に、小さい可愛い男の子がいました。
誰もがちらりと見ただけで可愛いと思うような子でしたが、誰よりも此の子のお婆さんほど、此の子を可愛がっている人は居ませんでした。
此の子を見ると何でもしてあげたくなり、何をすれば良いのか分からないくらい、お婆さんは此の子を愛していました。
或るとき、お婆さんは赤い布で、此の子に頭巾をこしらえてやりました。すると、それがまた此の子によく似合うので、もう他のものは何も被らないと決めてしまいました。そこで此の子は、赤ずきんちゃん、赤ずきんちゃん、とばかり呼ばれるようになりました。
——空気読んだだけだったのに!たまには普通の帽子とかマントとか、オシャレな格好がしたいのに!でもこれ被ってないとお婆ちゃん悲しむし、周りも何かあったのって聞いてくるし……はあ、優等生疲れる……。
此の子の本当の名前は、赤ずきんシワンと言いました。
==================
或る日、村の中でも美人で有名なヒチョルお母さんは、赤ずきんシワンを呼んで言いました。
「赤ずきん。此の菓子折りと貴腐ワイン、婆さんとこに持ってってくれないか」
テーブルの上には、見るからに高級なワインと、お取り寄せをしても何ヶ月も待つと言う、有名店のバウムクーヘンの箱がありました。
「うわ、此れかなり高いやつじゃないの?お母さん、また何かしたの?」
「…………。取り敢えず此れ持ってお前機嫌取って来い」
「俺の質問に答えてない!俺ヤダよとばっちり食らうの!」
「ほらほら、暑くならないうちに行った行った」
赤ずきんシワンは渋々支度をし、頭巾を頭に被りました。
——俺って本当に模範生。鏡に映った自分を見て、思いました。
「気を付けて出掛けるんだぞ。それから、絶対その荷物ひっくり返すなよ。婆さんの機嫌取るもんなくなるから」
「はいはい」
「はいは一回」
「はい」
「婆さんの部屋に入ったらまず挨拶しろよ。あの人相変わらずそういうとこうるさいから」
「はい」
「それから、狼の誘惑には気を付けて」
「分かってるよ」と、赤ずきんシワンはヒチョルお母さんにそう言って、頬にキスをしました。
==================
ケビンお婆さんの家は、村から半道離れた森の中にありました。
赤ずきんシワンが森に入りかけますと、赤い毛並みの狼がひょっこり出てきました。けれども、赤ずきんシワンは、狼がどんな悪い獣か知りませんでしたから、別段怖いとも思いませんでした。
「赤ずきんちゃん、こんにちは」
と、狼は言いました。
「こんにちは」
知らない相手でも礼儀正しくという精神が染み付いている赤ずきんシワンは、頭を下げました。
「何処行くの?」
「祖母のところ」
「何持ってるの?」
「菓子とワイン。母に頼まれたんだ」
「おばあさんの家は何処?赤ずきんちゃん」
「森の奥の奥」
赤ずきんシワンは、其処まで踏み込んで教えることは無いだろうと、こう教えました。
狼は、心の中で考えていました。
——柔らかそうな白肌だな。熟女も興味あるけど、若いのも良い。両方一緒に、食いたい。
==================
——っていうか、この狼何で着いて来てるんだっけ?
狼は暫くの間シワンと並んで歩き、道みち話をしていました。
狼は野獣だったので、断られてもめげません。そもそも赤ずきんシワンがはっきりとは断っていないので、着いて来てしまっていたのです。
「ほら、花が綺麗だろ。君の来た村の方には無い品種さ。鳥とかも、そっちには移動しない種類の、綺麗な声の鳥だよ。あんなに良い声で鳴いてるのに、聞かないなんて勿体無くない?此の辺り、滅多には来ないんだろ?森の中はこんなに明るくて楽しいのに」
そう言われて赤ずきんシワンは仰向いてみました。すると、太陽の光が、木と木の茂った中から漏れ、乱反射していました。光のダンス。どの木にもどの木にも、綺麗な花が沢山咲いているのが、目に入りました。
鮮やかな色彩と芳しい花の香りに、赤ずきんシワンはうっとりとしていました。
そして、此の森のことを何でも知っている美しい狼に対して、悪い気はしませんでした。
——そうだ、ケビンお婆ちゃんに此の花を持って行ってあげよう。せっかく会うのに俺も何かあげたいし、手ぶらで行ったら母さんにパシられたって思われるだけだし。
こう思って、ついと横道から森の中へ駆け出して入って行き、花を探しました。
一つ花を摘むと、もっと綺麗な花があるんじゃないかという気がして、其の方へ行きました。そうして、だんだん森の奥へ奥へと誘われて行きました。
==================
ところが、此の間に、狼は隙を狙ってケビンお婆さんの家へ駆けて行きました。
とんとん。
「誰?」
遠い場所から声が聞こえる。
「あなたの孫だよ!お菓子とワインを持って来たよ」
「入って来て。ちょっとだるくて、寝てるんだ」
——勝った。
狼は、右の口角だけをきゅっと上げて歪んだ笑い方をし、ドアノブを押しました。
戸は、ぼんと開きました。
狼は何も言わず、突然寝室へ行って、
あんぐりひと口に、ケビンお婆さんを飲み込みました。
それから、剥ぎ取ったお婆さんの服を着て、お婆さんの頭巾を被って、お婆さんのベッドにごろりと寝て、カーテンを引いておきました。
==================
赤ずきんシワンは凝り性だったので、花を集めるのに夢中になっていました。そうして、もうこれ以上持ちきれないというほどになったとき、初めてケビンお婆さんのことを思い出して、元の道に戻りました。
——扉が、開きっぱなしだ。
ケビンお婆さんの家へ来てみると、戸が開いたままになっているので、変だと思いながら、中へ入りました。すると、何かが、いつもと違う風景に見えました。
「たまにしか来ないから?いや、変だ。今日は何か気味が悪い……」
と、独り言を言ってから、大きな声で
「おはようございます」
と、呼んでみました。でも、返事はありませんでした。
部屋を歩き、どの部屋にもケビンお婆さんの姿はありません。
寝室へ行って、天蓋のベッドのカーテンを開けてみました。
すると、そこにお婆さんが横になっていましたが、頭巾をすっぽり目までさげて、何だかいつもと様子が変わっていました。
「ドアが開いていたからびっくりしたよ。お婆ちゃん!俺だよ、赤ずきんだよ。起きて。お菓子とワインを持って来たんだ」
赤ずきんシワンの声に、ベッドに眠っていた体がごろりと動きました。
「あれ……?お婆ちゃん、耳の形変わった?」
「色んな声が、よく聞こえるようにね」
「目の形も、違くない?」
「色んな顔が、見られるようにね」
「手が、大きくなった?」
布団を掴んでいた手を見つめて赤ずきんシワンが言った瞬間、其の手が大きく動きました。
「君を、抱くためだよ」
赤ずきんシワンの体は、抱き締められていました。
その顔の、唇に目が行ってしまい、赤ずきんシワンはどぎまぎしながら必死で言葉を紡ぎました。
「唇が……赤い……」
「キスをするためだよ」
こう言うが早いか、狼は唇を奪い、可哀想な赤ずきんシワンをただひと口に、あんぐりやってしまいました。
==================
強かな欲望を満たすと、狼ははまたベッドに潜って長々と寝そべって休みました。
やがて、物凄い音を立てて、いびきををかき始めました。
ちょうどそのとき、狩人クァンヒが表を通り掛かって、はてなと思って立ち止まりました。
「ひどいいびきだな。確か、この家のケビン婆はこんな声じゃなかったはず……何かあったんじゃないか?」
狩人クァンヒは自分が気になると周囲を気にしないタイプなので、勝手にケビンお婆さんの家へ入って行きました。
ベッドのところへ行ってみますと、美しい狼が横になっていました。
その傍には、ケビンお婆さん。
その近くには、見たことのないそれはそれは綺麗な少年が。
どちらも裸のまま、ばったりと床に倒れていました。
「畜生!!!このクソ狼!俺の超タイプの子食ってんじゃねーよ!ぶっっっっっ殺す!殺す殺すマジで殺す!!」
頭に血がのぼった狩人クァンヒは、すぐに鉄砲を向けました。
が、良く見たらその美しい狼も、自分のタイプかもしれない、と思い付きました。
そこで鉄砲を打つことはやめにして、その代わり、鋏を出して、眠っている狼に近付きました。
シーツを剥ぎ、狼の股間にあるものを切り落としてしまおうと思ったときでした。
「うわああああ!」
狼が目を醒まし、自分の危機を察しました。
「うるさい!騒ぐな!オスじゃなくしてやる!」
「やめてやめて!謝るから!ちょん切らないで!」
狼は、途端にへたれの顔で命乞いをしました。
頭のそばでばたばたする音に、赤ずきんシワンは目を醒ましました。
「びっくりした……あれ、何だったんだろう……あ、腰痛い……」と、言いました。
やがて、ケビンお婆さんも意識を取り戻して床を這いました。
狩人クァンヒが狼を壁に追い詰め、将に其れを切り落とせんとす、というときでした。
ごん。
貴腐ワインの瓶で、赤ずきんシワンが狩人クァンヒを殴り倒しました。
鋏が、彼の手から落下しました。
は?
「お前、うるさい。まだ狼のがマシ」
狩人クァンヒは、床にのびてしまいました。
==================
赤ずきんシワンは、性器を切り落とされるかもしれない恐怖で震えていた狼をさっさとベッドに縛り付け、失神していた狩人クァンヒは家から窓から放り投げてしまいました。
ケビンお婆さんは赤ずきんシワンの持って来たお菓子を食べ、ワインを飲み、元気を取り返しました。
「俺を……どうするの?」
ベッドの狼が、シワンを見上げて言いました。
「どうしようか?」
ベッドの淵から狼を見下ろす赤ずきんシワンは、酷くサディスティックに笑いました。
狼の甘い誘いには乗ってはいけません。
Fin
誰もがちらりと見ただけで可愛いと思うような子でしたが、誰よりも此の子のお婆さんほど、此の子を可愛がっている人は居ませんでした。
此の子を見ると何でもしてあげたくなり、何をすれば良いのか分からないくらい、お婆さんは此の子を愛していました。
或るとき、お婆さんは赤い布で、此の子に頭巾をこしらえてやりました。すると、それがまた此の子によく似合うので、もう他のものは何も被らないと決めてしまいました。そこで此の子は、赤ずきんちゃん、赤ずきんちゃん、とばかり呼ばれるようになりました。
——空気読んだだけだったのに!たまには普通の帽子とかマントとか、オシャレな格好がしたいのに!でもこれ被ってないとお婆ちゃん悲しむし、周りも何かあったのって聞いてくるし……はあ、優等生疲れる……。
此の子の本当の名前は、赤ずきんシワンと言いました。
==================
或る日、村の中でも美人で有名なヒチョルお母さんは、赤ずきんシワンを呼んで言いました。
「赤ずきん。此の菓子折りと貴腐ワイン、婆さんとこに持ってってくれないか」
テーブルの上には、見るからに高級なワインと、お取り寄せをしても何ヶ月も待つと言う、有名店のバウムクーヘンの箱がありました。
「うわ、此れかなり高いやつじゃないの?お母さん、また何かしたの?」
「…………。取り敢えず此れ持ってお前機嫌取って来い」
「俺の質問に答えてない!俺ヤダよとばっちり食らうの!」
「ほらほら、暑くならないうちに行った行った」
赤ずきんシワンは渋々支度をし、頭巾を頭に被りました。
——俺って本当に模範生。鏡に映った自分を見て、思いました。
「気を付けて出掛けるんだぞ。それから、絶対その荷物ひっくり返すなよ。婆さんの機嫌取るもんなくなるから」
「はいはい」
「はいは一回」
「はい」
「婆さんの部屋に入ったらまず挨拶しろよ。あの人相変わらずそういうとこうるさいから」
「はい」
「それから、狼の誘惑には気を付けて」
「分かってるよ」と、赤ずきんシワンはヒチョルお母さんにそう言って、頬にキスをしました。
==================
ケビンお婆さんの家は、村から半道離れた森の中にありました。
赤ずきんシワンが森に入りかけますと、赤い毛並みの狼がひょっこり出てきました。けれども、赤ずきんシワンは、狼がどんな悪い獣か知りませんでしたから、別段怖いとも思いませんでした。
「赤ずきんちゃん、こんにちは」
と、狼は言いました。
「こんにちは」
知らない相手でも礼儀正しくという精神が染み付いている赤ずきんシワンは、頭を下げました。
「何処行くの?」
「祖母のところ」
「何持ってるの?」
「菓子とワイン。母に頼まれたんだ」
「おばあさんの家は何処?赤ずきんちゃん」
「森の奥の奥」
赤ずきんシワンは、其処まで踏み込んで教えることは無いだろうと、こう教えました。
狼は、心の中で考えていました。
——柔らかそうな白肌だな。熟女も興味あるけど、若いのも良い。両方一緒に、食いたい。
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——っていうか、この狼何で着いて来てるんだっけ?
狼は暫くの間シワンと並んで歩き、道みち話をしていました。
狼は野獣だったので、断られてもめげません。そもそも赤ずきんシワンがはっきりとは断っていないので、着いて来てしまっていたのです。
「ほら、花が綺麗だろ。君の来た村の方には無い品種さ。鳥とかも、そっちには移動しない種類の、綺麗な声の鳥だよ。あんなに良い声で鳴いてるのに、聞かないなんて勿体無くない?此の辺り、滅多には来ないんだろ?森の中はこんなに明るくて楽しいのに」
そう言われて赤ずきんシワンは仰向いてみました。すると、太陽の光が、木と木の茂った中から漏れ、乱反射していました。光のダンス。どの木にもどの木にも、綺麗な花が沢山咲いているのが、目に入りました。
鮮やかな色彩と芳しい花の香りに、赤ずきんシワンはうっとりとしていました。
そして、此の森のことを何でも知っている美しい狼に対して、悪い気はしませんでした。
——そうだ、ケビンお婆ちゃんに此の花を持って行ってあげよう。せっかく会うのに俺も何かあげたいし、手ぶらで行ったら母さんにパシられたって思われるだけだし。
こう思って、ついと横道から森の中へ駆け出して入って行き、花を探しました。
一つ花を摘むと、もっと綺麗な花があるんじゃないかという気がして、其の方へ行きました。そうして、だんだん森の奥へ奥へと誘われて行きました。
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ところが、此の間に、狼は隙を狙ってケビンお婆さんの家へ駆けて行きました。
とんとん。
「誰?」
遠い場所から声が聞こえる。
「あなたの孫だよ!お菓子とワインを持って来たよ」
「入って来て。ちょっとだるくて、寝てるんだ」
——勝った。
狼は、右の口角だけをきゅっと上げて歪んだ笑い方をし、ドアノブを押しました。
戸は、ぼんと開きました。
狼は何も言わず、突然寝室へ行って、
あんぐりひと口に、ケビンお婆さんを飲み込みました。
それから、剥ぎ取ったお婆さんの服を着て、お婆さんの頭巾を被って、お婆さんのベッドにごろりと寝て、カーテンを引いておきました。
==================
赤ずきんシワンは凝り性だったので、花を集めるのに夢中になっていました。そうして、もうこれ以上持ちきれないというほどになったとき、初めてケビンお婆さんのことを思い出して、元の道に戻りました。
——扉が、開きっぱなしだ。
ケビンお婆さんの家へ来てみると、戸が開いたままになっているので、変だと思いながら、中へ入りました。すると、何かが、いつもと違う風景に見えました。
「たまにしか来ないから?いや、変だ。今日は何か気味が悪い……」
と、独り言を言ってから、大きな声で
「おはようございます」
と、呼んでみました。でも、返事はありませんでした。
部屋を歩き、どの部屋にもケビンお婆さんの姿はありません。
寝室へ行って、天蓋のベッドのカーテンを開けてみました。
すると、そこにお婆さんが横になっていましたが、頭巾をすっぽり目までさげて、何だかいつもと様子が変わっていました。
「ドアが開いていたからびっくりしたよ。お婆ちゃん!俺だよ、赤ずきんだよ。起きて。お菓子とワインを持って来たんだ」
赤ずきんシワンの声に、ベッドに眠っていた体がごろりと動きました。
「あれ……?お婆ちゃん、耳の形変わった?」
「色んな声が、よく聞こえるようにね」
「目の形も、違くない?」
「色んな顔が、見られるようにね」
「手が、大きくなった?」
布団を掴んでいた手を見つめて赤ずきんシワンが言った瞬間、其の手が大きく動きました。
「君を、抱くためだよ」
赤ずきんシワンの体は、抱き締められていました。
その顔の、唇に目が行ってしまい、赤ずきんシワンはどぎまぎしながら必死で言葉を紡ぎました。
「唇が……赤い……」
「キスをするためだよ」
こう言うが早いか、狼は唇を奪い、可哀想な赤ずきんシワンをただひと口に、あんぐりやってしまいました。
==================
強かな欲望を満たすと、狼ははまたベッドに潜って長々と寝そべって休みました。
やがて、物凄い音を立てて、いびきををかき始めました。
ちょうどそのとき、狩人クァンヒが表を通り掛かって、はてなと思って立ち止まりました。
「ひどいいびきだな。確か、この家のケビン婆はこんな声じゃなかったはず……何かあったんじゃないか?」
狩人クァンヒは自分が気になると周囲を気にしないタイプなので、勝手にケビンお婆さんの家へ入って行きました。
ベッドのところへ行ってみますと、美しい狼が横になっていました。
その傍には、ケビンお婆さん。
その近くには、見たことのないそれはそれは綺麗な少年が。
どちらも裸のまま、ばったりと床に倒れていました。
「畜生!!!このクソ狼!俺の超タイプの子食ってんじゃねーよ!ぶっっっっっ殺す!殺す殺すマジで殺す!!」
頭に血がのぼった狩人クァンヒは、すぐに鉄砲を向けました。
が、良く見たらその美しい狼も、自分のタイプかもしれない、と思い付きました。
そこで鉄砲を打つことはやめにして、その代わり、鋏を出して、眠っている狼に近付きました。
シーツを剥ぎ、狼の股間にあるものを切り落としてしまおうと思ったときでした。
「うわああああ!」
狼が目を醒まし、自分の危機を察しました。
「うるさい!騒ぐな!オスじゃなくしてやる!」
「やめてやめて!謝るから!ちょん切らないで!」
狼は、途端にへたれの顔で命乞いをしました。
頭のそばでばたばたする音に、赤ずきんシワンは目を醒ましました。
「びっくりした……あれ、何だったんだろう……あ、腰痛い……」と、言いました。
やがて、ケビンお婆さんも意識を取り戻して床を這いました。
狩人クァンヒが狼を壁に追い詰め、将に其れを切り落とせんとす、というときでした。
ごん。
貴腐ワインの瓶で、赤ずきんシワンが狩人クァンヒを殴り倒しました。
鋏が、彼の手から落下しました。
は?
「お前、うるさい。まだ狼のがマシ」
狩人クァンヒは、床にのびてしまいました。
==================
赤ずきんシワンは、性器を切り落とされるかもしれない恐怖で震えていた狼をさっさとベッドに縛り付け、失神していた狩人クァンヒは家から窓から放り投げてしまいました。
ケビンお婆さんは赤ずきんシワンの持って来たお菓子を食べ、ワインを飲み、元気を取り返しました。
「俺を……どうするの?」
ベッドの狼が、シワンを見上げて言いました。
「どうしようか?」
ベッドの淵から狼を見下ろす赤ずきんシワンは、酷くサディスティックに笑いました。
狼の甘い誘いには乗ってはいけません。
Fin
遠くで爆発音が聞こえ、途端に空から白いものが降ってきた。
——雪?
そう思った次の瞬間、核爆発で舞い上がった灰だと気付く。
白い灰が、雪のように大地に降り注ぐ。
此処は、汚染された世界。
==================
「起きてください。集会の時間ですから」
社殿の廊下で寝ていると、顔の上に乗せて日除けがわりにしていた帽子を持ち上げられた。
急に顔に当たる日の光に、目を細める。
うっすらと開けた瞳に、取り上げられた帽子とそれを持つ細い腕が見える。
リーが立っていた。
「トニーも出ますか?」
そう誘う相手から無言で帽子を取り戻し、刀を持ってその場を立ち去る。
興味が無かった。
==================
戦争で、全てを失った。
家族は戦渦の中でバラバラになり、家は爆撃でなくなった。
友は目の前で射殺され、自分は人を斬ることを覚えた。
空が何回も閃光に染まるのを見た。
大地に人が折り重なるように死んでいるのも見慣れた。
そんな自分には、祈る言葉も、祈る神も持ち合わせていなかった。
==================
「ずっとあの調子だよ」
何時の間にか先ほどと同じ場所を陣取って眠っているトニーを見ながら、リーはジャッキーに話しかけた。
「猫みたいだ」
ジャッキーが、最近姿すら見なくなった生物の名前を挙げた。この世界は一部の昆虫や爬虫類を除いて、最近では人間以外の生きているものを見なくなった気がする。
「猫?」
「うん。ふらって居なくなって、気付いたら此処に帰ってくる、猫みたい」
懐かれたね、リー。
そう言ってジャッキーは微笑んだ。その頬には、また変な傷が増えた、気がする。リーはそっと手を伸ばし、隣で立っている相手の顔に触れてみる。
「また、増えたね。傷」
唇が切れて、右の口角の辺りに血の固まりが出来ている。その傷に触れる。
リーは、内心思っていた。
自分が不甲斐無いから、街を守れない。
大切な人すら危険に曝してしまう。
何の為の祈りだ?
何の為の神だ?
触れさせたまま硬直していたリーの手に、ジャッキーの手が重ねられる。
「大丈夫だよ。俺は、大丈夫だから」
ぎゅ、と手が握られる。
「そんな顔しない」
と握られた手の甲に唇を押し当てられる。
びっくりして手を引っ込める。
ジャッキーが笑った。
その様子を、目を醒まし夢と現実の間を行ったり来たりしていたトニーが、見ていた。
==================
夜、リーの家にトニーの姿は無かった。
アニタが「トニーはどこ?」と最近居候し始めた人間についてとやかく生存確認をしてくるので、彼女を家に待たせ、社殿の周りをうろうろしていた。
月の見えない、夜。
雲が多く、また、風で掻き混ぜられる空気中の汚染物質の粒子のせいで、辺りが白くもやがかっているようだった。
すると、屋根の上から豪快ないびきが聞こえて来た。
「どうして其処に……」
屋根を見上げる。姿は見えないけれど、声でトニーだと分かる。
一体何がしたいんだあの男は。
「トニー?居るんでしょう?中に入ったらどうですか」
屋根に向かって話しかけると、どすん、と男が降って来た。屋根から地面までは高さがかなりあったが、丁寧に着地し足元の砂を払っている。
その彼がリーの側に体を向ける。
「寝る」
家の中へ入ろうとしたトニーの顔に向き合った瞬間、リーは息を飲んだ。
血だらけ。
顔、服、手。
本人は建物の3階位の高さから飛び下りても何ともない。
「トニー!」
自分の横を通ろうとした男の腕を強く掴む。
「何で……」
何かを言おうとして、躊躇う。
自分の手に、トニーの服に付着していた血が貼り付く感覚があった。
「人を、殺したんですか」
「ああ」
「何で!」
「何でって?」
トニーは、一瞬地面に視線を落とし、嘲るように笑った。
「殺さなきゃ、俺が殺されてた」
初めて、リーとトニーの視線がぶつかりあった。
「でも」
リーがトニーの両肩を掴んだ。
「あんたは自分が殺されそうになっても、そういうことが言える?」
其の瞬間、トニーは掴まれていた肩を振り払い、反対にリーの腕を掴んで、近くの社殿の中へ引きずり込んだ。
「痛い……やめてください、やめて……」
社殿の中の、「祈りの間」にリーを連れ込み、床に押し倒す。
肩を強く床に押し付けて、其の上に馬乗りになる。
真っ暗な空間で、陰が重なる。
神への供物を捧げる祭壇があり、普段はリーですら足を踏み入れるのを躊躇うような神聖な場所で、リーの着物を乱暴に剥いだ。
人を殺した後はいつも興奮状態になる。
今日は殺気だって歩いていたら、狙われたから、殺した。
そうするしかなかった。
そうするしかなかったんだよ。
何も知らない綺麗な神主様。
神様の前で
綺麗なあんたを犯したら、俺はどんな天罰を受けるんだろうね?
暗闇でも分かるくらい、白く、透き通るような肌。
「嫌だ……やめて、トニー……」
向き合えば抵抗されるから体をひっくり返し、細い腰を掴んで後ろから貫く。
泣いて懇願されても、止められない。
背中をしならせてリーが喘ぐたびに、その首を折りたいような感覚になる。
何も知らない、幸せな神主様。
此の世界も、其の住人もずっと汚染されているってあんたに分からせたい。
汚染された水を、吐き出す。
——雪?
そう思った次の瞬間、核爆発で舞い上がった灰だと気付く。
白い灰が、雪のように大地に降り注ぐ。
此処は、汚染された世界。
==================
「起きてください。集会の時間ですから」
社殿の廊下で寝ていると、顔の上に乗せて日除けがわりにしていた帽子を持ち上げられた。
急に顔に当たる日の光に、目を細める。
うっすらと開けた瞳に、取り上げられた帽子とそれを持つ細い腕が見える。
リーが立っていた。
「トニーも出ますか?」
そう誘う相手から無言で帽子を取り戻し、刀を持ってその場を立ち去る。
興味が無かった。
==================
戦争で、全てを失った。
家族は戦渦の中でバラバラになり、家は爆撃でなくなった。
友は目の前で射殺され、自分は人を斬ることを覚えた。
空が何回も閃光に染まるのを見た。
大地に人が折り重なるように死んでいるのも見慣れた。
そんな自分には、祈る言葉も、祈る神も持ち合わせていなかった。
==================
「ずっとあの調子だよ」
何時の間にか先ほどと同じ場所を陣取って眠っているトニーを見ながら、リーはジャッキーに話しかけた。
「猫みたいだ」
ジャッキーが、最近姿すら見なくなった生物の名前を挙げた。この世界は一部の昆虫や爬虫類を除いて、最近では人間以外の生きているものを見なくなった気がする。
「猫?」
「うん。ふらって居なくなって、気付いたら此処に帰ってくる、猫みたい」
懐かれたね、リー。
そう言ってジャッキーは微笑んだ。その頬には、また変な傷が増えた、気がする。リーはそっと手を伸ばし、隣で立っている相手の顔に触れてみる。
「また、増えたね。傷」
唇が切れて、右の口角の辺りに血の固まりが出来ている。その傷に触れる。
リーは、内心思っていた。
自分が不甲斐無いから、街を守れない。
大切な人すら危険に曝してしまう。
何の為の祈りだ?
何の為の神だ?
触れさせたまま硬直していたリーの手に、ジャッキーの手が重ねられる。
「大丈夫だよ。俺は、大丈夫だから」
ぎゅ、と手が握られる。
「そんな顔しない」
と握られた手の甲に唇を押し当てられる。
びっくりして手を引っ込める。
ジャッキーが笑った。
その様子を、目を醒まし夢と現実の間を行ったり来たりしていたトニーが、見ていた。
==================
夜、リーの家にトニーの姿は無かった。
アニタが「トニーはどこ?」と最近居候し始めた人間についてとやかく生存確認をしてくるので、彼女を家に待たせ、社殿の周りをうろうろしていた。
月の見えない、夜。
雲が多く、また、風で掻き混ぜられる空気中の汚染物質の粒子のせいで、辺りが白くもやがかっているようだった。
すると、屋根の上から豪快ないびきが聞こえて来た。
「どうして其処に……」
屋根を見上げる。姿は見えないけれど、声でトニーだと分かる。
一体何がしたいんだあの男は。
「トニー?居るんでしょう?中に入ったらどうですか」
屋根に向かって話しかけると、どすん、と男が降って来た。屋根から地面までは高さがかなりあったが、丁寧に着地し足元の砂を払っている。
その彼がリーの側に体を向ける。
「寝る」
家の中へ入ろうとしたトニーの顔に向き合った瞬間、リーは息を飲んだ。
血だらけ。
顔、服、手。
本人は建物の3階位の高さから飛び下りても何ともない。
「トニー!」
自分の横を通ろうとした男の腕を強く掴む。
「何で……」
何かを言おうとして、躊躇う。
自分の手に、トニーの服に付着していた血が貼り付く感覚があった。
「人を、殺したんですか」
「ああ」
「何で!」
「何でって?」
トニーは、一瞬地面に視線を落とし、嘲るように笑った。
「殺さなきゃ、俺が殺されてた」
初めて、リーとトニーの視線がぶつかりあった。
「でも」
リーがトニーの両肩を掴んだ。
「あんたは自分が殺されそうになっても、そういうことが言える?」
其の瞬間、トニーは掴まれていた肩を振り払い、反対にリーの腕を掴んで、近くの社殿の中へ引きずり込んだ。
「痛い……やめてください、やめて……」
社殿の中の、「祈りの間」にリーを連れ込み、床に押し倒す。
肩を強く床に押し付けて、其の上に馬乗りになる。
真っ暗な空間で、陰が重なる。
神への供物を捧げる祭壇があり、普段はリーですら足を踏み入れるのを躊躇うような神聖な場所で、リーの着物を乱暴に剥いだ。
人を殺した後はいつも興奮状態になる。
今日は殺気だって歩いていたら、狙われたから、殺した。
そうするしかなかった。
そうするしかなかったんだよ。
何も知らない綺麗な神主様。
神様の前で
綺麗なあんたを犯したら、俺はどんな天罰を受けるんだろうね?
暗闇でも分かるくらい、白く、透き通るような肌。
「嫌だ……やめて、トニー……」
向き合えば抵抗されるから体をひっくり返し、細い腰を掴んで後ろから貫く。
泣いて懇願されても、止められない。
背中をしならせてリーが喘ぐたびに、その首を折りたいような感覚になる。
何も知らない、幸せな神主様。
此の世界も、其の住人もずっと汚染されているってあんたに分からせたい。
汚染された水を、吐き出す。
Profile
HN:
はまうず美恵
HP:
性別:
女性
職業:
吟遊詩人
趣味:
アート
自己紹介:
ハミエことはまうず美恵です。
当Blogは恋愛小説家はまうず美恵の小説中心サイトです。
某帝国の二次創作同人を取り扱っています。
女性向け表現を含むサイトですので、興味のない方意味のわからない方は入室をご遠慮下さい。
尚、二次創作に関しては各関係者をはじめ実在する国家、人物、団体、歴史、宗教等とは一切関係ありません。
また 、これら侮辱する意図もありません。
当Blogは恋愛小説家はまうず美恵の小説中心サイトです。
某帝国の二次創作同人を取り扱っています。
女性向け表現を含むサイトですので、興味のない方意味のわからない方は入室をご遠慮下さい。
尚、二次創作に関しては各関係者をはじめ実在する国家、人物、団体、歴史、宗教等とは一切関係ありません。
また 、これら侮辱する意図もありません。
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