「誰のこと考えてるの?」
行為の途中で、問い掛けられた。
「ヒョンシク君のことかな?」
「さあ」
「嘘つき」
「あ、」
ヒチョルの中にあるものが、大きくなった。
「そういうつれないところ、嫌いじゃないよ」
自分を上から見つめる彼の汗が、額にぽたりと落ちた。
「嫌いじゃない、じゃなくて、好きって言ってよ」
「好きだよ。ヒチョルが一番好き」
ヒチョルの右腕が、相手の首に絡み付いて、顔を引き寄せる。
唇を重ね合わせる、深いキスをする。
バスローブ姿のままぼんやりしていると、彼がシャワ—から戻って来た。
ふい、と顔を逸らすと隣に腰掛けた彼がヒチョルの腰を抱き、後ろに一緒に倒れ込んだ。ベッドに背中が当たるとそのまま体を抱き寄せられて彼の胸に顔が当たる。同じ石鹸の香りを嗅いだ。
ヒチョルがじっとしていると、髪を梳かれる感覚があった。顔を上げて目を合わせると、アヒル口の左右の口角がきゅっと上がり、白い歯が見えた。
「ねえ」
「うん?」
「ヒョンシクのこと……あんまり、からかわないで」
「嫉妬?」
「違う」
「断言されちゃった」
頭を撫でるように相手は言うと、ヒチョルの額にキスをした。
「ただ、あいつがあんたに頼ると、厄介だと思うだけ」
「——ヒョンシク君に好きな子が居るから?」
ヒチョルは声を発すること無く頷いた。
「あんたとヒョンシクがどうしてそうなったかなんてどうでもいい。ただ、ヒョンシクは好きな奴への気持ちをこういう風に発散しちゃ……いけないと思う」
「……傷付くなあ」
ヒチョルは頭に乗せられた腕に自分の指先を絡めた。風呂上がりの温かい肌に、少し冷えた自分の指先が当たって、熱を持つ。
「ヒョンシクは、まだ、綺麗だから」
「綺麗?」
男は、少し考えた素振りをした。
やがてヒチョルの耳に指をあて耳朶を少し弄んで、囁いた。
「きれいはきたない。きたないはきれい。」
いつか観たオペラを思い出す。
「ヒチョルは、ヒョンシク君が好きなんだね」
行為の途中で、問い掛けられた。
「ヒョンシク君のことかな?」
「さあ」
「嘘つき」
「あ、」
ヒチョルの中にあるものが、大きくなった。
「そういうつれないところ、嫌いじゃないよ」
自分を上から見つめる彼の汗が、額にぽたりと落ちた。
「嫌いじゃない、じゃなくて、好きって言ってよ」
「好きだよ。ヒチョルが一番好き」
ヒチョルの右腕が、相手の首に絡み付いて、顔を引き寄せる。
唇を重ね合わせる、深いキスをする。
バスローブ姿のままぼんやりしていると、彼がシャワ—から戻って来た。
ふい、と顔を逸らすと隣に腰掛けた彼がヒチョルの腰を抱き、後ろに一緒に倒れ込んだ。ベッドに背中が当たるとそのまま体を抱き寄せられて彼の胸に顔が当たる。同じ石鹸の香りを嗅いだ。
ヒチョルがじっとしていると、髪を梳かれる感覚があった。顔を上げて目を合わせると、アヒル口の左右の口角がきゅっと上がり、白い歯が見えた。
「ねえ」
「うん?」
「ヒョンシクのこと……あんまり、からかわないで」
「嫉妬?」
「違う」
「断言されちゃった」
頭を撫でるように相手は言うと、ヒチョルの額にキスをした。
「ただ、あいつがあんたに頼ると、厄介だと思うだけ」
「——ヒョンシク君に好きな子が居るから?」
ヒチョルは声を発すること無く頷いた。
「あんたとヒョンシクがどうしてそうなったかなんてどうでもいい。ただ、ヒョンシクは好きな奴への気持ちをこういう風に発散しちゃ……いけないと思う」
「……傷付くなあ」
ヒチョルは頭に乗せられた腕に自分の指先を絡めた。風呂上がりの温かい肌に、少し冷えた自分の指先が当たって、熱を持つ。
「ヒョンシクは、まだ、綺麗だから」
「綺麗?」
男は、少し考えた素振りをした。
やがてヒチョルの耳に指をあて耳朶を少し弄んで、囁いた。
「きれいはきたない。きたないはきれい。」
いつか観たオペラを思い出す。
「ヒチョルは、ヒョンシク君が好きなんだね」
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夢を見た。
夢の中で、複数の——数は全く覚えていないが人間に囲まれ、襲われていた。
振り向き様に顔を靴で殴られ、髪を掴まれ、拳で頬を殴られる。
よろめくと、もう一人の人間に両腕を掴まれ、また別の人間に腹に蹴りを入れられた。鳩尾を殴られ息が出来なくなると、汚い言葉を浴びせられ、力の入らなくなった体を膝立ちにされ、顔面を道路に押し付けられた。
アスファルトの細かい粒子が、顔にめり込んで行く。
首を抑えられ全く抵抗出来ない状態で目だけを動かした先に、誰かが振り上げた鉄製のパイプが、逆光で黒く光り、其の背後に太陽の光があるのを見た。
(叩き割られる!)
そう思った瞬間、目が覚めた。
「は……」
肩で何度も息をして、其れでも耐えきれず起き上がって額に手を当てた。
真冬なのに全身に汗をかいていて、未だに不快感が纏わりついている。何より、夢で受けた衝撃が大き過ぎて、鼓動が速くなったまま、治まる気配が無かった。
「……ケビン?」
呼び掛ける小さな声があって、ふと顔を横に向けた。
向かいの二段ベッドの上の段で、こちらを見つめる視線があった。
「ごめん……起こした?」
下で眠るシワンとクァンヒを起こさぬよう、小声で話した。
「喘ぎ声がうるさくてね」
「悪い」
詫びを入れながら、ケビンは体を起こしベッドの梯子を下りた。
追い掛けるように、ジュニョンも起き上がり、模倣するように同じ動作をした。
赤ワインとラム酒を片手鍋に注ぐ。
シナモンスティックを放り込み、レモンを薄く切ったものと蜂蜜を加える。
中欧の国のワインの香りと、スパイスの香りがキッチンに漂う。
赤い液体が煮立って行くのを見つめる。
静かな夜。時計は真夜中の一時を回っていた。
「ジュニョン」
ケビンは、何も言わずに離れて座っているジュニョンに、声をかけた。
「聞いて欲しいことがある」
そう言って、ぼこぼこと音を立て出した鍋の火を止めた。
——幼い頃の記憶を。
「其れが、原体験?」
ジュニョンは、両手で支えていたホットワインの入ったカップを置いた。
「多分」
「リンチ、ね……」
幼い頃、頭が陥没し死亡した同性愛者の中年男性のことを聞いた。
複数の相手から暴行を受け、最後は頭をパイプで殴られ頭を叩き割られる形で死亡。
犯人の主犯格は、ケビンが当時住んでいた家の近くに住む二十代前半の男性だった。
——父が牧師を務めていた教会で、顔を、見たことがあった。
「オーストラリアって寛容な国だと思ってたけど」
ジュニョンはケビンの顔を見た。
「未だに差別はあるよ。皆が皆、寛容な訳じゃない」
ケビンはカップを両手で持ったまま、俯いた。
「怖い夢だった。俺も差別されていつか殺されるのかな、とか、周りからああいう目で見られるのかな、とか……凄く……今でも考えるくらいだよ」
カップの中でくるくると回り、沈んで行くシナモンを見つめる。赤く濁り、アルコール分の飛んだワインの香りが、気持ちを少し落ち着かせて行く。
其の少量のアルコールでも、酔いが回ってくるようで、ケビンは酷く饒舌だった。
「なあ、俺らが祈ってる"神様"って本当に居るのかな?」
夢の中で、複数の——数は全く覚えていないが人間に囲まれ、襲われていた。
振り向き様に顔を靴で殴られ、髪を掴まれ、拳で頬を殴られる。
よろめくと、もう一人の人間に両腕を掴まれ、また別の人間に腹に蹴りを入れられた。鳩尾を殴られ息が出来なくなると、汚い言葉を浴びせられ、力の入らなくなった体を膝立ちにされ、顔面を道路に押し付けられた。
アスファルトの細かい粒子が、顔にめり込んで行く。
首を抑えられ全く抵抗出来ない状態で目だけを動かした先に、誰かが振り上げた鉄製のパイプが、逆光で黒く光り、其の背後に太陽の光があるのを見た。
(叩き割られる!)
そう思った瞬間、目が覚めた。
「は……」
肩で何度も息をして、其れでも耐えきれず起き上がって額に手を当てた。
真冬なのに全身に汗をかいていて、未だに不快感が纏わりついている。何より、夢で受けた衝撃が大き過ぎて、鼓動が速くなったまま、治まる気配が無かった。
「……ケビン?」
呼び掛ける小さな声があって、ふと顔を横に向けた。
向かいの二段ベッドの上の段で、こちらを見つめる視線があった。
「ごめん……起こした?」
下で眠るシワンとクァンヒを起こさぬよう、小声で話した。
「喘ぎ声がうるさくてね」
「悪い」
詫びを入れながら、ケビンは体を起こしベッドの梯子を下りた。
追い掛けるように、ジュニョンも起き上がり、模倣するように同じ動作をした。
赤ワインとラム酒を片手鍋に注ぐ。
シナモンスティックを放り込み、レモンを薄く切ったものと蜂蜜を加える。
中欧の国のワインの香りと、スパイスの香りがキッチンに漂う。
赤い液体が煮立って行くのを見つめる。
静かな夜。時計は真夜中の一時を回っていた。
「ジュニョン」
ケビンは、何も言わずに離れて座っているジュニョンに、声をかけた。
「聞いて欲しいことがある」
そう言って、ぼこぼこと音を立て出した鍋の火を止めた。
——幼い頃の記憶を。
「其れが、原体験?」
ジュニョンは、両手で支えていたホットワインの入ったカップを置いた。
「多分」
「リンチ、ね……」
幼い頃、頭が陥没し死亡した同性愛者の中年男性のことを聞いた。
複数の相手から暴行を受け、最後は頭をパイプで殴られ頭を叩き割られる形で死亡。
犯人の主犯格は、ケビンが当時住んでいた家の近くに住む二十代前半の男性だった。
——父が牧師を務めていた教会で、顔を、見たことがあった。
「オーストラリアって寛容な国だと思ってたけど」
ジュニョンはケビンの顔を見た。
「未だに差別はあるよ。皆が皆、寛容な訳じゃない」
ケビンはカップを両手で持ったまま、俯いた。
「怖い夢だった。俺も差別されていつか殺されるのかな、とか、周りからああいう目で見られるのかな、とか……凄く……今でも考えるくらいだよ」
カップの中でくるくると回り、沈んで行くシナモンを見つめる。赤く濁り、アルコール分の飛んだワインの香りが、気持ちを少し落ち着かせて行く。
其の少量のアルコールでも、酔いが回ってくるようで、ケビンは酷く饒舌だった。
「なあ、俺らが祈ってる"神様"って本当に居るのかな?」
話がしたい、と言うヒチョルに腕を引かれ、ケビンは練習室から食事の出来そうな場所に向かった。
何店か回ったものの、どの店も金曜日と宴席の多い季節であることが重なったためか、待ち受けた店員に申し訳無さそうに空席待ちになりますと言われ、二人は仕方無くチェーン店のドーナツ屋に入った。
「男二人で来る場所でもないな」
周囲を見回し、ケビンが小声で言った。宴会でどの料理店も埋まってしまう分、此のような店は空いているだろうという目論見は功を奏したが、やはりサングラスをかけたまま店の中を歩く男二人組は妖しいだろうと思う。広さのある店内は数組の男女のカップルと、4人組の女性グループが居るだけだった。
二人は店の奥にあり、周囲に人の座っていない化粧室傍の席を選んで腰掛けた。
ヒチョルはサングラスを少しだけずらし、外の様子を窺った。足早に走って行く歩行者を見る。
「何?話って」
ドーナツを二つ、カップを二つ乗せたトレーをテーブルに置き、来ていたダウンジャケットを脱ぎながらケビンが言った。
ヒチョルは一瞬、周囲を窺った。
「悪い話?」
——悪い話?
そう、なんだろうか。
言い切ってしまえるのだろうか。
「わからない」
「わからない?」
「悪い話かもしれないし、そうじゃないかもしれない」
「何だよ」
「——ヒョンシクのことなんだけど」
コーヒーに砂糖を入れていたケビンが、顔を上げた。一瞬眉が動き、笑っていた口許の口角はみるみる下がって行った。
「ヒョンシク?」
ケビンの口から、彼の名前を呼ぶ声を聞く。彼の反応を見過ごすまいとした所為で、ヒチョルは自分が次に発すべき言葉を言い淀んだ。
「……気付いてるんでしょう?」
「…………。」
「ヒョンシクね、もう、いっぱいいっぱい。」
ヒチョルの目とケビンの目が搗ち合った。しかし其の衝突はすぐにヒチョルが視線を逸らしたことで、終わった。ヒチョルは手元にたぐり寄せたドーナツのチョコレートが、室内の冷房で溶け出しているのを見つめた。
「余計なことかもしれないけど……期待だけさせるのは、多分、可哀想。だと思う」
「どういう意味だよ」
「其れは……」
唇を噛んだ。
ケビンの眼差しが咎める光を持っていて、先を促す。けれども言葉は出て来ない。
「多分、俺の口から言うべきじゃないことが一つあって、ケビンヒョンには其れを聞く義務がある気がする。多分だけど」
「多分、多分、ってやたら不確実な話だな」
ケビンは取り外したプラスチックの蓋を紙カップの上に被せ、ぱちりとはめこんだ。二人の間に漂っていたコーヒーの香りが遮られた。
そうだ。不確実なことだらけだ。
もしかすると。もしかしたら。もしも。たら。れば。なら。多分。
絶対などと言うことは無いと思う。
嘘に成り得る"絶対"は要らない。
「ヒチョル」
「?」
「義務がある、って言ったね」
「……うん」
「ヒョンシクは俺を好き。此れは思い上がりか?」
ヒチョルは、首を左右に振った。
そうか、とケビンが足元に視線を落とした。
数秒の、沈黙。
「中途半端に優しくするのが一番残酷」
ぽつりと、ヒチョルが呟いた。
脳内に、数日前に"彼"と歩いていたヒョンシクの目と、雨に濡れて帰って来たヒョンシクの目の像を描いた。
「——そういう経験が?」
ケビンが、問うた。
「あるよ。"そういう"状況になったときに、抱き締めたり、キスしたりして間に合わせるのは、残酷だと思う」
「其れは……切れと言っている?」
「ケビンが、ヒョンシクのことをどうとも思ってないならね」
最後の台詞は賭けだった。
何店か回ったものの、どの店も金曜日と宴席の多い季節であることが重なったためか、待ち受けた店員に申し訳無さそうに空席待ちになりますと言われ、二人は仕方無くチェーン店のドーナツ屋に入った。
「男二人で来る場所でもないな」
周囲を見回し、ケビンが小声で言った。宴会でどの料理店も埋まってしまう分、此のような店は空いているだろうという目論見は功を奏したが、やはりサングラスをかけたまま店の中を歩く男二人組は妖しいだろうと思う。広さのある店内は数組の男女のカップルと、4人組の女性グループが居るだけだった。
二人は店の奥にあり、周囲に人の座っていない化粧室傍の席を選んで腰掛けた。
ヒチョルはサングラスを少しだけずらし、外の様子を窺った。足早に走って行く歩行者を見る。
「何?話って」
ドーナツを二つ、カップを二つ乗せたトレーをテーブルに置き、来ていたダウンジャケットを脱ぎながらケビンが言った。
ヒチョルは一瞬、周囲を窺った。
「悪い話?」
——悪い話?
そう、なんだろうか。
言い切ってしまえるのだろうか。
「わからない」
「わからない?」
「悪い話かもしれないし、そうじゃないかもしれない」
「何だよ」
「——ヒョンシクのことなんだけど」
コーヒーに砂糖を入れていたケビンが、顔を上げた。一瞬眉が動き、笑っていた口許の口角はみるみる下がって行った。
「ヒョンシク?」
ケビンの口から、彼の名前を呼ぶ声を聞く。彼の反応を見過ごすまいとした所為で、ヒチョルは自分が次に発すべき言葉を言い淀んだ。
「……気付いてるんでしょう?」
「…………。」
「ヒョンシクね、もう、いっぱいいっぱい。」
ヒチョルの目とケビンの目が搗ち合った。しかし其の衝突はすぐにヒチョルが視線を逸らしたことで、終わった。ヒチョルは手元にたぐり寄せたドーナツのチョコレートが、室内の冷房で溶け出しているのを見つめた。
「余計なことかもしれないけど……期待だけさせるのは、多分、可哀想。だと思う」
「どういう意味だよ」
「其れは……」
唇を噛んだ。
ケビンの眼差しが咎める光を持っていて、先を促す。けれども言葉は出て来ない。
「多分、俺の口から言うべきじゃないことが一つあって、ケビンヒョンには其れを聞く義務がある気がする。多分だけど」
「多分、多分、ってやたら不確実な話だな」
ケビンは取り外したプラスチックの蓋を紙カップの上に被せ、ぱちりとはめこんだ。二人の間に漂っていたコーヒーの香りが遮られた。
そうだ。不確実なことだらけだ。
もしかすると。もしかしたら。もしも。たら。れば。なら。多分。
絶対などと言うことは無いと思う。
嘘に成り得る"絶対"は要らない。
「ヒチョル」
「?」
「義務がある、って言ったね」
「……うん」
「ヒョンシクは俺を好き。此れは思い上がりか?」
ヒチョルは、首を左右に振った。
そうか、とケビンが足元に視線を落とした。
数秒の、沈黙。
「中途半端に優しくするのが一番残酷」
ぽつりと、ヒチョルが呟いた。
脳内に、数日前に"彼"と歩いていたヒョンシクの目と、雨に濡れて帰って来たヒョンシクの目の像を描いた。
「——そういう経験が?」
ケビンが、問うた。
「あるよ。"そういう"状況になったときに、抱き締めたり、キスしたりして間に合わせるのは、残酷だと思う」
「其れは……切れと言っている?」
「ケビンが、ヒョンシクのことをどうとも思ってないならね」
最後の台詞は賭けだった。
「久しぶり」
しばらく出入りしていなかったバーに行くと、カウンターに座っていた男がヒチョルに気付き、オールドファッショングラスを振りながら挨拶をしてきた。
「——久しぶり」
相手の右隣に、ヒチョルは腰を下ろした。ジントニックで、と手短にバーテンダーに頼む。
「珍しいね?」
相手はヒチョルの顔をちらりと見て、グラスに口を付けた。中に入った黄金色の液体がバーの間接照明に照らされ反射する。
店の中には生演奏のピアノが響いている。ヒチョルは少し周囲を気にしながら言った。
「あんたに聞きたいことがある」
薄暗い照明の中、ヒチョルは腕が触れ合う近さに座っている相手の顔を見つめた。男は持っていたグラスをテーブルに置いた。そして、腕を組んで両肘をテーブルに載せ、少し猫背気味になって、ヒチョルを見つめ返した。
「まずは君の仮説を聞こう」
「仮説……」
彼の独特の物言いは、昔から太刀打ちが出来なかった。情報が欲しいなら、お前の持っている情報を見せろ、という姿勢。手元のカードを見せない限り、取引に応じてはくれない。
「おととい、あんたと、ヒョンシクを見た」
「うん。其れで?今君が言ったのは、事実、だろう」
「ヒョンシクが昨日の朝帰って来た」
「事実だね」
「だから……」
ヒチョルは、口に出すのを憚った。口から生まれたのではないかと称されるほどの自分が、口に出したくないことがあった。其れは仮説ではなく、其れこそが事実だった。
「——ヒョンシク君と、寝たよ」
声を失った。
バーテンダーが置いたらしいカクテルグラスが肘に当たって氷が傾く音がして、ヒチョルは我に返った。
「此れだろ?君の欲しがっていた情報は」
彼は口を家鴨のようにし、えくぼを見せる特徴的な笑い方をした。
ピアノの演奏が終わった店内に拍手が響いていた。
しばらく出入りしていなかったバーに行くと、カウンターに座っていた男がヒチョルに気付き、オールドファッショングラスを振りながら挨拶をしてきた。
「——久しぶり」
相手の右隣に、ヒチョルは腰を下ろした。ジントニックで、と手短にバーテンダーに頼む。
「珍しいね?」
相手はヒチョルの顔をちらりと見て、グラスに口を付けた。中に入った黄金色の液体がバーの間接照明に照らされ反射する。
店の中には生演奏のピアノが響いている。ヒチョルは少し周囲を気にしながら言った。
「あんたに聞きたいことがある」
薄暗い照明の中、ヒチョルは腕が触れ合う近さに座っている相手の顔を見つめた。男は持っていたグラスをテーブルに置いた。そして、腕を組んで両肘をテーブルに載せ、少し猫背気味になって、ヒチョルを見つめ返した。
「まずは君の仮説を聞こう」
「仮説……」
彼の独特の物言いは、昔から太刀打ちが出来なかった。情報が欲しいなら、お前の持っている情報を見せろ、という姿勢。手元のカードを見せない限り、取引に応じてはくれない。
「おととい、あんたと、ヒョンシクを見た」
「うん。其れで?今君が言ったのは、事実、だろう」
「ヒョンシクが昨日の朝帰って来た」
「事実だね」
「だから……」
ヒチョルは、口に出すのを憚った。口から生まれたのではないかと称されるほどの自分が、口に出したくないことがあった。其れは仮説ではなく、其れこそが事実だった。
「——ヒョンシク君と、寝たよ」
声を失った。
バーテンダーが置いたらしいカクテルグラスが肘に当たって氷が傾く音がして、ヒチョルは我に返った。
「此れだろ?君の欲しがっていた情報は」
彼は口を家鴨のようにし、えくぼを見せる特徴的な笑い方をした。
ピアノの演奏が終わった店内に拍手が響いていた。
雨の音で目が覚めた。
床に散らばった服を掻き集めて一つ一つ身にまとっていく。腰に鈍く響く鈍痛と汗ばんだ肌が渇いた感覚に不快感を覚えながら、着替える手を早めた。
「——帰るの?」
寝そべったままの相手が、パーカーを被り、顔を出したヒョンシクに言った。
「うん」
相手の、白い背中を見る。俯せになった彼はサイドテーブルにあった灰皿を引き寄せ、銜えた煙草にライターで火を付けようとしていた。
「君が帰る場所は本当に君の居場所かな?」
彼の吐き出した薄い灰色の煙が、部屋の中に漂う。
立ち上がったヒョンシクに煙が届き、絡み付いた。
またね、と言う声が背中に掛けられるのを聞きながら、ヒョンシクはドアを後ろ手に閉めた。
==================
降り出した雨の中、傘も差さずに歩いていく。
雨の降る朝は、夜明けをごまかし、夜と朝の境目を曖昧にする。
24時間営業のコンビニエンスストアは至る所にあったけれど、買うほどの土砂降りではなかった。
——穢れた体と記憶を洗い流して欲しい。
そして、貴方を消してしまいたい。
ヒョンシクは目を瞑り、長い腕を広げた。
誰かが僕を見て、頭のおかしい人間だと笑っても構わない。
だって、全ては既に壊れているのだから。
==================
ずぶ濡れになったヒョンシクを迎えたのはヒチョルだった。
「傘は?」
「持ってなかったよ」
「買えば良いのに……」
ヒチョルはそう言って、ちょっと待って、とヒョンシクを玄関に残して廊下を走り、タオルを手にして戻って来た。
「ありがと」
ヒチョルからタオルを受け取ったヒョンシクは礼を言いながらまず顔、そして髪についた水滴を拭った。ヒチョルは廊下の壁に凭れ、顔だけをヒョンシクに向けて様子を見ている。静かな時間が流れて、ヒョンシクがタオルで立てるばたばたという音が響いているだけだった。
「服は?脱がなくていいの?」
「あ……」
一瞬躊躇ったヒョンシクを、ヒチョルの視線は見逃さなかった。伏せた目をヒョンシクの首もとに向け、瞬きを2、3回。顔の中で動いているのは瞳だけ。其の瞳の鋭い光がヒョンシクの目を捕える。
「脱げない理由がある、か」
「……」
そう言うと、ヒチョルは背を凭れさせていた壁から離し、ヒョンシクに背を向け廊下を歩き出した。足を擦る音が響く。
「シャワー、空いてるから」
逆方向へ響く声は、ほんの少しだけの咎める響きと欠伸の声が混じっていた。
==================
脱衣所で濡れて肌に纏わりつく衣服を一枚一枚体から剥がして行った。全部洗濯機の中に入れてスイッチを押し、自分はシャワールームに身を寄せた。
天上から降って来る温い湯を顔に浴び、髪を撫で付けて後頭部に向けてかきあげた。
雨の中、少し冷えた体が熱を取り戻して行く。
鏡に映った自分の首元に隠しようのないキスマークを発見して、ヒチョルの目線の意味を確認した。
言い訳にする言葉が見つからない。
昨夜の相手に言われた言葉を思い出す。
此処は、本当に僕の居場所なんだろうか。
==================
増殖して行く気持ちは最早制御不能だった。
其れは分裂を繰り返して細胞組織の中まで貴方の名前を刻んでいく。
其のくらい、考えている。もう僕の体は貴方のことでいっぱいで。
でも、気付いている。貴方にとって僕は、「可愛い弟」でしかないこと。
どんな欲望を持って見ているかを伝えたら、毎晩眠る前に神様にお祈りをしている貴方に軽蔑される気がして怖い。
だから、本当のことは言わない。
嘘はついていない。
ただ、本当のことを言わないだけ。伝えないだけ。
そして、暴れる欲望は何処か違う場所で放つだけ。
床に散らばった服を掻き集めて一つ一つ身にまとっていく。腰に鈍く響く鈍痛と汗ばんだ肌が渇いた感覚に不快感を覚えながら、着替える手を早めた。
「——帰るの?」
寝そべったままの相手が、パーカーを被り、顔を出したヒョンシクに言った。
「うん」
相手の、白い背中を見る。俯せになった彼はサイドテーブルにあった灰皿を引き寄せ、銜えた煙草にライターで火を付けようとしていた。
「君が帰る場所は本当に君の居場所かな?」
彼の吐き出した薄い灰色の煙が、部屋の中に漂う。
立ち上がったヒョンシクに煙が届き、絡み付いた。
またね、と言う声が背中に掛けられるのを聞きながら、ヒョンシクはドアを後ろ手に閉めた。
==================
降り出した雨の中、傘も差さずに歩いていく。
雨の降る朝は、夜明けをごまかし、夜と朝の境目を曖昧にする。
24時間営業のコンビニエンスストアは至る所にあったけれど、買うほどの土砂降りではなかった。
——穢れた体と記憶を洗い流して欲しい。
そして、貴方を消してしまいたい。
ヒョンシクは目を瞑り、長い腕を広げた。
誰かが僕を見て、頭のおかしい人間だと笑っても構わない。
だって、全ては既に壊れているのだから。
==================
ずぶ濡れになったヒョンシクを迎えたのはヒチョルだった。
「傘は?」
「持ってなかったよ」
「買えば良いのに……」
ヒチョルはそう言って、ちょっと待って、とヒョンシクを玄関に残して廊下を走り、タオルを手にして戻って来た。
「ありがと」
ヒチョルからタオルを受け取ったヒョンシクは礼を言いながらまず顔、そして髪についた水滴を拭った。ヒチョルは廊下の壁に凭れ、顔だけをヒョンシクに向けて様子を見ている。静かな時間が流れて、ヒョンシクがタオルで立てるばたばたという音が響いているだけだった。
「服は?脱がなくていいの?」
「あ……」
一瞬躊躇ったヒョンシクを、ヒチョルの視線は見逃さなかった。伏せた目をヒョンシクの首もとに向け、瞬きを2、3回。顔の中で動いているのは瞳だけ。其の瞳の鋭い光がヒョンシクの目を捕える。
「脱げない理由がある、か」
「……」
そう言うと、ヒチョルは背を凭れさせていた壁から離し、ヒョンシクに背を向け廊下を歩き出した。足を擦る音が響く。
「シャワー、空いてるから」
逆方向へ響く声は、ほんの少しだけの咎める響きと欠伸の声が混じっていた。
==================
脱衣所で濡れて肌に纏わりつく衣服を一枚一枚体から剥がして行った。全部洗濯機の中に入れてスイッチを押し、自分はシャワールームに身を寄せた。
天上から降って来る温い湯を顔に浴び、髪を撫で付けて後頭部に向けてかきあげた。
雨の中、少し冷えた体が熱を取り戻して行く。
鏡に映った自分の首元に隠しようのないキスマークを発見して、ヒチョルの目線の意味を確認した。
言い訳にする言葉が見つからない。
昨夜の相手に言われた言葉を思い出す。
此処は、本当に僕の居場所なんだろうか。
==================
増殖して行く気持ちは最早制御不能だった。
其れは分裂を繰り返して細胞組織の中まで貴方の名前を刻んでいく。
其のくらい、考えている。もう僕の体は貴方のことでいっぱいで。
でも、気付いている。貴方にとって僕は、「可愛い弟」でしかないこと。
どんな欲望を持って見ているかを伝えたら、毎晩眠る前に神様にお祈りをしている貴方に軽蔑される気がして怖い。
だから、本当のことは言わない。
嘘はついていない。
ただ、本当のことを言わないだけ。伝えないだけ。
そして、暴れる欲望は何処か違う場所で放つだけ。
シーツの海に横たわる。
来る筈の無い肌を重ね合わせる日を妄想しながら、ヒョンシクは目を閉じる。
眠れない夜。
ヒョンシクは、数度寝返りを打って、シーツを蹴り飛ばし足を出し、立ち上がった。
==================
——貴方を濁していく。
知らない男の腕に抱かれながら、思った。
体の奥で暴れる動きに目を瞑り、たった一人の顔を思い浮かべる。
声は彼の声に、腕は彼の腕に、腰は彼の腰に変換される。
近付けられた頭に気付いて顔をシーツの横に背けた。
「キスしないで」
ヒョンシクは目を瞑り、無神経な舌を拒否するよう、肩に近い右の二の腕の部分の肌に自分の唇を押し付けた。
「早く、いかせて。何も考えたくないんだ」
急かす。
腰の動きが速くなって、だんだん、思い浮かべていた筈の顔も分からなくなる。
知らない相手の呼吸音を聞き、与えられる快感に身を捩りながら、キスの無い行為に没頭した。
生理的な涙が流れる。
ごめんなさい、貴方が好きで——
来る筈の無い肌を重ね合わせる日を妄想しながら、ヒョンシクは目を閉じる。
眠れない夜。
ヒョンシクは、数度寝返りを打って、シーツを蹴り飛ばし足を出し、立ち上がった。
==================
——貴方を濁していく。
知らない男の腕に抱かれながら、思った。
体の奥で暴れる動きに目を瞑り、たった一人の顔を思い浮かべる。
声は彼の声に、腕は彼の腕に、腰は彼の腰に変換される。
近付けられた頭に気付いて顔をシーツの横に背けた。
「キスしないで」
ヒョンシクは目を瞑り、無神経な舌を拒否するよう、肩に近い右の二の腕の部分の肌に自分の唇を押し付けた。
「早く、いかせて。何も考えたくないんだ」
急かす。
腰の動きが速くなって、だんだん、思い浮かべていた筈の顔も分からなくなる。
知らない相手の呼吸音を聞き、与えられる快感に身を捩りながら、キスの無い行為に没頭した。
生理的な涙が流れる。
ごめんなさい、貴方が好きで——
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天球儀を回す。
中心には地球。僕が回すのは逆さまの星空。
埃臭い書斎で見付けた小さな天球儀は、カタカタと音を立てて、回り出す。
僕は遠い記憶を持っていて。
秘密を持っている。
「——あ」
辞書を枕に、机に突っ伏して眠っていたらしく、気付いたら時計の針が進んでいた。
司書に「寝ちゃだめでしょう」と無言で睨まれるのを感じながら、慌てて図書室を出ると、窓の無い部屋に居たときは気付かなかった夜闇が広がっていた。
頬に突き刺さるような冷たい空気を感じながら、自転車に乗る。
数日前は細く痩せていた月が、ふくよかな形で空に浮かんでいる。
白い月は僕にそろそろ満月だよ、と教えてくれる。
梟が何処かで鳴いている。
「遅刻してすみません!」
練習室の思い扉を開けると同時に言い放って、頭を下げる。
悪いときは、素直に謝る。頭を下げる。
「遅いぞ高校生」
入口の傍に居たジュニョンヒョンが気付いて言い、こちらへ向かって来て小突くふりをしたので、慌てて練習室の中を走って、ケビンヒョンの背中に逃げ込んだ。
「ごめんなさい」
「って言いながらヒョン盾にすんな」
「まあまあ」
怒るリーダーと、背中の影に隠れる僕。間に挟まれた彼が仲裁する。
「ヒョンも甘過ぎだし」
「ジュニョンはあんまり怒ると素性ばれるよ?」
「……はいよ」
ジュニョンは叱るのをやめ、早く着替えろ、と手をひらひらさせた。
「着替えろってさ」
「はーい」
ケビンヒョンはそう言って笑顔を向けてきた。
帰り道。
僕はケビンヒョンと、一緒に自転車を押して夜道を歩いた。
「満月だなあ」
「ううん、満月はあと二日先」
「そうなの?」
「多分」
梟がまた鳴いている。同じ梟なんだろうか。
「——あ」
暫く無言で歩いていて、ケビンヒョンは急に声を発した。冷たい空気の中で、吐く息が白かった。
「ヒョンシク、何の香水使ってる?」
「え?」
「何か眠くなりそうな、匂いがする」
「ああこれ?麝香」
「麝香?」
「なんてね。何も使ってないよ。気のせいだよ」
「そう?」
ケビンヒョンは急に立ち止まった。
僕も一緒に、道の真ん中で立ち止まる。
二人の間には僕の自転車があって。
ぎゅ
自転車のハンドルを握っていた右手を握られ、ふ、と顔を近付けられた。
空気が白んで。
ケビンヒョンは、僕の首筋に鼻を近付けた。
「あ、確かに、付けてない」
凄く強い香りなのに、と言って、顔を離していく。
何も無かったみたいに、また歩き出した。
其の横顔が、満月一歩手前の月の光で照らされる。
二人分の足音と、自転車の軋む音が静かな夜に響く。
分かれ道、他愛無い話を終わらせなければならなくて、二人共無口になった。
「——じゃあ」
「うん、また」
そう言ったのに、お互い身動きしなくて変な時間が流れた。
「————」
帰りたくない。
ケビンヒョンがあっちに公園があったよ、と教えてくれる。
缶ジュース片手にベンチから夜空を見上げる。
空気が澄んでいて、街灯の少ない公園から見ていると、プラネタリウムに居るみたいだった。少しかじかんだ指先を、温かい缶に当てて温める。
秋の四辺形を空に探してみる。
僕らが見る地球から見える星。逆さまに見ていた星座を引っくり返して見る。
「ごめん、何か今日、変」
星を見ていたら、ふと、ケビンヒョンの視線を感じた。
「やっぱりお前から強い匂いがする」
「え」
スローモーションのように。ケビンヒョンの投げた缶が宙に舞うのを見て。
次の瞬間、
ケビンヒョンに抱き締められていた。
「良い匂い」
耳許で囁かれて、一気に冷えきっていた体の熱が蘇る。
カラカラと遠くで空き缶が転がる音がする。
ヒョンの顔は、僕の方に埋められて見えない。ただ、体の重みを服越しに感じる。
君が真っ赤な糸をたぐり寄せてくれるまで、
僕は咲き続ける。白い花。
そして君を呼ぶように、甘い媚薬のような香りを放って、
君は見付ける。僕の蜜。
「ヒョンシク……今から変なこと言うから、全部聞かなかったことにして」
「なに……?」
「好きだ」
「……いつから……?」
「分かんない、ずっと前からだと思う」
「……」
「ほら、変なことだろ……」
「ううん。全部聞いちゃった」
「……」
無口なケビンヒョンに、そっと腕を回す。悪い子のように空き缶を放り投げて、遠くでカンカン鳴る音を聞きながら、そっとお互いの方に顔を埋めるようにする。
気温はますます低く冷たくなって、手先が冷たい。
けれども体を熱くさせている。
「俺も好き。ずっと前から好き」
男同士だからなんて思わないで、と指先で伝える。
君が男でも女でも。
植物でも蝙蝠でも。
僕らは巡り逢う運命。
何度も、何度も、其の度に出逢いが命を繋いでくれる。
そういう引力で僕らはお互いを求めてる。
「キスさせて」
言われて、瞼を閉じる。
月がちょっと恥じらうみたいに雲に隠れる。
僕は、月下美人。
中心には地球。僕が回すのは逆さまの星空。
埃臭い書斎で見付けた小さな天球儀は、カタカタと音を立てて、回り出す。
僕は遠い記憶を持っていて。
秘密を持っている。
「——あ」
辞書を枕に、机に突っ伏して眠っていたらしく、気付いたら時計の針が進んでいた。
司書に「寝ちゃだめでしょう」と無言で睨まれるのを感じながら、慌てて図書室を出ると、窓の無い部屋に居たときは気付かなかった夜闇が広がっていた。
頬に突き刺さるような冷たい空気を感じながら、自転車に乗る。
数日前は細く痩せていた月が、ふくよかな形で空に浮かんでいる。
白い月は僕にそろそろ満月だよ、と教えてくれる。
梟が何処かで鳴いている。
「遅刻してすみません!」
練習室の思い扉を開けると同時に言い放って、頭を下げる。
悪いときは、素直に謝る。頭を下げる。
「遅いぞ高校生」
入口の傍に居たジュニョンヒョンが気付いて言い、こちらへ向かって来て小突くふりをしたので、慌てて練習室の中を走って、ケビンヒョンの背中に逃げ込んだ。
「ごめんなさい」
「って言いながらヒョン盾にすんな」
「まあまあ」
怒るリーダーと、背中の影に隠れる僕。間に挟まれた彼が仲裁する。
「ヒョンも甘過ぎだし」
「ジュニョンはあんまり怒ると素性ばれるよ?」
「……はいよ」
ジュニョンは叱るのをやめ、早く着替えろ、と手をひらひらさせた。
「着替えろってさ」
「はーい」
ケビンヒョンはそう言って笑顔を向けてきた。
帰り道。
僕はケビンヒョンと、一緒に自転車を押して夜道を歩いた。
「満月だなあ」
「ううん、満月はあと二日先」
「そうなの?」
「多分」
梟がまた鳴いている。同じ梟なんだろうか。
「——あ」
暫く無言で歩いていて、ケビンヒョンは急に声を発した。冷たい空気の中で、吐く息が白かった。
「ヒョンシク、何の香水使ってる?」
「え?」
「何か眠くなりそうな、匂いがする」
「ああこれ?麝香」
「麝香?」
「なんてね。何も使ってないよ。気のせいだよ」
「そう?」
ケビンヒョンは急に立ち止まった。
僕も一緒に、道の真ん中で立ち止まる。
二人の間には僕の自転車があって。
ぎゅ
自転車のハンドルを握っていた右手を握られ、ふ、と顔を近付けられた。
空気が白んで。
ケビンヒョンは、僕の首筋に鼻を近付けた。
「あ、確かに、付けてない」
凄く強い香りなのに、と言って、顔を離していく。
何も無かったみたいに、また歩き出した。
其の横顔が、満月一歩手前の月の光で照らされる。
二人分の足音と、自転車の軋む音が静かな夜に響く。
分かれ道、他愛無い話を終わらせなければならなくて、二人共無口になった。
「——じゃあ」
「うん、また」
そう言ったのに、お互い身動きしなくて変な時間が流れた。
「————」
帰りたくない。
ケビンヒョンがあっちに公園があったよ、と教えてくれる。
缶ジュース片手にベンチから夜空を見上げる。
空気が澄んでいて、街灯の少ない公園から見ていると、プラネタリウムに居るみたいだった。少しかじかんだ指先を、温かい缶に当てて温める。
秋の四辺形を空に探してみる。
僕らが見る地球から見える星。逆さまに見ていた星座を引っくり返して見る。
「ごめん、何か今日、変」
星を見ていたら、ふと、ケビンヒョンの視線を感じた。
「やっぱりお前から強い匂いがする」
「え」
スローモーションのように。ケビンヒョンの投げた缶が宙に舞うのを見て。
次の瞬間、
ケビンヒョンに抱き締められていた。
「良い匂い」
耳許で囁かれて、一気に冷えきっていた体の熱が蘇る。
カラカラと遠くで空き缶が転がる音がする。
ヒョンの顔は、僕の方に埋められて見えない。ただ、体の重みを服越しに感じる。
君が真っ赤な糸をたぐり寄せてくれるまで、
僕は咲き続ける。白い花。
そして君を呼ぶように、甘い媚薬のような香りを放って、
君は見付ける。僕の蜜。
「ヒョンシク……今から変なこと言うから、全部聞かなかったことにして」
「なに……?」
「好きだ」
「……いつから……?」
「分かんない、ずっと前からだと思う」
「……」
「ほら、変なことだろ……」
「ううん。全部聞いちゃった」
「……」
無口なケビンヒョンに、そっと腕を回す。悪い子のように空き缶を放り投げて、遠くでカンカン鳴る音を聞きながら、そっとお互いの方に顔を埋めるようにする。
気温はますます低く冷たくなって、手先が冷たい。
けれども体を熱くさせている。
「俺も好き。ずっと前から好き」
男同士だからなんて思わないで、と指先で伝える。
君が男でも女でも。
植物でも蝙蝠でも。
僕らは巡り逢う運命。
何度も、何度も、其の度に出逢いが命を繋いでくれる。
そういう引力で僕らはお互いを求めてる。
「キスさせて」
言われて、瞼を閉じる。
月がちょっと恥じらうみたいに雲に隠れる。
僕は、月下美人。
——地と海とは不幸である。
悪魔は怒りに燃えて、お前たちのところへ降って行った。
残された時が少ないのを知ったからである。
一日の終わり。
ケビンは読んでいた聖書を閉じ、枕元の読書灯を消した。
==================
スタジオの片隅で、ドンジュンは譜面を見つめていた。
ステージに立って、オーディエンスの目を見るのは未だ怖い。
其処に居る自分ではなく、歌う筈だった存在を見ていることに気付いてしまいそうになる。
パートが増えるね、良かったね、と言う、アイドルとは関係の無い幼馴染みの言葉に舌打ちをした。
軽々しく言うな、と苛立って言い返すと、彼は不思議そうな顔をした。
不在には未だ慣れない。
寧ろ、慣れていくのが怖い。
==================
ドンッ
「わっ」
フォーメーションを変えて左側に移動するときに、ミヌはテホンと接触し其の場でよろけた。
何時もならこんなミス、しないのに——。
「……ごめん」
対格差でよろけたミヌに、テホンは申し訳無さそうな、心配そうな顔で詫びた。
「あ、俺のミスだし……」
皆、何処かぎこちなく動く、新しいフォーメーション。
埋めきれなかったフォーメーションの隙間の空間を見つめた。
慣れない立ち位置。見慣れないポジションからの景色。
俯いて、スニーカーの爪先で地面を蹴る。
「ごめん皆、もう一回お願い」
また音楽がかかった。
==================
「遅い!早く乗れよー」
ジュニョンは急かすように、駐車場をだらだらと歩くクァンヒとヒチョルに窓を開けて声を掛けた。腰掛けた後方の席から彼らが乗るのを見、もう一度頭の数を数える。
1, 2, 3, 4, 5, 6, 7
一人足りない。
「あれ?」
「——これで全員だよ、ヒョン」
横に腰掛けたヒョンシクが目を合わさずに反対方向の窓の外を見て言った。
9人で数えるクセが抜けない。
メンバーを置き去りにしてしまったこともあったが、今はまるで自分たちが置き去りにされたみたいだ、とジュニョンは思った。
乗り込んだバンが地下駐車場から、地上へ出て行く短いスロープを上がって行く。
==================
宿舎に戻ると、夫々ばらばらに散って行った。
ヒチョルはリビングのテレビを付け、コンセントが挿しっぱなしになっているゲーム機の主電源を入れた。スタートアップの画面が流れ、ゲーム音楽が部屋に響く。
ドンジュンは部屋に、ヒョンシクはベランダ、ミヌはシャワーに行ったので、珍しく一人でサッカーのビデオゲームを始める。
対戦相手は、コンピューター。
此のゲームをやるときは、いつも誰かが居るのに。
やりたがりなのに上達せず、いつも年下と喧嘩になっていた自分に、少し手加減をしてくれていたこと。
わざと負けてくれていたこと。
ときに練習用に設定したコンピューターを相手にするよりも弱かった。
見えない相手——コンピュータのアルゴリズムと、無言でヒチョルは対戦する。
==================
冷蔵庫を開けても、何もめぼしいものは無かった。
結局買いだめていたインスタントラーメンの包装のビニールを破り、ポットに水を入れて湯を沸かす。
夜食でジャンクなもの食ってどうするんだよ、と苦笑いして、何か作るから待っててな、と台所に立った彼を思い出す。
ポットから上がる湯気を見つめながら、テホンは面影を思い出していた。
台所が無機質な空間になった。どう使ったら良いのか見当もつかない調味料や、料理器具が、使い手を失って佇んでいる。
冷蔵庫からは野菜が消え、キムチとジュース類、それから冷蔵食品ばかりになった。
カップラーメンが増え、冷凍食品が増えたな、とも思う。
考えているうちに、湯が沸いたことを知らせる音が鳴った。
==================
部屋に戻ってシワンは本を読んでいた。
"——It clears out the old to make way for the new. Right now the new is you, but someday not too long from now, you will gradually become the old and be cleared away."
まるで、此の世の理を断言されたような感覚になる。
著者の「此れは真実だ」という突き放した物言いが、去って行った態度に重なった。此の文章の生命の生き死にについてのものなのに、現実を教えられた気分になる。
何れは彼だけでなく、年上の自分やクァンヒ、ジュニョンにも其の順番がやってくる。
そうして、新しいグループがまたデビューして、どんどん古い存在になっていく。
過去形で語られて行く。
「どうしたの難しい顔して」
本を片手に、ベッドに座った格好で肘を付いてぼんやりしていると、クァンヒが眉間をつついて来た。
「——別に」
「ふうん」
クァンヒが、シワンの手に持ったペーパーバッグに目をやった。
==================
夜になって、何となくやることが無くて、クァンヒはDVDの棚を眺めていた。
観たことの無いDVDがいくつかあって、興味のありそうなものが無いか、手に取ってはパッケージを見て戻す。
「洋画ばっか」
流石に字幕無しで観られる程英語がわかる訳では無いから、興味が持てないものは除外していく。
何個か見繕って、やっと面白そうなものを見付けた。
「あ、此れ観たことある」
リビングに移動すると、ヒチョルがゲームの画面を付けっぱなしにしたままソファーでうたた寝をしている。肩にブランケットが覆われていて誰かがかけてやったのだろう、と思う。
クァンヒはゲームを起動させたままDVDレコーダーの電源を付け、トレイにDVDをセットした。
暫く経ってDVDが始まる。
子供のイタズラレベルのことをいい大人があえてやる、ひたすらにくだらないことをやるDVDが流れ出した。
一度見て覚えているジョークもあった。初めて見たときは爆笑していたのに、今は何処か冷めた目で画面を観ている。そんな夜更けだった。
==================
目覚めた朝に震えた。
肌寒い風がシャツの裾から伸びたヒョンシクの腕に当たり、肌の上を滑って行った。
狭い狭いと思っていたベッドが酷く広く感じられる、朝。
——温もりが、足りない。
同じ夢ばかり見る。
ケビンに抱かれる夢を。
夢だと分かっていて見る夢は悲しい。
其れを見て覚醒した脳味噌は寂しい。
自分を抱き締めるように、ヒョンシクは両腕で自分の肩を抱いた。
頭の上からシーツを被り、真っ白いシーツと太陽光の下、夢とも現実ともつかない彼方に消えてしまいたくなる。逃げ出して、其の場所で時間と空間を越えて逢いたくなる。
あの日泣かないと決めたのに。涙は未だに枯れず、シーツを濡らして行く。
逢いたい。
逢いたいよ、ケビンヒョン——。
悪魔は怒りに燃えて、お前たちのところへ降って行った。
残された時が少ないのを知ったからである。
一日の終わり。
ケビンは読んでいた聖書を閉じ、枕元の読書灯を消した。
==================
スタジオの片隅で、ドンジュンは譜面を見つめていた。
ステージに立って、オーディエンスの目を見るのは未だ怖い。
其処に居る自分ではなく、歌う筈だった存在を見ていることに気付いてしまいそうになる。
パートが増えるね、良かったね、と言う、アイドルとは関係の無い幼馴染みの言葉に舌打ちをした。
軽々しく言うな、と苛立って言い返すと、彼は不思議そうな顔をした。
不在には未だ慣れない。
寧ろ、慣れていくのが怖い。
==================
ドンッ
「わっ」
フォーメーションを変えて左側に移動するときに、ミヌはテホンと接触し其の場でよろけた。
何時もならこんなミス、しないのに——。
「……ごめん」
対格差でよろけたミヌに、テホンは申し訳無さそうな、心配そうな顔で詫びた。
「あ、俺のミスだし……」
皆、何処かぎこちなく動く、新しいフォーメーション。
埋めきれなかったフォーメーションの隙間の空間を見つめた。
慣れない立ち位置。見慣れないポジションからの景色。
俯いて、スニーカーの爪先で地面を蹴る。
「ごめん皆、もう一回お願い」
また音楽がかかった。
==================
「遅い!早く乗れよー」
ジュニョンは急かすように、駐車場をだらだらと歩くクァンヒとヒチョルに窓を開けて声を掛けた。腰掛けた後方の席から彼らが乗るのを見、もう一度頭の数を数える。
1, 2, 3, 4, 5, 6, 7
一人足りない。
「あれ?」
「——これで全員だよ、ヒョン」
横に腰掛けたヒョンシクが目を合わさずに反対方向の窓の外を見て言った。
9人で数えるクセが抜けない。
メンバーを置き去りにしてしまったこともあったが、今はまるで自分たちが置き去りにされたみたいだ、とジュニョンは思った。
乗り込んだバンが地下駐車場から、地上へ出て行く短いスロープを上がって行く。
==================
宿舎に戻ると、夫々ばらばらに散って行った。
ヒチョルはリビングのテレビを付け、コンセントが挿しっぱなしになっているゲーム機の主電源を入れた。スタートアップの画面が流れ、ゲーム音楽が部屋に響く。
ドンジュンは部屋に、ヒョンシクはベランダ、ミヌはシャワーに行ったので、珍しく一人でサッカーのビデオゲームを始める。
対戦相手は、コンピューター。
此のゲームをやるときは、いつも誰かが居るのに。
やりたがりなのに上達せず、いつも年下と喧嘩になっていた自分に、少し手加減をしてくれていたこと。
わざと負けてくれていたこと。
ときに練習用に設定したコンピューターを相手にするよりも弱かった。
見えない相手——コンピュータのアルゴリズムと、無言でヒチョルは対戦する。
==================
冷蔵庫を開けても、何もめぼしいものは無かった。
結局買いだめていたインスタントラーメンの包装のビニールを破り、ポットに水を入れて湯を沸かす。
夜食でジャンクなもの食ってどうするんだよ、と苦笑いして、何か作るから待っててな、と台所に立った彼を思い出す。
ポットから上がる湯気を見つめながら、テホンは面影を思い出していた。
台所が無機質な空間になった。どう使ったら良いのか見当もつかない調味料や、料理器具が、使い手を失って佇んでいる。
冷蔵庫からは野菜が消え、キムチとジュース類、それから冷蔵食品ばかりになった。
カップラーメンが増え、冷凍食品が増えたな、とも思う。
考えているうちに、湯が沸いたことを知らせる音が鳴った。
==================
部屋に戻ってシワンは本を読んでいた。
"——It clears out the old to make way for the new. Right now the new is you, but someday not too long from now, you will gradually become the old and be cleared away."
まるで、此の世の理を断言されたような感覚になる。
著者の「此れは真実だ」という突き放した物言いが、去って行った態度に重なった。此の文章の生命の生き死にについてのものなのに、現実を教えられた気分になる。
何れは彼だけでなく、年上の自分やクァンヒ、ジュニョンにも其の順番がやってくる。
そうして、新しいグループがまたデビューして、どんどん古い存在になっていく。
過去形で語られて行く。
「どうしたの難しい顔して」
本を片手に、ベッドに座った格好で肘を付いてぼんやりしていると、クァンヒが眉間をつついて来た。
「——別に」
「ふうん」
クァンヒが、シワンの手に持ったペーパーバッグに目をやった。
==================
夜になって、何となくやることが無くて、クァンヒはDVDの棚を眺めていた。
観たことの無いDVDがいくつかあって、興味のありそうなものが無いか、手に取ってはパッケージを見て戻す。
「洋画ばっか」
流石に字幕無しで観られる程英語がわかる訳では無いから、興味が持てないものは除外していく。
何個か見繕って、やっと面白そうなものを見付けた。
「あ、此れ観たことある」
リビングに移動すると、ヒチョルがゲームの画面を付けっぱなしにしたままソファーでうたた寝をしている。肩にブランケットが覆われていて誰かがかけてやったのだろう、と思う。
クァンヒはゲームを起動させたままDVDレコーダーの電源を付け、トレイにDVDをセットした。
暫く経ってDVDが始まる。
子供のイタズラレベルのことをいい大人があえてやる、ひたすらにくだらないことをやるDVDが流れ出した。
一度見て覚えているジョークもあった。初めて見たときは爆笑していたのに、今は何処か冷めた目で画面を観ている。そんな夜更けだった。
==================
目覚めた朝に震えた。
肌寒い風がシャツの裾から伸びたヒョンシクの腕に当たり、肌の上を滑って行った。
狭い狭いと思っていたベッドが酷く広く感じられる、朝。
——温もりが、足りない。
同じ夢ばかり見る。
ケビンに抱かれる夢を。
夢だと分かっていて見る夢は悲しい。
其れを見て覚醒した脳味噌は寂しい。
自分を抱き締めるように、ヒョンシクは両腕で自分の肩を抱いた。
頭の上からシーツを被り、真っ白いシーツと太陽光の下、夢とも現実ともつかない彼方に消えてしまいたくなる。逃げ出して、其の場所で時間と空間を越えて逢いたくなる。
あの日泣かないと決めたのに。涙は未だに枯れず、シーツを濡らして行く。
逢いたい。
逢いたいよ、ケビンヒョン——。
一言で言えば、荘厳。
部屋の隅に佇む漆黒のグランドピアノ。
ピアノの響きに誘われて、ヒョンシクが扉を開けると、部屋の真ん中に設えられたグランドピアノに向かって、ケビンが演奏をしていた。
耳を澄ませてみると、ジャズの旋律であることに気付く。
ヒョンシクは自分の身を部屋の中に滑り込ませると、後ろ手に重い扉を閉め、ケビンの演奏を邪魔しないように、近付いた。
ケビンが気付いて、ピアノを弾く手はそのまま、ヒョンシクを見て笑いかけた。
(——ちょっと待ってね)
ケビンの口許が動いたのに気付く。
ヒョンシクはピアノの側板の曲線に右手を沿わせながら、譜面台側——ケビンの方へ、近付いた。
ジャンッ
演奏が終わる。
ぱちぱちぱちぱち
広い空間に、曲の最後の和音の音の余韻とヒョンシクの手を叩く音が響いた。
「『星に願いを』?」
「の、ジャズバージョン」
「うん、好き」
言いながらヒョンシクは、ケビンの座る低いピアノ用の長椅子に、当然かのように並んで座った。ケビンが少し腰掛けた位置をずらし、ヒョンシクのためにスペースを開ける。左にケビン、右にヒョンシク。並んで、鍵盤に向かう。
「こうして見ると、音なんて、これだけしか無いみたいだ」
ヒョンシクは人差し指でAの鍵盤に触れてみた。白い鍵盤が下がり、ハンマーで叩かれた音が鳴った。
「でも組み合わせは無限」
ケビンが低い音で三音の和音を出し、それを散らばらせるように指先を動かすと、隣のヒョンシクに「だろ?」と顔を向けた。
静かな空間。
撮影現場で借り切ったホテルのホールに二人きり。
隣同士に近付いて座ることも珍しいことではなかったが、それでも自分の左肩とケビンの右肩をくっつけていると、椅子の中途半端な狭さもあって、少し鼓動が速くなる。
顔も、体も、何もかもが近い。
ヒョンシクは少し顔を背けて、ケビンの手に目をやった。
ピアノを弾く手は、無骨ながらも繊細な手つきで、鍵盤の上を自由自在に行ったり来たりする。手の動きはパソコンを入力しているものと少し似ているけれど、此の手の動きから生み出されるものは、リズムとメロディなのだな、と何となく思う。
ケビンはまたメロディをなぞりはじめる。
ケビンの右肩に、負担にならないように、けれど甘えるように傾けた頭を乗せてみる。
お互い、何も言わない。
——手って、こういう風に、動くんだ。
普段あまりまじまじと見たことのないものをぼんやりと見つめる。
聴こえてくるのは、自分も好きな洋楽のR&Bのアレンジ。
「何か、ヤバい……」
「は?」
急に口をついて出た言葉に、ケビンが驚いて手を止め、顔を覗き込む。
「何で?」
「手がさ」
ケビンの肩に頭を乗せたまま、目だけを見つめてヒョンシクは言った。
「ピアノの上を行ったり来たりしてて、何か、エロい」
「——見てて、感じちゃった?」
そう言うと、ペダルに軽く乗せていた足の甲を思い切り踏まれた。
「痛っ」
「バカ、下品」
「図星?」
「感じてない!」
「本当のこと言われてキレるとは、まだまだお子様だねえ」
「だから感じてないって——」
ヒョンシクの反論は、ケビンの唇に吐息ごと飲み込まれた。
不安定な体勢の、キス。
無音の空間。
「変なこと言って煽るのは、計算?天然?」
「煽ってない……盛んないでよ」
先刻までピアノの鍵盤に触れていた指が、顎を捉え、ヒョンシクの髪を優しく梳いている。
顎のラインに沿って頬を撫でられると、抑えが利かなくなってしまう。
不協和音が響く。
ヒョンシクの体は鍵盤に押し付けられ、譜面台に凭れ掛かるようにして——けれどその華奢な作りのそれに完全に凭れることもできず、ケビンにしがみついて——深く口付けられた。
不協和音。C、D、E、F、G、A、Hのばらばらの和音。
キスが深くなるたびに奇妙な和音が鳴り響く。それと同時に、ホールの音響にキスの音が響く。
「ねえ、ピアノ弾くとき何考えてるか知ってる……?」
顎の角度を変えたとき、うっすらと開けていた目を見られながら、問われた。
「知らない。わかんない」
ヒョンシクは素っ気なく答え、顔を背けた。すると、首筋を舌先で舐められ、
「好きな人のこと……」
と言われた。
「ピアノって、人間みたいなんだよ。優しく触れば、優しく鳴いてくれるんだ」
甘ったるいキスの合間に呟かれ、顔が熱くなる。
言葉の裏側にあるいやらしい意味を想像してしまって、自分が言い出した手のことも意識してしまう。
——ケビンの手が、自分の輪郭をなぞっている、と。
意識を他に向けようとする。理性を保とうとする。全部が欲望の前で無駄な努力になっていく。
幾ら貸し切りとは言え、一般施設のホールで、監視カメラも何処かにあるはずで。
ましてや変な不協和音が響いているのであれば、何事かと人が来るかも知れないのに。
でも——
ケビンの手に導かれて、酷く官能的な気分になったヒョンシクは、理性と言い訳を全て諦めた。
音が鳴らないようにと鍵盤蓋を閉めると、ケビンはヒョンシクを其処に腰掛けさせ、普段よりも更に高くなった目線を無理矢理に合わせるように、首を引き寄せてキスをした。
「ヒョン……」
ヒョンシクのまだ戸惑いを含んだ声が響く。
「音響良いから、いっぱい鳴くと響いちゃうね……」
恥ずかしい台詞を言われ、ヒョンシクがまた鍵盤蓋の上で脚をばたつかせた。
「恥ずかしい?」
ケビンが顔を下から覗き込むと、ふぃっと顔を逸らす。切りそろえられた髪から覗く耳が紅潮していて、照れているのだと思う。
「可愛い」
その耳を甘噛みしながら、ケビンはヒョンシクのTシャツの上から、体を触った。
——ピアノが人間みたい、というのは本当。
優しく触れれば甘い音が出て、
激しく触れれば荒々しい音が出る。
そして、放っておくと少しずつ音が外れて行くから、いつも調子を確認して、みてあげないといけない。
決まっている場所に触れていても、どのような感情が生み出されるか、は無限——。
二人は、ピアノの屋根の上で抱き合っていた。
ケビンが覆い被さるようにヒョンシクに抱きつき、ヒョンシクの背はピアノの屋根にぴったりとくっついている。
借り物のピアノの上で何をやっているんだろう——と一瞬頭を過っても、目の前に差し出されている快感と天秤にかければ、その感情はまるで重力を持たなかった。
次の瞬間、体を引っくり返され、ケビンに後ろから腰を抱えられていた。
二人とも服を身に付けたまま、獣のように立ったまま指を挿入される。
下着の下から触れて来る指に、ヒョンシクは喘ぎ声を抑えられなかった。
「あ……ああん」
雌猫のようによがって鳴く声が辺りに反響して、物凄く恥ずかしい気分になる。ヒョンシクは咄嗟に自分の左手で口を塞いだ。
「ダメだよ……」
其の手をやんわりと外され、指を絡められて腕ごとピアノの屋根に押し付けられる。
指を二本挿れられ、ゆっくりと丁寧にも揉み拉かれれば、後に続く行為を想像してしまって、余計に興奮して息が上がる。
「今日はちょっと抑えがきかなさそ……入って、いい?」
耳許で後ろから息を吹き込まれ、低くした声で囁かるなら、其れを拒否する術は持ち合わせていなかった。
「いい、よ……」
そう言うと、いきなり質量の大きな感触のものがヒョンシクの中に入れられ、粘膜が擦れ合う感覚に、喘いだ。
何度も突き上げられて、何度も喘いで。
本当にこんな場所で、発情期の犬みたいに、何やってるんだろう……とヒョンシクは思ったが、すぐに其れを忘れさせるような快感と衝撃に襲われた。
「あ、シク…ヒョンシク、凄い気持ちいい……」
「俺……も。凄い、感じてて……ばかになりそう」
ケビンが揺さぶる体で、彼の熱さと激しさと優しさを感じる。
首筋に、Tシャツの裾をまくり上げられた腰骨の上に、後ろからキスをされて、何度も突き上げられて。
二人の絶頂の声が、短く反響した。
部屋の隅に佇む漆黒のグランドピアノ。
ピアノの響きに誘われて、ヒョンシクが扉を開けると、部屋の真ん中に設えられたグランドピアノに向かって、ケビンが演奏をしていた。
耳を澄ませてみると、ジャズの旋律であることに気付く。
ヒョンシクは自分の身を部屋の中に滑り込ませると、後ろ手に重い扉を閉め、ケビンの演奏を邪魔しないように、近付いた。
ケビンが気付いて、ピアノを弾く手はそのまま、ヒョンシクを見て笑いかけた。
(——ちょっと待ってね)
ケビンの口許が動いたのに気付く。
ヒョンシクはピアノの側板の曲線に右手を沿わせながら、譜面台側——ケビンの方へ、近付いた。
ジャンッ
演奏が終わる。
ぱちぱちぱちぱち
広い空間に、曲の最後の和音の音の余韻とヒョンシクの手を叩く音が響いた。
「『星に願いを』?」
「の、ジャズバージョン」
「うん、好き」
言いながらヒョンシクは、ケビンの座る低いピアノ用の長椅子に、当然かのように並んで座った。ケビンが少し腰掛けた位置をずらし、ヒョンシクのためにスペースを開ける。左にケビン、右にヒョンシク。並んで、鍵盤に向かう。
「こうして見ると、音なんて、これだけしか無いみたいだ」
ヒョンシクは人差し指でAの鍵盤に触れてみた。白い鍵盤が下がり、ハンマーで叩かれた音が鳴った。
「でも組み合わせは無限」
ケビンが低い音で三音の和音を出し、それを散らばらせるように指先を動かすと、隣のヒョンシクに「だろ?」と顔を向けた。
静かな空間。
撮影現場で借り切ったホテルのホールに二人きり。
隣同士に近付いて座ることも珍しいことではなかったが、それでも自分の左肩とケビンの右肩をくっつけていると、椅子の中途半端な狭さもあって、少し鼓動が速くなる。
顔も、体も、何もかもが近い。
ヒョンシクは少し顔を背けて、ケビンの手に目をやった。
ピアノを弾く手は、無骨ながらも繊細な手つきで、鍵盤の上を自由自在に行ったり来たりする。手の動きはパソコンを入力しているものと少し似ているけれど、此の手の動きから生み出されるものは、リズムとメロディなのだな、と何となく思う。
ケビンはまたメロディをなぞりはじめる。
ケビンの右肩に、負担にならないように、けれど甘えるように傾けた頭を乗せてみる。
お互い、何も言わない。
——手って、こういう風に、動くんだ。
普段あまりまじまじと見たことのないものをぼんやりと見つめる。
聴こえてくるのは、自分も好きな洋楽のR&Bのアレンジ。
「何か、ヤバい……」
「は?」
急に口をついて出た言葉に、ケビンが驚いて手を止め、顔を覗き込む。
「何で?」
「手がさ」
ケビンの肩に頭を乗せたまま、目だけを見つめてヒョンシクは言った。
「ピアノの上を行ったり来たりしてて、何か、エロい」
「——見てて、感じちゃった?」
そう言うと、ペダルに軽く乗せていた足の甲を思い切り踏まれた。
「痛っ」
「バカ、下品」
「図星?」
「感じてない!」
「本当のこと言われてキレるとは、まだまだお子様だねえ」
「だから感じてないって——」
ヒョンシクの反論は、ケビンの唇に吐息ごと飲み込まれた。
不安定な体勢の、キス。
無音の空間。
「変なこと言って煽るのは、計算?天然?」
「煽ってない……盛んないでよ」
先刻までピアノの鍵盤に触れていた指が、顎を捉え、ヒョンシクの髪を優しく梳いている。
顎のラインに沿って頬を撫でられると、抑えが利かなくなってしまう。
不協和音が響く。
ヒョンシクの体は鍵盤に押し付けられ、譜面台に凭れ掛かるようにして——けれどその華奢な作りのそれに完全に凭れることもできず、ケビンにしがみついて——深く口付けられた。
不協和音。C、D、E、F、G、A、Hのばらばらの和音。
キスが深くなるたびに奇妙な和音が鳴り響く。それと同時に、ホールの音響にキスの音が響く。
「ねえ、ピアノ弾くとき何考えてるか知ってる……?」
顎の角度を変えたとき、うっすらと開けていた目を見られながら、問われた。
「知らない。わかんない」
ヒョンシクは素っ気なく答え、顔を背けた。すると、首筋を舌先で舐められ、
「好きな人のこと……」
と言われた。
「ピアノって、人間みたいなんだよ。優しく触れば、優しく鳴いてくれるんだ」
甘ったるいキスの合間に呟かれ、顔が熱くなる。
言葉の裏側にあるいやらしい意味を想像してしまって、自分が言い出した手のことも意識してしまう。
——ケビンの手が、自分の輪郭をなぞっている、と。
意識を他に向けようとする。理性を保とうとする。全部が欲望の前で無駄な努力になっていく。
幾ら貸し切りとは言え、一般施設のホールで、監視カメラも何処かにあるはずで。
ましてや変な不協和音が響いているのであれば、何事かと人が来るかも知れないのに。
でも——
ケビンの手に導かれて、酷く官能的な気分になったヒョンシクは、理性と言い訳を全て諦めた。
音が鳴らないようにと鍵盤蓋を閉めると、ケビンはヒョンシクを其処に腰掛けさせ、普段よりも更に高くなった目線を無理矢理に合わせるように、首を引き寄せてキスをした。
「ヒョン……」
ヒョンシクのまだ戸惑いを含んだ声が響く。
「音響良いから、いっぱい鳴くと響いちゃうね……」
恥ずかしい台詞を言われ、ヒョンシクがまた鍵盤蓋の上で脚をばたつかせた。
「恥ずかしい?」
ケビンが顔を下から覗き込むと、ふぃっと顔を逸らす。切りそろえられた髪から覗く耳が紅潮していて、照れているのだと思う。
「可愛い」
その耳を甘噛みしながら、ケビンはヒョンシクのTシャツの上から、体を触った。
——ピアノが人間みたい、というのは本当。
優しく触れれば甘い音が出て、
激しく触れれば荒々しい音が出る。
そして、放っておくと少しずつ音が外れて行くから、いつも調子を確認して、みてあげないといけない。
決まっている場所に触れていても、どのような感情が生み出されるか、は無限——。
二人は、ピアノの屋根の上で抱き合っていた。
ケビンが覆い被さるようにヒョンシクに抱きつき、ヒョンシクの背はピアノの屋根にぴったりとくっついている。
借り物のピアノの上で何をやっているんだろう——と一瞬頭を過っても、目の前に差し出されている快感と天秤にかければ、その感情はまるで重力を持たなかった。
次の瞬間、体を引っくり返され、ケビンに後ろから腰を抱えられていた。
二人とも服を身に付けたまま、獣のように立ったまま指を挿入される。
下着の下から触れて来る指に、ヒョンシクは喘ぎ声を抑えられなかった。
「あ……ああん」
雌猫のようによがって鳴く声が辺りに反響して、物凄く恥ずかしい気分になる。ヒョンシクは咄嗟に自分の左手で口を塞いだ。
「ダメだよ……」
其の手をやんわりと外され、指を絡められて腕ごとピアノの屋根に押し付けられる。
指を二本挿れられ、ゆっくりと丁寧にも揉み拉かれれば、後に続く行為を想像してしまって、余計に興奮して息が上がる。
「今日はちょっと抑えがきかなさそ……入って、いい?」
耳許で後ろから息を吹き込まれ、低くした声で囁かるなら、其れを拒否する術は持ち合わせていなかった。
「いい、よ……」
そう言うと、いきなり質量の大きな感触のものがヒョンシクの中に入れられ、粘膜が擦れ合う感覚に、喘いだ。
何度も突き上げられて、何度も喘いで。
本当にこんな場所で、発情期の犬みたいに、何やってるんだろう……とヒョンシクは思ったが、すぐに其れを忘れさせるような快感と衝撃に襲われた。
「あ、シク…ヒョンシク、凄い気持ちいい……」
「俺……も。凄い、感じてて……ばかになりそう」
ケビンが揺さぶる体で、彼の熱さと激しさと優しさを感じる。
首筋に、Tシャツの裾をまくり上げられた腰骨の上に、後ろからキスをされて、何度も突き上げられて。
二人の絶頂の声が、短く反響した。
月の下で想う。
ベランダの床に座って澄んだ空気を吸う。
静かな夜。
虫の声。
犬の遠吠え。
たまに通り掛かる車の機械音。
空に浮かぶ月は丸く光って、辺りを照らしている。
秋の空は明るい星が少ない。
子供の頃に教わった、ばけものくじらの星座は、いつどこに見えるんだっけ。
——早く帰っておいで。
戻って来ない相手に見立てて、白い月を見る。早く其の顔が見たい。
遠くから響く車の音が近くなって、エンジン音は停止した。
聞き覚えのある「腹減ったー!」の声。
食べて来いよ。
もう12時だろう?
足音。マンションに近付く。
——おかえり。
「ただいまー!って真っ暗!誰も居ないのかよー」
玄関の方で盛大な独り言が聞こえる。
バタバタ扉が開く音がして、部屋の明かりが点けられ、空が若干見えづらくなる。
暗がりに居たから、其の光が眩しい。
「けびにゃー!けびにゃー!」
やめろそれ、他のメンバーが起きるだろ。大体俺が起きていたらどうするんだ。
近所迷惑じゃないか。
「いないのー?」
いませーん
ガラガラガラッ
「あ、居た!ただいま!」
「おかえんなさい」
ヒョンシクは部屋の中から窓を開け、顔を出してケビンを発見した。
壁と薄く開けた窓ガラスの間から首を出しているので、ギロチンや拷問器具にとらえられた人間に見える。
「俺お腹減ったんだけど」
「第一声それ?」
「稽古きつくてさー」
「食ってくればいいだろ」
言った瞬間、ぶーと頬袋を膨らませた。ヒョンシクの口が歪む。
「嘘、嘘。こっちおいで」
「なに?」
ヒョンシクが窓を開け、ベランダに出て外から窓を閉めた。
ケビンは立ち上がったままのヒョンシクに、自分のそばにあった皿に乗ったそれを差し出した。
「はい」
黄色、緑、白の団子が3つずつ綺麗に並んでいた。
「わ!」
ヒョンシクの笑顔が弾ける。
稽古で疲れていてもこの表情。ほんとお前は疲れ知らずだね。
「カボチャとよもぎとうるちの団子でございます」
「いただきます!」
一口かぶりついて、目を見開く。お前はどこのグルメリポーターだ。
「うまー!」
複雑なコメントは言えないから、失格だな。
ケビンも一つよもぎ餅を手に取って一緒に食べる。
「ヒョン何で此処に居たの?」
お前それ何個目?皿、あと1個しかないんだけど。
ケビンは人差し指を立てて、頭上を示した。
「上?」
「満月」
「あ」
もう一個、と手を伸ばしたのを素早く振り払い自分用に確保する。ヒョンシクは自分の餌を取られ口を歪ませた。
「俺の餅……」
——とことん花より団子か。ケビンは恨めしそうに見る視線に根負けし、持っていた餅を半分にちぎって手渡した。
「月が綺麗だなと思ってさ」
どうせ聞いていないだろう、と思って言った。
「うん、わかる。俺もね、稽古場出たときに気付いてさ。そしたら帰りたくなった」
「餅にでも見えたか」
「違う、何か、ヒョンのこと思い出して」
「俺の料理のことね」
はむはむと餅を食べながらつれないことを言ってみる。
「違うよ!確かに料理は思い出したけど!それより」
ケビンの手から食べかけの餅をすっと奪う。
「逢いたくなった。月が綺麗だよって教えたかったんだ」
——そんだけ。とヒョンシクが言い、顔を背けて奪った餅を頬張った。
頬袋が上下する。
パク・ヒョンシク。
ハムスターとか、リスとかその類い。
でも餌は大量に必要。家畜並み。
月からの光と部屋の光とのバランスに目が慣れてきて、ヒョンシクの顔の血色が普段よりも赤みを増していることに気付く。
青白い夜の光、
部屋からの蛍光灯の光、
そして、月の光。
ケビンはすっと立ち上がり、部屋の電気を消して戻ってきた。
灯りが減って、静かな空間が広がる。
二人で、暗がりから月を眺める。
無言でヒョンシクの隣に座り、肩に手を回して引き寄せた。
ヒョンシクはへたくそに寄り添った。
耐え切れない、という表情で何度もちらちらと目線を動かす。
「シク、こっち向いて」
黒めがちの瞳が丸く見開かれ、黒目の部分に白い月の光が小さく映る。
その光を遮るように、ケビンは唇を重ねた。ベランダに座ったままの格好で、頭を近付けて、何度も上唇と下唇で、ついばむ。
「ここで、やっちゃう……?」
半野外。
潤んだ目で見つめられる。
同じ月を見て、
同じことを考えてる。
僕らは同じ光の中で、一つになる。
満月と、君の腕に抱かれながら。
ベランダの床に座って澄んだ空気を吸う。
静かな夜。
虫の声。
犬の遠吠え。
たまに通り掛かる車の機械音。
空に浮かぶ月は丸く光って、辺りを照らしている。
秋の空は明るい星が少ない。
子供の頃に教わった、ばけものくじらの星座は、いつどこに見えるんだっけ。
——早く帰っておいで。
戻って来ない相手に見立てて、白い月を見る。早く其の顔が見たい。
遠くから響く車の音が近くなって、エンジン音は停止した。
聞き覚えのある「腹減ったー!」の声。
食べて来いよ。
もう12時だろう?
足音。マンションに近付く。
——おかえり。
「ただいまー!って真っ暗!誰も居ないのかよー」
玄関の方で盛大な独り言が聞こえる。
バタバタ扉が開く音がして、部屋の明かりが点けられ、空が若干見えづらくなる。
暗がりに居たから、其の光が眩しい。
「けびにゃー!けびにゃー!」
やめろそれ、他のメンバーが起きるだろ。大体俺が起きていたらどうするんだ。
近所迷惑じゃないか。
「いないのー?」
いませーん
ガラガラガラッ
「あ、居た!ただいま!」
「おかえんなさい」
ヒョンシクは部屋の中から窓を開け、顔を出してケビンを発見した。
壁と薄く開けた窓ガラスの間から首を出しているので、ギロチンや拷問器具にとらえられた人間に見える。
「俺お腹減ったんだけど」
「第一声それ?」
「稽古きつくてさー」
「食ってくればいいだろ」
言った瞬間、ぶーと頬袋を膨らませた。ヒョンシクの口が歪む。
「嘘、嘘。こっちおいで」
「なに?」
ヒョンシクが窓を開け、ベランダに出て外から窓を閉めた。
ケビンは立ち上がったままのヒョンシクに、自分のそばにあった皿に乗ったそれを差し出した。
「はい」
黄色、緑、白の団子が3つずつ綺麗に並んでいた。
「わ!」
ヒョンシクの笑顔が弾ける。
稽古で疲れていてもこの表情。ほんとお前は疲れ知らずだね。
「カボチャとよもぎとうるちの団子でございます」
「いただきます!」
一口かぶりついて、目を見開く。お前はどこのグルメリポーターだ。
「うまー!」
複雑なコメントは言えないから、失格だな。
ケビンも一つよもぎ餅を手に取って一緒に食べる。
「ヒョン何で此処に居たの?」
お前それ何個目?皿、あと1個しかないんだけど。
ケビンは人差し指を立てて、頭上を示した。
「上?」
「満月」
「あ」
もう一個、と手を伸ばしたのを素早く振り払い自分用に確保する。ヒョンシクは自分の餌を取られ口を歪ませた。
「俺の餅……」
——とことん花より団子か。ケビンは恨めしそうに見る視線に根負けし、持っていた餅を半分にちぎって手渡した。
「月が綺麗だなと思ってさ」
どうせ聞いていないだろう、と思って言った。
「うん、わかる。俺もね、稽古場出たときに気付いてさ。そしたら帰りたくなった」
「餅にでも見えたか」
「違う、何か、ヒョンのこと思い出して」
「俺の料理のことね」
はむはむと餅を食べながらつれないことを言ってみる。
「違うよ!確かに料理は思い出したけど!それより」
ケビンの手から食べかけの餅をすっと奪う。
「逢いたくなった。月が綺麗だよって教えたかったんだ」
——そんだけ。とヒョンシクが言い、顔を背けて奪った餅を頬張った。
頬袋が上下する。
パク・ヒョンシク。
ハムスターとか、リスとかその類い。
でも餌は大量に必要。家畜並み。
月からの光と部屋の光とのバランスに目が慣れてきて、ヒョンシクの顔の血色が普段よりも赤みを増していることに気付く。
青白い夜の光、
部屋からの蛍光灯の光、
そして、月の光。
ケビンはすっと立ち上がり、部屋の電気を消して戻ってきた。
灯りが減って、静かな空間が広がる。
二人で、暗がりから月を眺める。
無言でヒョンシクの隣に座り、肩に手を回して引き寄せた。
ヒョンシクはへたくそに寄り添った。
耐え切れない、という表情で何度もちらちらと目線を動かす。
「シク、こっち向いて」
黒めがちの瞳が丸く見開かれ、黒目の部分に白い月の光が小さく映る。
その光を遮るように、ケビンは唇を重ねた。ベランダに座ったままの格好で、頭を近付けて、何度も上唇と下唇で、ついばむ。
「ここで、やっちゃう……?」
半野外。
潤んだ目で見つめられる。
同じ月を見て、
同じことを考えてる。
僕らは同じ光の中で、一つになる。
満月と、君の腕に抱かれながら。
ヒョンシクは日曜日の朝が嫌いだった。
朝は彼を連れて行ってしまうから。
「ヒョンシク?出掛けるよ」
敬虔なクリスチャンの家庭で育ったケビンは、日曜日の午前九時に教会へ行くことが身に染み付いていた。どんなに練習で疲れていても、どんなに自分と一緒に居ても。余程スケジュールが詰まっていて忙しくしていない限り、欠かさない習慣だった。
そしてそんな彼に、ミサには参加しないけれど、着いて行くのはヒョンシクの毎週の習慣だった。いつも、教会の傍にあるカフェで2時間本を読んだり音楽を聴いたり眠ったりしながら時間を潰して、時間になったら、カフェの前のガードレールに座って彼が来るのを待つ。
讃美歌が響き終わるのを、今か今かと待ち、それが途切れて聞こえなくなったら、ずっと道を見詰めてケビンが現れるのを待っていた。
ヒョンシクは頭からシーツを被って真っ白なおばけのようにし、まどろみの中で光から逃げるように、ベッドにあぐらをかいて座っていた。
「うーん……」
もう少しまどろんで居たいよ。
「だるいなら、良いけど」
パーカーにジーンズというラフな格好のケビンが、シーツを頭巾にしておばけごっこをしているヒョンシクの傍に立ち、シーツをすっと持ち上げた。
ヒョンシクは離れそうになったシーツを取り戻すように、自分の顎の前でシーツの端と端を持った手を握りしめ、ベッドの上からケビンを見た。
にこ、と笑われて自分の胸が熱くなる。
「ねえ、雨降ってる?」
昨日の夜から降り続いていた雨が、まだ降っているかどうか気になった。
「降ってるよ」
小雨みたいだけど、とケビンは窓を横目で見ながらヒョンシクのシーツを剥ぎ取ってしまった。急に眩しい朝の光が目に飛び込んできて、ヒョンシクは驚いた。
「あー!」
「ほら、出掛けるぞ。たまにはミサも来れば良いのに」
「……俺寝ちゃうからダメだよ……」
——教会は苦手なんだ。
カフェの前でバイバイと手を振り、小雨が降っていたけれどヒョンシクはテラス席を選んで腰掛けた。
サングラスをかけたまま、取り出したMP3プレーヤーで音楽を聴く。
朝ゆっくりと眠れなかった分、今此処で目を閉じておこう、と思った。
——或る夜、悪魔が来てヒョンシクに呪いをかけた。
其れは夢だ、と思っていたし、夢の中の出来事に縛られているだけの気もしたけれど、それにしては余りにリアルで実感を伴った幻覚だった。
カミサマが苦手になって。
教会が嫌いになって。
讃美歌がダメになって。
肌はますます青白くなり、体はますます痩せていって。
朝が苦手になって。
大好きなケビンに対して、抑えられない感情を覚えるようになった。
気付かれるのも時間の問題な気もしていたし、隠し通せるような気もしていた。
けれど、こうして宿舎で一緒に過ごしたり、練習を一緒にしたりしていて、誰よりもケビンに対して「そう」思うようになっていた。
カミサマなんて本当に居るの?
居るんなら、ただの傍観者なんでしょ?
でなきゃ、俺みたいな中途半端な存在、つくらないでよ——。
カフェラテを運んできたウエイトレスの呼ぶ声で、思考を止める。
「あ、すみません」
ぼうっとしていたことを詫び、ヒョンシクは運ばれてきたカップを傾けた。鼻先に、コーヒー豆の香りとミルクの香りがふんわりと広がる。小雨で涼しい朝には、此れくらいが丁度いい、と思いながら一口飲んでみる。
テラスから眺める街並に、雨が降っている。日曜日なのに朝から雨で、世間の人は残念だと言うのだろう。タクシーを降りて足早に走って行く女性が目の前を通って行った。
朝から何も食べていないから少し空腹だったが、ヒョンシクはカフェラテ以外は注文しなかった。
帰ってきたら、「ブランチだよ」って何か作ってほしいなあ。
ケビンが教会から戻ると、通りに面したテラス席にヒョンシクの姿を見付けた。朝のうちに小雨だった雨は本降りになっていた。
いつもはガードレールに座って待っているけれど、今日は雨だから避難したのだろう。
「お待たせ」
不機嫌な顔をしているヒョンシクに声をかける。此の顔は、お腹が空いている顔だな、と思う。
「コーヒー一杯だけ?」
ヒョンシクの前に置かれた空っぽのカップを見て声をかける。
「うん」
「ドーナツ貰ってきたけど、食べる?」
「食べる!」
二人は店を出て、雨の中を並んで歩いた。二つの傘が同じスピードで雨の中を通り抜けて行く。
ケビンが手に持っていた紙袋には教会でミサの前に出されるおやつのドーナツが三つ入っていたが、ヒョンシクは物凄い勢いで平らげてしまった。
「美味しい?」
「美味しい!でも腹へった!」
何だ其れ、と笑った。ヒョンシクはまた不貞腐れた顔になって
「だってヒョンのつくった朝ご飯が食べたいもん……」
と言った。
「ヒョンシクぅ」
「何?」
「回り道しようか」
オムレツを作ってあげよう。タマゴが無かったから、買いに行こう。
真っ赤なケチャップも添えてあげる。
食材を買って宿舎に戻ると12時を回っていた。
未だ眠っているメンバー、出掛けてしまったメンバー。玄関の靴の数とデザインでそれを瞬時に把握する。
ケビンはこの人数ならタマゴも足りそうだな、と計算した。
——キッチンで料理をしているケビンを見るのが好きだ。
料理の上手い人は段取りが上手い、というけれどやはりそうなのだろうと思う。
ヒョンシクはキッチンのテーブルに座って、頬杖をついてケビンの姿を眺めていた。
下を向いたときの首筋がセクシーだな、と思う。
そんなことを考えてしまう自分は、やっぱり呪いがかかっているのではないか、と思う。
「——痛っ」
ケビンが、声を上げた。
驚いてヒョンシクがケビンの方を見ると、左手の親指を口許に持って行って舐めた。
「切っちゃったの?」
「手滑ったみたい」
振り返った返事をしたケビンが、くそ、と言いながら包丁を置き、左手を口許に持って行ったままにした。
ドキン
ヒョンシクの中で、また「あの感情」が蠢いた。
血。
——ダメだ。見たらダメになる。
「大丈夫?」
「や、平気。深くないから」
ちょっと切っただけだよ、と笑う。心配させないように。
けれどもヒョンシクは心配とは別の意味で傷口が気になった。
血。
ケビンに近寄って、徐にケビンの左手に両手を添えた。
「ヒョンシク?」
ケビンの左手の親指の腹に細く短い線がスッと入り、ぱっくりと割れた皮膚から真っ赤な血が滲み出していた。
「痛そう」
「平気だよ。舐めときゃ治る」
——舐める?
「ぎゃーだめだめ!無理!舐めるとか無理!」
「……そんな全力で否定されても……」
「絶対無理だよ!」
突然目の前でパニックに陥った弟に、ケビンの方こそ混乱した。親指の血は相変わらず滲んでいたが、それよりも目の前の事態が気になってしまった。
「ヒョンシク、変」
ケビンは煮立ち始めた鍋を乗せたコンロの火を止め、ヒョンシクの肩に右手を添えて落ち着かせた。
「誰も舐めろとか言って無いじゃん……」
その言葉にヒョンシクがはっとして顔を上げる。少し目が潤んでいて、未だ混乱状態なのかな、と思う。
「何か変、どうしたの?」
ヒョンシクはぽつりぽつりと話し始めた。
怖い夢を見たこと。
人の形をした悪魔が来て、自分の首にキスをするように噛み付いてきた。
呪いの言葉を囁かれた。
其の日から、神様が嫌いになって、朝が嫌いになって、体調が悪くなって、
血
が欲しくなった、と。
「血?」
「ヒョンの……」
「俺の、血?」
『聖職者の息子を誘惑して血を分けてもらいな。
そしたら、あんたの呪いは解いてあげよう』
あまりに現実感の無いヒョンシクのおとぎ話に、ケビンは笑った。
けれども其れは確かにおとぎ話で済ませられない箇所はある。
確かに以前はミサに着いてきたこともあったのに、最近になって急に来なくなった。前から朝は弱かったが、最近は異常に直射日光を嫌がったり、太陽を避けるようになった。自分が聖書を読んでいるときも、寝る前に祈るときも、どこか見ないフリ、聞こえないフリをしていた気がする。
少し痩せて、肌の色が白くなって血管が浮き立って見えるようになった肌を見つめた。
「で、俺が血を飲まれたら、イッちゃって、ヴァンパイアになっちゃうってこと?」
ヒョンシクは顔を真っ赤にして、頷いた。
ヴァンパイアになってしまった、というのだ。
とんだゲーム脳だ、と思う。
本人が大真面目な分、たちが悪い。
ただ、心理学的には本人が夢や幻覚に囚われ、現実と幻想の境目が曖昧になるケースもある、と何かで読んだ気もする。
何より今目の前で震えている肩を抱いて、安心させてやらないと、という気になる。
「シク」
「ヒョン?」
ケビンは名前を短く読んで、向き合った姿勢のヒョンシクの肩を引き寄せ、キスをした。
取り敢えず黙らせるにはこれが近道。
甘ったるいキスをして、唇を離すときにわざとちゅっという音を立てる。
「俺は良いよ?それでシクが落ち着くなら」
ケビンはパーカーから伸びる首筋に自分の右手を這わせた。襟元を少し引っ張って鎖骨まで見せた。
キッチンで、二人。
日曜日の昼間から何をしてるんだろう、と思う。誰かが来るかもしれないのに。
「でも、今度はヒョンがヴァンパイアになっちゃうんだよ」
「良いじゃないかお揃いで」
「え……」
「さ、どうするの?するのしないの」
揺るぎない意思を持った目で見つめられれば、ヒョンシクの腕は自然にケビンの肩に添えられ、首筋をなぞられた。
歯を立てられ、ぷつりと肌に穴の開く感覚がある。
痛み。
と、
快感。
舌を這わされて、流れ出た血を舐められる生暖かい感覚が走る。
背筋を寒気が駆け上がって来る。
ヒョンシクの言った『血を吸われる相手は性的な快楽が在る』とは本当だったな、と思う。
こんなにゆるやかに傷付け合うなら癖になるかも……と危ないことを考えてしまう。
普通、ヴァンパイアは異性を好んで襲うからヒョンシクはヴァンパイアじゃない気がする。
それに、俺が本当に信心深い人間なら、同性愛なんかしてる時点で神様には見放されてるさ。
俺たちの定義する神様が都合良く出来てるように、お前の持っていた悪魔像も都合が良いんだよ、シク。
おばけごっこ、吸血鬼ごっこに付き合うのも楽しい。
そうやって戯れながら、一緒に堕ちて行こう。
朝は彼を連れて行ってしまうから。
「ヒョンシク?出掛けるよ」
敬虔なクリスチャンの家庭で育ったケビンは、日曜日の午前九時に教会へ行くことが身に染み付いていた。どんなに練習で疲れていても、どんなに自分と一緒に居ても。余程スケジュールが詰まっていて忙しくしていない限り、欠かさない習慣だった。
そしてそんな彼に、ミサには参加しないけれど、着いて行くのはヒョンシクの毎週の習慣だった。いつも、教会の傍にあるカフェで2時間本を読んだり音楽を聴いたり眠ったりしながら時間を潰して、時間になったら、カフェの前のガードレールに座って彼が来るのを待つ。
讃美歌が響き終わるのを、今か今かと待ち、それが途切れて聞こえなくなったら、ずっと道を見詰めてケビンが現れるのを待っていた。
ヒョンシクは頭からシーツを被って真っ白なおばけのようにし、まどろみの中で光から逃げるように、ベッドにあぐらをかいて座っていた。
「うーん……」
もう少しまどろんで居たいよ。
「だるいなら、良いけど」
パーカーにジーンズというラフな格好のケビンが、シーツを頭巾にしておばけごっこをしているヒョンシクの傍に立ち、シーツをすっと持ち上げた。
ヒョンシクは離れそうになったシーツを取り戻すように、自分の顎の前でシーツの端と端を持った手を握りしめ、ベッドの上からケビンを見た。
にこ、と笑われて自分の胸が熱くなる。
「ねえ、雨降ってる?」
昨日の夜から降り続いていた雨が、まだ降っているかどうか気になった。
「降ってるよ」
小雨みたいだけど、とケビンは窓を横目で見ながらヒョンシクのシーツを剥ぎ取ってしまった。急に眩しい朝の光が目に飛び込んできて、ヒョンシクは驚いた。
「あー!」
「ほら、出掛けるぞ。たまにはミサも来れば良いのに」
「……俺寝ちゃうからダメだよ……」
——教会は苦手なんだ。
カフェの前でバイバイと手を振り、小雨が降っていたけれどヒョンシクはテラス席を選んで腰掛けた。
サングラスをかけたまま、取り出したMP3プレーヤーで音楽を聴く。
朝ゆっくりと眠れなかった分、今此処で目を閉じておこう、と思った。
——或る夜、悪魔が来てヒョンシクに呪いをかけた。
其れは夢だ、と思っていたし、夢の中の出来事に縛られているだけの気もしたけれど、それにしては余りにリアルで実感を伴った幻覚だった。
カミサマが苦手になって。
教会が嫌いになって。
讃美歌がダメになって。
肌はますます青白くなり、体はますます痩せていって。
朝が苦手になって。
大好きなケビンに対して、抑えられない感情を覚えるようになった。
気付かれるのも時間の問題な気もしていたし、隠し通せるような気もしていた。
けれど、こうして宿舎で一緒に過ごしたり、練習を一緒にしたりしていて、誰よりもケビンに対して「そう」思うようになっていた。
カミサマなんて本当に居るの?
居るんなら、ただの傍観者なんでしょ?
でなきゃ、俺みたいな中途半端な存在、つくらないでよ——。
カフェラテを運んできたウエイトレスの呼ぶ声で、思考を止める。
「あ、すみません」
ぼうっとしていたことを詫び、ヒョンシクは運ばれてきたカップを傾けた。鼻先に、コーヒー豆の香りとミルクの香りがふんわりと広がる。小雨で涼しい朝には、此れくらいが丁度いい、と思いながら一口飲んでみる。
テラスから眺める街並に、雨が降っている。日曜日なのに朝から雨で、世間の人は残念だと言うのだろう。タクシーを降りて足早に走って行く女性が目の前を通って行った。
朝から何も食べていないから少し空腹だったが、ヒョンシクはカフェラテ以外は注文しなかった。
帰ってきたら、「ブランチだよ」って何か作ってほしいなあ。
ケビンが教会から戻ると、通りに面したテラス席にヒョンシクの姿を見付けた。朝のうちに小雨だった雨は本降りになっていた。
いつもはガードレールに座って待っているけれど、今日は雨だから避難したのだろう。
「お待たせ」
不機嫌な顔をしているヒョンシクに声をかける。此の顔は、お腹が空いている顔だな、と思う。
「コーヒー一杯だけ?」
ヒョンシクの前に置かれた空っぽのカップを見て声をかける。
「うん」
「ドーナツ貰ってきたけど、食べる?」
「食べる!」
二人は店を出て、雨の中を並んで歩いた。二つの傘が同じスピードで雨の中を通り抜けて行く。
ケビンが手に持っていた紙袋には教会でミサの前に出されるおやつのドーナツが三つ入っていたが、ヒョンシクは物凄い勢いで平らげてしまった。
「美味しい?」
「美味しい!でも腹へった!」
何だ其れ、と笑った。ヒョンシクはまた不貞腐れた顔になって
「だってヒョンのつくった朝ご飯が食べたいもん……」
と言った。
「ヒョンシクぅ」
「何?」
「回り道しようか」
オムレツを作ってあげよう。タマゴが無かったから、買いに行こう。
真っ赤なケチャップも添えてあげる。
食材を買って宿舎に戻ると12時を回っていた。
未だ眠っているメンバー、出掛けてしまったメンバー。玄関の靴の数とデザインでそれを瞬時に把握する。
ケビンはこの人数ならタマゴも足りそうだな、と計算した。
——キッチンで料理をしているケビンを見るのが好きだ。
料理の上手い人は段取りが上手い、というけれどやはりそうなのだろうと思う。
ヒョンシクはキッチンのテーブルに座って、頬杖をついてケビンの姿を眺めていた。
下を向いたときの首筋がセクシーだな、と思う。
そんなことを考えてしまう自分は、やっぱり呪いがかかっているのではないか、と思う。
「——痛っ」
ケビンが、声を上げた。
驚いてヒョンシクがケビンの方を見ると、左手の親指を口許に持って行って舐めた。
「切っちゃったの?」
「手滑ったみたい」
振り返った返事をしたケビンが、くそ、と言いながら包丁を置き、左手を口許に持って行ったままにした。
ドキン
ヒョンシクの中で、また「あの感情」が蠢いた。
血。
——ダメだ。見たらダメになる。
「大丈夫?」
「や、平気。深くないから」
ちょっと切っただけだよ、と笑う。心配させないように。
けれどもヒョンシクは心配とは別の意味で傷口が気になった。
血。
ケビンに近寄って、徐にケビンの左手に両手を添えた。
「ヒョンシク?」
ケビンの左手の親指の腹に細く短い線がスッと入り、ぱっくりと割れた皮膚から真っ赤な血が滲み出していた。
「痛そう」
「平気だよ。舐めときゃ治る」
——舐める?
「ぎゃーだめだめ!無理!舐めるとか無理!」
「……そんな全力で否定されても……」
「絶対無理だよ!」
突然目の前でパニックに陥った弟に、ケビンの方こそ混乱した。親指の血は相変わらず滲んでいたが、それよりも目の前の事態が気になってしまった。
「ヒョンシク、変」
ケビンは煮立ち始めた鍋を乗せたコンロの火を止め、ヒョンシクの肩に右手を添えて落ち着かせた。
「誰も舐めろとか言って無いじゃん……」
その言葉にヒョンシクがはっとして顔を上げる。少し目が潤んでいて、未だ混乱状態なのかな、と思う。
「何か変、どうしたの?」
ヒョンシクはぽつりぽつりと話し始めた。
怖い夢を見たこと。
人の形をした悪魔が来て、自分の首にキスをするように噛み付いてきた。
呪いの言葉を囁かれた。
其の日から、神様が嫌いになって、朝が嫌いになって、体調が悪くなって、
血
が欲しくなった、と。
「血?」
「ヒョンの……」
「俺の、血?」
『聖職者の息子を誘惑して血を分けてもらいな。
そしたら、あんたの呪いは解いてあげよう』
あまりに現実感の無いヒョンシクのおとぎ話に、ケビンは笑った。
けれども其れは確かにおとぎ話で済ませられない箇所はある。
確かに以前はミサに着いてきたこともあったのに、最近になって急に来なくなった。前から朝は弱かったが、最近は異常に直射日光を嫌がったり、太陽を避けるようになった。自分が聖書を読んでいるときも、寝る前に祈るときも、どこか見ないフリ、聞こえないフリをしていた気がする。
少し痩せて、肌の色が白くなって血管が浮き立って見えるようになった肌を見つめた。
「で、俺が血を飲まれたら、イッちゃって、ヴァンパイアになっちゃうってこと?」
ヒョンシクは顔を真っ赤にして、頷いた。
ヴァンパイアになってしまった、というのだ。
とんだゲーム脳だ、と思う。
本人が大真面目な分、たちが悪い。
ただ、心理学的には本人が夢や幻覚に囚われ、現実と幻想の境目が曖昧になるケースもある、と何かで読んだ気もする。
何より今目の前で震えている肩を抱いて、安心させてやらないと、という気になる。
「シク」
「ヒョン?」
ケビンは名前を短く読んで、向き合った姿勢のヒョンシクの肩を引き寄せ、キスをした。
取り敢えず黙らせるにはこれが近道。
甘ったるいキスをして、唇を離すときにわざとちゅっという音を立てる。
「俺は良いよ?それでシクが落ち着くなら」
ケビンはパーカーから伸びる首筋に自分の右手を這わせた。襟元を少し引っ張って鎖骨まで見せた。
キッチンで、二人。
日曜日の昼間から何をしてるんだろう、と思う。誰かが来るかもしれないのに。
「でも、今度はヒョンがヴァンパイアになっちゃうんだよ」
「良いじゃないかお揃いで」
「え……」
「さ、どうするの?するのしないの」
揺るぎない意思を持った目で見つめられれば、ヒョンシクの腕は自然にケビンの肩に添えられ、首筋をなぞられた。
歯を立てられ、ぷつりと肌に穴の開く感覚がある。
痛み。
と、
快感。
舌を這わされて、流れ出た血を舐められる生暖かい感覚が走る。
背筋を寒気が駆け上がって来る。
ヒョンシクの言った『血を吸われる相手は性的な快楽が在る』とは本当だったな、と思う。
こんなにゆるやかに傷付け合うなら癖になるかも……と危ないことを考えてしまう。
普通、ヴァンパイアは異性を好んで襲うからヒョンシクはヴァンパイアじゃない気がする。
それに、俺が本当に信心深い人間なら、同性愛なんかしてる時点で神様には見放されてるさ。
俺たちの定義する神様が都合良く出来てるように、お前の持っていた悪魔像も都合が良いんだよ、シク。
おばけごっこ、吸血鬼ごっこに付き合うのも楽しい。
そうやって戯れながら、一緒に堕ちて行こう。
夜明け前。
未だ寝ている彼を起こさないように、最小限の明かりを付けて、机に向かう。
規則正しい呼吸音と、時計の針の音。
たまにかすれる万年筆のインクが、便箋に滲んだ。
明日の足音が、近付いてくる。夜の闇が開ける直前の、一番暗い時間。
==================
三ヶ月前
「あ!ヒョン何?何隠したの?」
ケビンがさっとしまった紙の束を、ヒョンシクは見逃さなかった。
「何でもない」
「何でもないなら俺が見てもいいでしょ」
「じゃあ、エイズ検査の結果」
「は?冗談でしょ。じゃあ見せてよ。陽性?陰性?」
「だからー、何でもないって!」
「気になる!」
ヒョンシクがひたすらケビンのバッグのを奪おうとし、部屋の中でもみ合いになる。
「マジで離せって……」
ケビンが鞄を引っ張った途端、メッセンジャーバッグのふたがヒョンシクの掴んでいる手に引っかかって空いてしまい、中身が落ちる。
——兵役通知。
「え、何?」
ヒョンシクが目をこれ以上無い位に丸くし、床に落ちた封筒を見てから、ケビンの顔を呆然と見つめた。
「嘘……でしょ?」
ケビンは何も言わなかった。
==================
自分が入隊することになり、事務所は揉めた。
メンバーとの空気も少し悪くなった。
けれど、自分には何処か、冷めた部分があった。
今の人気にしがみついて芸能活動をするよりも、若くてつぶしのきく内に入隊し、適度に芸能人の優遇も受けながら入隊生活を終え、「カムバック」するべきだと。
歌は好きだし、ダンスも好きだし、メンバーと一緒に居ることも、ファンから愛されることにも感謝している。これ以上無いくらいの幸せだと思っている。
だが、その幸せも無限ではない、と何処かで思っていた。
自分が恐ろしくリアリストだと思うときがある。
『いつか芸能界から去る日が来たら』
『いつかこのグループが解散したら』
それを考えて、MBA取得の為の勉強をしたり、経済や経営関連の本を読んだりしていた。
周りは滑稽だと言っていたけれど、そういう周囲の人間を、「現実を見ていない」と思うときもあった。
だからこれは必然の選択だ、と自分の中での論理を展開していた。
グループや芸能界に戻れるように、歌もダンスもできるだけ続けられるよう努力するし、何も悲観主義者ではない。
ただ、迷いは無かった、と言えば嘘になる。
あいつと一緒に居たい。
そう思っていた。
==================
六日前
街に出よう、とヒョンシクを誘った。
相変わらずぎこちなく、何処か拗ねた態度を取る弟は、ゆったりとしたStussyのパーカーにジーンズと少年のような格好に着替え、不貞腐れた顔で玄関にやってきた。
「もうちょっと……服無い?」
白のシャツにテーラードのジャケットを羽織った自分とのバランスがあまりにも取れないので、注意する。
着替えて来た表情のヒョンシクは、さながら貴公子だった。
カロスキルのカフェで他愛のない話をし、デパートへ移動してCDショップでCDを買い込む。たまには着るだろう、とブランドもののTシャツを買う。
ヒョンシクがたまに暗い表情を見せるので、目を輝かせたものは何でも買ってやった。
カフェのチーズケーキ。
デパートの中にあったアイスクリーム。
揃いのTシャツ。
そして、DELTAの万年筆。
手紙なんか書かないよ、とヒョンシクが断ったので、「絵を描くのにも、万年筆の筆跡は良いんだよ」と言いながら渡した。
イタリアの明るい太陽をイメージしたと言うオレンジ色の万年筆。
==================
漢江沿いを散歩しながら、二人で写真を撮った。
「間抜けだ」
撮った写真を確認して、笑う。
カメラの設定が動画撮影モードになっていた。
二人でカメラに笑いかけて固まる。
次の瞬間、あれ?フラッシュ光らないね、なんて言って、映像が乱れる。
「あ、削除しないで」
ヒョンシクがカメラを操作しようとしたので、止めた。
「保存しといて」
==================
平日夜の遊園地は、流石に男二人で来る場所じゃなかったな、と思う。
でも構わなかった。
わざと来る前に入ったカフェバーで酒を飲んでテンションを上げていたから、遊園地の他の客も職員も、若いサラリーマンの酔っ払いだと思ってくれていれば良い。
メリーゴーランドがほとんど人も乗せていない状態で、回転していた。
閉園間近の遊園地で、観覧車に乗る。
流石に此の乗り物だけは、3組の男女のカップルが順番待ちの列を作っていた。
「ベタだからてっぺんでキスとかしないでよ」
上昇して行くメリーゴーランドの骨組みを見ながら、ヒョンシクが言った。
「ムード無いなあ」
「ねえ、多分後ろのカップルの女の子の方、気付いてたよ」
「勝手に気付いてればいいよ」
「『見た見た?チューした!チューした!』って言われるんだよ」
「ヒョンシクキスの話題多過ぎ」
間。
ヒョンシクがそっぽを向いた。
「したい?」
「何が」
離れて行く街を見下ろす横顔。耳が、少し赤い。
「キス」
「したくない」
「そう?」
ちゅ、
俺は、したいよ?
と唇を離してヒョンシクの顎を掴んだまま耳元で囁く。
==================
今日が終わったら。
本当に離れ離れにならなければならない。
髪を切って。
荷物をまとめて宿舎を出て。
それから、また荷物をまとめて。
軍服を着て。
全く違う場所へ、君を置いて、行かなければならない——。
ホテルに入っても言葉は少なくて、ヒョンシクはベッドに腰掛けて顔を背けていた。
「シク、こっち向いて?」
彼の傍に立ち、肩に手を置いて振り向かせると
泣いていた。
「やだ」
顔を見られまいと背けるヒョンシク。
「だめ」
「見ないで」
「じゃあ、泣かないで」
「やだ」
振り払われても、もう一度手を伸ばす。
震える肩を、抱き締める。
「やだ……」
「なら、笑って。別にずっと離れ離れになる訳じゃない」
「分かってる!でも……」
鼻をすする音が聞こえる。
「な、笑ってよ。俺が死ぬみたいな顔しないで」
髪を撫でる。柔らかい髪の毛の感触を確かめるように何度も。
「笑えない……」
「笑って。さよならじゃないから」
大人しくなったヒョンシクがベッドの上に身を投げ出した。
シーツに縫い止めて何度も角度を変えて、顔じゅうにキスをする。
体温を確かめる。
==================
ヒョン。
ケビンヒョン。
離れたくないよ。時間が経つのが怖い。
何でヒョンはそんなに冷静なの?俺と離れるのは嫌じゃないの?
俺のことなんてどうでもいいの?
もっと、慌ててよ。動揺してよ。
冷静なふりなんてしないで。
俺のこと、好きでしょう?
激しく揺さぶられて何度も達しそうになるけれど、離れたくなくて必死でしがみつく。
終わったら、何もかもが終わってしまう気がして、涙が溢れた。
嫌だ。
終わらせないで。
もっと感じたい。
ケビンの背中へ回した指先に、力を込める。
指の跡、爪の跡を残すつもりだった。
やがて消えてなくなるとしても、その感触が数日だけでも残って、ケビンが自分を覚えていられるように。
「ヒョン……好き。大好き……大好きだよ」
「俺も好きだよ、シク」
泣きながら言うヒョンシクに、笑って、と言いながらキスをしてくれたケビン。
生理的に、終わりは来てしまう。
嫌だ、と小さく言葉を吐き、泣きながら果てた。
==================
しばらく二人で横になり取り留めの無い話をしていたけれど、ヒョンシクがたまにまどろむので、「寝ていいよ?」と言った。
「嫌だ」
「今日は否定ばっかりだな」
「寝るの勿体無いよ。朝が来るまで起きてる……」
と言いながらも、目は今にも閉じそうだった。
頭を撫でて、抱き寄せる。
「寝なさい。おやすみ」
額に口付ける。
「おやすみなさい……」
そう言いながら、目を閉じた。
ぽたり、と涙を零して。
==================
しばらく抱き締めていたけれど、深い眠りについたところを見計らって、ベッドを出た。
床に脱ぎ散らかしていたガウンを羽織って、机の前の椅子に座る。机の上に置いてあったバッグから、音を出さないようにそれを取り出した。
便箋と
万年筆。
==================
ケビンが居なくなり2日が経過した。
練習場からの帰り支度をしていたところ、ミヌに呼び止められた。
「シク、こっち」
練習室の隅にある、ベンチに座ってミヌのリュックから出てくるものを待つ。
「何?」
「これ」
スカイブルーの封筒を差し出される。
「見覚え、あるんじゃない?」
渡しとくね、と言われ、封筒を手に取った。
裏返してみたら『ヒョンシクへ』と書いてある。
「一人で読んで、って」
言ってたよ。
==================
練習室を飛び出し、屋上まで続く階段を走る。
早く読みたい。
早く封を切りたい。
何度も封の部分に指をやり、このままでは下手くそに破ってしまう、と思う。
屋上のドアを開いた。
青空。
地面に座り、服が汚れるのも構わず寝そべった。
スカイブルーの封筒に、同じ色使いの便箋。
其処に踊る、万年筆の文字。
==================
——ヒョンシクへ
ホテルの部屋から、これを書いています。
お前は気持ち良さそうに寝てます。起きたら怪獣だけど、寝てると可愛いな。
嘘です。ヒョンシクはいつも可愛い、俺の弟です。
ああ、これも嘘かな。
俺の、恋人です。照れるね。
数時間後には此処を出発して、家で荷物をまとめて、入隊です。
でも、頼むから、泣かないでください。
こう書くとお前は「泣かないよ」とか、つれないことを言うんだろうね。
お前には笑ってて欲しいです。
今日漢江で撮れた動画、にやつきながら見てるよ。変態だね。自分でも思うけど、
俺には大切なものです。
俺はちょっと離れるだけだから、メンバーを頼りにして、明るく過ごしてください。
練習はサボらないように。帰って来て一緒に歌って下手だったら殴るからな。
おかしいな、上手く言葉が見つからない。
ただ、これだけは言えます。
終わりじゃないし、さよならでもない。
悲しい気もするけど、ずっとさよならな訳じゃない。
言わなかったろう?
俺は帰ってくるし、こうして手紙も書きます。
愛してるよ。
だからずっと笑っていてください。
Kevin
==================
何度も何度も読み返す。
「キザ過ぎるよ」
独り言を言う。
青い空を背景に便箋をかざしてみた。
太陽、青空、便箋のスカイブルー、ブルーブラックのインク。
流れる涙が止まらない。
鼻がつんとして、胸が苦しい。
逢いたい、
逢いたい、
逢いたい。
もう少し泣いたら、立ち上がるから。
練習、サボらないから。
帰ったら、俺も手紙書くから。
だからもう少しだけ、貴方が居ないことに、浸らせてください。
未だ寝ている彼を起こさないように、最小限の明かりを付けて、机に向かう。
規則正しい呼吸音と、時計の針の音。
たまにかすれる万年筆のインクが、便箋に滲んだ。
明日の足音が、近付いてくる。夜の闇が開ける直前の、一番暗い時間。
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三ヶ月前
「あ!ヒョン何?何隠したの?」
ケビンがさっとしまった紙の束を、ヒョンシクは見逃さなかった。
「何でもない」
「何でもないなら俺が見てもいいでしょ」
「じゃあ、エイズ検査の結果」
「は?冗談でしょ。じゃあ見せてよ。陽性?陰性?」
「だからー、何でもないって!」
「気になる!」
ヒョンシクがひたすらケビンのバッグのを奪おうとし、部屋の中でもみ合いになる。
「マジで離せって……」
ケビンが鞄を引っ張った途端、メッセンジャーバッグのふたがヒョンシクの掴んでいる手に引っかかって空いてしまい、中身が落ちる。
——兵役通知。
「え、何?」
ヒョンシクが目をこれ以上無い位に丸くし、床に落ちた封筒を見てから、ケビンの顔を呆然と見つめた。
「嘘……でしょ?」
ケビンは何も言わなかった。
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自分が入隊することになり、事務所は揉めた。
メンバーとの空気も少し悪くなった。
けれど、自分には何処か、冷めた部分があった。
今の人気にしがみついて芸能活動をするよりも、若くてつぶしのきく内に入隊し、適度に芸能人の優遇も受けながら入隊生活を終え、「カムバック」するべきだと。
歌は好きだし、ダンスも好きだし、メンバーと一緒に居ることも、ファンから愛されることにも感謝している。これ以上無いくらいの幸せだと思っている。
だが、その幸せも無限ではない、と何処かで思っていた。
自分が恐ろしくリアリストだと思うときがある。
『いつか芸能界から去る日が来たら』
『いつかこのグループが解散したら』
それを考えて、MBA取得の為の勉強をしたり、経済や経営関連の本を読んだりしていた。
周りは滑稽だと言っていたけれど、そういう周囲の人間を、「現実を見ていない」と思うときもあった。
だからこれは必然の選択だ、と自分の中での論理を展開していた。
グループや芸能界に戻れるように、歌もダンスもできるだけ続けられるよう努力するし、何も悲観主義者ではない。
ただ、迷いは無かった、と言えば嘘になる。
あいつと一緒に居たい。
そう思っていた。
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六日前
街に出よう、とヒョンシクを誘った。
相変わらずぎこちなく、何処か拗ねた態度を取る弟は、ゆったりとしたStussyのパーカーにジーンズと少年のような格好に着替え、不貞腐れた顔で玄関にやってきた。
「もうちょっと……服無い?」
白のシャツにテーラードのジャケットを羽織った自分とのバランスがあまりにも取れないので、注意する。
着替えて来た表情のヒョンシクは、さながら貴公子だった。
カロスキルのカフェで他愛のない話をし、デパートへ移動してCDショップでCDを買い込む。たまには着るだろう、とブランドもののTシャツを買う。
ヒョンシクがたまに暗い表情を見せるので、目を輝かせたものは何でも買ってやった。
カフェのチーズケーキ。
デパートの中にあったアイスクリーム。
揃いのTシャツ。
そして、DELTAの万年筆。
手紙なんか書かないよ、とヒョンシクが断ったので、「絵を描くのにも、万年筆の筆跡は良いんだよ」と言いながら渡した。
イタリアの明るい太陽をイメージしたと言うオレンジ色の万年筆。
==================
漢江沿いを散歩しながら、二人で写真を撮った。
「間抜けだ」
撮った写真を確認して、笑う。
カメラの設定が動画撮影モードになっていた。
二人でカメラに笑いかけて固まる。
次の瞬間、あれ?フラッシュ光らないね、なんて言って、映像が乱れる。
「あ、削除しないで」
ヒョンシクがカメラを操作しようとしたので、止めた。
「保存しといて」
==================
平日夜の遊園地は、流石に男二人で来る場所じゃなかったな、と思う。
でも構わなかった。
わざと来る前に入ったカフェバーで酒を飲んでテンションを上げていたから、遊園地の他の客も職員も、若いサラリーマンの酔っ払いだと思ってくれていれば良い。
メリーゴーランドがほとんど人も乗せていない状態で、回転していた。
閉園間近の遊園地で、観覧車に乗る。
流石に此の乗り物だけは、3組の男女のカップルが順番待ちの列を作っていた。
「ベタだからてっぺんでキスとかしないでよ」
上昇して行くメリーゴーランドの骨組みを見ながら、ヒョンシクが言った。
「ムード無いなあ」
「ねえ、多分後ろのカップルの女の子の方、気付いてたよ」
「勝手に気付いてればいいよ」
「『見た見た?チューした!チューした!』って言われるんだよ」
「ヒョンシクキスの話題多過ぎ」
間。
ヒョンシクがそっぽを向いた。
「したい?」
「何が」
離れて行く街を見下ろす横顔。耳が、少し赤い。
「キス」
「したくない」
「そう?」
ちゅ、
俺は、したいよ?
と唇を離してヒョンシクの顎を掴んだまま耳元で囁く。
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今日が終わったら。
本当に離れ離れにならなければならない。
髪を切って。
荷物をまとめて宿舎を出て。
それから、また荷物をまとめて。
軍服を着て。
全く違う場所へ、君を置いて、行かなければならない——。
ホテルに入っても言葉は少なくて、ヒョンシクはベッドに腰掛けて顔を背けていた。
「シク、こっち向いて?」
彼の傍に立ち、肩に手を置いて振り向かせると
泣いていた。
「やだ」
顔を見られまいと背けるヒョンシク。
「だめ」
「見ないで」
「じゃあ、泣かないで」
「やだ」
振り払われても、もう一度手を伸ばす。
震える肩を、抱き締める。
「やだ……」
「なら、笑って。別にずっと離れ離れになる訳じゃない」
「分かってる!でも……」
鼻をすする音が聞こえる。
「な、笑ってよ。俺が死ぬみたいな顔しないで」
髪を撫でる。柔らかい髪の毛の感触を確かめるように何度も。
「笑えない……」
「笑って。さよならじゃないから」
大人しくなったヒョンシクがベッドの上に身を投げ出した。
シーツに縫い止めて何度も角度を変えて、顔じゅうにキスをする。
体温を確かめる。
==================
ヒョン。
ケビンヒョン。
離れたくないよ。時間が経つのが怖い。
何でヒョンはそんなに冷静なの?俺と離れるのは嫌じゃないの?
俺のことなんてどうでもいいの?
もっと、慌ててよ。動揺してよ。
冷静なふりなんてしないで。
俺のこと、好きでしょう?
激しく揺さぶられて何度も達しそうになるけれど、離れたくなくて必死でしがみつく。
終わったら、何もかもが終わってしまう気がして、涙が溢れた。
嫌だ。
終わらせないで。
もっと感じたい。
ケビンの背中へ回した指先に、力を込める。
指の跡、爪の跡を残すつもりだった。
やがて消えてなくなるとしても、その感触が数日だけでも残って、ケビンが自分を覚えていられるように。
「ヒョン……好き。大好き……大好きだよ」
「俺も好きだよ、シク」
泣きながら言うヒョンシクに、笑って、と言いながらキスをしてくれたケビン。
生理的に、終わりは来てしまう。
嫌だ、と小さく言葉を吐き、泣きながら果てた。
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しばらく二人で横になり取り留めの無い話をしていたけれど、ヒョンシクがたまにまどろむので、「寝ていいよ?」と言った。
「嫌だ」
「今日は否定ばっかりだな」
「寝るの勿体無いよ。朝が来るまで起きてる……」
と言いながらも、目は今にも閉じそうだった。
頭を撫でて、抱き寄せる。
「寝なさい。おやすみ」
額に口付ける。
「おやすみなさい……」
そう言いながら、目を閉じた。
ぽたり、と涙を零して。
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しばらく抱き締めていたけれど、深い眠りについたところを見計らって、ベッドを出た。
床に脱ぎ散らかしていたガウンを羽織って、机の前の椅子に座る。机の上に置いてあったバッグから、音を出さないようにそれを取り出した。
便箋と
万年筆。
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ケビンが居なくなり2日が経過した。
練習場からの帰り支度をしていたところ、ミヌに呼び止められた。
「シク、こっち」
練習室の隅にある、ベンチに座ってミヌのリュックから出てくるものを待つ。
「何?」
「これ」
スカイブルーの封筒を差し出される。
「見覚え、あるんじゃない?」
渡しとくね、と言われ、封筒を手に取った。
裏返してみたら『ヒョンシクへ』と書いてある。
「一人で読んで、って」
言ってたよ。
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練習室を飛び出し、屋上まで続く階段を走る。
早く読みたい。
早く封を切りたい。
何度も封の部分に指をやり、このままでは下手くそに破ってしまう、と思う。
屋上のドアを開いた。
青空。
地面に座り、服が汚れるのも構わず寝そべった。
スカイブルーの封筒に、同じ色使いの便箋。
其処に踊る、万年筆の文字。
==================
——ヒョンシクへ
ホテルの部屋から、これを書いています。
お前は気持ち良さそうに寝てます。起きたら怪獣だけど、寝てると可愛いな。
嘘です。ヒョンシクはいつも可愛い、俺の弟です。
ああ、これも嘘かな。
俺の、恋人です。照れるね。
数時間後には此処を出発して、家で荷物をまとめて、入隊です。
でも、頼むから、泣かないでください。
こう書くとお前は「泣かないよ」とか、つれないことを言うんだろうね。
お前には笑ってて欲しいです。
今日漢江で撮れた動画、にやつきながら見てるよ。変態だね。自分でも思うけど、
俺には大切なものです。
俺はちょっと離れるだけだから、メンバーを頼りにして、明るく過ごしてください。
練習はサボらないように。帰って来て一緒に歌って下手だったら殴るからな。
おかしいな、上手く言葉が見つからない。
ただ、これだけは言えます。
終わりじゃないし、さよならでもない。
悲しい気もするけど、ずっとさよならな訳じゃない。
言わなかったろう?
俺は帰ってくるし、こうして手紙も書きます。
愛してるよ。
だからずっと笑っていてください。
Kevin
==================
何度も何度も読み返す。
「キザ過ぎるよ」
独り言を言う。
青い空を背景に便箋をかざしてみた。
太陽、青空、便箋のスカイブルー、ブルーブラックのインク。
流れる涙が止まらない。
鼻がつんとして、胸が苦しい。
逢いたい、
逢いたい、
逢いたい。
もう少し泣いたら、立ち上がるから。
練習、サボらないから。
帰ったら、俺も手紙書くから。
だからもう少しだけ、貴方が居ないことに、浸らせてください。
それまで腹が減っただのアイスは無いのかだの何だのと、キッチンに入ってくるなり大騒ぎし、冷蔵庫を開けたり閉めたりして五月蝿かったヒョンシクが急に大人しくなった。
キムチチゲを作ろうと鍋を掻き混ぜていた手を止めて振り返ると、ヒョンシクが目を擦っている。
「どうした?」
菜箸を置いて、ヒョンシクの方へ行く。
擦っては手を離し、ぎゅっと目を瞑って瞼を閉じたり開いたり。
顔を覗き込むとまた目を擦った。
「何か、ゴミ入ったみたい」
細かく瞬きをして、ねえ見える?なんて言っている。見える訳が無い。その鬱陶しい前髪が陰になって邪魔をしている。
「前髪のせいじゃない?」
そっと触れて、額を撫でるように髪をかきあげる。
「かなあ」
「多分」
ヒョンシクの伸びた前髪は中途半端に眼球の半分くらいの位置まであって、それがちくちくと目の周りに触れて不快なのだろうと思う。
「そういや、切ってなかったや」
いつもワックスでがっちがちに固めるからわかんなくなっちゃうんだよね、と笑う。
「切ってやろうか?」
と言うとヒョンシクは、えー、と言った。
「出来るの?」
「手先は器用だよ」
「やったことなさそう」
「あるさ」
「いつ?」
「オーストラリアに居たときは、妹の髪の毛切ってやってた」
「妹さん……反応は?」
「2日くらい口きいてくれなかったかな」
「やだ!絶対やだ!」
ヒョンシクを椅子に座らせ、周囲に新聞紙を引くついでに頭から無理やり真ん中に穴を開けた新聞紙をかぶらせる。
「ちょ、簡易過ぎるでしょこれ!もうちょっとガウンとかケープとか無いの?」
「無い」
鍋が煮込む時間が暇なので、髪を切ってやることにした。俺が決めた。
「やだ、怖い、絶対失敗しそう」
「大人しくしてれば悪くしないから」
「……その台詞ヤダ」
自分の髪を整えるために持っているハサミとコームを持って来て、ヒョンシクに向き合う。
ハサミを前に大人しくなったヒョンシクが咄嗟に目を瞑った。ぎゅっと顔の真ん中に皺が寄り、正直、不細工。
「ほら、あんま目瞑ると今度はバランス取れないから。一回目開けて」
前髪をつまみ、毛の流れを整えながら言う。コームと指先で触れて、つむじから前髪の流れを作る。いつもヘアメイクがやっていてくれた感覚を思い出しながら。
「ちょっと直すだけだから。取り敢えず眉にかかるくらい?」
下手に直して担当から二人まとめて叱られるのも嫌だったので、本当に修正程度。2ミリ位を切り揃える感覚で行かないと、素人は平気で2センチ3センチ切ってしまう。
妹の髪を切ってあげていた頃も、しょっちゅう切り過ぎて「こんなイメージじゃなかったのに」と言われていたっけ。
元気かな。
目の前の弟を見て少し思い出す。
無条件に懐いてくるヒョンシクは、弟そのものだった。
だから、こうして世話を焼きたくなる。他のメンバーよりも、ずっと。
慎重にハサミを入れる。顔と手を近付けて、コームで切る場所の目安をはかりながら、ハサミで前髪を梳いて行く。
ヒョンシクは少し緊張した顔で目を閉じ、大人しくしていた。目をつむっているが、時折コームや手が顔に触れたり、切り落とした前髪の細かいくずが顔に乗るたびに、頬やこめかみ、口元をぴくぴくと動かしていた。
それでもすっかり身を委ねている格好。
目を閉じたまま。気付いてないのだろうが、唇が少し突き出されている。
ちょっと—エロい。
「終わった?」
目を閉じたままのヒョンシクに尋ねられる。
「あ、まだ」
我に返って、応える。自分の髪に触れてくる手が止まったので、ヒョンシクは終わったと思ったらしい。
「早くーってか、もういいよー」
美容院やメイク室ならまだしも、切られている自分の髪型が見られなくて不安なのか、ヒョンシクがまだ終わらないのかとじたばたし始めた。
「だめ、あとちょっと調整」
危ない。変な気持ちになるところだった。
洗面台のところにあったクァンヒのメイク道具からブラシを奪い、その毛で顔にかかった毛を払う。
くすぐったいのかヒョンシクがふふ、と笑った。
「終わったよ」
ついでに奪って来た大きめの四角い鏡をヒョンシクに差し出す。ヒョンシクはそれを見ながら、まるで女子のように前髪をつまんでは流し、つまんでは流していた。
「凄い。すっきりした」
若干不安もあったせいか、整えられた前髪を見て満足したヒョンシクが凄い、凄いと言っている。
「ヒョンやっぱり器用だね」
「まあね」
「ありがと!ナメててごめんね!」
ヒョンシクが抱きついた瞬間、床に少し落ちていた髪が舞い上がった。
==================
ヒチョル「っていうバカップルリビングに居て飯食えないんだけどどう思う?」
テホン「さあ?」
キムチチゲを作ろうと鍋を掻き混ぜていた手を止めて振り返ると、ヒョンシクが目を擦っている。
「どうした?」
菜箸を置いて、ヒョンシクの方へ行く。
擦っては手を離し、ぎゅっと目を瞑って瞼を閉じたり開いたり。
顔を覗き込むとまた目を擦った。
「何か、ゴミ入ったみたい」
細かく瞬きをして、ねえ見える?なんて言っている。見える訳が無い。その鬱陶しい前髪が陰になって邪魔をしている。
「前髪のせいじゃない?」
そっと触れて、額を撫でるように髪をかきあげる。
「かなあ」
「多分」
ヒョンシクの伸びた前髪は中途半端に眼球の半分くらいの位置まであって、それがちくちくと目の周りに触れて不快なのだろうと思う。
「そういや、切ってなかったや」
いつもワックスでがっちがちに固めるからわかんなくなっちゃうんだよね、と笑う。
「切ってやろうか?」
と言うとヒョンシクは、えー、と言った。
「出来るの?」
「手先は器用だよ」
「やったことなさそう」
「あるさ」
「いつ?」
「オーストラリアに居たときは、妹の髪の毛切ってやってた」
「妹さん……反応は?」
「2日くらい口きいてくれなかったかな」
「やだ!絶対やだ!」
ヒョンシクを椅子に座らせ、周囲に新聞紙を引くついでに頭から無理やり真ん中に穴を開けた新聞紙をかぶらせる。
「ちょ、簡易過ぎるでしょこれ!もうちょっとガウンとかケープとか無いの?」
「無い」
鍋が煮込む時間が暇なので、髪を切ってやることにした。俺が決めた。
「やだ、怖い、絶対失敗しそう」
「大人しくしてれば悪くしないから」
「……その台詞ヤダ」
自分の髪を整えるために持っているハサミとコームを持って来て、ヒョンシクに向き合う。
ハサミを前に大人しくなったヒョンシクが咄嗟に目を瞑った。ぎゅっと顔の真ん中に皺が寄り、正直、不細工。
「ほら、あんま目瞑ると今度はバランス取れないから。一回目開けて」
前髪をつまみ、毛の流れを整えながら言う。コームと指先で触れて、つむじから前髪の流れを作る。いつもヘアメイクがやっていてくれた感覚を思い出しながら。
「ちょっと直すだけだから。取り敢えず眉にかかるくらい?」
下手に直して担当から二人まとめて叱られるのも嫌だったので、本当に修正程度。2ミリ位を切り揃える感覚で行かないと、素人は平気で2センチ3センチ切ってしまう。
妹の髪を切ってあげていた頃も、しょっちゅう切り過ぎて「こんなイメージじゃなかったのに」と言われていたっけ。
元気かな。
目の前の弟を見て少し思い出す。
無条件に懐いてくるヒョンシクは、弟そのものだった。
だから、こうして世話を焼きたくなる。他のメンバーよりも、ずっと。
慎重にハサミを入れる。顔と手を近付けて、コームで切る場所の目安をはかりながら、ハサミで前髪を梳いて行く。
ヒョンシクは少し緊張した顔で目を閉じ、大人しくしていた。目をつむっているが、時折コームや手が顔に触れたり、切り落とした前髪の細かいくずが顔に乗るたびに、頬やこめかみ、口元をぴくぴくと動かしていた。
それでもすっかり身を委ねている格好。
目を閉じたまま。気付いてないのだろうが、唇が少し突き出されている。
ちょっと—エロい。
「終わった?」
目を閉じたままのヒョンシクに尋ねられる。
「あ、まだ」
我に返って、応える。自分の髪に触れてくる手が止まったので、ヒョンシクは終わったと思ったらしい。
「早くーってか、もういいよー」
美容院やメイク室ならまだしも、切られている自分の髪型が見られなくて不安なのか、ヒョンシクがまだ終わらないのかとじたばたし始めた。
「だめ、あとちょっと調整」
危ない。変な気持ちになるところだった。
洗面台のところにあったクァンヒのメイク道具からブラシを奪い、その毛で顔にかかった毛を払う。
くすぐったいのかヒョンシクがふふ、と笑った。
「終わったよ」
ついでに奪って来た大きめの四角い鏡をヒョンシクに差し出す。ヒョンシクはそれを見ながら、まるで女子のように前髪をつまんでは流し、つまんでは流していた。
「凄い。すっきりした」
若干不安もあったせいか、整えられた前髪を見て満足したヒョンシクが凄い、凄いと言っている。
「ヒョンやっぱり器用だね」
「まあね」
「ありがと!ナメててごめんね!」
ヒョンシクが抱きついた瞬間、床に少し落ちていた髪が舞い上がった。
==================
ヒチョル「っていうバカップルリビングに居て飯食えないんだけどどう思う?」
テホン「さあ?」
雨が降る日曜日の朝。
リビングのテーブルで向かい合い、彼が課題に取り組むのをテーブルに肘を付いて見ている。
うーん、とか、あれ?とか言いながら英作文の作成中。
電子辞書を開いたり閉じたりしながら、ペンを走らせている。
「ヒョン、英語教えて」
一週間前、寝ようと思ってシーツを直していたらヒョンシクが声をかけてきた。
本だけでも1キロはあるんじゃないかという分厚い参考書を両手で抱えている。
「良いよ。ちょっとその本見せて」
ヒョンシクから本を受け取ると、ずっしりと見た目通りの重さを手で感じる。
ぱらぱらとページをめくってみるが、TOEIC対策用の過去問集で、こんなの余程の勉強オタクでない限りやる気がしないだろう、という気がした。
ネイティブの話者だって、文法は誤るしTOEICで満点が取れる訳じゃない。
英語を勉強する、と言っても、目的によってアプローチが違う。それとも彼はTOEICを受験してハイスコアを獲得したいのだろうか?
「これやりたいの?」
パタン、と本を閉じてケビンは視線を上に上げた。年下だが、背の高い少年。
「教わるのに、何かテキストあった方が良いかなって」
「それは分かるけど、でも初めからこれだとキツいよ多分。てゆうか、飽きる」
何か考えとくさ、そう言って本をヒョンシクへ返した。
次の日から、ケビンとヒョンシクのマンツーマンレッスンが始まった。
初めに、約束事を決めた。
覚えたいのはネイティブの発音と日常会話だから、ターゲットはそこに絞ること。
「学習用」の教材は使わないこと。
開始時間は朝で、どちらかが起きて来なかったら蹴り倒すこと。
月曜日から初めて、今日は日曜日。
毎日ちゃんと続けられている。
熱心に取り組むヒョンシクに、こいつって意外とガッツあるんだな、と思っていた。
「できた!はい!」
満面の笑みで、レポート用紙を一枚こちらによこして来た。
今日の課題は「洋楽の曲を1曲レビューする」。
ケビンはボールペンで所々二重線や黒丸で訂正の入る提出課題をテーブルに置き、赤ペンを回しながらじっくりと見やった。
Taylor SwiftのMineを題材に、
"I love Taylor Swift and think this song is fantastic... "と始まるレビュー。
スペルミスと冠詞の間違いをまずチェックして、その後に文章の内容自体のレビュー。
50語くらいの作文だったが、取り組み姿勢は評価できる。2日前に「行きたい国」という課題で書いたときは、もっと拙くて作文が苦手な小学生の文章のようだった。"I wanna go to Austria. I wanna watch koalas.' 云々、以上。というレベルだったのに。
が。
「もうちょっと何で彼女なのか、みたいなの書いてあるといいんだけどね」
「え、どのへん?」
そう言って自分の解答用紙を覗き込み、ケビンの顔を見つめる。
「全体的に。これだとTaylorの曲じゃなくても通じちゃうでしょ。もっとMineのどの部分、とかTaylorの特徴とかでレビューする曲が特定できる書き方にした方が良い」
おお、先生っぽい。
ヒョンシクは講師のアドバイスに納得した。
「字数稼ぎたいなら歌詞引用したら良いし。歌詞写すのだって、表現学ぶなら大切だよ」
「え、それせこい」
「せこくない。よくある。だって例えば『Friday Saturday Sundayというフレーズの繰り返しが耳に残る』って書くだろ」
「ああ!」
一々納得して、素直にリアクションを返してくる弟。
添削されて行く文章をとケビンの手元を熱心に見ている。
ケビンは何となく、今回はSavage Gardenで来るんじゃないのか、と思っていた。
ちょいちょいオーストラリアネタを挟もうとして来る、可愛い弟。
どんな理由にせよ、語学を伸ばそうと頑張る人は好きだ。
「よし、完成。とんでもない間違いは無いし、文法は問題ないかな」
レポート用紙の上下をひっくり返し、ヒョンシクへ渡す。貰った答案をヒョンシクは見て、あーここはa付けなきゃだめなんだなー、と独り言を言う。
「いったん休憩しよう。Want some tea?」
「Please!」
マグカップを二つ持ってリビングに戻ると、ヒョンシクは朝の光を受けながら、テーブルに突っ伏して少しうとうとしていた。最近少し暗くした茶髪にカーテン越しの日光が当たり、明るく見える。
「Here.」
頭の傍にカップを置く。
「Thank you.」
言いながら起き上がり頭を数回左右に振った。
「昨日遅かったのに頑張ったじゃん」
いつも、ケビンの方が早起き。ヒョンシクは体力も無いし寝起きも悪い方で、仕事が遅いといつも朝は苦手だった。
「蹴り飛ばされるのやだもん」
カップに口を近づけて紅茶を飲む。
「確かに」
変なルールを作ったものだ。
「でも、何でそんな頑張るんだ?しかも英語?」
日本語とか、中国語とかじゃなくて。
「だって……」
ちょっと躊躇いを見せたヒョンシクの顔を覗き込む。
「だって、ヒョンと話すなら、俺が強くなるでしょ」
「ん?」
出ました四次元。
いや、だからね、という感じでヒョンシクが慌てる。
「ヒョンは、英語生活長かったでしょ」
「うん」
「未だちょっと韓国語慣れてないときあるでしょ」
「まあ」
「ね、だから韓国語で喧嘩したら俺が強いんだよ」
「そうか?」
ちょっと突飛な論理展開だとは思うし、其処に気付けている時点で、ヒョンシクと韓国語で喧嘩しても既に勝てる気がするのだが。
「強いんです」
「はあ」
「でね、思ったんだよね。逆パターンだったら俺負けるなって」
「そこ?」
「でしょ。それにこの間……ケビニャの友達とか紹介されたときだって、二人はばーって英語で喋ってるしさ。そういうとき、俺たまにハブだよ」
ヒョンシクが言っているのは、2週間位前にオーストラリアから旧友が遊びに来ていて、自分とヒョンシク、それからシワンの4人で食事をしていたときの話だろう。
「ならそのダチからしたら俺ら話してたらハブじゃん」
ほら、ヒョンシクの論理矛盾くらいなら、俺は優位に立てる。
「うー。だからね」
ヒョンシクがカップを置く。
「その、何だっけ、Jesse?あの人ヒョンのこと変な目で見てたし!」
「は?」
変な目で見てるのはお前だろ。
「すげー触るし!お尻とかがっちり揉まれてたじゃん」
「や、あいつそういう趣味無いし」
外国人ならではのコミュニケーションだよ。
「ヒョンずっとニコニコしてたし」
「してないよ」
「してました」
「してません」
延々と続きそうだな。ケビンは先ほどから呆気に取られてマグカップを持ったまま固定していた腕を下ろした。
「とにかくあれで俺は、英語喋れなきゃって思ったんだ」
「はあ」
「ヒョンのフィールドになったとき、完全アウェイなんだよ。シワンヒョンとかはちょっと喋れるけど、俺だったら全然分かんないしさ」
成程ね。
弟が突然英語をやりたいと言い出したきっかけを理解する。
四次元の世界の住人の言葉を意訳すると、
相手のホームの言葉を使う=立場が下に回る
の論理なのだとは思う。
自分の場合、韓国人のアイデンティティもあるが、英語圏の人間だというアイデンティティもあって、しかも幼少期をオーストラリアで過ごした分、どちらかと言えば何かを考えるときは英語で考えている。
ついでに先ほどまでの後半部分を意訳すると
「自分の分からない言葉で話をされると、途端にのけ者にされた感じになる」
だと思う。これもまあ、分からないでもない。
ただ、Jesseは本当にノンケだ。寧ろガールフレンドが常に複数居るような奴だよ……。
「ヒョンシク、あんまり教えたくないけど、言葉を覚えるのにとっておきの方法あるの、知ってる?」
「え、何何!教えて!」
どうしよっかな。
「え、教えてって!」
身を乗り出して来たヒョンシクの顎を捉える。
テーブル越しに、キス。
「外国人の恋人を作ること」
実際本当なのだ。
大抵の恋愛には会話が必要。話題も必要。
話が続かないなら、相手の二人の関係はすれ違ってしまう。
相手のフィールドに立ち続けるため=会話を続けるために、言葉を覚え話し方を覚えるんだ。
唇を離して、目を見つめる。
見開かれる、丸い瞳。一重のまぶた。小さい頭。
可愛い、可愛い外国人。異次元人。
朝の光を浴びながら、皆が起きてくる前にもう少しだけキスをする。
リビングのテーブルで向かい合い、彼が課題に取り組むのをテーブルに肘を付いて見ている。
うーん、とか、あれ?とか言いながら英作文の作成中。
電子辞書を開いたり閉じたりしながら、ペンを走らせている。
「ヒョン、英語教えて」
一週間前、寝ようと思ってシーツを直していたらヒョンシクが声をかけてきた。
本だけでも1キロはあるんじゃないかという分厚い参考書を両手で抱えている。
「良いよ。ちょっとその本見せて」
ヒョンシクから本を受け取ると、ずっしりと見た目通りの重さを手で感じる。
ぱらぱらとページをめくってみるが、TOEIC対策用の過去問集で、こんなの余程の勉強オタクでない限りやる気がしないだろう、という気がした。
ネイティブの話者だって、文法は誤るしTOEICで満点が取れる訳じゃない。
英語を勉強する、と言っても、目的によってアプローチが違う。それとも彼はTOEICを受験してハイスコアを獲得したいのだろうか?
「これやりたいの?」
パタン、と本を閉じてケビンは視線を上に上げた。年下だが、背の高い少年。
「教わるのに、何かテキストあった方が良いかなって」
「それは分かるけど、でも初めからこれだとキツいよ多分。てゆうか、飽きる」
何か考えとくさ、そう言って本をヒョンシクへ返した。
次の日から、ケビンとヒョンシクのマンツーマンレッスンが始まった。
初めに、約束事を決めた。
覚えたいのはネイティブの発音と日常会話だから、ターゲットはそこに絞ること。
「学習用」の教材は使わないこと。
開始時間は朝で、どちらかが起きて来なかったら蹴り倒すこと。
月曜日から初めて、今日は日曜日。
毎日ちゃんと続けられている。
熱心に取り組むヒョンシクに、こいつって意外とガッツあるんだな、と思っていた。
「できた!はい!」
満面の笑みで、レポート用紙を一枚こちらによこして来た。
今日の課題は「洋楽の曲を1曲レビューする」。
ケビンはボールペンで所々二重線や黒丸で訂正の入る提出課題をテーブルに置き、赤ペンを回しながらじっくりと見やった。
Taylor SwiftのMineを題材に、
"I love Taylor Swift and think this song is fantastic... "と始まるレビュー。
スペルミスと冠詞の間違いをまずチェックして、その後に文章の内容自体のレビュー。
50語くらいの作文だったが、取り組み姿勢は評価できる。2日前に「行きたい国」という課題で書いたときは、もっと拙くて作文が苦手な小学生の文章のようだった。"I wanna go to Austria. I wanna watch koalas.' 云々、以上。というレベルだったのに。
が。
「もうちょっと何で彼女なのか、みたいなの書いてあるといいんだけどね」
「え、どのへん?」
そう言って自分の解答用紙を覗き込み、ケビンの顔を見つめる。
「全体的に。これだとTaylorの曲じゃなくても通じちゃうでしょ。もっとMineのどの部分、とかTaylorの特徴とかでレビューする曲が特定できる書き方にした方が良い」
おお、先生っぽい。
ヒョンシクは講師のアドバイスに納得した。
「字数稼ぎたいなら歌詞引用したら良いし。歌詞写すのだって、表現学ぶなら大切だよ」
「え、それせこい」
「せこくない。よくある。だって例えば『Friday Saturday Sundayというフレーズの繰り返しが耳に残る』って書くだろ」
「ああ!」
一々納得して、素直にリアクションを返してくる弟。
添削されて行く文章をとケビンの手元を熱心に見ている。
ケビンは何となく、今回はSavage Gardenで来るんじゃないのか、と思っていた。
ちょいちょいオーストラリアネタを挟もうとして来る、可愛い弟。
どんな理由にせよ、語学を伸ばそうと頑張る人は好きだ。
「よし、完成。とんでもない間違いは無いし、文法は問題ないかな」
レポート用紙の上下をひっくり返し、ヒョンシクへ渡す。貰った答案をヒョンシクは見て、あーここはa付けなきゃだめなんだなー、と独り言を言う。
「いったん休憩しよう。Want some tea?」
「Please!」
マグカップを二つ持ってリビングに戻ると、ヒョンシクは朝の光を受けながら、テーブルに突っ伏して少しうとうとしていた。最近少し暗くした茶髪にカーテン越しの日光が当たり、明るく見える。
「Here.」
頭の傍にカップを置く。
「Thank you.」
言いながら起き上がり頭を数回左右に振った。
「昨日遅かったのに頑張ったじゃん」
いつも、ケビンの方が早起き。ヒョンシクは体力も無いし寝起きも悪い方で、仕事が遅いといつも朝は苦手だった。
「蹴り飛ばされるのやだもん」
カップに口を近づけて紅茶を飲む。
「確かに」
変なルールを作ったものだ。
「でも、何でそんな頑張るんだ?しかも英語?」
日本語とか、中国語とかじゃなくて。
「だって……」
ちょっと躊躇いを見せたヒョンシクの顔を覗き込む。
「だって、ヒョンと話すなら、俺が強くなるでしょ」
「ん?」
出ました四次元。
いや、だからね、という感じでヒョンシクが慌てる。
「ヒョンは、英語生活長かったでしょ」
「うん」
「未だちょっと韓国語慣れてないときあるでしょ」
「まあ」
「ね、だから韓国語で喧嘩したら俺が強いんだよ」
「そうか?」
ちょっと突飛な論理展開だとは思うし、其処に気付けている時点で、ヒョンシクと韓国語で喧嘩しても既に勝てる気がするのだが。
「強いんです」
「はあ」
「でね、思ったんだよね。逆パターンだったら俺負けるなって」
「そこ?」
「でしょ。それにこの間……ケビニャの友達とか紹介されたときだって、二人はばーって英語で喋ってるしさ。そういうとき、俺たまにハブだよ」
ヒョンシクが言っているのは、2週間位前にオーストラリアから旧友が遊びに来ていて、自分とヒョンシク、それからシワンの4人で食事をしていたときの話だろう。
「ならそのダチからしたら俺ら話してたらハブじゃん」
ほら、ヒョンシクの論理矛盾くらいなら、俺は優位に立てる。
「うー。だからね」
ヒョンシクがカップを置く。
「その、何だっけ、Jesse?あの人ヒョンのこと変な目で見てたし!」
「は?」
変な目で見てるのはお前だろ。
「すげー触るし!お尻とかがっちり揉まれてたじゃん」
「や、あいつそういう趣味無いし」
外国人ならではのコミュニケーションだよ。
「ヒョンずっとニコニコしてたし」
「してないよ」
「してました」
「してません」
延々と続きそうだな。ケビンは先ほどから呆気に取られてマグカップを持ったまま固定していた腕を下ろした。
「とにかくあれで俺は、英語喋れなきゃって思ったんだ」
「はあ」
「ヒョンのフィールドになったとき、完全アウェイなんだよ。シワンヒョンとかはちょっと喋れるけど、俺だったら全然分かんないしさ」
成程ね。
弟が突然英語をやりたいと言い出したきっかけを理解する。
四次元の世界の住人の言葉を意訳すると、
相手のホームの言葉を使う=立場が下に回る
の論理なのだとは思う。
自分の場合、韓国人のアイデンティティもあるが、英語圏の人間だというアイデンティティもあって、しかも幼少期をオーストラリアで過ごした分、どちらかと言えば何かを考えるときは英語で考えている。
ついでに先ほどまでの後半部分を意訳すると
「自分の分からない言葉で話をされると、途端にのけ者にされた感じになる」
だと思う。これもまあ、分からないでもない。
ただ、Jesseは本当にノンケだ。寧ろガールフレンドが常に複数居るような奴だよ……。
「ヒョンシク、あんまり教えたくないけど、言葉を覚えるのにとっておきの方法あるの、知ってる?」
「え、何何!教えて!」
どうしよっかな。
「え、教えてって!」
身を乗り出して来たヒョンシクの顎を捉える。
テーブル越しに、キス。
「外国人の恋人を作ること」
実際本当なのだ。
大抵の恋愛には会話が必要。話題も必要。
話が続かないなら、相手の二人の関係はすれ違ってしまう。
相手のフィールドに立ち続けるため=会話を続けるために、言葉を覚え話し方を覚えるんだ。
唇を離して、目を見つめる。
見開かれる、丸い瞳。一重のまぶた。小さい頭。
可愛い、可愛い外国人。異次元人。
朝の光を浴びながら、皆が起きてくる前にもう少しだけキスをする。
11:20 p.m.
つまらない言い争いをしてしまった、と思う。
きっとどうでもいいことで俺が絡んだと思っているんだ。
あんな言い方することなかったのに。
あんな言い方しなくても良いのに。
「放っておいてくれ」なんて。
「勝手にすれば」なんて。
自分の面倒が見られない自分が嫌で、八つ当たりしたようなものなのに。
今まで散々無理させたから倒れたんじゃないかって、心配してたのに。
寄りかかりたい。でも、甘えるなんてできないし心配をかけたくない。
頼ってくれてもいいのに。信じてほしいのに。
=========================
11:30 p.m.
「上手く行かないもんだな」
ケビンは宿舎のベッドへ仰向けに寝転がり、腕を組んで伸びをした。
部屋には、誰も居ない。
10:00 p.m.
練習には復帰したものの、「病み上がりだから」と腫れ物に触るようにされ決して良くはない空気のままダンスを踊った。そして、曲の間のハイタッチで、ヒョンシクと妙なズレがあった。
ヒョンシクが曲を止め、もう一回やりましょうと言い出した。
普段、例えダンスがずれようと誰かが間違えようと通しで踊り続けるのが練習なのに、今日は違った。
ヒョンシクは、もう一回だけ、と何処か泣きそうな目で訴えていた。
=========================
11:30 p.m.
「俺って全然頼りないですか?」
ヒョンシクは、リビングのテーブルに顎を乗せ、腕を重力のまま下に垂らし、だらしのない姿勢で座っていた。目の前に座ったジュニョンに話しかけた。
「ああ」
「え」
「嘘」
「あ、はい」
会話が途切れる。
「頼もしくはないけど……」
手元の雑誌から目線を外し、ヒョンシクに向き直ったジュニョンが右手を伸ばす。
ぽん、とその伸ばした手を相変わらずの姿勢のヒョンシクの頭に置く。
ヒョンシクが目だけをジュニョンの右手に向けた。
「何だかんだで、気遣ってくれてる」
だから、ありがとな、と軽く頭をはたいた。
「うっ……」
「うわ、何だよ泣くなよ」
「泣いてません……」
そう言って、テーブルに顔を伏せるヒョンシク。
「顔に跡つくぞー」
=========================
11:00 p.m.
ヒョンシクは、帰り際ケビンを引き止めた。
「ヒョン、今日の」
話そうと思うのに、ケビンが目を合わせない。苛立っているように見える横顔は、険しい。
不審に思って、思わず手を掴んでこちらを向かせた。
「今日さ」
「何?」
きっ、と眉毛を動かしてヒョンシクへ向き合った顔は、やはり険しいまま。
「本調子じゃなかったでしょ」
鋭い目付きに負けそうになりながら、声を絞り出す。
「だから、何?」
言葉、行動、どれも何か冷たくて、体温の低い感じ。いつもの優しくて温和なケビンじゃない、と思う。
「無理したら……」
「また倒れるとか言いたい?でも、無理しなきゃ次はまたお前かミヌが倒れそうで」
「だったら、一個一個のフリが雑になっても仕方ないって言うの?」
まくしたてるケビンに、ヒョンシクはやっとの思いで言葉を被せた。
「ダンスは流れだ。ミュージカルだってそうだろ」
離してくれ、と手を払われる。
「見せ場なのに!」
ヒョンシクは、あのパートを大切に思っていた。頼もしい兄貴が、手をぐっと差し出し、年下の自分が手を合わせる。観客の視線は絶対に二人に向けられる。アイドルっぽいし、最初にフリを教えられ練習したときは照れて仕方が無かったけれど、今は大好きな部分なのだ。あの一瞬で、ケビンが自分や全員を引き連れて、より高いところへ連れて行ってくれそうな気になる。後のダンスに続けるモチベーション維持のためにも、楽しみで、いつだって笑顔で力強くやりたいのに。
「こだわり過ぎだ」
「ヒョン、変!無理して仕事して、ダンスも歌も空っぽになっちゃってる」
空っぽ——それを聞いたときに、核心をつかれた気がして、ケビンの頭に血が上った。
「……ほっといてくれよ。でなきゃ誰が頑張るんだよ」
「皆がだよ!何でほっとけなんて言うの。心配してるんだよ」
「頼んでないし、お前だって自分の心配してろよ。笑顔引きつってたぞ」
「あ、そう!じゃあもう良いよ!勝手にすれば!」
=========================
11:50 p.m.
コンコンコン。
部屋のドアがノックされ、ケビンは眠りに入ろうとしていた思考を現実に戻した。
「ヒョン?話したい。いい?」
入って良い、とは言っていないのに、ヒョンシクが扉を開けて入って来た。
いつだってそうだ。ノックはするけれど、相手の意思は確認しない。するりと扉を開けて、入って来てしまう、そういう存在。
「何……」
「ヒョンが、心配なんだ……」
「……」
ヒョンシクは、ベッドの傍に立って、ケビンの顔を覗き込むようにした。
暗い部屋で、お互い目が慣れておらず表情がうまく見えない。
「心配なら、寝かせてくれよ」
「……したいんだ」
は?
「話したいんだ」
ああ、こいつ、泣いた後でぼそぼそ喋るせいで言葉詰まったのか。焦らせるなあ。
「支離滅裂だよ、何?」
ヒョンシクのヒョンシクっぷりに、ちょっと笑ってしまい、ケビンは寝転がっていた体勢から、ヒョンシクを見上げるようベッドに腰掛ける格好になった。
「倒れたでしょう。覚えてないかもしれないけど、あれ凄く焦ったんだ」
「……」
「無理させてたんじゃないかって、不安で……俺も落ちたし、居ないことも多くて」
「別に無理なんかしてない」
「してた!」
「してないよ」
「そうやって、全部抱え込んで、慣れっこになってるんだ」
「抱え込んでないって」
「本気でダメになる前に言ってよ。アラート無しで突然落ちたりしないで……」
ヒョンシクの声がか細くなる。記憶はとぎれとぎれにしかないが、どうやら自分が倒れたあの事件は、弟達—つまり全員—に相当な心的負担になってしまったらしいことは容易に理解できた。
だが、ここで疑問はあった。
ヒョンシクの言葉は有難い、のだけど。
「言ったら、何かしてくれる?」
瞳がかち合う。
「え……」
「シクは、何をしてくれるの?」
暗さに瞳が慣れて、ヒョンシクの表情が分かる。眉毛を八の字にして、目が真っ赤。鼻と頬も少し赤くなっていて、唇は危うく開いている。舞台で見る精悍な表情とは全然違う、素の表情。
何もできないよ、と言われたと思ったら、座ったまま抱き締められていた。
「ごめんね。頼りなくてごめん。いつも迷惑かけてばっかりだ……」
肩越しに、そう呟かれる。
腕ごと抱き締められているせいで、手が上手く回せない。ケビンは少し体を動かして、ヒョンシクの脇の下から、その背中へと腕を回した。
「迷惑だなんて思ってない。心配してくれてありがとう」
泣き虫の背中をさすってあげると、肩口でふっと安堵したような呼吸が聞こえた。
「八つ当たりだった。ごめん。何か焦ってたよ」
「ううん、俺も余計なこと言った……」
言い争いは、正直言ってヒョンシクの言うことが正しかったと思う。余計なことではなく適切な意見だ、とケビンは思った。
「いや、いいんだ……それより」
キスがしたい。
体を一瞬離し、泣いてぐしゃぐしゃになったおでこにまず口づけてから、唇を重ねる。
頬から滑り落ちた涙が混じって、キスがしょっぱい。
ヒョンシクは中腰の不安定な体勢だったところから、口づけが深くなるタイミングで、ベッドの淵に腰掛けてケビンの首に腕を回し、その腕に力を込めながら自分の体をシーツへ倒した。自分に相手を引き寄せて誘う格好で、なおもキスを続ける。
「ここで体力使うべきじゃないんだけどな……」
自嘲混じりでケビンが呟く。
「明日二人で怒られよう」
ストイックな割に、そのストイックさは一貫性が無くて、抗い難い欲求に対しては素直に負けてしまう。
また、弟の無邪気で無防備な泣き落としにも弱い。
自分もまだまだだな、と頭の片隅で考える。
倒れた後初めて、自分が誰かに寄り掛かりたかったんだと気付いた。
そしてそれは誰でもなくヒョンシクだったと。
優しいケビンが戻って来た、と思う。
やっぱりさっきの練習までのケビンは余裕がひとかけらも無くて、ずっと焦っていた。年下が心配するなんて、とまたそこを気に病む人だから、どうやって伝えるか、どうやったら休んで貰えるかがたまに分からなくなる。
キスや、その先のことで、気が晴れるなら。
自分は何だって差し出せる。
おやすみ。怖い夢を見ないように。
つまらない言い争いをしてしまった、と思う。
きっとどうでもいいことで俺が絡んだと思っているんだ。
あんな言い方することなかったのに。
あんな言い方しなくても良いのに。
「放っておいてくれ」なんて。
「勝手にすれば」なんて。
自分の面倒が見られない自分が嫌で、八つ当たりしたようなものなのに。
今まで散々無理させたから倒れたんじゃないかって、心配してたのに。
寄りかかりたい。でも、甘えるなんてできないし心配をかけたくない。
頼ってくれてもいいのに。信じてほしいのに。
=========================
11:30 p.m.
「上手く行かないもんだな」
ケビンは宿舎のベッドへ仰向けに寝転がり、腕を組んで伸びをした。
部屋には、誰も居ない。
10:00 p.m.
練習には復帰したものの、「病み上がりだから」と腫れ物に触るようにされ決して良くはない空気のままダンスを踊った。そして、曲の間のハイタッチで、ヒョンシクと妙なズレがあった。
ヒョンシクが曲を止め、もう一回やりましょうと言い出した。
普段、例えダンスがずれようと誰かが間違えようと通しで踊り続けるのが練習なのに、今日は違った。
ヒョンシクは、もう一回だけ、と何処か泣きそうな目で訴えていた。
=========================
11:30 p.m.
「俺って全然頼りないですか?」
ヒョンシクは、リビングのテーブルに顎を乗せ、腕を重力のまま下に垂らし、だらしのない姿勢で座っていた。目の前に座ったジュニョンに話しかけた。
「ああ」
「え」
「嘘」
「あ、はい」
会話が途切れる。
「頼もしくはないけど……」
手元の雑誌から目線を外し、ヒョンシクに向き直ったジュニョンが右手を伸ばす。
ぽん、とその伸ばした手を相変わらずの姿勢のヒョンシクの頭に置く。
ヒョンシクが目だけをジュニョンの右手に向けた。
「何だかんだで、気遣ってくれてる」
だから、ありがとな、と軽く頭をはたいた。
「うっ……」
「うわ、何だよ泣くなよ」
「泣いてません……」
そう言って、テーブルに顔を伏せるヒョンシク。
「顔に跡つくぞー」
=========================
11:00 p.m.
ヒョンシクは、帰り際ケビンを引き止めた。
「ヒョン、今日の」
話そうと思うのに、ケビンが目を合わせない。苛立っているように見える横顔は、険しい。
不審に思って、思わず手を掴んでこちらを向かせた。
「今日さ」
「何?」
きっ、と眉毛を動かしてヒョンシクへ向き合った顔は、やはり険しいまま。
「本調子じゃなかったでしょ」
鋭い目付きに負けそうになりながら、声を絞り出す。
「だから、何?」
言葉、行動、どれも何か冷たくて、体温の低い感じ。いつもの優しくて温和なケビンじゃない、と思う。
「無理したら……」
「また倒れるとか言いたい?でも、無理しなきゃ次はまたお前かミヌが倒れそうで」
「だったら、一個一個のフリが雑になっても仕方ないって言うの?」
まくしたてるケビンに、ヒョンシクはやっとの思いで言葉を被せた。
「ダンスは流れだ。ミュージカルだってそうだろ」
離してくれ、と手を払われる。
「見せ場なのに!」
ヒョンシクは、あのパートを大切に思っていた。頼もしい兄貴が、手をぐっと差し出し、年下の自分が手を合わせる。観客の視線は絶対に二人に向けられる。アイドルっぽいし、最初にフリを教えられ練習したときは照れて仕方が無かったけれど、今は大好きな部分なのだ。あの一瞬で、ケビンが自分や全員を引き連れて、より高いところへ連れて行ってくれそうな気になる。後のダンスに続けるモチベーション維持のためにも、楽しみで、いつだって笑顔で力強くやりたいのに。
「こだわり過ぎだ」
「ヒョン、変!無理して仕事して、ダンスも歌も空っぽになっちゃってる」
空っぽ——それを聞いたときに、核心をつかれた気がして、ケビンの頭に血が上った。
「……ほっといてくれよ。でなきゃ誰が頑張るんだよ」
「皆がだよ!何でほっとけなんて言うの。心配してるんだよ」
「頼んでないし、お前だって自分の心配してろよ。笑顔引きつってたぞ」
「あ、そう!じゃあもう良いよ!勝手にすれば!」
=========================
11:50 p.m.
コンコンコン。
部屋のドアがノックされ、ケビンは眠りに入ろうとしていた思考を現実に戻した。
「ヒョン?話したい。いい?」
入って良い、とは言っていないのに、ヒョンシクが扉を開けて入って来た。
いつだってそうだ。ノックはするけれど、相手の意思は確認しない。するりと扉を開けて、入って来てしまう、そういう存在。
「何……」
「ヒョンが、心配なんだ……」
「……」
ヒョンシクは、ベッドの傍に立って、ケビンの顔を覗き込むようにした。
暗い部屋で、お互い目が慣れておらず表情がうまく見えない。
「心配なら、寝かせてくれよ」
「……したいんだ」
は?
「話したいんだ」
ああ、こいつ、泣いた後でぼそぼそ喋るせいで言葉詰まったのか。焦らせるなあ。
「支離滅裂だよ、何?」
ヒョンシクのヒョンシクっぷりに、ちょっと笑ってしまい、ケビンは寝転がっていた体勢から、ヒョンシクを見上げるようベッドに腰掛ける格好になった。
「倒れたでしょう。覚えてないかもしれないけど、あれ凄く焦ったんだ」
「……」
「無理させてたんじゃないかって、不安で……俺も落ちたし、居ないことも多くて」
「別に無理なんかしてない」
「してた!」
「してないよ」
「そうやって、全部抱え込んで、慣れっこになってるんだ」
「抱え込んでないって」
「本気でダメになる前に言ってよ。アラート無しで突然落ちたりしないで……」
ヒョンシクの声がか細くなる。記憶はとぎれとぎれにしかないが、どうやら自分が倒れたあの事件は、弟達—つまり全員—に相当な心的負担になってしまったらしいことは容易に理解できた。
だが、ここで疑問はあった。
ヒョンシクの言葉は有難い、のだけど。
「言ったら、何かしてくれる?」
瞳がかち合う。
「え……」
「シクは、何をしてくれるの?」
暗さに瞳が慣れて、ヒョンシクの表情が分かる。眉毛を八の字にして、目が真っ赤。鼻と頬も少し赤くなっていて、唇は危うく開いている。舞台で見る精悍な表情とは全然違う、素の表情。
何もできないよ、と言われたと思ったら、座ったまま抱き締められていた。
「ごめんね。頼りなくてごめん。いつも迷惑かけてばっかりだ……」
肩越しに、そう呟かれる。
腕ごと抱き締められているせいで、手が上手く回せない。ケビンは少し体を動かして、ヒョンシクの脇の下から、その背中へと腕を回した。
「迷惑だなんて思ってない。心配してくれてありがとう」
泣き虫の背中をさすってあげると、肩口でふっと安堵したような呼吸が聞こえた。
「八つ当たりだった。ごめん。何か焦ってたよ」
「ううん、俺も余計なこと言った……」
言い争いは、正直言ってヒョンシクの言うことが正しかったと思う。余計なことではなく適切な意見だ、とケビンは思った。
「いや、いいんだ……それより」
キスがしたい。
体を一瞬離し、泣いてぐしゃぐしゃになったおでこにまず口づけてから、唇を重ねる。
頬から滑り落ちた涙が混じって、キスがしょっぱい。
ヒョンシクは中腰の不安定な体勢だったところから、口づけが深くなるタイミングで、ベッドの淵に腰掛けてケビンの首に腕を回し、その腕に力を込めながら自分の体をシーツへ倒した。自分に相手を引き寄せて誘う格好で、なおもキスを続ける。
「ここで体力使うべきじゃないんだけどな……」
自嘲混じりでケビンが呟く。
「明日二人で怒られよう」
ストイックな割に、そのストイックさは一貫性が無くて、抗い難い欲求に対しては素直に負けてしまう。
また、弟の無邪気で無防備な泣き落としにも弱い。
自分もまだまだだな、と頭の片隅で考える。
倒れた後初めて、自分が誰かに寄り掛かりたかったんだと気付いた。
そしてそれは誰でもなくヒョンシクだったと。
優しいケビンが戻って来た、と思う。
やっぱりさっきの練習までのケビンは余裕がひとかけらも無くて、ずっと焦っていた。年下が心配するなんて、とまたそこを気に病む人だから、どうやって伝えるか、どうやったら休んで貰えるかがたまに分からなくなる。
キスや、その先のことで、気が晴れるなら。
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はまうず美恵
HP:
性別:
女性
職業:
吟遊詩人
趣味:
アート
自己紹介:
ハミエことはまうず美恵です。
当Blogは恋愛小説家はまうず美恵の小説中心サイトです。
某帝国の二次創作同人を取り扱っています。
女性向け表現を含むサイトですので、興味のない方意味のわからない方は入室をご遠慮下さい。
尚、二次創作に関しては各関係者をはじめ実在する国家、人物、団体、歴史、宗教等とは一切関係ありません。
また 、これら侮辱する意図もありません。
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