まもなく、「BoAちゃんファンの福岡のラテフリーク」の死去に伴う葬儀を、しめやかに執り行いたいと思います。司会はわたくし、「BoAちゃんファン“だった”福岡のラテフリーク」です。あ、受け付けはあちらです。
ご香典ですね。ありがとうございます。ちょうど鳥取への旅費が必要でして。
こちらもご香典ですね。ちょうどPCへの出費がございまして。
お金の話はこれぐらいで。
「葬儀」と申しましても、決して悲しいイベントではございません。キレイさっぱりとBoAちゃんから足を洗うための儀式ではありますが、何を言ってもこれまで長い間楽しい思いをさせてもらったBoA様のことを回顧し、感謝の心を忘れないこと。そして、BoA様を通じてこれまでわたくしめに素晴らしい時間を提供してくれたBoA友の皆様にも厚く御礼申し上げること。
それから、僕とはBoAちゃんファンとしてのつながりがなくなってしまう皆様にはしっかりお別れを言う儀式にするつもりですが、湿っぽくはしたくありません。僕なりの照れ隠しです。
それでは、葬儀を開始させていただきます。皆様、ご起立お願いします。
合掌…。
お直りください。
では、ご参列の皆様でご唱和願います。踊っていただいても結構です。
♪〜 今以上の気持ちを届けたくて 私の言葉で 誰か一人は解ってくれるはずだから Let do me it my way!
(−中略−)
チカチカチュー 涙はいらないよ〜 うぉう うぉ〜いぇ〜
踊っていただいた皆さん、お直りください。
ご着席願います。
それでは、「BoAちゃんファンの福岡のラテフリーク」がこれまで、どのようなBoAちゃんファンであったかを振り返ります。
2001年9月のある日でございました。アメリカ同時多発テロがあって世界に衝撃が走ったり、あるいは個人的には当時かなり応援していたハロプロの松浦亜弥ちゃんのシングル『LOVE涙色』が、初のTOP3入りして喜んでいたり。そんな2001年の9月。福岡のFM局・CROSS FMの大人気番組であった「北野CLUB」を聴いておりました。もちろん、ナビゲートはGODことJKこと北野順一さん。
すると、何やら今夜は「ぼあ」というゲストが来るらしい(表記も何もわかんない)。当時の「北野CLUB」は北九州市小倉北区の本社スタジオではなく、東京都内のスタジオから回線をつないでの生放送でした。これは北野さんがTOKYO FMやJ-WAVEで番組を持っていたからです。ですから、毎回のように東京送りの「北野CLUB」はかなり豪華なゲストが出ていましたよね。
「こんばんわー ぼあでーす。」 こんなかわいい声が聞こえてまいりました。何々?女の子なの? まだ14歳!? でもなんで14歳にしてこんなおぼつかない喋り方なの??
それがまず第一の感想。当時は、J-POPシーンに韓国人が殴り込むなんてことは考えられなかった時代だったんです。ですからそんな韓国人の小さい女の子が一人で、日本の音楽界で頑張ろうとしているという!!なんじゃ? この子すごくない?? そう思ったわけです。
これが最初のBoAちゃんとの出会いですよね〜。でも厳密にはそれが最初の出会いじゃなかったのです。
あの、このあいだまで2001年製のPCを急きょ使ってたじゃないですか。まさにそのPCで初めて「インターネット」というものが実家に整いましたけれども、ちょうどそれがBoAちゃんが「北野CLUB」にゲストで出たころだったんですね。ですから、インターネットを使って大規模な調べ物をしたのは僕にとってはBoAちゃんのことが最初かな。
調べてみると、2001年春ごろに、キリンの紅茶のCMに出てたらしいと。そうです。「アッカンb〜」のやつです。動画サイト行けばそのCM見られると思いますが、まだまだ幼いBoAちゃんが「あっかんびぃ〜」とか言ってイヤホンを鼻の穴に挿したりするCM。そのCM、当時すごく気になってたんですよ。「誰じゃこの奇行している女の子は?」と(笑)。それが、独りでJ-POPシーンに飛び込んできた幼き歌姫・BoAの姿でした。
その後、彼女が出る歌番組は欠かさず見るようになりました。CDはレンタルでしたが…。最初のCROSS FM「北野CLUB」ではシングル『Amazing Kiss』並びに『気持はつたわる』のプロモーションで出ていたかと記憶しているんですけど、ランキングは「まぁ、こんな感じなのかな〜」って感じで見てました。がしかし、翌2002年の年明けに、BoAちゃんはすごいことになっちゃいました。
シングル『LISTEN TO MY HEART』がなんとTOP5入り!! あの髪を乾かしているPVが各音楽番組で「この子は何なんだ?」と紹介され、その春に発売になった同名アルバム『LISTEN TO MY HEART』はなんとなんと1位を獲得! 「おいおい、どこまでこの韓国人少女は行ってしまうのか!?」と、当時大学生の僕は度肝を抜かされたのです。
その後は出す曲は全てヒット。出したアルバムは全て1位。あどけなかった韓国人少女は、短期間で日本でトップパフォーマーの仲間入りをしたのです。折しも2002年は日韓共催サッカーワールドカップの年。本当に当時のサッカー、そしてBoAちゃんの盛り上がりはすごかったですなぁ。もちろんNHK紅白歌合戦にも初出場し、2007年まで5年連続出場を果たしました。
そして忘れてならないのが、2002年前半に始まった、JFN制作「BoA Beat It BoA's World」というレギュラーラジオ番組の存在です。
この番組の存在、ファンを自負していながら2002年9月まで気づきませんでした。2002年4月改編からキッチリ始まった番組ではなかったからです。それに最初はネット局も少なかったのです。もちろんFM福岡は論外でネットしてません。JFN制作番組で頼りにしているFM佐賀でも当初はネットされていませんでした。ネット局のうち受信の期待が持てるのは、FM中九州(現・FMクマモト)、FM大分の2局。ただ当時はFM遠距離受信の設備が整っておらず、カーラジオ頼みでしたね。
車で福岡県春日市内の、とあるFM大分が受信できるポイントにわざわざ行って、この番組を聴いていたのを思い出します。確か初めて聴けたのは2002年10月で、シングル『JEWEL SONG』を初解禁しま〜すなんて言ってたなぁ〜。懐かしいです。このFM大分での放送は毎週木曜日の夜でしたので、木曜日の夜は毎週出かけてましたね。
2003年4月。満を持してFM佐賀でもこの番組のネットが開始されました。これで毎週出かけなくても家でBoAちゃんの番組が聴けるようになりました。確かこの頃がこの番組のネット局が一番多かった頃ですかね。FM福岡は論外でしたが。このことで、「BoA Beat It BoA's World」の番組ホームページにあったBBSに顔を出すようになりました。ハンドルネームは「那珂川(なかがわ)のラテフリーク」でした。あのBBSは楽しかったっすね〜。1日5・6回書き込んだ日もありました。何しろ、「何故か聴きたいのに聴けない」っていう不満の書き込みに応えられる放送マニアは、僕ぐらいしか居ませんでしたので(笑)。
その番組BBSの流れで、「私立BoA応援団」というファンサイトを知ったのは2003年暮れです。ここで知り合った今でも親交のあるBoA友さんはたくさんいらっしゃいまして。僕のBoAちゃんファンとしての誇りを一層強くしたキッカケにもなりました。もちろん、ここでも「Beat It BoA's Worldが聴きたい!!」というサイトの掲示板への書き込みに、放送マニアなりのアドバイスをし続けました。結果、発言者ランキング上位に食い込み、それなりに名の知れたBoAちゃんファンとしてたくさんの皆さんに認知してもらっておりました。この頃が最もたくさんのBoA友さんと触れ合えていたような気がしますね、今考えると。
2004年3月。僕は無料掲示板を借り、初めてインターネット上で日記風に思うことなどを書き始めました。その中のコンテンツの一つとして、BoAちゃんの番組「Beat It BoA's World」を文字に書き起こしてアップするということをしていました。これが予想以上に反響が大きく、先ほど書いた「私立BoA応援団」のメンバーの中でも評判になりました。番組を聴けないエリアのファンのアクセスが多かったみたいです。
今でもブログではその当時の文字起こしを読むことが出来るんですけど、あれ、結構な作業だったんですよね。1回の書き起こしに2時間近くかかっていたような気がします。その文字起こしは2005年1月まで続けました。
2005年4月。僕はようやく自分の目でBoAちゃんのパフォーマンスを見ることになりました。その年の最初にリリースして大ヒットをした1枚目のベストアルバム「BEST OF SOUL」をひっさげての全国ツアー。マリンメッセ福岡でした。夢にまで見た生のBoAちゃん。それだけでも感動するところですが…。ハプニングが。
ファンの間では有名な話で、ライブDVDにも刻銘に記録されていることですが、このマリンメッセ福岡のステージ裏でBoAちゃんは転倒し足をかなり痛めてしまいました。自分で歩くことすら出来ない状態に。主催者側は「途中で中止」も検討したそうですが、本人の強い希望でライブを強制続行。最後は他のダンサーに肩を抱えられてステージ上を移動したり、足を痛々しく引きずりながら登場したり。最後は感極まって涙を流すシーンもありました。
このプロ根性。18歳にしてこの姿勢。これを見せられたら…たまったもんじゃないです。すごい歌手だと実感しました。おそらく今後、18歳の女性をあそこまで「尊敬の対象」として見るということは、まずないでしょうね〜。
この福岡での後もBoAちゃんはツアーは強行し、またその翌年の2006年ぐらいまでは足のケガを押してのパフォーマンスが続いたように感じますね。
2008年前半のBoAちゃんは、日本で最大級の全国ツアーを行い、これまで開催したことのない場所で続々とライブを行いました。これまで福岡で行われるライブしか見ていませんでしたが、この時は広島厚生年金会館でのライブを見に行きました。(有料)ライブの遠征というのはこれが初めての体験であり、同一アーティストの同一ツアーを2会場(福岡と合わせて)見るのもこれが初めてとなりましたね。
2008年後半。BoAちゃんはアメリカに進出することを発表し、日本での活動が激減します。毎年のように出ていたNHK紅白歌合戦もこの年で連続出場が途切れてしまいました。「そのうち帰ってくるのだから」と、寂しい心に言い聞かせる日々が続きました。
そんな中、そのあたりから何となく違和感を感じるようになってたかもしれない。上手く言葉や文字では言い表せないけど、「え? 僕はどうしたらいいの?」と思う機会があったような。いくらアメリカで発表する曲について他のファンの方が「カッコイイ!」と絶賛している裏で、「んんん?」という気持ちがあったのは確固たる事実。
BoAちゃんにしてみれば、デビュー時から続けてきた「進化」を、やめずに続けているだけなのかもしれない。でも僕はそれについていけなかったですね。置いてけぼりだったような感じは、否めないです。周りのファンの皆さんと比べても。本当に今年2009年に入ってからは、実は、必死に自分を「説得」しながら無理矢理ファンを続けていた感じがしています。
「こんだけ長くファンやってきたんでしょ? 今さら引けないよ」
「BoAちゃんが前みたいにアジアで輝くまで、待ってないとダメでしょうが」
その時は決してそんな気はなかったけど、今冷静に思えば、そんなふうに無理してたような気がする。
さらには、さっき書いたような僕自身は「んんん?」と思った曲が、BoAちゃんの今・そしてこれからやっていきたい曲調ならば。絶対に僕には合わないと思ったのです。僕がなぜ彼女を好きになったからって、「J-POPを一生懸命歌うBoAちゃん」に感銘を受けて2001年にファンになったのだから。その時代の曲調のを僕自身は期待して待っていたつもりなのですが、おそらくこれからのBoAちゃんは経験を生かし、アメリカナイズされたような曲を好んでやっていきそうです。でも、そのBoAちゃんは、僕の好きなBoAちゃんではないのです。
「僕の見たいBoAちゃん」と、「BoAちゃん本人のやりたい方向」が全く違ってきている。。。。
それは、ただ単に「嫌いになった」だとか、「飽きた」だとか。そんな易々とした理由とは全く違う、ファンとしての地位を根幹から揺るがす問題。
抵抗しても、無駄である・・・。そう気づいたのはこのあいだ、9月12日。なので、「BoAちゃんファンとしての福岡のラテフリーク」は、2009年9月12日が命日です。息を引き取りました。
以上が、ファンとしてのあらましでございました。
ご焼香おねがいします。
ありがとうございます。
棺桶に花を。
ありがとうございます。
では、出棺いたします。
ご参列の皆様は、一同ご唱和ください。では、出棺です。
♪ 好きな映画のように人は 生きられないと知っているから 誰も恋に落ちるたびに 自分だけの物語求めすぎてしまうでしょう
(−中略−)
僕に君は かけがえのない コノヨノシルシ〜
以上、葬儀を終了いたします。
今夜はたくさんの皆様のご参列、ありがとうございました。BoAちゃんのファンとしての福岡のラテフリークは浮かばれましたが、BoAちゃんのこれからはきっと明るい未来が待っているはず。「進化」を続けてくれるはずでございます。今日ご参列いただいた皆様。進化していくBoAちゃんをどうか、見守ってあげてください。
それでは、どちらさまも、お気をつけてお帰りください。これまでお付き合いいただいた皆様、本当にありがとうございました。
▲きょうの気温
屋外最高:32.0℃
屋外最低:19.0℃
室内最高:31.9℃
室内最低:25.5℃
〓福岡のラテフリーク〓
良い報告を待ってますよ〜。BoAちゃんの歌唱力はもちろん、ダンスを生で見ちゃうとすごいことになると思います。
BoAちゃんのライブが心おきなく見に行けるためにも、サクラ咲く春になれば良いですね。
受かったらBoAチャンのライヴって決めてるんですが……なかなか大変です(・・;)
まだライヴ未参加……(T-T)
合格の報告ができるよう頑張らねばp(^-^)q
そうなんですか〜『Winter Love』。名曲ですね〜。何だか、むしろそのあたりからファンだという方と意見を交わしたことがありませんので(周囲は古株ばかりでしたからね)、ちょっと新鮮だったりしますね。
受験生ですか! 僕も大学の時ですが、勉強が大変な時やっていた、勉強に集中できるコツをお教えします。BoAちゃんの曲を、普通に聞こえる音量ではなく、聞こえるか聞こえないかぐらいの音量でかけるんですね。そうすると、大好きなBoAちゃんに肩入れするほどではなく、「ふ〜」と一息つくとBoAちゃんの歌声で癒される…的な?(笑) 僕はよくそれをやってましたね。
勉強の息抜きには、この“「福岡のラテフリーク」のブログ”をよろしくお願いします。^^
ただ、私は現在受験生でBoAチャンのことを考えるヒマがない故、ラテフリークさんのような考えにいたらないだけかもです。私が醒める前に、昔のような彼女に……ってムリですかね(;´д`)
他の記事も読ませてもらいますねー☆
初めまして。ようこそお越しくださいました。
あれですかね、「BoAカテゴリー」だけお気に入りに入れている感じでしょうか? できれば、毎回トップの記事もよろしくお願いします。(^^;
まぁ〜、そうですね〜。僕の個人的な感覚ではございますが、ここ数年のうちにBoAちゃんファンになった皆さんのほうが、この一連のアジア活動の手薄さに耐えきれるんじゃないかな〜なんて思いますね。僕みたいな(悪い意味での、変な)こだわりがないぶん。
月並みな言葉かもしれませんが、亡くなられた「BoAちゃんファンの福岡のラテフリーク」のぶんまで応援してあげてください。死んだ者は生き返ることはないと思います。
>じゅんじゅんさん
やはり読んでなかったですか。確かに僕も携帯でここを見たことはありますが、携帯だと普通にメールを送るようなイメージでコメント書くことになるんだな〜とは思ったことあります。ですから、携帯の方ほどじっくり読んでからコメントするようにしてもらいたいと、ずっと思っていたんですよ。
それから、僕はじゅんじゅんさんだけにこれらブログを書いているわけではございません。ちゃんと記事を読んでから、その文面の中で僕に訴えたいことがあったら、その記事の内容に沿ったコメントを書き込むものなのです。これは僕以外の方が書かれているブログにも言えることですから、粗相は僕の所だけにしておいてください。
よかったですね。誤りを指摘してくれる人がいて。
昨年あたりからこのブログ(BoAチャンのみですが)を見させていただいていました。
そろそろ更新されているのでは??と思い、訪ねたら、予感的中。が、その内容はとても悲しいものでした。
最初はなぜ!?と思いましたが、読み進めると、あなたは本当に『J.POP歌手としてのBoA』を愛しているんだなぁと感じました。私もアメリカの曲はアメリカで、日本ではJ-POPを歌うべきでは??と思っていました。アメリカで日本の曲は歌いませんしね。言い方は悪いですが、アメリカの片手間状態では、日本のファンはついては来ないでしょう。韓国でも然りだと思いますが…
それでも、あえて私はBoAチャンを応援し続けようと思います。なぜなら私に歌の感動を初めて教えてくれたのが彼女の歌声だったからです。もう一度あのような歌を聴きたい。確かに彼女は変わってゆくかもしれません。それでも彼女を信じようと思います。
長文失礼しましたm(__)m
P.S.
『BoAちゃんファンとしてのラテフリーク』さんはもう生き返ることはないのですか??
よく読んでくれてますか? 僕の8年間のBoAちゃんへの想いを熱く書いた記事ですからね。もっと感想が欲しかったです。あまりふざけると怒りますよ。8年間すっと応援した人は居ますか?
あ、それから昨日は1300アクセスあったんですけど、それでも僕は「書きたいことがあったら書く」という自分勝手更新の決まりは変えません。間違っても「今日も1300人も待ってるから」…なんて思って記事は書きませんからね。
ただ、コメントをいただいたらちゃんとレス返します。