中国よりも広大な日本のEEZ、その理由とは

早くから海洋領土拡張に没頭し、膨大な資源を確保
1895年、尖閣諸島…日清戦争に勝利し、領土編入
水産物工場を建て、実効支配…中国と領土争いで対抗
1896年、南鳥島…広さ1.51平方キロの無人島一つで国土より広いEEZを確保
滑走路を建設し、自衛隊が駐屯

 日本の排他的経済水域(EEZ)の面積は447万平方キロに達し、領土面積が25倍も大きい中国のEEZ(387万平方キロ)よりも広い。およそ100年前から展開してきた海洋領土確保戦略のおかげで、日本は石油を代替すると期待を集めているメタンハイドレートや希土類(レアアース)、マンガンなど膨大な海底資源を確保した。日本が海洋領土を大幅に広げることができた秘密は、他国より先に無人島の軍事的・経済的価値を把握したからだ。19世紀末、韓国が鎖国か開国かで論争を繰り広げていたころ、日本は必死に無人島を自国領に編入していた。

 その代表例が、日本最東端の領土となる南鳥島。ここは日本本土から1800キロも離れた、南太平洋の絶海の孤島だ。ペリー提督率いる米国艦隊によって1853年に開国した日本は、明治維新を経て、無人島の重要性に気付き、争奪戦に乗り出した。日本政府は1896年、南鳥島に開拓団を派遣し、98年に自国領だと宣言した。標高9メートル、面積1.51平方キロ(約46万坪)に過ぎない島だが、この島を保有することで、国土面積(38万平方キロ)よりも広い43万平方キロのEEZを確保した。

 日本は、南鳥島に滑走路を建設し、自衛隊を駐屯させている。領有権論争を遮断するため、実効支配を強化する目的があると分析されている。日本が最南端の島だと主張するサンゴ礁の沖ノ鳥島の場合、1922年に測量船を送り、31年に自国領編入を一方的に宣言した。領有権強化の目的で、早くも39年には観測施設の工事に入った。ここは、満潮時にはほとんど水面下に隠れるが、日本は自国領だとして周囲の海域42万平方キロをEEZだと宣言し、その外の海域も自国の大陸棚だと主張している。

 東京から1000キロ離れた小笠原諸島も、1876年に同様の経緯で日本領に編入された。この地域は、米国の捕鯨船など船舶の食糧調達基地としての役割を果たし、ハワイの住民たちが移住して暮らしていた。このため小笠原諸島では、英語が混じった独特の日本語を使用する。

 中国との間で領有権をめぐる争いが起きている尖閣諸島の場合、清日戦争で勝利を収めた後、1895年に自国領に編入した。領土編入の前後に、やはり開拓団を送り、水産物加工工場を建てるなど、実効支配を強化した。

 これに先立ち1879年、日本は沖縄にあった琉球国を併合した。琉球国は、1429年に建国された独立国だった。尖閣諸島は、沖縄本島から410キロ離れており、中国からは330キロの距離にある。また台湾と石垣島からは、それぞれ170キロ離れている。中国は、尖閣諸島とは「釣魚島」で、明代の1403年から各種の文献に登場するなど、自国領であることを証明する歴史的飼料が十分にあるという立場を取っている。

 東京のある外交消息筋は「中国や韓国に海洋領土という概念がなかった19世紀末から、日本は無人島を次々と自国領に編入し、膨大な海洋資源を確保した。日本は、独島(日本名:竹島)の領有権を主張するなど、依然として海洋領土拡張に熱心だ」と語った。

東京=車学峰(チャ・ハクポン)特派員
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