・物質的成長
韓国全人口の82%程度が農業に直接的に依存して生計を維持している。耕作地は1912年1060万エーカー(約42897平方km)から1923年にはほぼ1500万エーカー(約60704平方km)まで増えた(1年間に同じ土地で二つ以上の作物を耕作した場合は、その地域はそれぞれの作物別に計算された)。
同じ期間農作物の生産高は4億3500万円から11億6900万円まで増えた。このような増加は多くの部分が農民たちの状況を改善するために政府が取った措置によるものだった。これらの措置には多様な農業資金貸付機構構成、荒蕪地開墾、灌漑施設建設、農業方式改善、そして新しい農産業導入などが含まれるだろう。
政府の始めての措置と関連して1921年には未償還農家貸出総額が500万円未満だったが1923年には1億3400万円以上に増加し、この増加額のほとんどが農業発展のための色々な種類の投資を反映している事実は注目に値する。あたらしい農産業を導入した例えとして養蚕業を挙げることが出来る。1910年韓国の養蚕生産品の総価値は40万円にしかならなかったが1923年にはほぼ2600万円まで増加した。
農業と密接に連関しているのが林業である。既存の朝鮮(※)の法は山林の保存にはほとんど無関心だった。その結果日韓併合当時、焚き木と建築用の木材が深刻なほど不足していた。さらに問題だったのは木が消えた山の腰(※山腹)が雨季に降る暴雨をこれ以上吸収できないというものだった。
(※)ハングル版では基本的に「KOREA」を「韓国」と訳していますがなぜかここは「朝鮮」でした。「過去の・・」という部分を強調するためか、それともただのミスなのかはわかりません。
よって毎年深刻な洪水が発生、土地の自然的な水分供給は減っていった。いち早く1907年日本統監部は韓国政府に造林事業を施行するよう勧め、1911年総督部は新しい林業規定を発表した。同じ年、総督は植木日(※植樹祭)を制定した。韓国の山林を復旧するために併合以来1億本以上の苗木が植えられた。政府はさらに進み、林業組合を奨励した。1925年350個の組合が構成され全体会員の数は100万人にも及んだ。
政府はまた韓国の漁業発展にも関心を示した。漁業方式や水産物保存及び包装方式改善のための措置が取られた。1912年と1921年の間漁獲量の価値は800万円から4500万円に、鮮魚輸出額は13万8000円から700万円以上に、輸出した加工水産物の価値は200万円未満から1100万円以上にそれぞれ増加した。
鉱業分野での生産高の価値は1912年約700万円から1921年には1500万円以上に増えた。主な金属と鉱物の中で金の生産量はすこし減った反面、他の物ははっきりと増加した。
石炭は50万円から300万円を少し超える程度に増加し、鉄鉱石は15万600円からほぼ200万円に、銑鉄は生産が皆無な状態から500万円に、精鉱は27万5000円からほぼ500万円水準までそれぞれ増加した。
(表)---------------------------------------------------
商業、製造業、銀行業の10年間の成長(単位の基準は1000円)
------------------------------------1912年-------1921年-
海上輸出-----------------------------20,985------207,280--
陸上輸出-------------------------------356☆-----10,996--
海上輸入-----------------------------67,115------205,210--
陸上輸入-------------------------------467☆-----27,171--
総貿易量-----------------------------88,101------450,658--
会社法人の納入資本金-----------------103,720----1,083,551--
工場生産品の価値---------------------29,362------166,414--
工場に雇用された韓国人の数------------14,974-------40,418--
工場に雇用された日本人の数-------------2,291--------6,330--
商業と製造業発展のための政府支出-------2,932--------8,797--
銀行預金(※本文では「預置金」)----------27,837------171,891--
手形交換所の取引額--------------------98,488------852,053--
---(☆は1913年の数値)--------------------------------------
製造業の場合、旧韓国政府の下で通商や産業発展が深刻に阻害されていたことが判る。これは通貨制度の慨嘆すべき状況、安逸で腐敗した法治、開発という普遍的問題と多様な産業分野での科学的研究に基づく恵沢に対する政府の関心不足などが原因だ。それぞれの問題について総督部は広範囲な改革を断行した。その結果は上の表で確認できることだろう。
・政府
1910年10月13日朝鮮総督部官制が日本帝国皇帝の勅令によって公布された。規定によって総督官房と五つの部署が設置され、それぞれ総務部、内務部、度支部、司法部、農商工部と指定された。政府行政を維持するために多くの日本官吏が任命された。この中には韓国の状況や韓国語について詳しい人はほとんどいなかったため、行政当局はたとえ完全な行政組織が構成され統治が実施されているとしても韓国の特殊な状況に適合した組織を作るためには時宜適切な行政組織改変が必要だということを経験で解るようになった。毎年多様な改革が導入されたが3・1独立運動の勃発と鎮圧の後、海軍大将サイトウマコト男爵が総督に任命された1919年になってやっと日本皇帝の勅令によって全般的な行政改変のために用意された数々の計画が実行に移された。新しい計画を通じて解決すべき問題を見ると朝鮮総督部官制が最初に施行後の9年間で露呈した行政組織の問題の本質を当局が明確に認識していたことがわかる。総督部が新しい官制を改変しながら追求しようとした公式的な目標は次のようだ。
1・日本人官吏と韓国人官吏間の差別撤廃
2・法と規則の簡素化
3・国家事業の即刻的な処理
4・地方分権政策
5・地方組織改善
6・韓国の固有な文化及び慣習を尊重
7・言論、会合、出版の自由
8・教育拡大と産業発展
9・警察組織再編成
10・医療、衛生機構拡大
11・国民指導
12・人的才能開発
13・日本人と韓国人の間の友好的関係
1919年9月10日韓国の人々に発表した布告文でサイトウ総督は次のように宣言した。
「本職は配下の官吏を監督し、彼らがもっと公明正大に業務を遂行するためにより一層努力を傾注し、すべての形式的手順を省略することで国民の便宜を増進し、国民の望みが妨害されること無く達成されるよう奨励しよう。韓国人の任命と処遇に対して十分に考慮し、立派な人材を適材適所に配置させ、朝鮮の制度と慣習の中で価値のあるものは統治の手段として採択する。本人はまた治政活動の多様な分野にて改革を導入し、適切な時に地方自治を施行しそれを通じて国民の安全を保障し全般的な福利を増進させることを切に願っている。政府の統治を受ける国民がお互い胸襟を露にして朝鮮の文明進歩のためにともに努力し、開化政府の土台を固くして皇帝陛下の慈悲深い関心に応答することこそが一番望ましいことである。不当に不純な言葉や行動で民心を混乱させ治安維持を邪魔する者が発見されたらそれが誰だろうと容赦なく法の審判を受けるであろう。一般国民はこのすべての事項に対し全的に信頼しても良いだろう。」
この本の行政パートを読んでいる読者ならサイトウ総督が約束を守ったことがわかるだろう。彼は公正で確実に寛容を持って統治し、韓国国民の文化と経済的利益を大事にするという自分の約束を守った。官制改変で施行されたさらに大事な行政措置として次の例を挙げられる。憲兵隊を廃止し、有罪が立証された犯罪者を道具で打つ韓国の古くからの慣習のテヒョン(笞刑)を廃止したこと、政府内高位職に任命される韓国人の数を増やし主に韓国人を諮問委員会に任命または選出したこと、地方行政の多くの部分を地方当局に委任し、それによって地方政府官吏の教育に寄与したこと、農、商、工業への援助と発展を奨励するため多くの基金を支出したこと、教育支出の著しい増加で朝鮮の人々が日本本土と同一な総合的教育を朝鮮でも受けられるようになったこと。
先に述べた内容の一部と韓国の全般的な発展状況をあらわすいくつかの事項を次の表で見られる。これは統計的にも立証されていることだ。
1918年はサイトウ総督赴任前、1921年はサイトウ総督赴任2年経過時。
-(表)多様な行政目標に使用された総督部支出予算---
(単位基準は1,000円。1円は50セントにあたる)
------------------1918年----1921年----増加(%)
地方行政----------4,440-----10,133------128
医療及び衛生-------730------1,883------157
教育--------------2,196------6,100------180
産業発展----------3,573------8,798------146
公共産業----------7,341-----15,329------108
-------------------------------------------
-(表)地方政府及び他の公共団体の多様な分野での支出予算
------------------1918年----1921年-----増加(%)
医療及び衛生--------782-----1,723------120
教育---------------4,897----19,382------287
産業発展-----------2,139-----5,411------153
公共事業-----------3,210----11,953------272
福祉及び慈善--------194-------383-------97
--------------------------------------------
表に使われた用語のことだが、「地方行政」はそれぞれの道、府、郡に位置している総督部の地方行政事務所を意味する。「公共事業」は道路建設、橋梁建設、公共建物の建設及び補修を含めている。「産業発展」は農業と製造業従事者たちへの補助金と専門家サービスなどの項目を含んでおり、「地方政府及びその他の公共団体」は教育、衛生、産業発展、土木、社会事業及び慈善事業を扱うために道、府、郡、ミョン(面)などに構成された行政単位を意味する。教育と公共事業分野での支出増加はサイトウ総督が赴任してからわずか2年内に成し遂げられたということも大いに注目すべきである。
(3章、終わり)